(1)
「ここはどこだ?」
猛は驚きと恐怖の入り混じった顔で呟いた。
誰か分からないしわがれた声を聞いたかと思うと、突然視界が真っ白になった。目を開けられないほどの光に体が包まれ、光が消えて目を開けてみたら眼前に茫洋たる大草原が広がっていたのだ。土や草の香りがほのかに風と共に鼻孔へと吸い込まれ、猛はごくりと唾を呑んだ。
ササッという足音を立てながら猛は一歩一歩足を進める。草はまるで手入れでもされているかのように綺麗に刈りそろえられていた。
どこに向かえば良いのか分からなかったが、とにかくまっすぐ足を動かし続けた。急な上り坂にも狼狽えずひたすら歩き続けた。
猛は途中である異変に気付く。
雲一つない青空、そよ風に揺れる草原、自分の呼吸音、足音、風の音――この見知らぬ風景には何かが足りないと気付いたのだ。
猛は空を見た。〝あれ〟がなければ、今自分が歩いている草原も、そして自分さえも生きることはできない。そう、〝太陽〟がなかったのである。
生命の源である太陽がないのである。あり得ないことだ。
夜になれば確かに太陽はその身を隠す。太陽の代わりと言わんばかりに月などといった星が神秘的に輝く。猛はいつしか惚れ込んだ満月を思い出した。綺麗な円を描き、街を明るく照らしていた。
だが、今いる空間は明るかった。もちろん外灯などない。自然界にあるものしかない。ところが明るかった。空が青々としている。そして、気温も高めだった。でも、太陽はない。猛は自分のいる世界が全くの異世界であると確信した。
一心不乱に歩き続けた。何度も上り坂があり、徐々に猛の体力を奪っていった。まるで、体を鍛えるための試練のようだった。九つ目の上り坂を超えると、とうとう猛は地面に倒れこんだ。肩は大きく上下している。しかし、体力の限界を感じただけで、そうなったわけではない。九つ目の坂を越え次の坂が目の前に現れたのだが、その坂は今までと比べものにならないぐらい急で、しかも長いものだったのだ。
「なんだよ、あの坂は……」
猛はげんなりした表情を浮かべた。だが、これも俊太を助けるための試練だと思い、重くなった体をゆっくりと起こした。
足への負担は尋常ではない。テニスを長年やっている猛だが、それでもさすがに体力的、肉体的にしんどかったようだ。
息を切らし、時には地面に手をつきながらも必死に足を前へ前へと運んだ。
不用意に動くべきではないかと最初は思ったが、猛には確固たる自信があった。この未知なる世界で何か行動を起こせば俊太を助け出すことに繋がるのではないかという自信があったのだ。
唐突に起きた集団失踪事件や〝赤い雷〟の発生など普通ではあり得ないようなことが起きている。猛にとってはまさに全てが不思議で未知な現象だった。言いかえれば、不思議で未知という共通点があるのだ。
そして、いま自分に起きていることも不思議で未知であることは明白だった。
どこからともなく聞いたことのない声がした途端、人っ子一人いな未知の世界へと引きずり込まれたのだ。もちろん唖然としたが、自分自信も遂に事件に巻き込まれてしまったに違いなかった。
だが、失敗だとは思わなかった。むしろラッキーだと思った。俊太を助け出せるチャンスが舞いこんできたと確信した。
俊太や他の人間が失踪したのは、自分と同じくこの摩訶不思議な世界に迷い込んだからに違いない。猛は高揚感を抑えられなかった。
とうとう大きな坂を登りきった。体からは汗が吹き出している。そして、猛は目の前に広がる光景に唖然とした。心臓が大きく跳ね、思わず目をこすった。言葉もでなかった。
〝ドアだらけ〟というのが恐らく最も分かりやすくて適切な表現だろう。とにかく無数のドアが浮遊していたのだ。
その光景に圧倒された猛は暫く動けなくなった。ただただ茫然と眺めていた。
すると、浮遊していたドアが急に静止し白い光を放ち始めた。やがて、一つのドアの周辺に他のドアが集まり始めたのだ。最初はゆっくりとした動きだったが、徐々に目視できないぐらいのスピードにまで上がっていった。
無限というのはどうやら誇張だったようだ。あまりにも衝撃的な光景だったので、冷静には判断できなかったのだろう。時間をかければ、ちゃんと数えることのできるぐらいの数で、およそ二千個ほどあったと猛は推測した。
集まった二千個ほどのドアはさらに高度をあげ空高く浮いていった。いつの間にか一体化して一つのドアになっていた。激しい光を放っている。まるで太陽のようだった。
その光には何ともいえない独特の優しい温かみがあった。
光の大きさは次第に膨らみ、遂には視界が真っ白になるほど大きくなった。目を開けられず何も見えなかった。あの広大な世界を一気に包み込んだこの光は一体何なのだろう。あのドアは一体何だったのだろう。俊太は今どうしてるだろう。
あれこれ考えているうちに、猛は気持ちよくなったのか眠たくなった。光が段々と弱まっていく。人に抱かれているような感覚のある光――それが持つ温かみも薄れていった。
ぼんやりとだが視界がひらけてきた。霧がはれていくようだった。光の霧が完全に消え、目の前に広がったのは、またもや見知らぬ世界だった。
今度はどうやらどこかの建物の中のようである。とはいえ、まるで大きな箱にでも入れられたような感覚だ。そこには机もイスも、窓もなにもなかったのだ。真っ白な壁と真っ白な天井しかなかった。
ふと後ろを振り向いた。刹那、猛は目を丸くして叫んだ。
「俊太!」
地面に俊太が横たわっていたのである。猛は急いで俊太のもとへと駆け寄った。




