バイオレンス妹
兄、高校生。
妹、中学生。
ヒッキー姉の派生系の短編として書きましたがギャグのノリが全くの別物となってしまいました。
兄の威厳とは一体何なのか。
僕は常々ある事柄について頭を抱えながら毎日を過ごしているわけなのだが、一向に答えらしい答えには辿りつかない。
兄らしくいよう、兄らしくしよう、そういった兄らしい行動を示そうと努力は怠っていないはずだった。
だが、現状はどうだろう。
「おはようございます、兄さん」
はっとして目を開けると、目の前には学校指定の制服を着た妹が立っていた。
窓から入る朝日を頬に浴び、短く切り揃えられた髪と白い肌をいっそう艶やかに映している。顔には菩薩のような穏やかな笑みをたたえていた。
「あぁ、おはよう妹よ」
僕は眠気眼をこすろうとして、異変に気付く。
僕は椅子の上に座っていて、もとい半ば強制的に座らされているわけだが、もちろん普通に座っているわけではない。僕は寝間着のまま縄で不格好に椅子ごと縛りあげられていた。
僕は昨日、いつも通り床に就いたはずだが、いまこうしてリビングにいるということは、つまりそういうことだろう。
「妹よ、これは一体何の真似だ」
「それはこっちの台詞です。兄さんこそ一体どういうご了見なのですか?」
妹はあっけらかんとして言う。全く意味が分からない。
しかし僕も彼女が誕生したその瞬間からの15年来の付き合いだ、対応の仕方は心得ている。
身に覚えのないことでもとりあえず謝っとけ。これで間違いないはずだ。
「悪かった、ほんの出来心だったんだ。許してくれ」
「許すも何も、別に私は怒ってなどいませんよ」
「じゃあ何故僕はこうして椅子にぐるぐる巻きに縛りつけられているんだ。これが妹の僕に対する怒りの表れではないと」
「ええもちろん。これが兄さんの望んだ結果なのでしょう? 私は兄さんのたった一人の妹として愚直に兄さんの願望を叶えてさしあげたまでですよ」
妹は柔らかい笑みを保ったまま言った。
僕は横目にちらりと壁掛け時計へ目を向ける。6時19分、まだまだ家を出るには余裕のある時間だ。
「マジで何のことか分からん。率直に僕が何をしでかしたのか教えてくれないか妹よ」
「何をしたのかは兄さんが一番よくご存じでしょう。自分の胸に手を当ててよく考えてみてください。ま、縛られてるから自由に手は動かせないでしょうけどね!」
「全然上手いこと言えてないからな愚妹よ。やめろそのドヤ顔。ほんと腹立つ」
言い切って、僕は昨日の記憶を反芻した。
一体僕は昨日何をした? 思い出せ思い出せ……。
ふと顔を上げると、妹が片手にストップウォッチを持っていた。
「残り52秒」
「これタイム制!? 待て待て、今思い出すからちょっと待てよ」
「早く思いだしてくださいな。あまり私も兄さんのお戯れにお付き合いしている時間はないのですから」
「昨日……あれか? いや違うな……」
「7時を過ぎたら中学校へ行かなくてはなりません。兄さんも同じくらいの時間にご登校でしょう? それに昨日の自分の行動くらい思い出せないでどうするのですか」
「昨日の夕食のとき食べ方が少し汚かった気がする……いや流石にそれは……」
「それとも若年性認知症にでもかかってしまわれたのでしょうか。いけませんね、お互いこれから勉学に励む身としては忌避すべきことです」
「テレビ観ながら屁こいたあれなのか? いやでもあれは妹が風呂入ってるときだったしな……」
「あら、そんなお下品なことをなさったのですか兄さん。後日別個に制裁を加えておかねばなりませんね」
「ねぇちょっと黙っててくれる!? お兄ちゃん今一生懸命考えてるでしょう!?」
「好きなだけ喚いてくださいな。時間はもう21秒しかありませんよ」
「おおぅそうだった……あっ」
思い出した、あれだ! 昨日食後にプリンを食べた気がするが、確かあれ容器に『妹』と書かれてた気がする!
「分かったぞ妹――」
「ターイムアーップ!」
「お、おい! あと21秒あったはずだぞ! 見せてみろよそのストップウォッチ、まだ時間は残っているはずだ」
「ふふ……誰がストップウォッチで計っていると言いました?」
妹が穏やかさ一転、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「……貴様、まさか」
「腹時計です。ごめんなさいね。私、時間の感覚が著しく狂っておりまして」
「はかったな愚妹よ。腹時計だけに」
「兄さん、もしやそれで地球温暖化防止に貢献しているおつもりですか? 残念ながら私、そういう話の種にもならないクソみたいなギャグが一番嫌いなのですよ」
「お前にだけは言われたくないわ! 誰だ、さっき手は自由にナントカカントカって言ったやつは」
「揚げ足とりは結構です。さて、時間に間に合わなかったので兄さんには罰を与えなければなりませんね」
妹は嬉々として棚の上から工具箱を取り出す。工具箱の上部を開き、一本の金槌を手に取った。
「おおおお前まさかそれで僕をぶっ叩くわけじゃ……」
「ご安心くださいな兄さん。ほら、ひざの反射ってご存じですか?」
「……座った状態でひざを叩くと足が前に出るってやつか?」
「それです。通常は手刀でやるものでしょうが、せっかくなので今日は金槌で実験してみたいと思います」
「やっぱぶっ叩くんじゃねえか!」
「普通にやるんじゃつまらないでしょう。それに手刀程度で足が前に出るなら、金槌で思い切りやったら勢い余って足が180度回転してしまうかもしれませんよ。見てみたくないですか?」
「見たくない見たくない! 普通に膝小僧が粉砕骨折して終わるわ!」
「いきますよー」と妹が金槌を振りかぶる。
「き、聞いてねぇこいつ……」
あることに気付き、僕は自分の足を見た。
しめた、上半身は縛られてるが足は縛られてない! 見切って避けてやる!
「あ、動かないでくださいね」
妹もそれに気付き、僕の太ももをガッチリ掴んだ。
……バイバイ、僕の膝小僧。
「キャハー!」
妹が狂喜したような奇声を上げて僕の膝目掛けて金槌を叩きつけた。
覚悟を決めて目を瞑りかけたが、金槌はギリギリで軌道が逸れ、椅子の脚を叩き壊していた。
脚が三本になった椅子は大きくバランスを崩し、僕はしたたかにフローリングに転がった。
「あら? 外してしまいました」
「……妹よ、分かりきったことだが、お前今全力でやったな?」
僕は床に倒れたまま妹を見上げる。妹は残念そうにため息を吐いた。
「分かりきっているならお尋ねにならないで下さいますか。はぁ、実験は失敗に終わってしまいました」
妹は放るように金槌を手放した。フローリングに落ちて重厚な音を響かせる。やめろ、床が傷つく。
「で、答えは分かりましたか兄さん」
半放心状態の僕だったが、妹の言葉でようやく覚醒する。
「お、おぉそうだ。昨日僕が妹のプリンを食べてしまった、それだろ!」
「……え?」
妹の表情が露骨に歪んだ。おもむろにキッチンへ向かって消えていき、何故か5分ほどかかって戻ってきた。
「ただいま兄さん」
「おかえり妹、なんだそのビニール袋は」
妹が手に提げたビニール袋を持ち上げて「これですか?」とわざとらしく言う。
「家中の洗濯ばさみを詰めてきたのですよ」
「何となく想像がつくが、どうしてだ」
「兄さんのご想像通り……というか、兄さんの望む展開通りです」
妹は袋の中から洗濯ばさみを一つ取り出し、横たわる僕の鼻を挟んだ。ふむ、どうやら僕はプリンという墓穴を掘ったわけだな。
「やっぱりそういうことか妹よ」
僕は思いっきり鼻声だった。
「そういうことです。それと兄さん、あのプリンの容量は何gだったか覚えていらっしゃいますか?」
「プッチンプリン3個パックは1個75gだ」
「気持ち悪いくらい物覚えがいいですね兄さん」
「いやぁそれほどでも」
「気持ち悪いですね兄さん」
「物覚えのくだりを抜いて言わないでくれるか妹よ。流石にお兄ちゃんもこれ以上とぼけられないぞ。ていうか傷つく」
「さて、この愚妹、非常に心が痛むのですが兄さんにはお仕置きをしなければなりません。兄さんの顔には1gにつき一本の洗濯ばさみを挟みます」
「なるほど、プッチンプリンは75gだから僕は75本の洗濯ばさみを挟まれるわけか。って顔中洗濯ばさみだらけになるわバーカバーカ」
「お口が悪いですね兄さん」僕の上唇に洗濯ばさみを挟む妹。
「痛いぞ妹よ」
「当然でしょう。そういうお仕置きですから」続けざまに下唇に洗濯ばさみを装着してくる妹。
「喋りにくいぞ妹よ」
「当然でしょう。上下の唇を挟まれているのですから」次は右頬を挟む妹。
「泣いていいか妹よ」
「いずれ瞼も全て挟むので結果的に涙は出るはずですよ」左頬を挟む妹。
――そして、十分後。
「兄さん、ほら鏡です。今の自分の顔をご覧になった感想をお聞かせください」
「うっひゃけなにもみえはい」
ぶっちゃけ何も見えない、と言いましたよ僕。
当たり前だ、瞼とか涙袋とか挟まれてるし、もしそこを挟まれてなかったとしても洗濯ばさみの山で視界が塞がれていたことだろう。
ってそんな冷静な考察はどうでもいいんだよ。つーか喋るだけで痛いし。
「今の兄さん、すごく格好良いですよ。兄さん発信で洗濯ばさみファッションが流行るのではないかと思うくらい」
「おへじはよへ」
「兄さん、今顔に何本挟まれてると思いますか?」
「ひらん」
「131本ですよ、131本。顔に洗濯ばさみを挟むギネス記録では153本となっていますから、ギネス更新までもう一歩です」
「しょぉかしょぉか」
あれ? プッチンプリンって何gだったっけ?
「でも兄さん、残念なことにこれ以上挟むところがないのですよ。でも凄いことですよ兄さん、恐らく国内では最高記録です。流石日本一ユルい男、ツラの皮までゆるっゆるなんですね」
ちょいちょい上手いこと言おうとしてるが全く上手くないことをいい加減自覚してくれ妹よ。
と言いたいところだが、これ以上喋る気が起きない。
「では、そろそろ取ってさしあげますね兄さん」
むんず、と妹は洗濯ばさみを大量にわし掴む。この時点で痛いが、それ以上に嫌な予感がしている僕であった。
「ウキャハー!」案の定、妹が全力で洗濯ばさみ群を引き抜いた。
「アーッ!!」そして絶叫する僕。
「どうでしたか兄さん?」
「いったいわボケ! あっ、ほら見ろここ! ほっぺたのとこ血出てるし!」
「えっ、痛かったんですか兄さん?」
「痛かったって言ってるだろ! 分かれそれくらい!」
「気持ち良かった、の間違いですよね?」
「……はぁ?」
妹は洗濯ばさみを僕の眼前に突き付け、にこりと可愛らしく笑った。
「気持ち良かったですよね?」
「……き、気持ち良かったです」
「そうですか、じゃあもう一度挟んであげますね」
「おや、僕の想像と正反対な台詞が返ってきたぞ? おいてめぇふざけんな愚妹! お兄ちゃん虐めてそんなに楽しいか!?」
「ええ、私が楽しいのはもちろんなのですけれど、兄さんも楽しんでるんですよね?」
「……お前、さっきから僕が望んでるだの楽しんでるだのと言ってるが、マジで意味が分からんからな。楽しむどころか心も身体もボロッボロだからな」
「でも、昨日兄さんの部屋にこんなものがありましたよ?」
妹は手に一冊の雑誌を持っていて、それを見た瞬間僕はギョッとした。妹は雑誌をパラパラとめくり、「やだぁ」とお上品に手を口に当てた。
「月刊SMマニアだなんて、兄さんったらご趣味がコア過ぎますよ」
「いや……それはたまたまクラスの香取くんが貸してくれて……やけに押しつけてくるから断るに断れず……」
「言い訳はよくないですよ兄さん。兄さんもこういう風にSM展開を望んでおられるのですよね?」
「誤解だ」
「ここは一階ですよ?」
「だから全然上手くねーよ! ……あっそうか、んなもん見つけたから僕がSM望んでると思い込んで椅子に縛り上げたわけか!」
「思い込んでるだなんて、はぐらかさないでください兄さん。恥ずかしがらないで白状したらどうですか?」
「違う違う、天地神明に誓って違うと断言する。ほら、香取くんはバッチリMだから、虐めるなら香取くんを虐めてくれ」
「あーあー聞こえない聞こえない。さぁ兄さん、今度は兄さんの望むプレイをおっしゃってください。私でよければ兄さんが思うがままのSMを実現させてあげますよ!」
「……今日で僕は死ぬかもしらん」
この日、僕と妹は揃って学校に遅刻した。