肝試し
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「あのさ、兄ちゃん──下の部屋、行ってみない?」
晩飯を食い終え、テレビのバラエティ番組が鳴り響くリビングで、翔悟がぽつりと切り出した。
唐突すぎて、箸を持つ手が止まる。
「……は?」
「303号室だよ。兄ちゃんの部屋の真下。久しぶりにさ、肝試ししようぜ。絶対に近づくなって言われたら、逆に気になるじゃん」
彼は、子供みたいに目を輝かせながら俺の顔を覗き込んできた。
「お前、あの部屋がどれだけ気味悪いって思ってんだよ……毎晩下からノックみたいな音が聞こえるんだぞ。しかも昼間でもあの部屋の前だけ空気が冷たいんだ」
「それが面白いんだろ?」
そう言って笑う翔悟の顔を見て、俺は一瞬、何も言い返せなかった。
ああ、やっぱり翔悟だ。昔から怖いもの知らずで、何かあれば首を突っ込む。そしてそのたびに、周りを巻き込む。
──でも、それが少し羨ましいと感じていたのも、本当だ。
「兄ちゃん、昔写真部だったじゃん。幽霊とか撮れるかもよ? あの一眼、まだ持ってるんでしょ?」
「……持ってるけど」
「じゃ、決まり!」
翔悟の決断はいつも突然で、圧倒的だった。そして、俺はまた、逆らえなかった。
⸻
懐中電灯と古いカメラを手に、俺たちは夜のマンションを降りていった。時刻は23時を回っていたが、マンション内にはほとんど物音がない。人の気配がないわけではないのに、異様なほど静かだった。
303号室の前に立つ。
蛍光灯の明かりが廊下の隅まで届かず、翔悟の顔もどこか陰が差して見えた。
「やっぱ、雰囲気あるな……これ、普通にホラー映画じゃん」
翔悟が笑って言った。だが、彼の手がわずかに震えているのを、俺は見逃さなかった。
俺は口を開こうとしたが、言葉が出る前に、翔悟がノックした。
コン、コン、コン……
──返事はない。あたりまえだ。空室なんだから。
「鍵……開いてるかな」
そう言って、彼がドアノブに手をかける。俺は無意識に、翔悟の腕を掴んでいた。
「やめろって。戻ろう。マジでやばいってここは」
「兄ちゃん……お前さ、昔からそうだよな。怖いものがあると、すぐに逃げる。昔のあの写真部の時もさ──」
「翔悟!」
俺が強く呼んだその瞬間、ドアが"ギィィ……"と、ゆっくり開いた。
中は、まるで何年も人が住んでいなかったかのような荒れ方だった。
床には無数の引っ掻き傷。壁には鉛筆や爪のようなもので書かれた、何語ともつかないメッセージ。
意味がわかるようで、わからない。だけど、空気が肌に刺さるような寒さを持っているのは、はっきりとわかった。
「兄ちゃん……これ、やばいよな」
翔悟が、初めて戸惑いの色を浮かべた。その顔を見て、俺は少しだけ安心した。
だが、その安心は一瞬だった。
リビングの奥。
一枚のドアを翔悟が開けた。
そこは、和室だった。古びた畳、煤けた障子、天井から吊るされた裸電球。
──その中央に、なぜか緑色の公衆電話が置かれていた。
線が、切れている。
「なにこれ……」
翔悟が呟いたとき──
リン……リン……リン……
切れているはずの公衆電話が、鳴り出した。
俺の全身が凍りつく。
心臓が喉まで競り上がり、鼓動が耳に響く。
「……兄ちゃん、出てみようか。」
「やめろ、やめろ翔悟、出るな!」
叫びながら、俺は翔悟の手を掴もうとする。だが、彼はするりとかわし、受話器に手を伸ばした。
──カチャッ
その瞬間、部屋の空気が反転した。
まるで世界そのものが、音を立てずにひっくり返るような感覚。
次の瞬間、俺の意識は真っ暗になった。