紅い月の夜に
季節外れのハロウィンネタです(・・;)
ーーーーー夜。
世界が闇に包まれ、彩りが姿を消す。
暖かい陽気はたちまち温度を下げ、ひやりと僕の体を震わせる。
「今日は満月か」
まだ姿を現したばかりの月は驚くくらい大きく、そして不気味なほど紅い。
不気味さでは僕も負けてはいない。
黒い蝶ネクタイ、黒い燕尾服ならまだしも、その上の部分、顔が異彩を放っていた。
額、目元、鼻を覆い隠す漆黒の鳥の仮面。烏を思わせるその黒尽くめの格好は僕のハニーゴールドの髪を一層際立たせた。
今宵は人が人であることを隠し、仮装し、人でない者達と宴を開く。
この年に一度の特別な日は恥ずかしがり屋な彼女だって参加するはずだろう。
僕は期待を胸に愛しいあの子が姿を現わすであろう場所へとたどり着く。
周りに人は誰もいない。明かりは僕が持つかぼちゃのランタンと、空に怪しく光る星々と月だけ。
彼女がまだいなかったことに少々悲しみを覚え、小さくため息をつく。
このままあの子は来ないのではないだろうか?嫌な予感が頭をよぎる。
そんな僕の吹き荒れる感情を形に表現したように、強い風が木枯らしを引き連れながら舞い上がる。突然の風に目をつむり、顔をしかめる。
その時、ふわっ、と風に誘われて甘美な香りが僕の鼻腔を刺激した。この独特な甘さは金木犀から漂っているに違いない。
金木犀の優艶な香りが頭を麻痺させたのだろうか?次に僕が目を開けると、先ほどまではいなかったはずの人影が目の前の木の下に立っていた。
「君はーーーーー」
僕がその後ろ姿に声をかけようとすると、それに応えるようにざわざわと風が木々を揺らす。金木犀の甘い甘い香りが正面から吹き付ける。
その人影から目を離してはいけないはずなのに、愚かにも僕は瞳を閉じてしまう。
急いで瞼を上げるが遅かった。もう、人影はどこにもない。
やはり夢か何かだったのだろうか?
落胆にも近い諦めの気持ちでこの場を後にしようと僕は足を持ち上げる。だが、突如聞こえた挨拶にその足は行き場をなくした。
「ボンソワール、烏さん」
透き通る美しいソプラノボイスは後ろから聞こえてきた。
胸が高鳴り、鼓動が早くなる。
僕ははやる気持ちを抑え、ゆっくりと振り返り、丁寧に応える。
「ボンソワール、お姫様。今宵は何かご用ですか?」
僕は愛しい彼女を見つめる。
黒い長い髪、黒いワンピースから露わになる雪のように白く儚げな肌。
夜に溶け込む彼女は幻想的で美しかった。
ただ、残念なのが狐の仮面で彼女の顔が隠れてしまっていること。
でも、今宵だけは人間であることを隠す日。仮面を取ってしまうことは失礼だ。
「ええ、そうよ。烏さんに伝えたい言葉があるの」
クスクスと仮面越しから笑い声が聞こえる。
「トリックオアトリート」
甘い嗜好品を求めて彼女は僕に言った。
それは、今宵の合言葉。
人も化け物も同等に与えられる魔法の言葉。
だけど、残念なことに僕はその要求に応えることはできない。
「申し訳ございません。僕は貴女が望むものは持ち合わせておりません」
そう、僕はお菓子などという嗜好品を現在持ってはいない。
愚かにも忘れてしまったのだ。
「そう……それは残念だわ」
声色からも落ち込んでいる気持ちが伝わり胸がチクチクと罪悪感に襲われる。
だが、すぐに何かを思いついたのか、パチンと手を合わせ明るい口調で話す。
「なら、悪戯していいってことね!」
一瞬、ニヤリと嗤ったような気がした。
ぞわりと寒気を感じ膠着する。そんな僕の状態を知ってかしらずか、彼女は顔が付くくらい急接近する。
「失礼」
彼女の手が僕の首、耳、髪に触れカチャカチャと何かをいじっている。
カシャン。
鉄が地面に叩きつけられる音と同時に僕の頭全体にかかっていた重力は影を潜めた。
仮面が外されたのだ。
「あらためて、ボンソワール、ルーク」
軽快な声で彼女は僕の本名を口にする。
仮面を外され僕は烏ではなくなり、人間にもどってしまう。
ルークというただの少年に。
ある意味でそれはルール違反。
正体隠して楽しむ今宵の宴にはやってはならないこと。
だから悪戯なのだろう。
「参ったな、これじゃあみんなのところへは戻れないな……」
化け物になれない以上、化け物たちの中に交じることができない。
「それならずっと私と一緒にいるのはどう?」
「貴女がどこかへ行ってしまうんじゃないか?」
「私はルークを置いていったりはしないわ」
「じゃあ、貴女の仮面を取ってもいいかい?」
それなら、どこにも行けなくなってしまうから。
と、本音はぐっと飲み込んで彼女に要求する。だが、それ以上に僕は愛しい彼女の素顔が見たかった。すぐにでも邪魔な仮面を剥がしたかった。
「ルークは意地悪ね。でも、そうね、しょうがないかな?いいよ」
とって。とでも言うかのように彼女は背伸びをして頭をこちらに寄せる。その動作一つ一つが可愛らしい。
僕は仮面をつかみ、そっと彼女の顔から取り外した。
雪のような純白の肌。人形のような精巧な顔。漆黒の艶やかな長い髪。そして、純血のような赫い赫い瞳。
危うげなその美しさは僕を虜にする。
「リリス」
彼女の口にする。
愛しいリリス、やっと会えた。
ふわりとリリスは咲う。
ずっとずっと会いたかった、愛しい君。
「ルーク、あと一つ悪戯をしていい?」
君の願いなら僕は全力で応えよう。コクリと僕は頷く。
「目を瞑って」
催眠術にかけられたかのように僕は無意識のうちに瞼を閉じる。
「んっ」
彼女の吐息が頬を撫でたかと思うと、唇に柔らかく、熱を帯びた感触が伝わった。
一瞬だったのかもしれない。もしかしたら、長い間だったのかもしれない。
ただ、時が止まったように彼女の熱を感じ、気づいていたら終わっていた。
とても甘い甘いキスだった。
唇を離したら彼女は満足げにぺろりと自分の唇を舐めた。頬が紅潮していて色っぽさが増す。
「ふふっ、ルークったら顔が真っ赤」
「っ!だっていきなりだったから……」
僕は彼女にいじられたからなのだろうか?それとも先ほどの行為を思い抱いたからなのだろうか?顔がどうしようもなく熱くなるのを自覚しながら、手で表情を読み取られないように隠す。
「まあ、いいわ。これで悪戯は終わりにするわ」
激しく風が吹き木々の葉が擦れる音が大きくなる。僕の手に持っていたランタンの火が危うげに揺れる。金木犀の香りが遠くなる感じがした。
これではダメだ。そう、思った。
また、消えてしまう。焦りが僕の心を掻き回した。
気付いたら手が伸びていた。
ガシャン!!
ランタンが落ち、火が消える。紅い月が雲に隠れる。
世界が闇に包まれる。
何も見えない。
だけど、孤独を感じることはなかった。
腕の中には狂おしいほど愛しい子がいる。
もう、ここが夢か現実か定かではなくなってきた。きっとその狭間なのではないだろうか?
雲が旅を続け、月が顔を出す。
星の光は世界を照らし、紅い輝きは世界を歪める。
少年は気付く。少女の紅い瞳から一滴の雫が頬から流れ落ちたことを。
少女は壊れる。もうすぐこの日が世界から別れを告げるから。
僕は彼女の熱い吐息を塞ぐように
私は彼の早まる鼓動に合わせるように
彼女が消えてしまう前に
彼が遮るように
僕がやりたいように
それはいけないことなのに
必死だったから
嬉しかったから
だから、誓いをたてよう
でも、これは呪い
君と一緒にいるための
貴方を縛り付けてしまう
“ー愛のキスー”
少年と少女の唇が重なり合う。
それは、誓いで、呪いで、魂を結びつける永遠の魔法だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
春の暖かな陽気、花が香る街並みにある事件が駆け巡った。
誰もが足を踏み入れない森の奥、季節外れの金木犀が咲いていたこと。
そして、その樹の下に長い間行方不明だった少年が発見された。
彼は息を引き取っていた。
だけど、今も生きているような綺麗な身体は腐食も傷一つもない。ただ穏やかに寝ているようにある墓石によたれかかっていた。
その墓石には文字が刻まれていた。
『ーリリス
永遠の愛と時間を君にー』