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中学生編1

ざまぁするほどの悪役は出ないけど、しょぼい当て馬はちょいちょい出ます。


長袖のシャツを既に放り出してしまいたい暑さ、すでに立夏。

世間的にGWと言われるその期間まで、慌ただしく時間は過ぎていった。


スマホが欲しいと言おう。


自室の机に失くさぬようにセロハンテープで張り付けたメモが視界に入る度そう思うのだが、真は毎回言い逃してしまう。ひとえに真が会話のタイミングを掴むのが下手くそだからだ。そして両親が揃っていることが少なく、どちらも仕事に忙しいからでもある。


そうでなくても中学生という新しい環境にまだ馴染めてないし、サッカー部の一年生という雑用係であることのストレスもかかっていた。


真、と呼ぶ藍歌を思い出す。卒業式の日、連絡するよう言った彼女はこうなることを予想していたのかもしれなかった。何も変わらないと思っていたが、全部変わった。小学校の校舎内で藍歌にすぐに声をかけてボール一つで喧嘩するのは楽だった。


それがなくなっても、公園にいれば会えるだろうと思っていた。


(いや、今も思ってるが)


だから部活が休みのGWに公園にいる。相変わらず、だだっ広いくせに遊具が少なく子供のいない公園でありがたいことだった。新調したサッカーボールを軽く蹴る。久しぶりにしっかりボールを蹴って走っているのが楽しい。


入部したサッカー部は、期待通りちゃんと試合のできる環境であった。顧問が熱心で、部員数もそれなりにいる。体験入部後は半分に減ったものの一年生も真面目な人間が残った。仲良しおままごとサッカーではなく、今年は大会で勝ちたい、と部長が語っていたことが印象的だった。悪くない、と思うものの今はまだ雑用をして、ボールだしをして、ひたすら体力をつけるためにランニングをさせられている。一年生は初心者に合わせてなのか、ほとんどボールに触れていない。


じりじりと直射日光が肌を焼く。汗がにじんで喉が渇いた。持ってきた水分はもう無くて、水飲み場で服が濡れるのもお構いなしに水を顔面から浴びた。妙にぬるくて、物足りない。飲む分には問題ないが、もっと冷えたものが欲しくなって自販機に寄ってしまう。


指を迷わせて、いちごソーダのボタンを押した。


甘ったるいが嫌いじゃない。薄赤い液体だとしか思わなかったが、藍歌はこの液体をカワイイと称していた。何人かの女子生徒がいちごミルクの紙パックを教室に持ち込んでいるのを見るに、きっとそういうものなのだろうと真は思っている。この手のジュースを飲んだことがなかったから、初めて藍歌から渡された時に割と衝撃だった。それ以来、なんとなく選びがちだ。


木陰のベンチで休憩をしている間もボールはこねくり回して、一人で出来ることを考える。コーン代わりにペットボトルでも並べてドリブルでもするぐらいしか思いつかない。


豪語した以上、レギュラーになりたいが、果たして一年生でレギュラーを取れるのか。弱気ともとれる考えが脳裏にかすめて、眉間に皺が寄る。


「本当にいた」


視界に靴先が入り、顔を上げれば制服姿だと思われる藍歌がいた。真にとって見慣れたツインテールは、なんだか変わったポニーテールになっていて明らかに小学生の時と違った。その違いをうまく言語化することはできず、真はただ首を傾げた。その様子に藍歌は眉を跳ね上げて、何か変?と訊いてきたが真は別に、と返すしかできなかった。


「いるかもなぁって思って寄ってみたの、久しぶり」


「おう」


藍歌はくるりと回ってスカートを広げた。ひざ丈のジャンバースカートのシルエットと細めのリボンがお気に入りだと熱く語り、スクールバックについた沢山の人形を揺らした。真はそもそもなぜ制服なんだ、と思った。


「休みじゃねぇの」


「なんと土曜日も学校があるのよ、うち」


真の隣に座って藍歌は熱弁をスルーされたことに嫌な顔はせず、どことなく皮肉気に笑った。こんな授業があっただの佐島花蓮とは同じクラスになったとか近況をペラペラ話す。まるで興味がなさそうな返事しかできないものの、私立ってそういうものなのか、と真は十分に驚いて興味深く聞いていた。


「で、真のほうは?サッカー部入ったんでしょ」


「・・・悪くねぇよ、まだ一年だからなんもできてねぇけど」


「そっか、よかった。あんたのことだからぬりぃ、とか言うかと思ってた」


「・・・」


真は正直若干思っている、というニュアンスで眉間に皺を寄せた。練習内容はまだ微妙だということをぽつぽつと漏らせば、藍歌は感心しているような何か言いたげな反応だ。話が途切れればパッと立ち上がりそのぴかぴかとした靴でボールを攫って行った。色が好きなローファーだと言っていた気がする。


「制服ですんのかよ」


「ちょっとだけー。一人でできる練習なんてたかが知れてるんでしょ」


ほらほら走って、といつもゴール代わりにしていた穴の空いた壁(どう遊ぶか知らないがジャングルジム代わりにしている子供をみたことがある)へ走る。丁度いい位置でキレのいいパスが来て、勢いよく蹴れば、ボールは壁の穴を通って後ろの砂場へ落ちた。


小学生の時にやっていた一対一でボールを取り合う勝負は、もう負けない。だが単純なパスやシュートの精度は藍歌のほうがまだ上手い気がしている。真が欲しいタイミングや癖のようなものを察する能力が高いのではないかと考えている。気を遣う能力とでもいうのだろうか、真の苦手分野だった。


そこから藍歌にいいように振り回されて、疲労が見えてきた真はボールに追いつけなくなり、そこで休憩となった。汗だくになりながら、真は案外体力がないことを自覚した。たまにこの公園で見かけるフリスビーを追いかけている犬のほうが体力があるな、と苦笑すると、先ほどまでの自分が重なってしょっぱい顔になった。


「ラダートレーニングとかどう?アメフト選手とかがよくやってるやつ」


「サッカーだぜ?」


「えぇ~?ちょっとまって、ほらサッカーでもするじゃん」


藍歌は真の漏らした一人でできる自主練について考えてくれていたらしい。すっかり使いこなしているスマホでサッと検索して動画をみせてきた。ウォーミングアップと題されたもので、紹介されているものは部活の準備運動でやるような知っている動きから、見たことない珍しいものまで幅広い。ラダーを意識してやることによって姿勢が良くなったり、視野が広くなったりするとのことだ。


「・・・やってみる」


「ふふふ、動画送れたらよかったんだけど。ここで確認しよっか」


そういってぴかぴかのローファーで躊躇せず地面に線を引いた。梯子の絵を前に二人で並んで動画を見た。紹介されている動きを一つずつ試して、簡単だとかしんどいだとか言いあう。藍歌がスマホをストップウォッチにして計測してくれたりして、やっぱりスマホって便利なのだなと他人事のように思った。


「ていうかここで隠れて練習してるわけじゃないよね?」


「大会前以外休日まで部活やってねぇよ。運動場もサッカー部が扱える曜日決まってる」


「あー、そういう。快適な場所でしっかり練習できるほうがいいのにって思ったけど」


藍歌は悩まし気に唸った。真は彼女が何を気にしているのかよくわからず、この公園で練習することに文句があるのかと不満が募る。藍歌は真へ指を突き付けて真剣に言った。


「性格悪いけど努力は見せつけてナンボよ」


「はぁ?なんの話だよ」


「あいつ頑張ってんなぁ~って周囲にわかりやすい形で見せるの!努力してなさそうなやつの実力が突出してたら反感買うのよ。特に真みたいな性格だと。でも頑張ってるなら強くても当然でしょ、それに実力が解らなくても頑張ってるってだけでチャンスを与えたくなるのが大人なの。頑張ってるからちょっと試合で使ってみるか~ってなるのよ!わかる?」


「おい、悪口混じってただろ今」


早口で力説されるも、半分以上聞き取れなかった。ただまとめると人の見えるところで練習しろ、ということらしい。同じ一人での練習でも公園ではなく部活の居残りなどで、と言われても真はその違いが分からない。むしろ誰かに邪魔される可能性が高い場所での練習など、と嫌悪感にも近いものが湧く。藍歌はそんな素直な反応に大人の厭らしさでスマン、と内心で謝罪しつつもおススメした。


「上手い先輩にも教えてもらいなよ、生意気だけど可愛い後輩になりゃこっちのもんよ」


「ここでもカワイイかよ・・・」


「愛嬌って大事~、同級生との付き合いもおろそかにしないように。直球で下手くそとか言わない」


「・・・」


「言ったのかよ。その子どうしてるの?その後頑張ってるか気にかけてあげなよ!」


「・・・ちょっと、マシになってた」


「いいじゃん、根性ある子じゃん!」


今度声かけてあげて、とまで言う。何故真の学校での対人関係に藍歌が口を出すのか、と母親に机を漁られるような不快感がにじみ出たが、それがひどくなる前に藍歌は口を閉じた。真が反発してしまいそうな機微を察知して引き際を心得ている辺りが、彼女が言う通りにしたほうが社交性という点では正しいのだろうと解る。


「よし、じゃぁ帰る!」


微妙な空気を断ち切るように藍歌はそう言った。彼女が見ているスマホには17時の数字が表示されていた。土曜日の授業の後練習に付き合ってくれたと考えると結構な時間だ。すっぱりとスクールバックを持って歩き出そうとする藍歌を、おい、と引き止めたのは真だった。


「土曜ならここ来んのかよ」


真の手元に彼女への連絡手段はまだない。岡野家に固定電話はないし、パソコンもない。スマホを持っている両親は忙しくてあまり家にいない。このまま、来るかもしれないなんていう可能性で公園にいるのは、あまりにも不安定だった。


「・・・うん、授業の後なら来るよ」


「・・・あの丸いやつ、食いたい」


「ドーナツ?ベーグル?」


「ベーグル」


そうだ、そんな名前だったと思い出す。スコーンも嫌いじゃないが、ベーグルはサンドイッチにしているものもあって物珍しくて好きだった。藍歌の持ってくる食べ物のほとんどが真にとって初体験であり、名前すら知らないものもある。真自身もそうだが、真の両親も食には保守的で消極的だった。


「わかった!作って来る。楽しみにしといて」


「おう、じゃぁ土曜日」


「うん、ちゃんと、いてよ」


藍歌はひらひらと手を振って走っていった。見慣れない制服に、髪型に、真は妙に尻の座りが悪くなって、自分もとっとと帰宅することにした。


「対人ポンコツだと思われてて草」


「うるせぇ、くそゲーマー」


くくく、と喉で笑うのは後ろの席の柿本という男だった。

やたらひょろ長い男で入学直後に真に対して一番前にしてもらわなくていいのか、と余計な言葉をかけてきた失礼な男だった。一番後ろの席であることをいいことにポータブルゲーム機でいつも遊んでいるから真はくそゲーマー、柿本は真のことを俺様っ子や前に倣えで腰に手を当てる子など独特な言い回しで呼ぶ。お互いに口が悪いわりに沸点は高いので、軽口をたたく仲になりつつある。


「もうすぐ大会だろ、その子くるの」


「呼べば来るだろ」


「ふぅん、俺も見に行こっかな」


「来んな、太陽光で蒸発しろ」


「吸血鬼か?元気ににょきにょき伸びるが」


柿本を睨みつけるようにするが、相手からは上目遣いぐらいにしかなっていないだろうことが情けない。教科書を抱えて理科室へ移動していれば、途中で呼び止められる。今から授業をする理科教師で、その手には提出したノートの山があった。


「これ持ってって配っといてくれ」


「・・・・うっす」


「あ、そうだ。田中先生が今日は野球部で運動場使わないから自由に使っていいって言ってたぞ」


「・・・あざっす」


押し付けられたノートの山を柿本へ半分押し付けながら、真は内心でラッキーだと思った。運動場は一つしかないのだから、各運動部は分け合って使用せねばならない。幅を取るサッカー部と野球部は運動場使用権利の日が分けられていた。はっきり言うと使用権利がない日は部活動の日ではない。だが真が部活動の日ではなくとも邪魔にならぬ端っこで毎日ボールを蹴っているのは有名な話で、最近は他のサッカー部員もよく自主練に参加するようになった。そのため教師が時折こうして、運動場の使用権について教えてくれることも増えた。


「藍歌ちゃんのおかげじゃーん」


「黙れ、藍歌って呼ぶな」


「へいへい、お前が先輩に教えを乞う台詞募集とか天地がひっくり返ったかと思ったけど、なんだかんだうまくいってるなぁ」


柿本のぼやきに、そんな言い方はしていないと舌打ちをした。無駄に回る口がある男だから、真もつい、助言を求めてしまったのは確かだった。


藍歌の言う通りにしてみよう、そう思ったのだ。

だがカワイイ後輩とはなんだ?と首を傾げたし、上手い先輩に教えてもらうにはどうすればいいかもわからなかった。とりあえず一番簡単な自主練の場所を公園ではなく学校に変更することはした。


たったそれだけで、どことなく扱いが変わった。鈍い真でもわかるぐらいにサッカー部の顧問から声をかけられるようになった。他の部員も何かと絡んでくるようになった上に、へたくそ、と切り捨てた同級生も勝手に真の隣で自主練をするようになり、時折アドバイスを求めてくる。


劇的とは言わないものの、困惑する程度の変化があり、それは円滑にサッカーができる変化だった。だからこそ、上手いプレーをする先輩についても、見て盗むのではなく、教えてもらうという選択肢を取った。ただ、教えてもらうきっかけが思い付かなかった。


藍歌に相談するのは、最終手段だ。くだらない意地もあるが、そもそも土曜日しか会えないので仕方がない。


そうなると他に誰に聞くべきかもわからず、暇そうにゲームをしている柿本へ何気なく尋ねてみたのだ。なんの期待もしていなかったというのに、柿本は凄い形相をして困惑していた。えぇ~お前ってそんなキャラだったの?なんて謎の台詞とともにあれよあれよと藍歌のことまで話してしまっていた。コイツには尋問の才能があると真は侮れない男だと認識した。


「で、結局その上手い先輩からは教えてもらえたの」


「あぁ、お前のおかげだ。こういうのクエスト成功っていうんだろ」


柿本がよく使う言い回しで結果を報告してやれば、ぽかんと口を開けて間抜け面をさらしていた。あらあら、なんて言葉を漏らして驚いているのだと思う。ずり落ちたらしいでかい眼鏡を指で持ち上げて、気を取り直すように理科室へ入った。


「ちょっと藍歌ちゃんの気持ちわかったかもなぁ」


「おい、お前が藍歌の何知ってんだ」


「なぁにも、いやぁ会ってみたいなぁ」


柿本は楽しそうだったが、結局のらりくらりと誤魔化すばかりで原因はわからなかった。真は妙に腹立たしく思ったが、そんな場合でもない。ここのところずっと焦燥感がまとわりついていた。それは柿本にいった通り、もうすぐ大会が始まるという点だ。


正確にいうならば地区大会予選自体は五月から始まっている。この試合には一年生が入学する前に決まった二年生中心のレギュラーでちゃんと勝ち進んだらしい。当然だが地区予選、地区代表、都県予選、関東大会とどこかの大会で躓けば全国大会にはいけない。自分とは関係ないところで負けて藍歌に大会にいけないとも報告したくない、と真は非常に自分本位な思いで勝ってくれと願っていた。


レギュラーに、一年生は選ばれない。

普通なら地区予選で考えられたチームメンバーのまま地区大会へ行くはずだ。


だが顧問は、毎試合きちんとスタメンを検討しなおしていて、そのメンバーには一年も含めて実力で選んでいると言っていた。そして今までも一年生を補欠に入れたことはあるとのことだ。だが補欠なんて真の望むところではない。部内での実力から言えば、レギュラーで申し分ないと自負している。だが、年功序列の壁はある上、どうしたって三年生と一年生では身長も体格も違う。そして、真は一際小さい。一見して弱く、侮られる人間だ。


(レギュラーの三年はたぶん固い)


サッカーは11人、三年生は5人だけだ。いや名簿上はもう少しいるが、大会などに積極的ではない部員たちで、練習にもお遊び程度しかこない。受験に集中するという話も聞いた。予選突破となったところでレギュラー5人以外の三年生が思い出にしゃしゃり出てくることはないだろう。


そして残りのレギュラーである二年生6人だが、十分に付け入る隙があると思っている。というのもパス回しがうまく噛み合っていないようで、現在でも交代を繰り返して一番いいラインを探している節がある。


(野球部と兼部してるやつらは流石に外すだろ、ランニングサボってるやつもない)


指折り数えて、真が考えるレギュラーが固い人間たちの中に自分が入れるか考える。十分可能性はある、と結論が出た辺りでようやく深呼吸ができた。思いの外緊張しているらしい。自分がレギュラーに選ばれないのに藍歌に大会を見に来いなど、口が避けても言えない。


しかし無常にも、次の試合のレギュラーに真は選ばれなかった。補欠である。


「はぁ?!大会は全国だけじゃないでしょ?!普通に予選とか見に行くって!」


「まだレギュラーじゃねぇ」


「補欠に入ったんでしょ!来週土日?どこでやるの?!」


いつもの土曜日、藍歌にサッカーの練習に付きあってもらう前に藍歌の趣味に付き合わされた。


やたら狭いカフェで、そこが店だと真は気づかなかった。入店してもざわめき一つなく、静かにジャズが流される空間で、藍歌はカワイイカワイイと手書きのメニューに喜んでいた。そうかこれもカワイイなのか、と思いながら真は絵本がモチーフらしいケーキとドリンクを頼んだ。


落ち着いた店内で騒がしくするわけもいかず、いつもより小さく話す藍歌の話に耳を傾け、時おり真も話した。その流れで大会に帯同するので来週は公園にいない、と言った。そうなれば恥を忍んでレギュラーではなく補欠にしか入れなかったと言うしかない。


藍歌は驚いて矢継ぎ早になんで大会予選でも呼んでくれないのかと言い出して、スマホを指で叩くようにして大会日程を検索していた。静かな店内に自分の声が響いて、ようやくハッと動きを止める。恥ずかしそうに縮こまって、見に行くねと呟いた。


「でもよかったね、結構強いチームで」


「・・・あぁ、悪くない」


一年生ながら補欠に選ばれたことを、周囲は凄いと褒め称えた。悔しさと喜びがどっちつかずに半分ずつ。自分はまだレギュラーに選ばれるほどの実力はないと知れた。


注文したケーキをつつきながら藍歌は差し入れ何がいい?訊いてきた。いらねぇ、と一言返せば心底不思議そうに首をかしげた。だがすぐにしたり顔で聞き方を変えてきた。


「レギュラー入りした時のご褒美何がいい?」


「・・・佐島と食ったってやつ」


「え、どれ?」


「・・・おにぎり」


でかい目をぱちぱち瞬いて不思議そうにする藍歌は真の言葉にさらに不思議そうにした。藍歌が真に話をしたおにぎりといえば、おそらく花蓮と一緒にひたすらおにぎりを握るパーティをした件だ。一緒に料理をするハードルが意外と高かったので、炊いた米に既製品のおかずを包むところから始めたのだ。定番から変わり種まで色々と作ったが、そのおにぎりパーティが日曜日だったこともあって真の口には入らなかった。


「・・・おにぎり、でいいんだ?」


頷いた真に、藍歌はしつこく質問はしなかった。真はそれに少しだけ安堵し、てかてかと艶の輝く苺へフォークを刺した。何味のおにぎりがいいかなんて聞かれても、一つも思い浮かぶ気はしなかった。


「てかてかしたゼリーうめぇ」


「そこぉ?苺とケーキを褒めろ。ちなみにナパージュっていうんだよ、それ」


真は初めて食べるてかてかきらきらしたケーキを味わいながら、次こそはレギュラーになった報告をしようと強く思った。



梅雨の時期であったので覚悟はしていたが、試合の日は雨模様だった。だが試合自体は余程でなければ続行される。現在は小雨、視界も悪いと言い切るほどではない。とはいえ地区大会ごときに立派な天然芝があるわけもなく、コートは既にあちこちがデコボコとしていて泥まみれだった。


「足とられて怪我するなよ!」


「いつもより強めのパスにしてくれ、届かねぇ」


監督の声やキャプテンの声が、少し遠い。大した事ないと思ったが、実際コートの中にいると雨で遮られるのかもしれない。真はカッパを着たまま屋根のあるベンチで眺めていた。特にアップをしておけとは言われていないが、身体を冷やすのも嫌で隙をみて軽く走った。


(まさか藍歌のやつ、来てんのか・・・?)


さっと視線を周囲へ巡らせたが傘が重なりよくわからなかった。前半0-0で終了してドリンクやタオルなど配りに走っていると、呑気に手を振っている選手とその両親らしき二人が目に入った。その少し離れたところに明るい色の傘があり、藍歌だ、と思ったが雨脚は強くなり視界が煙る。


「担架―!」


後半始まってすぐだった。ぬかるんだ泥に足をとられたのか、パスミスが起こった。ボールの距離は短く、相手選手に近かったためそのままゴールが決められた。そうしてようやくパスミスをした選手が蹲ったままであることに気づき、試合は止まった。


「捻挫だな、膝も少し打ってる」


監督も怪我をした先輩も、もう試合に出ないことを決めているようだった。ただ緊急ではないという判断で試合終了後に病院へ行こうと手配を始める。そして監督は同じ補欠である二年生ではなく、真の肩へ手を置いた。


「・・・岡野、MFだがいけるか」


「いけます」


躊躇いなく返事をした。交代する先輩はMFで、真はFW希望だったが、そんなことは関係ない。身体も冷えていないし作戦も頭に入っている。敢えて言うなら連携練習が足りていないが、パスが通らないならば自分でゴールすればいい、なんていう思考で、真はまるで緊張していなかった。雨のせいで凸凹と靴跡の残るコートに足を踏み入れた。


「デビュー戦が雨ってツイてねぇな!」


「岡野デビュー戦早すぎ問題」


「おめーちゃんと作戦聞いてた?」


「いや肝が据わりすぎだわ、俺なら吐く」


既にコート内にいるレギュラーの先輩たちに次々と声をかけられる。真は背中を叩かれたり頭を撫でられたりと抵抗なくされるがままに、うぃっす、あっす、なんて適当な返事をした。これも藍歌のいう通り先輩に教えを乞う、という実践のおかげだろう。おそらくは生意気だがカワイイ後輩ポジションとなっているはずだ。


強まったり、弱まったり、雨は安定しない。せっかくアップしたのにすぐに体が冷えていく。無意識に薄暗い雨の中、明るい傘を探した。


笛の音が鳴って、ボールが高く蹴られた。走り込んだ相手チームの選手が泥の中でも上手くドリブルをして、近くの選手にパスをする。既に前半戦で泥をまとった跳ねないボールの扱いなどに慣れている、と真は自分の不利を悟った。


(でも、俺のほうが速い)


ぬかるみに足を取られて鈍重な選手たちを置いて、体重の軽い真は走り回る。誰かにパスを、と視線をやった方向に相手のDFが立ちふさがる。三年生だろう、縦も横も真より大きかった。壁だな、と思ったが同時に藍歌のほうが腕の使い方が上手かったと評価した。


(つまり、俺のほうが上手い)


そんなことを考えながら相手を抜いて、パスを出した。ぼすん、と水を含んだ微妙な音を聞いて真はしまった、という顔をした。距離は少し短い。だがFWの先輩は笑ってそのまま走り込み、ゴールをした。先輩は近くのチームメイトにナイッシュー!とバシバシ背中を叩かれたりしてから、真へナイスアシスト、とハイタッチを求めてきた。拒否することもないので、ぺしんと返せば何故か笑われた。


同点なのだから、あと一点とらなくてはと試合時間を考える。泥が跳ねて靴も靴下も汚れているし相手がスライディングしてユニフォームにも泥がかかった。状態としては最悪だが楽しかった。ボールを持った真にチームメイトがパスを寄こせと声を上げる。あっちはマークがキツイ。あっちは距離が遠い。


(俺が点を取る)


夢中になったままに、試合は終わった。

ワッと集まって勝った!よくやった!と押し競饅頭となり、真はそのテンションの高さについていけずにただ流された。挨拶も終わって片づけに入る段階でようやく、観客の中から明るい色の傘を探した。雨はもうほぼ止んでいて、横着な人間はタオルだけになっている。


「おい、待ってろよ」


離れていこうとした明るい傘は、くるりと振り返って驚いた顔を見せた。藍歌に気づいていたことも、声をかけてきたことも意外だという顔だ。


「バスとかじゃないの」


「直帰だ、監督の話終わったらすぐ解散する」


一方的にそう言い放って、駆け足でチームへと戻る。返事は聞かなかったが、待っていてくれる確信があった。濡れた格好のままで帰るなと厳命されて、急いで着替えていく。垂れた前髪が邪魔で、藍歌からもらった前髪クリップで上にまとめれば先輩に二度見された。


「なにそのくそ可愛いピン止め」


「まって、タオルも」


「小物が全体的に女子なんだが」


「岡野って姉ちゃんいる?」


一人っ子っす、と返事はしつつも濡れたタオルなどを袋へ突っ込んで、さっさと荷物をまとめる。たむろしているメンバーを尻目にお疲れ様でした、と離れた。どことなく急く様子に興味がそそられ、レギュラー陣が揃ってその行方を追った。ドアを半開きにして覗き込む程度で、なにも期待はしていなかったが、真がフェンスの向こうの女子に声をかけているのを見て、一気に場は盛り上がる。


「まって、美少女いる!岡野のファンってこと?!」


「ばっか、普通に彼女だろ!まって中一で彼女?!」


「落ち着け、落ち着くんだ!姉ちゃんとか妹とかだろ!」


「さっき一人っ子って言ってたじゃねぇか、あっあっ距離近い!」


遠くなっていく真と藍歌の背中を見つめながら先輩たちはトーテムポールになりながら騒ぎたてて、一年生をも巻き込んで真の恋愛事情の取り調べがなされた。おそらく次の部活で真が取り囲まれ尋問されるだろうことは目に浮かぶ。


そんなことは露知らず、真は雨なのに来てたのか、と余計なことを言ったばかりに藍歌にレインブーツと傘の可愛さについてひたすら語られていた。普通の靴に見えるが撥水タイプだとか傘は水族館のもので気に入っているなど、そんな話だ。


「補欠だから~とか言ってたけど来てよかった。試合に出たの見れたし」


怪我しちゃった人には申し訳ないけど、と藍歌がもどかしそうに言うので、真は先輩の怪我が大したものではないことを伝える。安静にしておくのも精々一週間やそこらで、次の試合には十分間に合うので、真のレギュラー入りが決まったわけでもなんでもない。


「だから、別に次の試合は・・・」


「今日の試合みて監督が岡野使えるじゃん!って評価あげたかもしれないでしょ」


見に来なくていい、と言い淀む真に藍歌が不思議そうにそう言った。


「次の試合にはレギュラーに入ってるかもよ、補欠くん」


そう笑ったので、真は黙って頷いた。



結局、藍歌のいうとおり、補欠期間はその時だけだった。

一年生レギュラーとなり、練習は忙しくなった。ポジションを奪われた形になった三年生のFWとは少し微妙な関係になったが、もとより気の良い先輩だったので険悪ではない。やっかみがないわけではないが、面と向かってなにかを言ってくる者はおらず、真にはなんの障害もない。


「あの、真くんいる?」


より正しく言うならば、知らない女子によって呼び出される、その頻度がこれ以上増えなければ、なんの障害もないと言えるだろう。


「真くぅ~ん、呼ばれてるわよぉ~」


「・・・・・・」


そのふざけた声かけに、一瞬の沈黙が教室を包んだ。直後、周囲の男子によって囃し立てられ、真は長いため息を吐いた。呼ばれるがままに入口へ向かえばそこには顔を真っ赤にした女子生徒が待っていた。囃し立てられるのが嫌ならば何故直接呼出しにきたのだろうと思う。しかも中継ぎに別の男子に声をかけるという悪目立ち。手紙とかならば無視できるのに、と真は女子に怒られそうなことを考えた。


(まぁ、集団じゃなくてよかった・・・)


友人同伴だった場合の面倒くささは、すでに経験済みであった。そんな憂鬱な記憶をめぐらして女子へ着いていけば、人気のない廊下で立ち止まる。向き合う立ち位置になり、沈黙が落ちるが、ここで真が何か声をかけてしまうと泣かれることが多いので黙っている。すでに過去二回ほどやらかして頭を抱えた。


「あの、好きです」


案の定、告白だった。一年生レギュラーというのはインパクトがあったのか、急にこうした呼び出しが増えた。それが唯一レギュラーになったデメリットだ。女子で集まって真をチビと評していた人間が前から気になっていたと言ってくることは素直に気味が悪い。そう言った真を藍歌は否定しなかった。だが苦笑いだったことが、真の中で引っかかっていた。


「あたし分かりやすいから、バレちゃってたかもしれないけど・・・」


(部活行きてぇ・・・貴重な運動場使える日だし)


「よかったら付き合ってほしくて」


(そろそろシューズ持って帰って洗ったほうがいいよな、後はユニフォームと・・・)


「あの、返事なんだけど・・・」


「あぁ、悪い。付き合うつもりはねぇ」


はっきりと返事をする。興味ねぇとか嫌だと言うと後で女子の集団に文句を言われたことがあるから、言葉には気を付ける。ただ曖昧にするとしつこく粘られるので、その塩梅が難しいと舌打ちをしたくなる。そして、残念なことに今回も女子に食い下がられた。


「な、なんで?理由は?お試しでもいいんだけど」


「・・・興味ねぇし、サッカーに集中してぇ」


「あたし絶対真くんの邪魔しないよ、サッカー優先でいいの」


「いや、サッカーしかしたくねぇって言ってんだわ」


サッカー優先は当たり前だ。なぜ交換条件みたいになっているのだろう、と真は不思議に思った。目の前の女子は期待を裏切られたと言わんばかりの真っ青な表情で、どことなく震えてさえいた。その理由を察することは真にはできなかった。長引くやり取りに気を遣うという意識がどんどん薄れて面倒になっていく。まさしく今が、サッカーをする邪魔をしている時間だ。


「つーか、誰だよお前」


やはり泣かれたが、もうどうだってよかった。真は一瞥もせずに運動場へ向かった。



「お前学年一可愛い子フッたんだって~?」


「誰っすかそれ」


「いや俺も知らんけど。一年が騒いでたぜ?」


地べたで胡坐をかきながらボールを磨いていれば、三年生に声をかけられて顔を上げる。軽い揶揄いの声だったが、真の反応が鈍いからか、すぐに諦めたらしい。持ってきてくれた新しい雑巾と交換し、先輩も隣でボールを抱えた。


「お前が彼女作って浮かれるようには見えんけどさ、一応忠告しとこうと思ってな」


「忠告っすか」


「二年生で今残ってる奴等以外は彼女作って退部したからな」


「恋愛禁止ってやつっすか?!」


いきなり二人の間に割って入ってきたのは一年生であり真と同じクラスメイトだった。分かりやすく明るい性格で、真にも先輩にも物怖じせずにどんどん声をかけてくる男だった。軽い印象通り恋愛にはしっかり興味があるようで、真剣な表情で先輩へ詰め寄っている。


「禁止じゃねぇよ、ただ皆、彼女と部活との折り合いが悪くなったらしくてな」


「私とサッカーどっちが大事なの!ってことっすかぁ?」


「そうそう、去年も地区大会いいとこまで行ったからさ。急にモテたんだよな」


地区大会優勝チームとして朝礼で表彰されたのは今週の話なので記憶に新しい。真は納得した。去年の雪辱を果たしたと三年生が軒並み泣いていたし、真はいい仕事をしたと構われまくった。同じテンションでは騒げないが、褒められたのは素直に嬉しくて、結局いつもの調子で何も言えなかった。


「大会期間中に彼女優先して練習こなくなったりした奴もいてさぁ、それで優勝できなかったとは言いたくないだろうけど」


「土日大体試合で潰れますもんね!」


「ばっか、今年は地区代表だぞ、練習尽くしだ。都県予選突破して関東大会いくぞ」


「そこは全国って言ってください」


真自身は当然全国に行きたいと思っているのだ。そう考えて口を出せば、先輩はボールを磨く手を止めてもごもごと言いづらそうにした。ううん、と唸っている先輩の隣で、恋愛禁止じゃなかったー!と笑っているクラスメイトは能天気なものだ。関東大会だの全国だのとなれば土日どころか部活の練習は毎日になるはずだ。学校側も対応が変わってくるだろう。


「岡野、言っとくけど地区大会優勝も十分凄いんだぜ?」


磨き終わったボールを籠へぼすぼすと入れていると、先輩は眉を八の字にしてそう言った。苦笑い、ともいえるが真には上手く表現できない表情だった。藍歌ならばもしかしたら、諦観、と言ったかもしれない。


「お前には通過点かもしんねぇけど」


先輩は思いのほか優しい声でそう言って籠を押していった。倉庫へ先に入っていった同級生に邪魔だ~!と声をかけているのが響く。真は何故か突っ立ったままでその背中を見送ってしまった。


嫌味だとか皮肉だとか、悪意のある言葉ならば捨て置けた。激励とか称賛ならば受け取れた。先輩の言葉はよくわからなくて宙に浮いたままだ。


土曜日、都県予選は来週のため、久々に藍歌と公園で会える。

藍歌は午前に授業なので落ち合うのは午後なのだが、真は午前からボールを蹴っている。本当ならばせっかく大会が順調なのだから土日も部活にしたい。そう部長は言っていたが中々難しいらしい。真に大人の事情はわからないが、なんとなく小学生の時に真がサッカークラブにいけなかった理由が浮かぶ。金と大人のボランティア。


地面に足先でザリッと線を書く。梯子になったそれを跨いで、藍歌に調べてもらったラダートレーニングの一連をこなしていく。遠くで子供が遊んでいるのが聞こえて、今日は広く走り回るのはできないな、と考える。基本的に人の少ない公園だが、遊びに来る子供がいないわけではない。


じわりと額から汗がにじみ出て、身体が温まるのがわかる。冷めぬ内にドリブルをして、と練習に集中していれば着ていたシャツは汗でべっとりと濡れていた。その時になって水分とれ、休憩しろ、という藍歌の声が思い出されて仕方なく水飲み場に向かった。


公園中央にある時計を見ればもう昼になる。空腹に気づかされて、水で誤魔化した。


普段も昼飯はほとんど藍歌の差し入れをアテにしていて、家に一旦帰って昼飯を食べるなどはしていない。それは家に帰っても冷凍チャーハンしかないことも理由だが、一番は藍歌と入れ違いになりそう、というのが気になって仕方ないからだ。真はいまだにスマホを持っていない。


そろそろ部活でも必要になってくるので真も両親に要求してみたものの、すぐに購入とはいかなかった。濁した返事で、もう少しまって欲しいと言われている。真も絶対欲しいというわけではないし、無ければ無いで煩わしいことから逃げられるとも思っている。ただ、机に貼ったメモが気になるだけだ。


「真!お待たせ!お昼食べてないよね?!」


背後から飛び込むようにやってきたのは藍歌だった。走ってきたのか息が切れている。ちらっと見た時計はいつもより早い時間を示していて、何故急いでいるのか首を傾げた。


普段から食べていないが、今回は藍歌から先に食べるなと指示されていた。それが原因だろうか。レギュラー入りのご褒美たるおにぎりを持ってくるのだと真は期待していたが、制服姿の藍歌はスクールバック以外手ぶらだ。アテがはずれたか、と思っていると藍歌はさぁ行くぞ!と背中を向けた。


「どこ行くんだよ」


「私の家!母さんもいるけど気にしないで!走るぞ!」


「おい、なんで!」


スカートであることも気にせずに走り出す藍歌を追いかければ、ストライドの違いが明確になって悔しさがにじむ。大きなスクールバックにスカート、軽く走っている藍歌だが真が息を切らすには十分の速さだった。


「よし、いらっしゃい!今日はおにぎりパーティよ!」


藍歌を追いかけるのに集中して、ようやく着いた一軒家。表札の北見の文字に、藍歌の家だとわかる。新築ではないかもしれないが、古くささはない。門から玄関までの短い距離にいくつも植木鉢がおいてあり、そのどれもが花を咲かせていた。


「あらぁ、いらっしゃい。あなたが真くんね!いつも娘がお世話になって~」


「お母さん、そういうのいいから!」


藍歌にも藍歌の母親の勢いにもついていけず茫然としたままの真は背中を押されて、キッチンらしき場所へ誘導された。理解が追い付かないままに椅子へ座らされ、目の前にずらっと並んだ皿たちを眺めることになった。とりあえず出された冷たいお茶を飲んで、どういうことか説明を求めれば、藍歌はいつのまにかエプロンをつけて手を洗っていた。


「レギュラー入りのご褒美する前に地区大会優勝もしちゃったから豪華にやろうと思ったのよ、おにぎりは小さめに握るから食べたいやつリクエストして」


机にどんっと置かれた炊飯器の内釜から白米が湯気をたてていて、藍歌は切るようにして杓文字を動かし飯をひっくり返す。並べられた小皿にはちょっとずつおにぎりの中身が乗せられているようだった。水だの塩だのが準備されていて、何気なく真が目の前の昆布を指差せば藍歌は慣れた手つきで昆布入りのおにぎりを握っていく。三角がいい?俵がいい?と聞いてくるサービスつき。目の前の白い皿へ、あっという間に昆布のおにぎりが置かれた。見慣れない光景に真は驚きと感心で包まれていた。


「寿司屋の大将みてぇだな」


「ばかにしてる?!この可愛いエプロン見えてらっしゃらない?!」


淡い緑と白のエプロンはまるでワンピースのようで、藍歌はこのプリントがカワイイのだと主張するが、真は空腹が限界であったためひたすらにおにぎりを食べた。藍歌の用意したおかずのほとんどが真には未知であり、これは何かと尋ねては食べるを繰り返す。真はおにぎりはコンビニのおにぎり以外食べたことがない上、基本が普段の食事もコンビニ弁当ばかりだ。炊きたてのご飯さえもはじめてだった。


「美味い。ねぎ味噌もう一個」


「はいはい、ていうか豚汁もあるから」


おにぎりばっかりじゃ飽きるでしょ、と言われたが味が変わるのに飽きるはずがない。飽きるというならば、真の普段の食生活のほうだった。以前藍歌に食に興味がないのね、と言われた意味が今ならばわかる。母親が買ってくる弁当も冷凍チャーハンもコーンフレークも、毎回基本的に同じ種類と味だ。それは選ぶ、決める、という判断を切り捨てているからだ。真自身、そういう節があるため理解ができる。


だが今、おにぎりの具材を選ぶ、という行為は楽しいと思えた。


「シマエナガおにぎり~」


「美味い、鮭か」


「頭からいった!もうちょっと眺めて味わってよ!可愛いでしょうが!」


シマエナガが何かわからないが、カワイイのだな、と真はインプットした。すでに腹は八分目を越えたが、おかわりしてしまった豚汁はたっぷりと大根とにんじんが入っていて、美味しい。豚の油と味噌の優しい甘味と温かさがじんわりと広がる。それが、なんだか良いものだと思えた。藍歌が時折うるさくなる、栄養バランスだとか、野菜を食べろという言葉が、今さら実感として染みた。


「・・・やっぱ野菜とった方がいいか」


「家庭科の教科書あるでしょ、心配なら見直してみたら?」


その言葉に真は素直に上の空だった家庭科の授業を思い出して、教科書を見てみようと思った。藍歌は少し呆れたような顔をして、自分用の豚汁を手に真の前の席に座った。


「あんたの家、インスタントの味噌汁くらいはないの?身体温めるのも大事よ」


「・・・ふっ、俺の家の冷蔵庫みたらお前叫ぶぞ」


藍歌の家の冷蔵庫とキッチンを見るまでなんの違和感もなかったが、こうまで容量に差があれば、藍歌が騒ぐ様子はありありと脳裏で描けた。真にはそれが面白かったが、藍歌は何を想像したのか苦い顔をしている。


「あ、そういえば。改めてレギュラー入り&地区大会優勝おめでとう!」


藍歌は器を置いて拍手をした。真はくすぐったいのを隠して頷く。


「夏の大会に一年生をいれるってかなりギャンブルよね、凄いのでは?」


「凄いらしい。インタビューでも言われた」


「インタビュー!」


「地元の新聞。公立の学校が勝つって中々ないからって」


反応の大きい藍歌は、まるで小さな子を応援するように凄いと褒めた。頑張ったね、また試合見に行くね、と嬉しそうに自前のスケジュール手帳を取り出した。真は試合の日程を思い出しながら伝える。


「次の試合会場は遠いから来なくていい」


「スマホで調べれば行けるって!スポーツ公園?広場?どこだここ」


「一回戦、二回戦は平日だ、お前の学校は休みになってないだろ」


「う~ん・・・一回戦で負けたらどうするのよ」


見れないじゃん、と言いにくそうに真を窺う視線に、なんと返事するか迷った。負けない、と言い切るのは簡単だ。負けたら、なんて想定するのはなんだか気持ちの面で既に負けているようにも思えて避けていた気もする。


「負けたら」


大会が終わって、夏休みの部活は希望者だけになるはずだ。

練習は今より減るし三年生は引退するだろう。

地区大会優勝も十分凄いと言った先輩の苦笑いを思い出す。通過点と言えばそうかもしれない。ただ真は、それでは満足しないというだけだ。


「負けたら、練習付き合ってくれ」


手を合わせてご馳走様、と頭を下げた。藍歌はわずかに瞠目して、すぐに溶けるように笑った。


「いつも通りじゃん」


お粗末様でした。藍歌は残った米も全ておにぎりにして、いくつかは保冷バックとともに持ち帰らせてくれた。玄関まで見送りに出てきた藍歌は門を挟んで、拗ねたような眼差しで言った。


「また土曜日にね。勝ってよ、応援行かせてね」


藍歌にしては珍しく、まとまっていない言葉だった。その脆さのある声を吹き飛ばすように真は強く返事をした。都県予選を勝ち抜いて、関東大会出場を決めたと土曜日に伝えるのだと決めていた。



7月の下旬、真の中学は夏休みに入っていて、平日に大会の試合が組まれていた。各地区代表の学校同士でぶつかり、上位二校が関東大会への出場権が与えられる。流れはわかる。学校数が多いのもわかる。何回勝てばいいのかもわかる。対戦校の名前もわかっている。


そんな表面上の事柄は頭に入っていても、負ければ終わりという実感は薄い。


朝一番からの試合だった。終わって帰ってきてもまだ日は高い。帰宅しても気持ちは落ち着かず、時間が経てば経つほど遅れてきた感情が手に余った。いつも通りボールを持って公園へ行ったが、何故か身の置き場所に困った。


普通に蹴って、ただ走ればいいだけのはずなのに、とうろうろとして、結局足はいつの間にかおにぎりを食べた日の藍歌の背中を追っていた。


「・・・真?」


家の前で座り込んでいる真を見て、藍歌は恐る恐る確認するように名前を呼んだ。一体いつからここにいたのか、と問われているような声に、そういえばいつから座り込んでいたか、と真は考えようとして止めた。


「まさかずっと玄関に?私が帰って来る時間とかわかんないのに?!」


「負けた」


待っている間に考えていた言い訳染みた言葉は全部消えて、端的に事実だけが口から出た。その言葉に藍歌は動きを止めて、うん、とだけ頷いた。座り込んでいる真の前にしゃがみこんだ藍歌は冷えるよ、と手を出した。わざわざ伝えにこなくても、便利なスマホで結果ぐらい知っていたかもしれない。もし勝っていたら、夏休みに入って試合を見に来るつもりだったかもしれない。


「二年生だ」


「うん」


「来年の関東大会の試合を見に来い」


「何、それまで私に見るなって?」


仕方がないものを見るような微笑に、無意識で真は安堵した。藍歌の手を取って立ち上がり、地べたで冷えた尻を叩いて汚れを払った。家へ上がっていけという藍歌の提案を断って、帰ろうとしたが、あれよあれよと丸め込まれていつの間にか食卓につく流れになっていた。


楽しそうに紅茶を入れるカップを選び、お客様用の茶菓子を薦めてくる。初めて飲む紅茶に恐る恐る口をつけ、その優しい味に真は肩の力を抜いた。キッチンで夕食の準備をする藍歌の母親と並んでくるくると動きながらも、花蓮がね、このお菓子がね、と藍歌は真の知らないキラキラとしたカワイイものの話をする。


常々、藍歌の世界は真よりももっと輝かしいもので満ちているのだと思う。サッカーボール一つで出来ている自分の白黒の世界ときっとまるで違う。


(・・・まぁ、悪くないっていいそうだけど)


彼女は何故か真のことも時折カワイイというので、ボール一個でできた世界にも何かを見出すかもしれない。藍歌は真が見えていない大事なものをそっと教えてくれるので、きっと。


岡野真:可愛いの基準がすべて藍歌になった男

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