表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

罪を呼ぶ音

感想などいただけると大変励みになります。

もちろんリアクションだけでも大歓迎です!

時は流れた。


俺は結婚し、郊外の静かな住宅地に小さな家を建てた。

翔悟の件は……誰にも話していない。


警察には「突然姿を消した」とだけ報告し、家族にも「東京での生活が合わなかったんだろう」とごまかしていた。

だが本当は──自分でも何があったのかわからない。記憶の一部が、焼き切れたように抜け落ちている。


妻とは穏やかな日々を過ごしていた。

それでも、どこか心の奥底で、ずっとあの音が響いていた。



──リン……リン……リン……



「……翔悟さん、病院を抜け出したって……!」


妻からの電話を受けたのは、いつも通りの昼休みだった。


「病院……? 翔悟が……病院にいたのか?」


一瞬、何を言われているのか理解できなかった。


翔悟は、あの夜以来──行方不明のままだったはずだ。


「都内の精神科病院って……どういうことなんだ?」


「私も詳しくはわからないの……病院から急に連絡が来て、『保護していた翔悟さんが脱走しました』って……お義父さんたちも把握してなかったみたい」


思考がぐらぐらと揺れ始める。

時間の感覚も現実の輪郭も、溶け出していくような気がした。


翔悟が病院にいた。

つまり、“生きていた”ということだ。



自宅に帰り着いたのは、深夜一時を過ぎたころだった。

しんとした住宅街。

風が家の壁をなぞるたび、俺の背中はびりつくような緊張で強張っていた。


遅い夕食を終え寝室に向かおうとしたその時──


ドン! ドンドン!! ドンドンドン!!!


玄関から響く、けたたましいノック音。


「優一さん……」


妻の声は震えていた。

だが俺の中には、確信に近い感覚があった。


──翔悟だ。


恐る恐るドアを開けると、そこに立っていたのは、まぎれもなく翔悟だった。


だが、それは弟の姿ではなかった。


真っ白な髪、干からびたような皮膚、鋭く血走った目。

腰の曲がったその姿は、まるで80を過ぎた老人のようだった。


それでも、俺にはわかった。

あれは、翔悟だ。


無言のまま、翔悟は家に入り、リビングの中央にどすんとダッフルバッグを置いた。

背負っていたはずなのに、どこか“引きずっていた”ような、異様な重さを感じさせるバッグだった。


ジィィ……ジジ……チャ……ッ。


ファスナーが開く音。


中から現れたのは──あの公衆電話。


緑色の、コードが途中でちぎれた、あの電話機だった。


あり得ない。あれは、あの夜に消えたはずのもの。

でもそこに、今、音が鳴っている。


リン……リン……リン……


そして、その呼び出し音とともに──俺の記憶が一気に流れ込んできた。



翔悟と303号室に行ったと思っていた。

でも、それは違う。


⸻最初にあの部屋に足を踏み入れたのは、俺一人だった。


あの奇妙な空間。壁一面の引っ掻き傷、訳の分からない言語の走り書き。

そして和室の中央に置かれた──公衆電話。


線が繋がっていないはずなのに、電話は鳴った。


恐怖に突き動かされ、俺はその受話器を取った。


「*******************」


──頭の中に、直接流れ込むような奇妙な“声”だった。直感的にもう逃れられないと感じた。


助かりたい──そう、俺は願った。


そして、あの声は言った。


「差し出せ」


そう言われたとき、俺の中に浮かんだのは──翔悟の顔だった。


あの、明るくて、人気者で、家族にも愛された弟。


いつも自分とは対照的な場所にいた彼を、俺は、どこかで憎んでいた。


翔悟がいなければ、自分はもっと楽になれる。

目立たない存在じゃなくなる。

そう思ってしまった。

──思ってしまっただけのはずなのに、俺は、行動した。


それから俺は、翔悟に電話をかけた。


「おぉ、翔悟。大学生活はどうだ?」


「前に金欠だって言ってたよな?今住んでるマンションが広くて部屋が余ってるんだ。よければルームシェアしないか?」


さも自然に。

さも偶然を装って。


好奇心旺盛な翔悟があの部屋に行くことまで、計算に組み込んでいた。


そして──彼は、電話を取った。



目の前の翔悟が笑った。

何年も、何十年も蓄え続けていたような、苦しみのこもった笑みだった。


「兄ちゃん……ずっと待ってたんだ……」


電話が鳴り続ける。

その音が、壁も天井も、時間さえも切り裂いて響いていた。


「兄ちゃん……今度は……俺を助けてくれるよな……?」


「そうだよな……兄弟だもんな……」


「兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん……!!!」


目の前が、翔悟の血走った眼でいっぱいになっていく。


逃れられない。

あの音が、すべてを連れ戻してきた。


罪を呼ぶ音が、また鳴っている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ