(10)
「悪の神がアレを生み出してからちょうど三日が過ぎた。つまり、あと二日しかないんじゃ」
「アレってなんですか?」
「〝扉〟じゃよ。以前、おぬしに言ったはずじゃ。〝扉〟を探せとな――」
激しい頭痛に襲われた時かと俊太は心の中で思い出したといわんばかりに頭をブンブンと縦に振った。
「で、その〝扉〟っていったいなんですか?」
ウムと声を出し、軽く息を吐いてからギンジは言った。
「拉致した者を見つからぬよう隠しておく、いわば監禁場所へとつながる扉じゃ」
俊太の反応を待たず、ギンジはそのまま矢継ぎ早にペラペラと話し始めた。
「その扉というのは普段は誰にも見えぬように現実世界ではない異世界に存在する。じゃが、ある現象が起きたとき、ほんの数分だけこの現実世界に姿を現す」
「ある現象?」
「落雷じゃよ。じゃが、無論、普通の落雷ではない」
俊太は首を捻った。
「普通の落雷じゃない?」
「おぬし達が普段良く目にする雷は何色をしておる?」
誰でも分かるような質問だったが俊太は視線を宙に彷徨わせ少し逡巡してから答える。
「まあ、青とか白とか」
「そのとおりじゃ。じゃが、〝扉〟を出現させるその雷は赤色をしておる」
赤い雷――想像しただけでおぞましい。いったいどのような科学的反応が起きれば雷が赤になるのだろうか。皆目見当もつかなかった。しかし、本当にそんな色の雷が発生するのならぜひとも見てみたいと俊太の好奇心を煽ったのもまた事実だった。
「それで、あと二日というのは――」
「あと二日以内にその赤い雷が発生しなければ〝扉〟は見つけだすことができなくなる。つまり、彼らを助けるための道は完全に断たれる」
俊太は不安げな表情を浮かべ、半ば叫ぶように言った。
「そんな……。赤の雷なんて見たこともないし聞いたこともないですよ! どうするんですか?」
するとギンジは俊太の肩をポンと叩いた。
「心配は無用じゃ」
「どういうことです?」
「ワシが赤い雷を発生させる。そもそも、お前さんが見たことも聞いたこともないのは当り前じゃ。この世界には存在しない異世界の雷じゃからな」
刹那、不穏なものが俊太の心に渦巻く。
「この世には存在しないって――じゃあいったいどうやってその赤い雷を発生させるんですか?」
「異世界から呼び寄せるのじゃ。赤い雷を発生させる雲をな――」
「そんなこと出来るんですか?」
「出来なきゃこんなこと言わぬ」
「そうですよね」
俊太は苦笑した。
これまでのギンジの話は余りにも日常とかけ離れていて、少し油断すれば即座に置いてかれるような話だった。
異世界に存在する赤い雷があって、それが発生すれば失った人々を助けだすことができる――この部分だけ聞いたら全く理解不能である。
そんな未知の世界に足を踏み入れなければ苦境を乗り切ることはできない。勇人と達也を助けることができない。そう思うと、立ちはだかる強大な悪魔と戦う勇気も心なしか自然と湧いてくるように感じた。
すると、突如俊太の頭に電撃が走った。
「母さん!」
語気を強めて叫んだ俊太は部屋のドアに駆け寄った。ドアノブに手をかけ、捻ろうと試みたがピクリとも動かなかった。
「どうしたんじゃ、急に血相変えて……」
「母さんは大丈夫なのか!」
ギンジは首を傾げる。
「いったい何のことじゃ?」
「さっき、大事なヒトがこれからも消えていくって――」
合点がいったのか、ギンジは「ああ」と頷いた。
「今更じゃのう。まだ大丈夫じゃ」
「まだ? じゃあやっぱり消えていくんだな、家族も全員一人残らず……」
俊太の目で涙が光る。
その様子を見たギンジは沈痛な面持ちを浮かべ、無言で俯いた。
「よくよく考えてみたら、失踪するって最初から分かってたら消えるの防げるんじゃないのか!」
ギンジは目を逸らし、無言を貫いた。ギンジのすげない態度に俊太は頭に血をのぼらせ、胸倉を掴みにかかった。いつの間にやら、目上にたいして敬語を使うのも忘れていた。
「ふざけんな! なんでシカトしてんだよ」
心を読み、軽やかな動きで俊太の突進をかわしたギンジはゆっくりと口を開いた。
「お前さんの気持ちは痛いほど分かる。消えると分かっていて大切なヒトが消えるのを指くわえて見ていることがどれほど辛いか。じゃがのう、もうどうしようもないのじゃよ」
俊太は子供が臍を曲げる時に見せるような顔でギンジの顔を見つめていたが、次第にギンジの体が半透明になっていってることに気付いた。
「おい、体が……」
「おっと、もう時間がないようじゃな。よいか、この事件を解決する英雄になれるのはお前さんしかいない。お前さんが動き始めぬ限りはなにも始まらんのじゃ。それだけは肝に銘じておくことを忘れるでないぞ。明後日またここへ来る。それまで、しっかりと気持ちを整理しておくのじゃ」
手を振ると同時にギンジは砂埃のようにさーっと消えていった。
そして、止まっていた時間が再び動き出した。
「俊太!」
母が大声で部屋に入ってきた。
「なにかあったの?」
「い、いや別に……」
激しく吃って俊太は答えた。
「あらそう。疲れてるみたいだし、今日は絶対に早く寝るのよ」
「うん」
もうじき消えてしまうかもしれない母のふくよかな顔をじっと見つめて俊太は頷いた。
俊太は平静を装ったつもりだったが、頬に流れる涙をしっかりと母は認識していた。しかし、その涙は友人を失ったことにたいする悲しみの涙ではなく、母を失うかもしれないと心配して流した涙であることを母は知る由もなかった。