(5)
「悪かったよ。俺が不謹慎だった」
「お前なあ、いつもそんなこと言ってるけど変わったことあったか?」
薄めの眉毛をへの字にして誠心誠意、謝辞を述べる達也だったが、俊太は容赦なかった。
「お前には思慮分別のフィルターを通さないですぐに行動に移す癖があるんだよ。そういう癖は早めになくしたほうがいいぜ。社会にでるんだったらな」
俊太の説教じみた言い方に少し業を煮やした達也は反撃とばかりに語調を荒げて言った。
「じゃあお前だっていつも学校の先生みたいに俺に説教するのは止めてくれないか。いい加減、腹が立つんだよ!」
「うるせえ、お前が自重ってもんを知らねえから丁寧に教えてやってんだろうが!」
二人の中学生のような口喧嘩を最初のうちは瑠花も口元を綻ばせながらただただ無言で聞いていた。喧嘩するほど仲が良いというので、この二人は仲が良いんだなと瑠花は予想を立ててた。しかし、瑠花は次第に苛々してきた。なぜなら、彼らは今、自分のいない異世界に入り込んでしまっているからだ。俊太と達也は瑠花の存在を消してしまっている。瑠花は、なぜこんなくだらない喧嘩で長々と自分が孤独にならなければいけないのだと感じたのである。
「あのう、もういいんじゃない?」
痺れを切らした瑠花はげんなりした口調で言った。
すると、俊太と達也は同時に瑠花のほうを振り向いた。ことの重大さに気付いた二人はすぐさま、頭を下げた。
何か閃いたように俊太は口を開く。
「――というわけで、俺たちもう行くから」
「お、おう。今日はホントに悪かった」
再び軽く頭を下げた達也は踵を返し、足早に去っていった。繁華街の放つ燦然とした光が達也の黒髪に覆われた後頭部を白っぽく染めていた。
「まったく、嵐のように現れて嵐のように去っていったな」
俊太はホッとため息を漏らした。
「はぁ、お腹すいた」
「俺もペコペコだ。達也のやろう、アイツのせいで大幅にタイムロスしちまった」
長々と相手するあんたも悪いよと口から出そうになったが、瑠花は喉のあたりでなんとか堪えた。
「でも、なんでアイツこんな時間に一人でこんなところにいたんだろう?」
「さあ、買い物じゃない?」
「こんな時間に一人で買い物かぁ。寂しい奴だな」
クスクスと笑い声をあげながら、歩いていた二人の眼前にお洒落で雰囲気の良さそうな煉瓦造りの外壁に囲まれたレストランが現れた。それを見た瑠花の目は星のように輝いていた。
「ねえ、あの店良さげじゃない? いかにもデートしてるカップル専用ってかんじで……」
「たしかに。でも、高そう」
俊太がそう思うのも無理はなかった。
遠目ではあったが中の様子を覗いてみると、テレビでよく見るような高級レストランと瓜二つだったからである。
一定の距離に点々と置かれた円卓には純白のテーブルクロスが敷かれ、フォークやスプーン、ナイフなどが綺麗に並べられている。床もただの床ではなかった。絨毯のようにフワフワとした床で、良く知る硬くて冷たくて薄汚れた白いものではなかったのだ。
それだけで高級レストランとみなすのは少し短絡的ではあったが、少なくとも今の自分の財布では歯が立たないだろうと俊太は推測した。
レストランとの距離がなくなり、二人は立て看板で掲示されているメニューを見た。その瞬間、俊太は思わず瞠目してしまった。
「えっ、安いぞ!」
「ホントだ」
二人は心底驚いた。学校の食堂よりは当然、高価なものが多いが、バイトをしていることもあってか、全く手も足もでない値段ではなかったからである。だが、財布の紐が堅いような人間にとっては些か入り辛いような、それぐらいのレストランだった。
「じゃあ、入ろっか?」
「うん、なんか美味しそうだしね」
店頭に料理の模造品が置かれているわけではなかったが、瑠花は名前だけで美味しいそうと判断した。この判断に対し俊太は心の裡では首を傾げたが、おくびにも出さなかった。
「いらっしゃいませ」
優雅なクラッシックのメロディをBGMにウェイターが声をあげ、二人の元へやってきた。
「お二人様でいらっしゃいますね。ではこちらへどうぞ」
柔和な口調で案内された場所は二階の窓際の席だった。窓からの眺めはそれほど良くなかったが、円卓の中央に置かれた水色の光を放つお洒落なキャンドルが十分すぎるほど場の雰囲気をロマンチックにしている。
コース料理を注文することにした二人は両者ともにAコースを注文した。全部で4品あって1800円とはなんと激安なんだろうと注文してから改めて二人は感じた。
「安いけど、やっぱり量は少ないなぁ」
パスタを頬張りながら俊太はぼやいた。
「まあ、コース料理だったらこんなもんじゃない? あっ、これメッチャ美味しい!」
満面の笑みを浮かべながら、『若鶏と春野菜のホワイトクリームパスタ』という何とも長々しいタイトルの料理を瑠花は絶賛した。
「味も良いし、名前だっていかにも高級品ってかんじで、こんな料理ホントにこの値段で食べていいのかな」
「たしかに、お得にもほどがあるよね」
コース料理を食べ終わるまではずっと、でてきた料理のことばかり話していた。しかし、最後にでてきたパイン味のシャーベットを食べ終わると、急に達也の話になった。
「達也くんと俊太って犬猿の仲なんだね」
瑠花の口から唐突に達也の名前が飛び出してきたので、俊太は口に含んでいた水を吐きそうになった。飲み込んでから、渋面をつくってかぶりを振った。
「犬猿の仲どころじゃない。生理的にあわないんだよ」
瑠花は訝しげな顔をした。
「どういう意味?」
「なんていうか、とにかく何もかもがかみ合わないんだ。意見やら何から何まで――」
「まるで、いまの政界の与党と野党ね」
「うん、そんなかんじ」
俊太は苦笑しながら深く頷いた。
しばらくして、たいして話題もなくなったので二人はそろそろ店を出ることにして、腰を上げた。
すると、立ち上がると同時に俊太は腿のあたりで振動を感じた。ジーンズのポケットに入れていた携帯電話が着信を知らせて震えていたのである。
俊太は慣れた手つきで携帯電話を操作する。
刹那、俊太の心臓が飛び跳ねた。達也からのメールだった。噂をすればとはこのことである。そしてメールの内容を見るやいなや俊太の顔が歪んだ。
「どうしたの、青褪めた顔して……」
「いや、達也からのメールだったんだけど――」
俊太はその後、メールの内容を瑠花に告げた。
「冗談なんじゃないの? きっと、ドッキリか何かよ」
「そうかな。さすがにそんなことはしない奴だとは思うんだけどな……」
「まあ、とりあえず返信してみたら」
フッと一呼吸おいてから、俊太は答えた。
「そうだな」
親指を器用に動かしながら、俊太はメールを打った。
冗談はよせというような趣旨のメールを返信した俊太だったが、結局――というよりも、なぜかいつまで経っても達也からメールが返ってこなかった。
俊太はただただ呆気にとられるしかなかった。なぜなら、突如として達也から送られてきたメールは冗談にしては笑いごとにならないような突拍子もない内容だったからだ。
『大変だ!
勇人が行方不明になった
警察沙汰になったそうだ
どうしよう!』