表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

あの音が鳴る時

感想などいただけると大変励みになります。

もちろんリアクションだけでも大歓迎です!

リン……リン……リン……


あの音が、リビングの空気を裂いて鳴り響いていた。

目の前の公衆電話。切れたコード。緑色のボディ。

絶対に鳴るはずのないそれが、鳴っている。


そして、その隣に立つ──弟、翔悟。


白髪、痩せこけた頬、目だけが異常なほど鋭く生きている。

腕には、あの重たそうなダッフルバッグがぶら下がっていた。


「兄ちゃん……出ろよ」


言葉は穏やかだったが、声には震えがあった。

怒りでも憎しみでもない。ただ、哀願のような響き。


「頼む……俺、もうずっと……鳴り続ける音の中にいた……」


妻が背後で、小さくすすり泣いた。


「優一さん……お願い、なにが起きてるの? 誰なの、この人……」


翔悟はリビングの中央に跪くように座り、震える手で受話器を持ち上げた。

そのまま、俺の胸に押し当てる。


「今度は……お前の番だよな、兄ちゃん……」


俺は、目をそらした。


だが、公衆電話の音が、それを許さなかった。


リン……リン……リン……


あの音が、心の奥底にある“罪”を引きずり出すように鳴っていた。


──あの時翔悟を犠牲にしたのは、紛れもなく、俺だった。


公衆電話がくれた“救い”──いや、“延命”。

そのために、俺は弟を“招いた”。


あの電話は、記憶を曖昧にしてくれた。

翔悟を“選んだ”ことすら、自分の中で“誤解”にすり替えてくれた。


でも、今、すべてが戻ってきた。


そして、また問われる。



──真っ暗な空間。


音も、時間もない。

ただ、“なにか”が、俺の中に直接話しかけてくる。


「差し出せ」


「もう……差し出した……弟を……」


「二度目の命は差し出せない」


「じゃあ、俺を……」


「お前の血は、もう枯れている」


言葉の意味がわからなかった。

俺はまだ生きている。どうして──


「差し出せ」


「誰を……?」


その瞬間、“なにか”が、俺の心の奥を撫でた。

あまりにも柔らかく、優しく、穏やかに──だが、ぞっとするほど冷たい指で。


そして、声が告げる。


「……新しい命」


──え?


その言葉が脳に届いた瞬間、背筋が凍った。


「な……何を……?」


「差し出せ」


「……いやだ……やめてくれ……!」


「電話は、すでに鳴っている」



現実に引き戻された俺の手には、もう受話器が握られていた。

いつの間にか、耳にあてがっていた。


翔悟が、笑った。


「やっと……だな、兄ちゃん……」


「今度は……俺を助けてくれるんだな……?」


俺は何も言えなかった。

声が出なかった。


ただ──目の前の翔悟の姿が、ゆっくりと消えていくのを見ていた。


砂のように、ひと粒ずつ崩れていく。

その姿は、安らかだった。


受話器の先では、もう何も聞こえない。


ただ、静かだった。

不自然なほど、すべての音が消えていた。


振り返る。


妻は、何も知らずに呆然としていた。

ただ泣き疲れたように、ソファに腰を下ろしていた。


この家でまだ誰にも知られていない命があることを──

俺と“なにか”だけが知っている。


そして、公衆電話は、机の上に静かに置かれていた。

もう鳴らない。


もう、何も──鳴らない。



(完)

最後まで読んでいただきありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ