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初恋の香り

作者: 上州みかん

 初めてフレグランスというものを買った。朝日を零したような淡いレモンイエローのガラス瓶の中に閉じ込められたそれは、まるで宝石が解けたみたいにキラキラと水面を揺らす。

 私はそれを、ほんの少しだけ手首に垂らして制服を纏った。シトラスの香りが鼻先をくすぐる。

 誰かにバレてしまうかな。先生に注意されるかも。そんなことを思っておっかなびっくりつけた香りを、歩きながら何度も確かめる。少しひんやりとした朝の空気の中、手首を鼻先に近づけて、爽やかでほんのりと甘い香りを吸い込む。それだけで、なんだか嬉しくなった。




「浅沼さん、今日なにかつけてる? 良い香りがする、気がする……ごめん、変なこと言ったかな」

「っ! ……うん、ちょっとだけ」


 その香りに一番に気づいたのは隣の席の遊佐君だった。彼に話しかけてもらえたことが嬉しくて、うまく声が出ない。遊佐君は私のぎこちない返事にも嫌な顔ひとつせずに、もう一度その香りを褒めた。

 遊佐君は物静かで優しい人。なんだか他の人とは違う雰囲気を醸し出している、と私は思っている。彼はあまり人とつるまなかった。友人が少ないとか、そういうことではない。いつだって周りに人がいるのに、誰かと特別親しくしていたりするところを見たことがない。そんなところもミステリアスで、なんか良い。


 私は、彼の事が好きだった、のだと思う。

 告白をしたいとか、そういうものではない。いいな、と思うくらい。この歳の女子ならば、誰もが持ち合わせているであろう憧れにも似た感情。


 彼に気づいてもらえた香りを、私はもっと好きになった。

 気持ち程度に付けたフレグランスは、彼以外の友人は気づかれなかった。私と彼を繋ぐ秘密のように思えて、なんだかこそばゆかったのを覚えている。


 朝、こっそりと手首にそのフレグランスを付けて学校へ向かうのが日課となった。憂鬱な学校も、大好きな香りを纏うと不思議と億劫ではなくなった。





 ある日の事だ。

 友人が、遊佐君が隣の県の私立高校を受けるという噂を私に教えてくれた。成績優秀な彼の事だから、より都心に近い偏差値の高い学校を受けるのだろう。

 中学3年の私達は、もうすぐ離れ離れになる。残り僅かな中学生活は、大きなイベントに卒業式を控えて足早に過ぎていった。


 卒業式の日。友人は好きな人の名札を貰うのだと張り切っていた。

 私も遊佐君の名札が欲しいような気がしていたのだが、誰にも明かしていない小さな恋心では、そんな勇気は出せなかった。


 高校に上がると同時に、私はなんとなくシトラスのフレグランスを付けるのをやめた。誰にも気づかれない、気づいて欲しい人もいないその香りが、なんとなく寂しく思えてしまったのだと思う。


 部活に正式に入部し、朝練が始まってしばらく経ったその日。桜が散り、並木道はすっかり鮮やかな緑に染まっていた。

 まだ肌寒い朝方、駅の階段を登っていると、目に焼きついて離れない横顔に遭遇した。

 遊佐君だ。

 話しかけるかどうか悩んでいたら、あちらが気づいて微笑んでくれる。笑うと細くなるあの目が好きだった。

 ドキリと弾む心臓。緩みそうになる顔を押さえる。


 「おはよう。久しぶりだね、浅沼さん」


 遊佐君が、私の名前を覚えていてくれた。

 まるで魔法のように、一瞬で頬が熱をおびる。

 バレませんように。そう必死で祈って、なんでもない風を装い「久しぶり」と返す。


 聞くと遊佐君は、通学に時間がかかるため、朝早い電車に乗るそうだ。

 反対方向ではあるものの、同じくらいの時間に駅に来ることがわかった。ちょっと嬉しい。また会えるかもしれないし。


 電車を待つ間、彼とたわいもない話をした。私の学校は同じ中学から進んだ人が多かったから、話題は尽きない。

 遊佐君は優しく微笑んで、私の話に耳を傾けてくれる。

 なんてことない田舎の駅の待合室。次の電車が来るまでの、ほんのちょっとの時間。それがまるで永遠のように感じるんだから、恋って不思議だ。


 ガサガサとした電子音が、電車の到着を淡々と告げている。そろそろ移動しよう、と彼は立ち上がり、私たちは待合室を出た。

 別々のホーム。別れ際、遊佐君は思い出したかのように振り返って言った。


 「香水、今日は付けてないんだ」


 ハッとして手首を見る。机の奥にしまいこんだ、あの小瓶の中で、レモンイエローが揺れる。


 「あの香り、好きだったんだ」


 遊佐君が子供っぽく笑う。まるでいたずらの成功した子みたいに。 


 「朝沼さんに、ぴったりだと思って」


 電車の車輪の音が耳に届くと、彼は「それじゃあ」と私を振り返ることなく行ってしまった。

 私も自分の乗る電車のホームへと歩き出す。頬の熱さは、引く気配がなかった。


 次の日。私はまた、あのフレグランスを引っ張り出して、解けた宝石みたいに煌めくその液を手首に垂らした。気持ち程度、ほんの少し。


 彼と2人だけが知っている、秘密の香り。

少女漫画の短編を描くつもりで今回の小説を書かせていただきました。読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言]  好きな異性のために行動に移す、素敵だと思います。
2017/02/01 10:59 退会済み
管理
[良い点] 読みやすい文章でした。 そして、誰にでもある記憶の底の思い出を、開いてくれるようなお話でした。 [一言] 他の作品も、読ませて頂こうと、思っています。 また、お邪魔します。
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