第六話 豪雨の中で-1
ここから少し話が進んでいきます。
――昔々。この【ヴェルザス大陸】には、3種類の人種がおったそうな。
始まりの祖種。魔導の魔種。神秘の憑種。
今代ではそれぞれ人間、魔族、妖精として扱われておるが、詳細についてはあまり知られておらん。儂とお前が人間であるという確証は、魔力と羽を持たぬことから証明できる。だが、考えてみたことはないか。
なぜ人は、3種類もの人種に分かれているのかということを。男と女、性別が2つに別れていることは子を成すために重要なことだが、別に人種は1つでも問題はないのではないか? 寧ろ3つに別れていることで風習や言語の違い、目的が相反して対立関係が築きあげられてしまう。それは人類の繁栄として、逆効果だと儂は思うのだ。
動植物について考えてみよう。肉食動物や草食動物については狩るものと狩られるもの、つまりは他生物を餌として均衡を保っている。餌は有限ではないからな、喰らう対象について変化があればそこは問題がない。
だが、この大陸には動植物と対称的な存在である魔物がいるのだ。多くは魔族が使役し管理下に置いているが、それは魔力量の多い魔族に従うことが彼らにとっての生き残る手段であるからに過ぎず、魔族が生み出しているわけではない。どこからか自然的に発生し、主に人間を含めて動物を餌として跋扈している。人間、妖精は対抗手段があまり無いため現在は天敵だが、それでは魔族が世界を支配できる能力を有していることになるではないか。
現状はまさにその通りで魔王を筆頭に世界は恐慌状態に陥っている。では、このまま魔族が頂点となるかと問われると、儂はそうは思わん。なぜなら、この大陸、いや世界全体には意思のようなものがあるように感じるのだ。先の話のように、何か1つの種がこの世界で力を全て我が物とすることを許さない力が、どうやら働いているようなのだ。
人間はいま、“勇者システム”と呼ばれる計画を練っていると聞く。お前も聞き覚えがあるかもしれぬが、あれは意図的に作られたものではないと儂は考えている。魔族に対抗するために編み出した希望の力などと謳ってはいるが、魔族にほぼ支配されたこの状況でそのようなものを編み出す余力も人員も足りるわけがない。つまりは、過去の異物から発見された偶然の産物……もしくは、世界の意思が落とした抑止力であると考えるのが妥当だ。
儂は先の持論も踏まえて、9割方後者だと考えているがな。まぁどちらにせよ、その“勇者システム”の影響で遠くない未来、魔族を退け人間が世界に台頭する時代が来るやもしれん。いや、確実に来ると断言しようか。その場合、人間は魔族を掃討し次代に厄災の種を残さんとするかもしれぬが……儂の仮説が正しければ、次は妖精が何らかの方法で人間と対立するだろう。そして、次は魔物が頂点に立つやもしれん。
では、そのサイクルはいつ終わるのか。世界の意思が本当に存在するのならば、どのような形で終焉を迎えるのか。儂は、その全てを見届ける役目を自ら担うことにしよう。
――では、お前はどうする。儂のように傍観者となるか、それとも……物語に加わるか?
* * *
「シェイド。起きて、シェイド」
「ん……んんぅ? ここ、どこだ?」
「小屋」
「ああ……そういや急に雨が降ってきたから、雨宿りがてら休憩したんだっけか。悪いな、いつの間にか寝てた」
妙に気だるい体を伸ばして、藁で積まれた安易ベッドから立ち上がる。ここは家畜小屋らしく、最近まで使用されていた痕跡があるものの家畜は一体も姿が見当たらない。代わりに大量の藁と牧草が敷き詰められていたので、俺はそれに腰掛けこの先についてメリアと話し合っていた、つもりだったが……疲労もあっていつの間にか眠っていたようだ。
場所が場所だけに眠りの質が悪かったのか、疲れは眠る前よりも悪化していて、全身が少し重い。これはメリアに血を吸われた影響も少なからずはあると思うが、何か別の要因も有る気がする。一番酷いのはチクリチクリと痛む頭だ。記憶を失ってからというものの、無理やり何かを思い出そうとするとこういった症状が現れるのは知っていたが、今日はそのような行動は取っていない。
(深く考えなくても、ただの体調不良として片付けていいか。栄養不足だな、きっと)
今日はまだ録に食事を取っていない。いや、普段から食事は満足いくものを食べられていたわけではないが、最低2食は貰っていた。だというのに、今日は朝から何も食べていない。酷い雨が降っていて明るさは確認できないが、もうすぐ夕方をすぎる頃だと思う。そろそろ鳴り続けるこの腹も限界に近い。何か、栄養のあるものを食べなければ。
「あれ? そういえばあの傭兵はどうしたんだ?」
「帰った」
「え? この雨の中をか?」
「そう」
「……本当に?」
よく考えてみようか。メリアがグラズ山の入り口に傭兵を置いてから下山するまでに掛かった時間は半日以上。それでも報酬分の働きをまだしていない傭兵は合流後も同行し、近くの街へ誘導してくれる。見た目はアレだが義理を果たす性格だと勝手に俺は考えているので、あの傭兵がコソコソと帰るはずがない。しかもこの雷を伴った土砂降りだ。何か重大な用でもない限りこの小屋を移動する理由がわからない。
じとーっと、疑いの目で無表情を貫くメリアをしばらく見つめる。あ、こいついま目を反らした。
「嘘じゃねぇか……」
「ばれたのなら白状する。傭兵は獲物を狩りに出ていった。しばらくしたら戻ると思う」
「君のそのすぐばれる冗談はなんなんだ? 面白いと思ってるのか?」
「肯定。わたしは非常に楽しい」
そう言って満面の笑みを向けてくるのだからこの子は少し感性がずれている。まぁ、その向けられた屈託のない笑みに少し胸が高鳴ってしまった俺もどうかと思うが。……可愛いから、仕方がない。
「そういえば、あの傭兵はどこで雇ったんだ? 傭兵ギルドか?」
「奴隷商の護衛をしてたから、買収したの。金晶90枚で」
まるで普通のことのようにしれっと言うメリアだが、普通他者が雇っている護衛をさらに雇うということは二重契約にあたり、傭兵自身がギルドに所属している場合はバレたら規則違反として罰則がある。
傭兵は冒険者と比べて、対人に関する依頼が多く、大きく重要視されるのは依頼者との信頼関係だ。戦闘能力も勿論大切だが、やはり依頼主を裏切らない誠実さが一番求められる。
なので、ギルド所属の傭兵はたとえ金をつぎ込まれても普通は乗り換えをしないはずなのだが……ギルド未所属のフリーの傭兵ならばその限りとは言えない。さらに、金晶90枚というのはギルド所属の傭兵が一回の依頼で貰える平均報酬が金晶10枚であることを考えると破格すぎる。
メリアがどれだけ資産を抱えているのかはわからないが、一般的に考えれば馬鹿な報酬設定だ。まぁ……彼女の目的である、帝国に保管された自身の肉体の奪還とやらにはそれなりに危険が伴うかもしれないが……。
と、いうかそもそも。俺は傭兵について少し詳しすぎる気がする。いや、傭兵に関する知識だけではない。何か知りたい情報について少し想うだけで、唯一記憶として残る知識の部分について瞬時に引き出すことができる。これは以前の俺が博識であったと考えるべきか、それとも何らかの力が俺に備わっているのか。
(謎が多いな、我ながら)
「雨、強くなってきた」
「そうだな……これじゃあしばらく移動できそうにない。いい機会だ。君は記憶を失う前の俺について、何か知っている口ぶりだったな。教えてくれないか?」
メリアと初めて出会った時――正確には以前の俺は知り合いだという事実があるのだが――、彼女は“回収者”と名乗り俺の情報を餌についてくることを要求してきた。それで無謀にも喰獣に挑もうとした俺を止めてくれた訳だが、山を下り行動を共にしていることだしそろそろ聞いても良い頃だろう。
雨に濡れたせいか少しふんわりとした癖っ毛の前髪をくるくるいじっていたメリアは、俺の言葉を受けて少し紫紺の瞳を揺らせた。その反応は話をすることを迷っているような、そんな感じがする。何か嫌な予感がするが、もはや何を聞かされても受け止める覚悟はできている。
その覚悟を示すように俺は頷き、メリアを見る。俺の覚悟が伝わったのか、彼女は姿勢を正して真剣な眼差しで口を開いた。
「わたしの目的は、元の体を取り戻すこと。これは、ずっと変わらない」
「もう十年以上そうなんだってな。でも、それと俺がどう関係してくるんだ?」
この幼い見た目からは考えられないが、彼女の年齢は19歳である俺と比べて1回りも2回りも上らしい。年齢という概念がそもそも彼女に通用するのかは分からないが、それにしては年齢と行動が釣り合っていないのは今は気にしないでおこう。口に出したら怒られそうだ。
「シェイドとは、5年前に王都で初めて出会った。あなたは、王国騎士団の訓練生として魔物討伐の任務についていた。……弱っちかったけど」
「それは言わないであげてくれ……今の俺が聞いても少し凹む。でもそうか、俺は元々騎士団に所属していたのか」
それならば幅広い知識があるのも納得だ。騎士は武術もさることながら国民を守るために情報面でも強くなければならない。必然と雑多な部分から重要な部分まで、多くの知識を会得しているのも頷ける。
「当時、先代の勇者が魔王を討伐してから50年の節目を迎えていて、王国も含め各国は明らかに戦力が落ちていた。だから騎士の育成に関しても、あまり質が良くなかった。仕方がないとも言える」
「……フォローありがとうな」
「事実だから。それで、魔物の任務についていたシェイドは、当時数を増していた変異種と呼ばれる魔物の大群に遭遇して、命からがら逃げ帰った。報告のために」
「ああ……知識としては残っているよ。5年前といえば、魔王復活を企てる魔族が贄のために多くの人間を標的にして、魔物の大氾濫を起こしたんだったな」
「そう。その大氾濫は王国に甚大な被害を及ぼしたけど、現在の七賢者の一人が“その程度”に収めた」
七賢者とはこのヴェルザス大陸に全7つある国がそれぞれ抱える最強の切り札だ。入れ替わりが多い勇者を除けば人類最大の、ひいては人間が抱える最高戦力といえる。凄まじい力を魔王討伐のために一気に使用する勇者は寿命が極端に短いが、七賢者はその逆で力をため続けているので不死に近い。
世間では聖人と呼ばれていて、いまこの世界に欠かせない存在となった【賢者の石】の原石をその身に宿しているらしい。各国があまり戦争を起こさないのは共通の敵である魔族がいるのも理由だが、この七賢者が抑止力となっているのが大きい。過去に七賢者同士の戦闘があったらしいのだが、周囲を灰燼に変えてしまうので国が滅ぶのだ。なので戦争はやるだけ損と言うわけだ。
「さすがは最強だな」
「……うん。それで続きだけど、シェイドは魔物との戦闘がトラウマで騎士団を辞めた。わたしは傭兵となったあなたを偶然雇って、今みたいに行動をともにしていたの」
「ああ……なるほどね。じゃあ、俺が記憶を失ったのは?」
「旅の途中で、あなたは【賢者の石】に魅入られた。けれどそれをあなたが否定したから、その反動で記憶を失ったの。あと、あなたが今まで奴隷だったのはわたしの不手際。禁忌を犯したあなたの処罰を、防ぎきれなかった」
「【賢者の石】の力を否定するのは戦力的規約違反だったか。処刑まではいかないまでも身分の剥奪がまかり通る……なるほど、これで全て判明したわけだ。ありがとう、助かったよ」
「……お礼を言われるほどわたしはあなたに貢献していない。寧ろ、この2年間あなたを探すのに手間取って申し訳なかった」
「いや……ありがたいよ。わざわざ探してくれたんだ、ここで怒ったら人間として失格だ」
「シェイド……でも、あなたは……」
悲しげな表情で何かを言おうとしたメリアは、そこで自身の口を両手で抑えて無理やり言葉を飲み込んだ。この先は話してはいけない、それを彼女は行動で表した。その行動について咎めたり追求したりは、俺にはできなかった。誰にでも秘密はある。触れてはいけない部分といものは少なからずあるものだ。だから俺は話に区切りをつけるために藁に勢いよく寝転がり、わざとらしく大きくあくびをする。もう俺自身について満足のいく話を聞けたからこれ以上は望むまい。
その姿を見たメリアは申し訳なさそうに顔を伏せ小さな声で「ごめんね」とつぶやいたが、俺は聞こえないふりをしてそのまま顔を反対側に向けた。もうこの件については終わりだ。次に考えるべきは、この雨が止んでからの移動について。あの傭兵も交えて、道を確認してから……
――いや、待て。あの傭兵がこの小屋を出たのはいつだ? 俺が眠ったあとだと考えればあまりにも帰りが遅くないか。狩り……おそらくはカエルやカタツムリなどを探して外に出たのだろうが、それならばもう既に戻っていなければおかしい。あの傭兵の戦闘能力は未知数だが、外は魔物と頻繁に遭遇する。
「メリア、傭兵の帰りがあまりにも遅い。何かあったのかもしれないぞ」
「……その可能性は十分にある」
「だったらのんびりしている暇はないな。どこに行ったかは知らないが、いまは仲間だ。探しに行こう」
「同意」
そうして外に出ようとボロのドアを開けようとした瞬間だった。
――豪雨の音をかき消すほどの、耳をつんざく轟音が鳴り響いたのは。