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中学生編3


三年生になって、友達の間でネイルが流行り出した。

しかも決して上品とはいいがたい3Dだのパーツなどがゴテゴテしたやつだ。

お嬢様が多いためにパーティや習い事の発表会など、化粧は慣れた子たちは多いのだが、派手なネイルは下品だと嫌がられるからしたことがないとの話も聞く。その反動か、自分たちで上品ではない長いネイルをするというのは流行った。といっても両親の前ではちゃんとする、という子たちが多いので主流はネイルチップだ。


(ネイリストとか、憧れはするけど)


実のところそんなに細かい作業が得意というわけでもない。

友達が作ってくれた凝ったネイルチップで指先を彩りながら、宿題をこなしていく。最早前世の記憶ではついていけないようになってきた。まだまだ余裕、優秀、なんて言えるような成績ではない。上位のほうにはいるものの、ここで踏ん張って努力をしないと成績は下がる一方だろう。前世も含め、藍歌は天才でもなんでもない。


「・・・私、何がしたいのかなぁ」


化粧もファッションもお洒落は好き。やりたいことだったハンドメイドは色々手を出した。レジンアクセサリーとかは結局気に入ったものを買うほうが好き。続いているのは編み物だけ。可愛いのが好きっていうのは、前世からの憧れが大半だった。手を出してみて、自分に合わないと思ったものも多少ある。


好きな色で好きなアクセサリーで好きなファッションで、好きな髪型で、好きなものばかりあつめた部屋にいる。そこまでして、ようやく前世で暮らしていた何もないシンプルな部屋も嫌いじゃなかったことを思い出した。つまらない部屋だったけれど、メリットもあった。恰好いいものも機能的なものも嫌いではなかった。


「・・・前世の記憶、案外消えないな」


前世の記憶は子供の頃だけで、成長とともに薄れていくものだと、そんな一説を信じている。そうでないと、自分がまるでバグか何かだと思えてしまったから。


机の上に広げたプリントは進路調査、三者面談のお知らせなど。高校についてのパンフレット。中高一貫だからこそ、高校についての説明は早かった。基本的には持ち上がりだが、逆にいえば他に行くならば早いうちに知らせてほしい、と担任は言った。持ち上がりは厳密な受験はほぼないが、クラスは細かく専門で別れる。特進科や普通科だの以外に工学科だの服飾科など専門的な学科も用意されている。


プリントを渡されてすぐに書き込んでいる子もいた。両親と話をするという子もいた。どうしよう、と私と同じように悩んでいる子もいた。


(好きなもの、好きな仕事、やりたいこと、できること)


個人的なノートを取り出して頭をまとめるために文字を書いていく。履歴書の志望動機でも書いている気分になって、途中でペンを投げ出した。


将来を決めるのなんてまだ早いと、周囲の友達も大人も、そして前世の藍歌の感覚も言う。だけれど藍歌の傍には、真がいる。ただただサッカーに邁進している男がいる。あれがサッカーへの情熱を尽きさせて、ただの会社員になる予想などまるで描けない。だから藍歌はこんなにも焦っている。


(思えば私の行動原理、全部前世ありきだなぁ)


薄れるどころか、濃くなってはいないだろうか、なんて思った。



地区大会予選がもうすぐ始まるという真は、朝のランニングやら自主練習を増やしたらしい。昼に藍歌が公園に来たときには、まだ春先だというのに汗をびっしょりかいていた。藍歌は鞄を置いて、彼に昼飯にするぞと声をかけるつもりで近づいたが、真はボールを足元で転がすのをやめない。


「ちょっとドリブルみろ」


「なぁに?褒めてほしいの、お肌綺麗ですねぇ〜」


「謎の美容部員のお世辞やめろ、ドリブルを!みろ!」


こだわりのドリブルなのか、何やら連続してダブルタッチとターンを組み合わせた技で棒立ちの藍歌を抜き去っていく。よくわからないがスムーズな動きにかなり練習したんだな思う。振り返った先にはフリスビーを上手にキャッチした犬のような顔をする真がいて、どう感想を言うべきかと腕を組んだ。


「よくわかんないけど、ターンのタイミングで抜かれた気がする。でもあくまで私じゃ反応できない速さだからって感じ。フェイントはあんまり効いてないと思う」


たぶん、と語尾にはとりあえずつけておく。藍歌はいまだにプロのサッカーの試合も見ていない素人なのだ。あまり期待をしてくれるな、とふんぞり返った。もちろん真もそこは百も承知なので、素直に頷いて参考にすると言った。


「ほら、ご飯にしようよ」


作ってきたお弁当箱に、真の瞳がきらりと輝いた気がした。お弁当箱があるということはいつものスコーンだのサンドイッチではない、おにぎりの可能性が高いからである。最近わかってきたのだが、真は和食を好む傾向が高い気がする。今まで食えればなんでもいいという態度だったのが、ようやく食の好みというのが出てきたのだと、藍歌は内心でほくそえんでいた。わしが育てた、というやつである


そんなどや顔とともにじゃじゃん、と弁当を広げれば真は妙な顔をした。それもそのはずである。今回の弁当は常々たくらんでいた藍歌念願のデコ弁である。とうもろこしで黄色いくちばしを作った鳥のおにぎりと海苔でサッカーボールになっているおにぎり、タコさんウインナー、ハート型のたまごやき、それ以外には彩りとバランスを考えて野菜を詰め、タンパク質に肉もしっかり詰めた。


「可愛いでしょ!ちゃんと栄養バランスも考えたわ」


「カワイイ・・・?」


なんだこの鳥、という顔が隠しきれない真だが、正直もう彼は藍歌の趣味に慣れっこだ。特に文句は言わずにまじまじとおにぎりの鳥と目を合わせてから、手を合わせてか細くいただきますと言った。以前シマエナガおにぎりを作った際に少しは愛でろと言ったのを覚えていたのかもしれない。


「・・・美味い」


「それはよかった」


もぐもぐと気持ちよい食べっぷりを見せてくれる真に、藍歌は満足気だ。真の普段の食事は相変わらずだが、本人は少しずつ気にするようになってきたらしい。買いだめされているコーンフレークを栄養バランスのいい別メーカーのものを指定して変更してもらったと去年の終わりに言っていた。


「これがハンバーグ・・・!」


真はたまに藍歌のわからない点で感動している時がある。大体いつも食べているものと全然違う、という衝撃らしい。どうにも真が普段食べている弁当は激安スーパーのお弁当らしいので、当然味付けは違うだろうというのが藍歌の感想だ。


「あ、そういえば来週は試合?」


「ん、いや。再来週から地区大会予選」


システム手帳を膝へ広げた藍歌の手元を覗き込み、真は大会の日程を思い出す。部活は順調そのもので、今年こそ全国に行くぞと士気が高い。学校側もかなり力をいれてくれているようで、サッカー部のために第二運動場なども借りる話もあるし、今年からは合宿も計画されているらしい。


「合宿・・・じゃぁかなり会えなくなるね」


「あぁ、GWはつぶれる。あとは地区大会になるし」


そういって真はなにかを考えるように黙った。藍歌は手帳をみつめて今回の試合会場も調べて行けるか検討しないと、本気で2ヶ月はすれ違いそうだった。別の学校に通っているのだから、そんなものか、ともどこか冷静な部分が言う。


「スマホ、買ってもらえると思う」


「・・・!」


藍歌は驚いて真を二度見した。


「高校からって言われたけど、サッカーの連絡事項とか母親のスマホに来るの面倒らしい」


なるほど、と藍歌は納得してうなずいた。高校からスマホを持つというのは藍歌の感覚では普通だが、今のご時世を考えるとなかなか遅いのではないだろうか。それが少し早まったならば、素直に嬉しい。真が使い方教えろよ、と言うので藍歌はラインストーンでデコってやろうかな、と考えた。



「・・・花蓮はさ、将来何になるとか考えてる?」


土曜日が空いていると言えばすぐに友達との予定で埋まったし、花蓮とのアフタヌーンティーの回数も増えた。GWには友人おすすめのライブに行き、近場のテーマパークにも行った。真がスマホを手にいれると聞いたので送りつけてやろうと写真は沢山とる。微妙な顔をするだろうと思うと楽しくなった。


「進路調査に何を書いたか、ですか?」


「う、うーん・・・まぁ、そうかな」


二人はどちらも持ち上がりを希望しているので学科の希望によってクラスが変わるぐらいの問題だが、藍歌たちの学校はその学科が専門学校かというぐらい豊富だ。藍歌はいいづらそうに、私は第一志望から普通科、服飾科、経済科にしたんだけど、と先に開示した。


「適当っていうか、あんまり納得はいってなくて」


「・・・意外。藍歌ちゃんっていつもはっきりしてるから」


「そうかな。具体的な目標とかないのを最近痛感してるよ」


拗ねたような藍歌をみて花蓮はクスクス笑って、藍歌が作ってきたボックスクッキーをつまんだ。回数を重ねるごとに藍歌が持ち寄るお菓子にも気合いがはいっていったが、机をセッティングする花蓮も三段トレイやティーポット以外に花瓶や飾られる花は豪華になっていった。今回はテーブルクロスが新しいものになっていて、藍歌は可愛らしい刺繍に惚れ惚れとする。


「私は特進、国際、あとはテクノロジーで埋めたかな・・・」


「え、花蓮こそ意外なんだけど」


「私、翻訳がしたくて」


「えっえっ、初耳」


驚きの波状攻撃に藍歌はおおげさにうろたえた。珍しい姿に花蓮は楽しそうに笑って、一冊の本を取り出す。有名な児童書の洋書だった。小学生の頃から大好きな本なの、と言って手渡してくれた。中身は日本語訳されたものではなく原語で書かれており、付箋がたくさん貼られていた。付箋には何も書かれてない目印のもと、単語の意味だったり訳語が書かれているものと沢山あり正しく、花蓮自身が翻訳しながら読んでいるのだとわかる。藍歌は感心した声を漏らした。


「・・・凄い」


「ふふ、全然読み解けてないんだ。だから恥ずかしくて言わなかったの」


花蓮はどこかお茶目な笑みのまま今度は同じ本の日本語訳版を差し出してきた。中身をちらっと見るが、児童書らしく表現は簡単で文字も大きい。二冊で同じページを開いても印象や文量が全然違う。


「日本語訳が合わなくてね、元が英語なんだから絶対こんな言い方してないはず!って解釈違い起こしたの。でもいざ自分で翻訳しようとすると難しいのね」


「そこで本気で実行するの、格好いいね」


藍歌がそういえば花蓮は頬を染めて嬉しそうにした。大切そうに二冊の背表紙を撫でる花蓮に、本当に好きなんだなぁと思うがなんだか薄っぺらい感想に思えて口には出さなかった。まだまだ花蓮についても知らないことがたくさんある。


「だからとりあえず特進か国際かなって」


「うん、そういわれると確かに」


思った以上に真摯かつ具体的な内容に藍歌はますます自分のふわふわした現在が恥ずかしくなってきた。頭を掻きむしるように葛藤する藍歌に対して花蓮は柔らかく先を促す。


「ぜーんぜん、将来の夢みたいなのわからんの」


「あらら」


「私に具体的なやりたいことってない気がしてきた。ハンドメイドもほぼ投げちゃったし」


「焦る必要ないよって言われそう」


「もう言われた」


軽く母親に相談してみたが、にこやかに肩の力を抜くように言われた。だが前世をもつ藍歌にはわかっている。このまま、まだ時間があるし、と漠然としたままだと決めきれずに流される。そしていざという時には今更やってもな、と選択肢から外すようになる。


「藍歌ちゃんはサッカーのお仕事は考えないの?」


「・・・サッカーは私が好きっていうわけじゃないから」


なんとなく、選択肢から外してしまっている。どう考えても真が中心にある考え方だから余計だ。藍歌は言いよどみながら、ぽつぽつとそんな言い訳染みたことをこぼした。花蓮は丁寧に相槌をいれてくれる。


「でも、好きなんでしょう?」


「・・・うん、好き」


明確に言葉にしたのは、初めてだった。藍歌は一瞬肯定するべきか躊躇したが、否定はしたくなかったから頷いた。花蓮のいう主語がサッカーではなく真であることは明白だ。


「私はスポーツドクターとかしか思いつかないけど、藍歌ちゃん本当はたくさん考えてるんじゃないかな」


「スポーツドクターって医師免許いるし、私程度の熱意じゃ無理かなって思っちゃって、もしスポーツを専門にするならスポーツ科学学科で栄養学や心理学を専攻するのがいいのかなって思ったりするけど、職業ってなると」


「そういえばアスリート飯、流行ってるんだってね」


「あ、うん。そう、よね」


スポーツ科学学科の栄養学、アスリート飯、それは確かに藍歌の中で既に繋がっていた。それを口に出さなかったのは敢えて見ないフリをしていたともいえる。


「職業って決め打ちしなくていいと思うし、岡野くんが理由だとしても一旦それを目標としていいと思うの」


「・・・真のためにって言うと烏滸がましいよね」


呟いた藍歌に、花蓮はにこっと笑ってそうかも、と肯定した。でも、と続けられた言葉に藍歌はなんだか許された気がした。


「好きな人のために頑張る藍歌ちゃんは可愛いわ」


「ふ、はは・・・私、単純だね」


思わず苦笑いをして、藍歌は柔らかいソファに身を沈めた。背もたれも分厚いそれはしっかりと藍歌の身体を受け止める。溜まっていた気持ちを吐き出せたおかげか、なんだか力が抜けて、花蓮には感謝が募る。音もなく紅茶へ口をつける花蓮の周囲は一人だけ時間が穏やかに取り巻いていて、やはり子供とは思えない。いつだって藍歌は話を聞いてもらって助けてもらっていると感じる。そうしてふと前世の記憶について考える。


(そういえば真を好きなことだけは前世に関係ないかも)


そんなことを考えている内に、二人だけの空間に玄関の施錠音がした。花蓮の母親だろうか、と思ったがリビングへ現れたのは男性で、制服は藍歌にも見慣れたものだった。少し顔を出して藍歌がいることに気づくとお互いに会釈をして、素っ気なくすぐに姿を消した。二階へ上がる足音があったので、弟くんだ、と察しがついた。


「蓮司よ、久しぶりよね」


「大きくなったねぇって思ったけどこれ親戚のおばちゃんと同じこと言ってるよね」


「そうね、蓮司は特にその台詞言われているわ」


気を取り直すようにきちんと座りなおして、冷めてしまった紅茶を飲み切った。花蓮が今度は違う茶葉にしよう、とポットを濯ぎに行き、藍歌はケトルの水をセットする。そうしているうちに蓮司が着替えてリビングへ姿を見せたので、一緒にお茶をすることになった。


「お久しぶりです、藍歌さん」


「久しぶり、蓮司くん。サッカー部だったよね、今日は試合じゃないの?」


「あの、サッカー部去年あたりから部員増えたんです・・・。僕はスタメンじゃないので」


藍歌は新事実に目を剥いた。ほぼ毎週サッカー部の話を聞いておきながら初耳である。蓮司から聞くに連続して大会成績が伸びているせいでサッカー部が大所帯になり、一軍二軍制度になっているらしい。強くなったから専用の運動場借りれるようになったとかは言っていたけどさ、と藍歌は口元をひくつかせた。真はおそらくレギュラーでさえいれば他は興味ないのだろう。


「いつもお菓子ありがとうございます。御相伴にあずかってます」


「いえいえ~大したものじゃないから。次はもっといいもの持ってくるね!」


肩肘の張った様子に、藍歌は真面目な子なんだなと敢えて緩く接した。花蓮とよく似た面立ちで黒目が大きく印象的だ。背も高くモテるだろうな、なんて俗っぽいことを考えていると花蓮は三つのカップを用意して紅茶を注ぎ入れてくれた。一つだけ形の違うカップを蓮司が手にする。


「姉さんとはどんな話をするんですか」


「乙女の秘密よ、蓮司」


「あ、ちゃんと真面目な話してるから!さっきは将来について話してたからね」


蓮司が口にした話題に素早く花蓮が姉として素気なく拒否したが、隠す意味もない話題だ。藍歌は軽くお道化て言うが蓮司は真剣な様子で将来をお考えで?なんて言った。やはり堅い。進路の話はいつか蓮司にも関係する話題なので膨らみはした。


「将来は僕のお嫁さんとかも候補にいかがですか?」


瞬きをして一瞬思考が止まる。だが普通に会話の延長でしかない蓮司の様子に、頑張って冗談を言ったという感じも受けず、スマートにジョークで口説けるイタリア人のような雰囲気に感じた。ほとんど変わらない愛想笑いにギャップがあって面白いかもしれない。


「はは、ありがとうね。私頑張るね」


笑い飛ばす藍歌を微妙そうに見つめている蓮司には気づかず、藍歌はそのまま和やかに帰宅した。花蓮も蓮司と並んで彼女を見送り、悩みは少し軽くなった様子の藍歌に安堵していた。


「ねぇちゃん、俺全然相手にされてない」


「ぽっと出のお前が相手にされるはずないでしょう」


花蓮は消沈している弟に厳しい言葉を投げかけた後、彼女が妹になるならば私もやぶさかではないのですけど、と肩を叩いて慰めた。




秋の気配などかけらもないが、暑さが頂点を迎えれば後は秋が来るということで、暦の上では立秋らしい。スマホのカレンダーを眺めて藍歌は暑さに呻いた。

正直、普通に、観戦に行くのしんどい。なんたって外なのだ。日差しも暑さも今季一番と言える時期。だがそれは真も同じ、というか走り回る選手のほうがしんどいのだ、と念じながら藍歌はクーラーの効いた部屋から出た。


メッセージアプリもまだいれていない真とのやり取りはメールだ。既読もわからなければ返事も遅い。なんならまだスマホを持ち歩くことに慣れていないため、もしかしたらこの会場つきました、試合頑張ってね、のメッセージも見ていない可能性がある。


実は何回かサッカー観戦に花蓮を誘ってみたことがあるのだが、毎度しっかり断られている。スポーツにあまり興味がないそうだ。彼女は人を嫌な気持ちにさせない断り方が上手くて毎回感心してしまう。


「わ、今回会場広いな」


土地勘のない場所だが、スマホがあるので迷うこともなかった。トーナメント表をみて、真の学校名だけでなく去年絡んできた林の男友達の学校名も確認する。今年はどこにもなさそうだ。藍歌は安心して水分補給のためにコンビニへ寄った。


全国へ行けるのは関東大会で上位七校と聞いている。地区大会での上位二校などより多いじゃん、なんて思ってしまったこともあるが、そんな甘いものでないことは去年敗北しているのを見たのだから知っている。


観客席に座ったまま、コートに出てきた真を見つけた。遠目ではあるが、しっかり三年生らしい素振りをしていて、なぜか照れてしまう。小さな子と接するような思いが地続きにあったのが、急に彼はもう成長したのだと感じた。満足するまでサッカーができる環境にいるのだと思うと寂しさもにじむようにあった。試合を見る度格好よくなったな、とか成長したなと確かに気づいていたはずなのに、今さらだった。


「岡野の知り合い?」


「え?」


真が見上げたタイミングで目があったので、手を振れば小さく真も手を振り返してくれた。そちらに気を取られていたからか、横から声をかけられたことに不審な声を出してしまった。背の高い男性だった。目を眇めて顔を見ようとしたところで隣いい?と言われたのでとりあえず頷いた。普段であれば遠回しに断っただろうが、彼は真の名前を出したので、おそらくは知り合いだろうという判断だ。


現に隣に座った彼を見とがめて微妙な顔をしている真がコートにいた。それを揶揄うように手を振るので、友達だろうと思った。


「どうも、柿本です。岡野の・・・友達?たぶん」


「あ、どうも私北見です。その言い方、真の友達って感じします」


「やっぱ藍歌ちゃんか、知ってる」


「え、知ってるんですか?私は柿本さんのこと知らないんですけど」


「ははーん、クソゲーマーって言ってたりしない?あいつ」


右頬だけつり上げる皮肉気な笑いかたで柿本は真を指差した。クソゲーマーの単語に藍歌は思い当たるところがあった。だがそう頻繁でもなかった。柿本らしき影が話題に出るときは大体学校の話で、真はいつも叱られた猫のような不遜な顔をしていた気がする。


「あいつはいつもアンタの話してるよ」


「うっそ、信じられない。可愛いとこあるな真」


真が藍歌のことを誰かに話しているのも、そんな話をできる友人がいることも、真のプライベートを覗けた気がしてワクワクとした。そんな藍歌の気持ちを把握しているだろう柿本は真を揶揄う要素として楽しそうに学校での真を教えてくれた。


試合が始まればそれは途切れたが、並んで応援することに抵抗はない。柿本は熱心に応援というよりは地蔵のように眺めているだけだったが、適度にローテンションに感嘆の声を漏らしたりしていた。


「あと一点欲しかったですね、相手の防御固い」


「関東大会になるとレベル高くなるんだねぇ」


前半終了で一息ついたタイミングにしみじみという柿本が面白くて、藍歌は肩の力が抜けた。話にくいタイプかと思ったが、そうでもないようだ。良いテンポで暫く会話をしたのち、ふと沈黙が降りた。気まずいわけではなかったが、何か言おうと思い咄嗟に口に出たのは、真のことだった。


「あの、真って学校でやっぱりモテます、か・・・」


何を聞いているのだろう、と正気に戻って尻すぼみになる。


「あー、あー、ね。うん、モテますね。随分減ったけどね」


どことなく言葉を濁してそっぽを向く柿本に、藍歌は首を傾げた。


「減った、んですか。ひどい振り方したとか?」


「いやいや、他校に可愛い彼女がいるって部活で有名だから」


「・・・・・・・それは」


上手い言葉が見つけられず、二人は口を噤んだ。


「マジで付き合ってないんだ」


「告白とかは、ないっすね」


「幼馴染ならそうなんのかねぇ」


柿本は呆れたように背もたれへ体重をかけ、長い脚を投げ出した。どことなく様になっているのは体格のせいなのかもしれない。


「柿本さんもモテそうですけど」


「あー、俺人生のメインに恋愛おかないタイプなんで。あれってサブクエですよ」


その物言いに、真が柿本をくそゲーマーと呼ぶ理由に納得がいった。


「そうですか・・・。真も恋愛はサブクエっぽいですよね」


「おたくは違う感じですか」


「・・・サイコロの出目次第ですかねぇ」


そっか、と興味なさそうに柿本が言うと同時ぐらいに後半開始の笛が鳴った。藍歌はコートへ視線をやって、じんわりと滲む汗を押さえた。今回は学校からの観戦者が少ないのか盛り上がりは少ないが、その分集中はできた。


試合はどんどんと危うくなっていき、相手に逆転された際には不安で何度も柿本へ話しかけて気を紛らわせた。柿本はイラついた様子もなく相手をしてくれたが、それは勝利を確信しているとか真を信じているとかではなく、単純に結果はどうでもいいタイプなのだろう。


「どうしよう・・・ってどうしようもないけど、負けたら当然終わりだよね」


「相手が悪かったね、全国常連じゃん」


解っている、トーナメントの運も関係はある。気持ちの問題で勝敗が決まるわけでもないし、応援の声の大きさで決まるわけでもない。観客席からみてわかるような劇的なドラマなど起こるわけもなく、真の学校は初戦敗退という結果となった。


「・・・勝手に、今年こそは行くんだろうって思ってたな」


「岡野は行くつもりだったし、そりゃそうでしょ」


「・・・柿本さんは、声かけに行く?」


「メールでm9(^Д^)プギャーって送るだけにしとくわ」


伏目がちにコートを眺めたままの藍歌のことも気にせず、柿本は立ち上がってさっさと去っていった。そのドライさと、ちゃんと観戦にくる律儀さに藍歌は良い奴だな、と真の友人であることが腑に落ちた気がする。


「お?」


メールの受信音にスマホをみれば、珍しく真からだった。声をかけに行くか迷っていたのでちょうどいいと開封すれば、ちゃんと帰れ、という内容だった。やはり会いたくないか、とは藍歌の表情は曇る。


藍歌は意外と冷静ではないかもしれない自分に気づいて溜息をついた。落ち着いたほうがいいだろう。フリック入力で返信をしてから、気持ちを切り替えるようにして、帰路へついた。


幾日かして、真の学校に勝利した相手校が全国出場を決めたのをネットで見た。

嬉しいようなそうでないような、複雑な気分のままにいつもの公園へ向かう。何時に会おうなんて約束はしていないが、いるだろうとまだ午前の間に来た。予想通りジャージでサッカーボールを転がしている男がいた。なんと声をかけようか一瞬迷って、結局いつも通り駆け寄った。


「おはよう、この間は試合お疲れ様。ちゃんと身体休めたの?」


「問題ない」


悔しそうな顔をチラとも見せない相変わらずの無表情。だがどこか精彩を欠いて見える。つまらない世間話を続けようとする藍歌を黙らせるようにリフティングをした。


「コンディションは完璧だったけどな。でも負けるんだな」


リフティングは話しながらもリズムよく続けられた。藍歌はそれを眺めながら、そうだねとだけ言った。


「全国行くって、思っていたより難しかったな」


真が漠然と描いていた夢は、昨日潰えた。一年生の時に先輩が地区大会でも十分凄いんだぞ、と言ってくれたのは、夢見がちな人間への言葉だったのかもしれないと、今更思い出していた。三年頑張ったのだから順調に勝ち上がるなんて思ってはいなかったが、練習量の分だけ自信につながっていたのは確かだ。そして今も、自分が全国に行けないレベルだとは思っていない。だが真は自分より下手くそな人間が全国に行くことを認めなければいけなかった。


藍歌は見るべきか、見ないべきか迷って、真の傍へ寄った。地面に落ちたボールが跳ねて転がっていく。真が肩口に顔を寄せたから、そのまま抱きしめて犬のように頭を撫でた。少しばかり曲がった背筋に、いつの間にか身長を越されていたと気づいて、藍歌も釣られて涙が出そうになってしまった。


「初めての弱音だ」


抗議するように強く抱きしめられた。


「でも、諦めないんでしょ。次は高校だね」


「・・・高校は、推薦きた」


「おめでとう。行くんだ?」


鼻声のまま顔を上げた真に、行くんだろうなと思いながら尋ねた。


「あぁ、行く。秋田だ」


「え」


「寮生活になる」


続けられた言葉に衝撃を受けて、藍歌は返事ができなかった。秋田ってどれくらい遠いんだっけ、なんて考えて思考がゆっくりになり、推薦と寮生活という言葉がぐるぐる回る。


「たまに、会えるか」


まっすぐに見つめられて、どういう意味だろうと猫のように緩やかに瞬きをする。表面の涙が押し出されるのを我慢すれば、喉が絞られるようだった。


「・・・たまにって?」


「わかんねぇけど。ご褒美はなくてもいい。なんもなくていい」


真はまとまらない言葉のままに、全国大会は見に来て欲しいと言った。今度こそ、と付け足されて藍歌は焦って返事をした。


「うん、行く。行くよ。会うよ」


それを聞いてほっとしたように強張っていた表情が少し緩む。真は視線を足元へやって、少し遠くまで転がっていったボールを見つめた。それを追いかけて、足裏で踏みつけた。ころりと移動をさせて、弄ぶ。


藍歌はその背中を眺めて、秋田か、と思った。今までと同じだけれど、ずいぶん距離が広がってしまった。今更に茫然としてしまう藍歌に、なぁと真が呼びかける。


「俺は王子様にはなれねぇし、サッカーしか出来ねぇ」


王子様、と藍歌は口の中で転がすように呟いた。そういえばそんなことを言ったこともあったか。


「お前を一番には出来ねぇし、俺でさえ俺なんて止めとけっていうしかねぇけど、でもサッカー選手にはなるから」


説得、懇願、宣誓、いくつかの言葉が藍歌の脳裏に浮かぶ。


「約束できんのはそれだけだ」


ぽん、とボールが藍歌の足元へくる。正確に、優しくトラップして足裏で止める。


「サッカー選手になった後は?」


「・・・・・・・結婚でもするか?」


長い沈黙の後に投げられた言葉に藍歌は妙な顔をした。真意を問うような疑念にかられるようなじっとりと湿った目だ。そんな視線にさらされるも真の表情は変わらない。照れる様子もうろたえる様子もなかった。やがてわざとらしく長く深いため息とともに、藍歌はボールを蹴った。


「スマホ、出して」


素直に差し出された真新しいスマホに、メッセージアプリをインストールする。後の操作は直感でわかると思うが、といささか心配しつつもそのまま彼に返した。真は小首を傾げていたが、藍歌の名前がフレンドにあるのを見て、納得した様子だった。


「私も、真を一番にしない。私は私の好きなことをするから」


でもメッセージは返信してね、と言ってスタンプを一つ送信した。ぽこんと通知音が真のスマホからして、きょとんとする真は少し幼い。何度だって思うのだが、真は言葉が足りない。今回は真摯に伝えてくれようと努力してくれた方だ。だがやはり少し物足りない。


言いたいことはわかる、わかるのだが言ってほしい。


「不安になるからちゃんと言葉が欲しい」


「好きだ」


間を置くことなく言われた言葉に、今度は藍歌のほうがきょとんとした。意図せず凝視すれば真は若干気まずそうに視線をそらして、言葉を付け加えた。


「・・・・サッカーの次に絶対優先する」


「ふ、ふふ・・・素直」


嘘をつけない真に、藍歌も自分の思う可愛い、を優先することにする。


「私、真を愛する私は可愛いと思うの」


これからも、どうぞよろしくね、とあざとく笑った藍歌を見て、真は男前だな、と思ったことは一生黙っておくことにした。


書きたいことは書いたので終わり。なんだかんだ柿本書いてるのが一番楽しかった。

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