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DOORS  作者: 権兵衛
1.プロローグ
8/30

       (8)

 俊太は網戸にくっついて離れない奇妙な虫をまじまじと凝視していた。緑色の羽を持ったその虫は異常に細長く、気持ちの悪い体をしている。いったいこの虫は何という虫なのだろうか。素朴な疑問がふと頭に浮かんだ。

 平然とした態度を取ろうと躍起になっていた竜助に否定的な考えを示した俊太だったが、やはり限界がきてしまった。一度何もかも忘れて普段の生活に戻りたいという思いが徐々に俊太の心を支配していったのである。

 楽になりたい。なにも考えたくない。そうなればどんなに良いだろうか。

 しかし、あの二人が失踪したという事実は、今俊太の眼前の網戸で羽を休めている奇妙な虫のように頭から離れようとはしなかった。消し去りたくても消し去れない事実によって精神が蝕まれていくのを我慢するしかなかったのである。

 さらに、竜助との絆に少しひびが入ってしまったことに対する強い後悔の念が俊太の憂鬱な気持ちに拍車をかけていた。悄然しょうぜんと立ち去って行った竜助の後ろ姿は未だに幻覚のように瞼の裏のあたりで反芻はんすうされる。

 こんなの耐えれるわけがない。もうどうしようもない。

 俊太はベッドの布団に潜り込み、そのまま目を瞑って動かなくなった。

 壁に設置してある時計は一定のリズムで秒針を動かしていた。その秒針の音が俊太の耳に吸収されていく。そんな些細な音でさえ段々と、鬱陶しい耳障りな音へと変化していった。俊太はたまらず布団を撥ね除けて、時計を止めてやろうと立ち上がった。

 刹那、母の声がその時計の音をかき消した。

「ご飯できたよ」

 どうやら夕食の準備ができたようだ。命拾いしたなと、小さな声で俊太は時計に向かって話しかけた。

 自分の寝室から出ようとドアノブに手をかけ、階段を降りようとしたときだった。突如、寝室から声が洩れてきたのだ。

「おい」

 その声は酷くしわがれていた。ところが、その声を俊太は空耳だと認識した。閉めたドアに振り向きはしたが確認はしなかった。

 そして、再び階段へと足を伸ばした瞬間、同じ声がさらに大きなボリュームとなって聞こえてきたのである。

「こら、待たんか!」

 俊太は震えた手でゆっくりとドアを開けた。




 心臓があまりにも激しく鼓動していたので、俊太は思わず空嘔吐からえずきした。ドアの向こうには誰もいなかったのである。間違いなく幽霊だと俊太は思った。戦慄きの表情で俊太は踵を返したその時、背後から衣擦れの音がした。

 慎重に後ろを振り向いた俊太は顔を青くして腰を抜かしてしまった。そして、絶叫する。

「うわあ!」

 おそらく布団の中に潜んでいたのだろう。いつの間にか見たことのない老人がベッドに腰かけていたのだ。

 腰のあたりまで伸びた後ろ髪と胸まで伸びた顎髭は白銀に輝き、古代ローマの庶民が着ていたトガのようなものを身にまとっている老人を見た俊太は直感的にその老人が何者なのか予想した。

 この人、ぜったい神様だ。

 言葉を失い口をポカンと開け呆然とした様子で尻餅をついていた俊太が滑稽だったのか、謎の老人は突然顔を綻ばせた。

「なんて顔してるんじゃ――」

 次に続けた老人の言葉に俊太はさらに驚いた。

「ちなみに、お前さんの予想は大体あたっとるな。だが、勘違いしてはならん。ワシは神に〝近い〟存在なのじゃ」

 心の中では呟いたが、実際に口には出していない。しかし、この老人は当たりまえのように俊太が無言であるにも関わらず意思疎通を交わした。どうやら心の中を見通せるらしい。

 すると、ドンドンと階段を蹴る足音が俊太の耳に入ってきた。俊太の叫び声が聞こえたのか、心配して母が俊太の寝室にあがってきているらしい。

「おっと、これはまずいのう」

 老人は徐に手を頭上にかざして、指をパチンと鳴らした。母の足音が消え、ドアノブが捻られる音がした。だが、数秒たっても母が部屋に入ってくることはなかった。ドアノブに目をやった俊太は驚愕の表情をした。ドアノブが傾いたまま静止していたのである。

 これはもしかしたらと勘付いた俊太は窓の外を見た。すると、そこには常軌を完全に逸した景色が広がっていたのだ。

 風に乗って空を遊泳しているはずの雲やその間を縫うように優雅に舞う鳥たちが一切の動きを止めていた。

 赤のまま変わることのない信号、そして奇妙なポーズを堂々と横断歩道の真ん中でとる人々。

 俊太は確信した。完全に時間が止まっていると――。




 胸の鼓動がようやく落ち着いてきたので、俊太は老人にむかって口を開いた。

「おじいさんは誰ですか?」

 老人は人差し指を自分の顔に向けて、間抜けな顔をする。

「ワシか? そうじゃな、ギンジとでも呼んでくれ」

「ギンジ……さん」

 真剣な面持ちで俊太は鸚鵡おうむ返しをした。

 だが、訊きたかったのは別に名前ではなく正体である。いきなり幽霊みたいに姿を現して、傍若無人に自分のベッドでくつろがれてはたまったものではない。僅かに顔を歪めて俊太は言った。

「いや、名前じゃなくて――」

「ああ、分かっておる。正体じゃろ。さっきも言ったが、神に〝近い〟存在じゃよ」

 そういえば、この老人は心を見通せることができるんだったなと俊太は思い出した。それなら、最初から名前じゃなくてそれを言えよと俊太は憤慨したが、敢えて態度には出さなかった。だが、こうして憤慨しているのもどうせバレバレなのだろうと思うと、俊太はしゅんとなった。

「で、いったいギンジさんは何しに来たんですか?」

「何しにって、当然困ってるお前さんに手を差し伸べてやろうと思って来たんじゃよ。ところでお前さん、ワシと打ち解けるのが早すぎやしないか? いきなりこんなジジイが出てきたら、気を落ち着けるのに結構な時間かかるぞ、普通は――」

 たしかに、ギンジの言うことは正しかった。

 しかし、俊太にとってもはや何がおきても不思議ではない状況だったので平気だったのだ。突然友人二人が忽然こつぜんと姿を消し、頭の中で謎に包まれた人物の声がしたかと思うと、激烈な頭痛に苛まれ病院送りとなる。極度の疲労とはいえ、失神してしまうほどの電車に追突されたかのような痛みが頭を襲うのは明らかに不自然である。そして、今まさに時間が止まるという夢のような空間にいるのだ。そんな状況で謎の老人が目の前にいるというだけで狼狽えろというほうがむしろ不可能である。

「ああ、あの声はワシじゃよ」

 いきなり、ギンジが抑揚のない口調で衝撃的な告白をした。

「そういえばたしかに……」

 言われるまで気付けなかったので俊太は少し顔を赤らめた。

 すると、ギンジは急に顔の色を変え、立ち上がった。迫力のある精悍せいかんな顔つきをの当たりにした俊太は思わず唾をゴクリと飲み込んだ。

「時間がない、そろそろ本題に入ろうかのう」

「本題ですか?」

 俊太は訝しげな表情を浮かべて訊いた。ギンジが首を縦に振る。

「ああ。じゃあ結論から言おう。勇人くんと達也くんは非常に危険な状況に置かれている」

 刹那、俊太の心の深淵からから不安を煽るかのような漆黒の闇が溢れ出た。しかし、次のギンジの言葉にその闇はさらに色を濃くした。

「そして、多分じゃがお前さんの大切なヒトはこれからも徐々に消えていくじゃろう。警察とやらも意味をなさない」

 俊太は絶句した。吐き出すべき台詞が全て闇によって葬り去られたのだ。

「じゃが、案ずることはない。お前さんの努力があれば必ず光がやってくる」 

「この状況を打破できるなら、なんでもします」

 そう言った俊太の顔はヒステリックなまでに躍動感に満ちていた。

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