(2)
「おい、どうしたんだ! しっかりしろ」
猛は俊太の肩を持ち強めに揺すった。すると、「うう」という呻き声を漏らし俊太はゆっくりと目を開けた。
「猛、お前どうしてこんなところに……」
「どうしてってお前を助けるためにきまってんだろ」
俊太は重そうに体を起こし立ち上がった。
「あれほど関わるなって言っただろ」
「どうしても、お前を助けたくてな。で、お前の忠告を無視した結果がこのざまだ」
猛の苦笑いにつられたのか、俊太は思わず相好を崩した。そして、訝しげな顔で訊いた。
「ところで、どうやってここに来たんだ」
猛は首を傾げて答えた。
「分からない。突然変な声が聞こえたかと思えば、視界が真っ白になって――気が付いたらでっかい草原が目の前に広がってたんだ。おまけに、すげえ数のドアが宙に浮いてるわで、もう訳が分からなかったよ」
「変な声?」
「ああ。はっきりとは聞き取れなかったけど不可解なことを言ってたような気がする。限界を悟るとかなんとか……」
顎に手をやりながら俊太は考え込むような仕草をした。
「ふーん。たしかに不可解だな」
「で、俊太はどうなんだ。どうやってこの世界に入り込んだ?」
すると、俊太は少し逡巡するような様子をみせた。少しの沈黙が落ちた後、俊太は重い口調で説明を始めた。
「俺は実はお前とは少し違う方法でこの世界に入った」
「少し違う方法?」
「うん。実は俺もお前が俺を見つけたくても見つけられなかった時のように途方に暮れてたんだ。でも、ある日お前と同じく変な声が聞こえたんだ。そんで、何日か経った後に遂にその声の持ち主に会うことができたんだよ」
猛は真剣な表情で俊太の話を聞いていた。
「そうか。で、どうなったんだ。その声の持ち主はどんな奴だったんだ?」
「どうやらそいつは神に近い存在らしい」
「神に近い存在?」
「うん。時間を止めたり、心を読めたり、頭の中で話しかけたりできるんだ」
「頭のなかで話しかける?」
猛は何かが心に引っかかったような気がした。もしやと思い、訊いてみた。
「ちなみにその人ってどんな人?」
「えーっと、ぱっと見た感じでは老人かな」
その瞬間、猛の心臓が大きく跳ねた。そういえば、あの時の変な声も酷くしわがれた老人の声だったのだ。
「俊太、もしかしたらその人――」
「そう、ワシじゃよ」
俊太は体をビクッとさせ、後ろを振り向くとそこにはギンジがいた。突然、謎の老人が現れたので猛は思わず我が目を疑った。そして、一つの確信が生まれた。間違いない、あの時の声はこの人の声だ。
「どうしてここに? この世界には入れなかったじゃなかったのか」
ギンジは長い白銀の髭を触りながら言った。
「ここは、完全なる異世界ではない。異世界と現実世界の狭間じゃよ」
「狭間だと?」
「さようじゃ」
「なるほど。だから来ることが出来たのか」
俊太は右手の握りこぶしをもう片方の左手の手のひらにポンと当てた。その様子を見たギンジは急に高笑いした。
「と、言いたいところじゃが実はそうではない」
俊太は頓狂な声をあげる。
「はあ? 何言ってんだ」
ギンジは息をふっと吐き、改まった口調で口を開いた。
「では全てを明かそう。だが、決して怒って暴れださないと約束してくれるか?」
無言で俊太と猛は息を呑んで、ギンジの顔を真剣な眼差しで見つめて頷いた。
「俊太に関わる人間を全て拉致したのはワシじゃ。何もかもワシがやったことなんじゃよ」
刹那、沈黙がその場を包み込んだ。その沈黙のあいだ、真顔でそう言い放ったギンジの目を俊太の無感情な目がずっと捉え続けていた。猛は何が何なのか分からないといった困惑の表情で二人の顔を交互に見た。そして、沈黙を破るように俊太は苦笑して言った。
「そんな、バカな。一体なんの冗談だよ! じゃあ、全部お前の仕業だったってことか?」
「ああ、その通りじゃ」
「でも、悪の神がどうとかって言ってたじゃないか?」
「あれは全部作り話じゃよ」
「悪の神を描いた絵を見せてくれたじゃないか。あれもデタラメなのか」
「さよう。お前さんが知らない老人の絵をワシが描いただけじゃ」
俊太にとって、ギンジの言葉一つ一つがライフルか何かの弾のようだった。いったい今までの苦労は何だったのか。俊太は次第に泣きそうになった。だが、なんとか涙を堪えてギンジを睨みつけながら訊いた。
「まさか、アンタが悪の神だなんて言わないだろうな? 確か、人が絶望に苛まれたりしていくのを見て楽しんでたんじゃないのか」
「半分アタリで半分ハズレじゃ。そもそも悪の神など存在はしない。ワシは唯一無二の神に近い存在じゃ。だが、人が絶望に苛まれたりしていくのを見て楽しんでいたというのは……あながち間違ってはおらん」
「誰がだよ?」
「ワシじゃ。だが――」
瞬時にして頭に血が上り、体が熱くなるのを俊太は感じた。しかし、何か言い分があるそうなので冷静に耳を傾けた。
「そういう言い方では大きな誤解を生じる。あの時にそう言ったのは、悪の神の信憑性を高めるために言っただけじゃ」
「おいおい、一体何が言いたいのかさっぱりだ」
「つまり、ワシはお前さんら人間を観察しにやって来たのじゃよ」
「観察?」
すると、黙っていた猛がようやく口を開いた。
「なるほど、人の感情や行動を観察するために一連の事件を起こす引き金を引いたってことか」
「そうじゃ。ワシはお前さんら人間が大好きだった。一つ一つの感情、行動には特に興味を引かれた。どうしても研究したかったのじゃ」
「てことは、俺らはお前に利用されただけってことか」
少し語気を荒げて俊太は言った。
「本当にすまないと思っている」
ギンジは深々と頭を下げた。
「だがのう、その研究には人間によるきっかけが必要だったのじゃ」
俊太は怪訝な面持ちで首を捻った。
「人間によるきっかけ?」
「さよう。ワシは神ではない。神に〝近い〟存在じゃ。つまり、普通ならば一切人間の生活に影響を及ぼしたりすることは出来ないんじゃよ。そこで、必要なのは人間によるきっかけじゃ。そして、そのきっかけというのは人間の〝祈り〟なんじゃよ」
「〝祈り〟だと?」
「そう、わしはそれがなければ何も出来ない」
「ちょっと待てよ。じゃあ、俺の周辺の誰かがその〝祈り〟とやらをしたからってことだよな。いったい誰がどんな〝祈り〟をしたんだよ?」
「誰がどんな〝祈り〟をしたかはワシにとってはどうでもよかった。今回、お前さんがワシの研究対象の中心になったのは、偶々ワシが目を付けた〝祈る〟人間が偶々お前さんに近い人間だっただけなんじゃ。勿論、〝祈り〟をした人間に近い人間は複数いる。その複数いるなか選ばれたのが偶々お前さんだったのじゃよ」
俊太はただただ鬱然と俯いてギンジの話を聞いていた。偶然が幾重にも重なり合って自分になったというのか。これ以上の不幸が今までの人生であっただろうか。
「それで、結局は誰なんだ。その〝祈り〟をした奴は」
改めてその質問を受けるととギンジは急に黙りこくった。すると、隣からすすり泣くような声がした。
ゆっくりと横に目を向けると、猛が大粒の涙を流していた。