第五話 反動
正式にヒロインです。やったね!
「嬉しい……■■■は絶対思い出してくれると思ってた」
目の前の少女は、一度否定した男が手を差し伸べたことに声を弾ませて喜びを露にしている。彼女は震える小さな右手でフードを払うと、今にも消え入りそうながらも満面の笑みを浮かべた。
その笑顔が、俺の中に残る猜疑心をすべて吹き飛ばしていく。
「いいや……全部じゃないんだ。思い出したのは俺が君と知り合いっていうことだけで。自分の名前もまだわからないんだ」
「ううん……いい。それだけ思い出してくれれば」
一心に俺の目を見詰めるメリアは、小さく首を横に振って俺の手を取った。その小さくか細い手は、先ほどから震えている。声をかける前、彼女の背中から感じた哀愁が理由ではないのだろう。それは明らかに、体が異常を来たして症状として現れている。よく見れば、青白い表情で俺に微笑んでいることに気づく。その存在感も先ほど別れてからさらに薄くなっている気がする。
「メリア、君のその状態は何かの病気か? ……出会ってからずっと焦っていたように感じたのも、それが理由なのか」
「否定……それとこれはまた別物。率直に言うと……わたしは、人間じゃないの」
メリアのその衝撃的な言葉に、俺はあまり驚くことはなかった。今までの見た目に反した異常な力は、彼女が世間で言う所の“有恵者”か人外でないと説明できないからだ。俺の記憶に残る限りでは、有恵者は国や協会によって管理・保護されていて、自由に行動することができないという。
ということは、監視者がいない状況で自由に移動できる彼女は後者の人外であるということは想像に難くない。
それに、俺はメリアのことについて少し深いところまで事情を知っている。それは、ここに来る道中で出会った【妙な喋り方の男】から一方的に教えられた。それが彼女とのつながりを思い出すきっかけとなったのだが……メリアと言いあの男と言い、なぜ関係者以外立入禁止のこのグラズ山にこうもたやすく侵入できるのか。謎だ。謎すぎる。
それにしても、あの男、どこかで見たような気もするが……この山以外の人間を俺は知らない。きっと、勘違いだろう。
「確か、悪魔の血を引く魔族の一種……昇華の民、だったか? 君はそれなんだろう?」
「……!? ど、どうしてそれを……あの文献はそう簡単には読めないはず、だよ?」
「いや、名前しか知らないけどな。そんな大それた文献に書いてあるのか……ここに来る途中、妙な男と出会ってな。その男が、君について色々と教えてくれたんだよ」
「困惑……わたしについて知っているのは極一部で……」
信じられないと言った表情で目を見開くメリアは、ぶつぶつと何かをつぶやきながら思案し始めた。どうやら彼女にとって予想外な展開らしく、目に見えて戸惑っている。指を折り何かを数えてはかぶりを振り、「違う……そんなはず」と表情をコロコロと変える。
やがて結論に至ったのか、メリアは納得のいかない様子の仏頂面で首をかしげると、俺を見つめて表情をまた変えた。口調はどこか機械的だが、意外と感情は顔に出やすいようで、今度は何かを企むような含み笑いだ。
なんだろう。もの凄く嫌な予感がする。
「わたし、いますごく体調が悪い」
「それは見ればわかるよ」
「今にも眠れそうなほど、体が疲れてる」
「あ、ああ。だからそれは見ればわかるって」
「…………」
「……で、つまり何が言いたいんだ?」
ミノムシの如く疲弊した体をくねくねと動かしこちらに近づいてくるメリア。その紫紺の瞳はいつの間にか色を変え、濃い赤色となって俺の視線を釘付けにする。あれは……まさか……。
「わたし、もう、げんかい」
「ちょ、ちょっと待っ……!?」
どこにそんな力が残っていたのか、彼女は急に跳躍すると俺めがけて思い切り覆いかぶさってきた。いくら軽そうとは言え、相手は子どもよりは重い。そんな物体を録に鍛えていない俺が受け止められるはずもなく……
「ぐっあ……いってぇ」
押し倒される形で結構強く頭を打ってしまった。地面が比較的柔らかい土で助かったが、これが硬い地面であったなら俺の頭からは今頃血が溢れ出ていることだろう。少女の体当たりで死ぬなんて恥ずかしい死に様は御免だ……。
「おまえ……殺す気か!」
「温かい……これが、人……」
「おい、メリア? 泣いて、るのか? 急にどうしたんだ」
「……なんでもない。なんでも、ない」
そう言いながら強く俺の胸に顔を押し付けるメリアは、震えていた。何か辛い事でも彼女は抱えているのかもしれない。人間が主体のこの世界で、人間ではない彼女。世間の風当たりは決して弱くはないだろう。迫害に近い形で、酷い仕打ちを受けている可能性は大いにある。
俺も同じとは言えないが、記憶を無くしてからの2年間は奴隷の身分として最底辺の生活を経験してきた。自由を求めて外の世界に憧れを抱いたことは何度もある。けれど、彼女にとってはその世界が優しくない。自由が最初から制限されていて、本当の意味での自由は存在しないのいだろう。現在も対立関係にあるという魔族が、人間と和平を結びしばらく時が経過しなければ……。
「ごめん、シェイド……」
「いつっ……」
首筋に、やたらと鋭利な形の歯が突き立てられた。皮膚をあっさりと貫通し、見慣れた自身の血がどくどくと流れているのを感じる。音を立てて流れ出た血を啜るメリアは、久しぶりに水を飲んだ人間のように必死だ。
魔族にはグールと呼ばれる吸血鬼がいるが、そのグールと彼女は異なる存在なのだろう。記憶に残るグールは、遠慮を知らない。人間が一度捕まり血を吸われれば体内の全てをもっていかれる。それでも足りないというのだから多くの者が犠牲となっているらしいが、メリアの場合は手加減をして俺の血を吸っているのがわかる。
「体質故の反動……異性の血液を吸うことで、わたしは存在を保つことができる」
満足するまで俺の血を吸ったメリアは、恍惚とした表情で馬乗りのまま俺にそう説明した。若干貧血気味で少しぼうっとするが、頭がまわらないほどではない。
「……それは先に言ってくれよ。心構えというものがあってだな、何かされるとは思っていたが知っているのと知らないのでは全く違うんだぞ」
「……ごめんなさい」
「でも、異性の血で良いのならなんで今まで摂取できなかったんだ? それならいくらでもチャンスは有るだろう」
その男が惹かれる可憐な容姿だ。実験とか薬の材料とか嘘をついて頼めば馬鹿な男はひっかかるだろうに。
「信頼しあえる関係でないと、わたしには血液が毒素となる。試したことは……ある」
「つまりいままでは信頼してもらえなかったと? まぁ……それは仕方ないな。正直言うと胡散臭いし、君」
「…………」
「いてっ、いててっ。無言で殴るな! 悪かったって」
少し慣れてきたからわかるが、この子はあまり情報の伝え方がうまくない。遠回しというか、理解しづらい。疑われるのも無理はないな。俺もこの子と知り合いであるという事実がなければ、今頃は反対方向に向かっていたことだろうし……。
「それで? これから、どうするんだ。というか君の目的から何までわからないんだが。俺は知識以外記憶ないし、頼れる奴もいないからここで別れるんだったら早めに街に行きたいんだが」
そう当たり前のことを提案したつもりだったが……この子はそれをどう捉えたのか、目を見開いてぷるぷると震えだした。血を摂取したことで落ち着いたのか赤から紫紺の色に戻った瞳からは、じわりと涙が出てきている。
「わたしと一緒は……いや?」
「い、いやだから……」
「いや? いま、いやって言った……」
「ああもう面倒くさいな! 一緒に行くよ! どこに行くかは知らないけど!」
俺としては特に方向性が決まっていないので8割方この子としばらく一緒にいようと思っていたんだが、大概俺も伝え方が下手みたいだ。もっとはっきりと伝えないとお互い解釈に齟齬が生じてしまう。
……しばらくは、大変だろうな。慣れれば問題はなさそうだが。
「そう……それならいい。まずは……山を降りて協力者と合流」
言葉どおり受け取ればそこまで嬉しくなさそうだが、その表情は満面の笑みだ。言葉と表情が一致しないのがこの子の特徴だな、うん。あまり言葉の方は信用しないことにしよう。表情だけ見ていれば今の気持ちがわかりそうだ。
「協力者か。まぁ、そこまでしないと警備を超えて入ってこれないだろうからな……まぁ、それはいい。とりあえず良い加減降りてくれ」
「了解」
「じゃあ、行くか。喰獣は何故か移動したみたいだが、特に危険はなさそうか?」
「……恐らく、力の貯蔵で強い者の元へ向かっているはず。ここから一番近い強者は、七賢者【フリーズ】。西に向かっていると予想」
「七賢者……なるほどな。もうこの周辺にいないと考えて良いみたいだな。念のため警戒して降りようか」
「同意」
そうしてとりあえず協力者がいる山の入り口へ向かうことになった俺達は、途中休憩をはさみつつ2時間ほどかけてその場所にたどり着くことができた。会話は……相変わらず俺が振らないと生まれないが、その中で色々なことを知ることができた。
1つ、俺が記憶を失ったのがいつかは分からないが、知識として残る部分に関してはある程度はそのまま利用することができること。
2つ、世界はいま魔族との戦争中で荒れているとのこと。
3つ、メリアの目的は自分の体を取り戻すこと。
3つ目に関してはあまり自分から喋りたくはなさそうだったので深くは聞かなかったが……相当辛い目にあっていたみたいだ。見た目は何も人間と変わらないというのに、なぜこうも扱いが違うのか。……少しだけ、この時俺は怒りを覚えた。
「見えた。あれが、入り口」
「やっとか……とりあえずうまい飯を食って早く寝たい」
「無意味」
「いやいやいや、君と同じことしたら俺死ぬから!! 俺、人間だから!」
「冗談だよ」
軽い雑談を交えつつ、協力者との合流地点へ向かう。メリアいわく、依頼金をたんまり払って雇った傭兵らしく、腕は立ち知識も豊富だが全身を黒い防具で覆っているので顔は見ていないらしい。会話は仕事の話を一度した限りで、待機するようお願いしてからしばらく経つがもしかしたら帰っているかもしれないとのこと。
(いや……仮にも金もらって仕事してるんだから帰るなよ)
金は貰えず飯は最低限の不味い物、労働時間は一日12時間で休みは無し。そんな悪待遇の仕事をしていた俺からしてみれば贅沢な話だ。帰るなど言語道断。流石にそれは……ない、よな?
「あ、いた。全身黒尽くめの人。あれがそうか?」
「肯定。良かった、いてくれた」
「普通は帰らないんだよ、メリア」
本気で帰っている可能性を考えていたメリアを窘めつつ、気絶している番兵の傍で直立していたいかにも傭兵ですと言わんばかりの人物へ近寄る。相手もこちらに気づいたのか、表情の伺えない顔をこちらに向けて軽い会釈をしてくる。なんだ、きちんとした礼儀ができる人じゃないか。想像していた野蛮な人物像がどこかへ消えていった。
「おまたせ」
「…………(こくっ)」
「とりあえず、近くの街へ行く。案内お願い」
「…………(こくっ)」
「シェイド。道案内はこの人に任せて、わたしをおんぶ」
「……あ、ああ」
(何か喋れよ……来た時に居なかった俺のこととか、普通は聞いてくるだろう。こいつも口下手なのか? そうなのか!?)
先行きに一抹の不安を感じながら、否定するとむくれるメリアを仕方なくおぶって先導する傭兵のあとをついていく。がしゃがしゃと鎧の揺れる音だけが周囲に響き、会話は何も生まれない。話しかけてもだんまりを貫く傭兵は、ただひたすらに前を向き歩いて行く。
睡眠が必要ないはずのメリアは何故か背中で寝息を立てているので、俺は一人分の体重をより重く感じながら疲労でふるふると震える足を無理やりひきずり付いていく。
「なにこれ」
俺のつぶやきは、やはり鎧の音に消されて消えていった。
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