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DOORS  作者: 権兵衛
3.俊太と猛
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       (3)

「猛、お前……なんで泣いてるんだ?」

 猛は頭を垂れたまま、肩を震わしている。そのままの状態で何も話さなくなった。

「おい、なんか言えよ!」

 語気を荒げた俊太の言葉にも聞く耳持たずといった様子で、猛はうんともすんとも言わなくなった。痺れを切らした俊太がギンジのほうに顔を向けた。

「どういうことだよ。まさか、猛がお前の選んだ〝祈る〟人なのか」

 ギンジは息をふっと吐いてから答えた。

「そうじゃ。偶々、ワシが猛を選んでしまったのじゃ」

「選んでしまった? なんで選んだんだよ。多くの人間に不幸をもたらすような〝祈り〟をなんで選んだんだよ」

「実は、ワシは〝祈り〟の内容は知らなかった。それをした人間はレーダーのように感知できても、その内容というのは知る由もなかったのじゃ」

「そんなバカなことあるか! 何も知らないでその〝祈り〟を叶えるだと――あまりにも支離滅裂じゃないか。くじ引き感覚でそんなこと易々とするなんて」

 声が枯れんばかりの大声で俊太は叫んだ。

 ふと、俊太の心にいくつかの疑問が浮かんだ。では一体、猛はどうして俊太の周りの人間が消えるような〝祈り〟をしたのだ。そもそも、その動機はいったい何なんだ。何の恨みがあってこんなことをしたのだ。

「おい、猛……もう教えてくれて良いよな? お前は一体なんのためにこんなことをしたんだ」

 俊太は猛の肩を手でポンと叩き、俯いた猛の顔を下から覗くようにして見た。すると、猛はようやく顔をあげた。目は腫らし頬は濡れていた。そして、蚊の鳴くような声を出した。

「あの時のことを覚えてるか? まあ、覚えてねえよな。むしろ忘れていてくれと俺も思っている」

 顎に手をやり猛の顔を眉間に皺を寄せて俊太は見つめた。

「あの時のこと? もう少しヒントをくれねえか」

「じゃあ、質問を変えるよ。俺の兄貴のこと覚えてるか?」

 刹那、俊太の頭の中で凄まじい閃光が煌めいた。そして、体全身が泡立った。

 そうだ、思い出したぞ。あの時、柏木とダブルスを組んでいたのは猛の兄だ。あの時、猛と柏木と猛の兄と一緒にテニスをやっていたのだ。

「ああ、覚えてるよ。で、あの時ってのはテニスをした時のことだな?」

 猛はかぶりを振った。

「違う、その時じゃない。その日のもっと後のことだ」

「もっと後?」

 後頭部を触りながら俊太は考え込んだ。必死に記憶の抽斗を探ったが皆目見当がつかなかった。

「すまない、覚えてない」

「俺は兄貴のせいで普通に生きていく自信をなくしたんだ。あの事件のせいで……」

「もったいぶってないで、とっとと答えを教えてくれ」

「あの日は酷い雨だった。一部の地域では洪水も起きるような、とんでもねえ雨だった。しかも、あの雨は急に降り出した突発的なゲリラ豪雨だった」

 まあ、そんな日が一日ぐらいあっても別に不思議ではない。それぐらいのことは何度も経験してきた。あの日と言われても、まだどの日のことなのか俊太にはさっぱりだった。

「その日、兄貴は自転車を走らせていた。傘は持っていなかったんだろう、いきなり雨が降ってきたんでスピードをかなり上げたんだと思う」

 俊太は突然、激しい胸騒ぎを覚えた。心の深淵から吹き出てくる闇が体を徐々に包み込んでいくような感覚に陥ったのだ。自分はなにかとんでもなく重要なことを思い出そうとしている。

「兄貴はとうとう家の近くにまで来た。その時にはもう、びしょ濡れだったに違いない。それでも兄貴は気持ちが高揚していたんだよ……たぶん。兄貴は更に自転車のスピード上げたんだ。ところが、兄貴の死角になる所から一人の老婆が――」

「もういい! 分かったから。思い出したよ」

 猛は目に涙を浮かべながらも安堵の表情をみせた。

「そうか、思い出してくれたんだな」

「ああ、全部思い出したよ」

 猛の兄が老婆に自転車で重傷を負わせてしまったという知らせを聞いたのは、その事件の翌日だった。

 俊太は寝耳に水な事件に唖然とするほかなかった。猛の兄は運動神経も良く、常識だって当然あった。几帳面な性格なのは何度かテニスをしたり親交はあったので知っていた。だが、雨に濡れるのが嫌で、人が歩いて通るような場所でも、自転車のスピードをかなり上げてしまうという危険な行動をするとは予想だにしなかった。とはいえ、運動神経の良い猛の兄なら人一人ぐらいは避けれたのではないかと考えたが、雨が激しくブレーキが効きにくかったようで、かなり速い反応でブレーキをかけても避けることは不可能だったらしい。

 確かにあの事件は深刻な事件といえば深刻な事件だった。しかし、俊太にとってはあくまでも他人事だった。しかも、そのようなことをいちいち意識しながら猛と付き合うのも癪だったので、いっそのこと忘れてしまえと思ったのだ。

 俊太はもともと嫌な思い出を忘れ去ることのできる人間だったので、思いのほかすぐに忘れることが出来た。なんと都合よくできた人間なんだと自画自賛さえする気になったが、やはりそうもいかないようだ。

「それで、俺にあの事件のことを思い出させてなんの意味があるんだ?」

「さっきも言っただろう――俺は兄貴のせいで通常通り生きていく自信をなくしたって」

「意味がわからない」

「じゃあ一つお前に訊こう。お前は、老婆に思い怪我を負わせた兄弟がいることを隠しているのに平然と学校の友達と親しく遊んだりできるか?」

 俊太は思わず閉口した。

「俺が〝祈り〟をした理由がどういうものだったのか、なんとなくもう察しつくよな」

 無言で俊太は頷いた。

「お前は俺に嫉妬した。大学で友達を作り平然と楽しんでいる俺を見て――そういうことだろ」

「まあ、そういうことだ。俺は偶々、お前が友達とチェーン店の居酒屋に入るところを見てしまった。あの時のお前の笑顔は腹立だしいほど楽しそうに見えた」

 恐らく、サークル終わりの飲み会だろう。大きな街へ行けば安くて旨い店があるということで行った店だろう。確かにあれほど大きな街にある店だと、猛と偶然にも居合わせる可能性はなくもない。

「でも、それだけじゃない。大学に入ってから、俺は一度お前に携帯で連絡をとろうとしたことがあった。しかし、いくらやっても繋がらなかった。その時俺は、お前に見捨てられたんだと確信した」

 俊太は大学入学祝いに携帯の機種を変えメールアドレスと電話番号を変えたのだ。勿論、そのことを俊太としては猛にメールで伝えたつもりだった。だが、伝えれていなかった。すっかり忘れていたのだ。

「とうとう俺の中の何かが弾けたんだよ。もうお前なんてどうでも良いと思った。お前の周りの人間なんて消えちまえと思った。そのまま孤独で発狂してしまえと願った」

「そして、ワシが不運にもその願いを叶えてしまった」

 すると、猛は突然床に突っ伏し、泣き声で叫んだ。

「俊太、俺は本当に愚かな人間だ! あまりにも不純な動機でお前を苦しめることになってしまった。謝っても謝りきれないけど、せめて、すまなかったとだけ言わせてくれ。本当にすまなかった!」

 猛が頭を下げる様子を目の当たりにした俊太は、思わず一瞬目をあさっての方向に向けた。しばしの沈黙の後に重い口調で言った。

「お前だけに非があるわけじゃない。お前の悩みに気付けなかった俺も悪かったんだ。あの事件は確かに悲劇だった。でも、お前にとっては他の人よりももっと悲劇だったんだな」

「自分が老婆を雨の日に自転車で轢く夢を、何度も見るんだ……」

「気持ちは痛いほど分かる。でもな、お前は大事なことを忘れてる」

「大事なこと?」

「自分の人生に真っ向から立ち向かおうとする気持ちだよ」 

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