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小学生編

と~おい過去の記憶で書いています。

現在の学び舎事情もあんまわかってませんしそもそもサッカー知らんす。

有識者の方々は半笑いでどうぞ。


「いまどき俺様とか流行んねぇんだよ!ばーか!」


「意味わかんねぇけど悪口なのはわかったぜ!」


今日もまたつまらん喧嘩をしてしまった。


藍歌は小学生らしくない重たいため息をついた。その哀愁漂う姿に母親がなんと声をかけていいか迷っているが、それにも気づかない。少女は高速で編み棒を動かし、ダイナミックにマフラーを編んでいく。凝ったデザインにしたいが、まだそこまでの腕はないので緑単色、ゴム編みである。


「藍歌ちゃん、藍歌ちゃん、そのマフラーめっちゃ長くない?」


「・・・あっしまった」


母に声をかけられて気づく。無心で編み続けたマフラーは2メートル近い。自分用のつもりだったが、これでは長すぎて使いにくい。仕方がないので父にあげよう、と完成のために毛糸を処理していく。


「学校でなにかあった?」


「別に~、また男子と喧嘩しただけぇ」


「わかった、またマコトくんだ」


拗ねた物言いをする娘にピンときた母が言い当てれば、なんともいえない藍歌の表情。しわしわとしたハムスターのような顔に、母親は少々たじろいだ。小学生特有の甘酸っぱい照れ隠しの要素が皆無だった。本気で嫌がってそうだな、と思ったので揶揄する方向で会話をするのはやめた。切り替えた気持ちは会社の女子会だ。


「この間その岡野がさぁ、また掃除さぼって帰ろうとして」


「うんうん」


「掃除当番サボってまでサッカーの自主練なんてそんなに下手なのかって言ったら喧嘩になって」


「うーん・・・」


「そりゃね、私も嫌味は言ったけど。サッカーするから掃除サボっていいわけないじゃん」


「それはそうねぇ」


「だから、サッカーでタイマンすることになって」


「なんで???」


あなたサッカーできたかしら、なんて母親が尋ねれば藍歌はツインテールを揺らして少しだけ、と言った。手に持ったマフラーをくるくるとまとめて机に置き、編み棒と余った毛糸を片づけた。あとは部屋へ持っていくだけ、という段階で重く口を開いた。


「それで、勝っちゃったの」


「あらぁ・・・岡野真くんって保護者会でサッカー強いってきいたことあるわよ?」


「うん、エースだって。でもアイツちっさいから」


言いづらそうに、呟いた言葉に納得する。男子よりも女子のほうが第二次性徴の時期が早いとはいえ藍歌はすらっと手足が長く、身長も普通より高い。岡野真という男子が成長の遅いタイプならば、大人と子供の体格差になるだろう。そうであればもしかしたら勝てるのかもしれない。


「そしたらアイツ毎日勝負挑んでくるの!しかもお前もサッカーやれとか言うし!」


丁寧に整えた眉を吊り上げて、藍歌は苛立ちで吠えた。母親はなんといえば良いか、と困ったように腕を組んだ。最近お気に入りのスカートや靴下が汚れていたのも、制汗剤を買ってほしいとねだられたことも、その岡野真とのサッカーが原因らしい。いじめのターゲットになったのでは、という疑惑は晴れたものの、彼女が悩んでいるのは本当のようだ。だが親が割って入るには微妙な悩みである。


小学生高学年というと男女間の力関係が難しい時期なので、安易に放置はしたくないが、と唸る母親を見て、藍歌は気を遣うように笑った。話を聞いてくれてありがとう、と言って編み棒や毛糸を抱えて立ち上がった。


「ちょっとすっきりした!そのマフラーお父さんに渡しといて!」


「それはアンタが渡したほうが喜ぶわよ~」


階段を駆け上がっていく背中を見送り、机に放置されたマフラーにため息をついた。ありがとうと素直に言えるくせに直接プレゼントを渡すのは照れ臭いのだろう、と母親はスマホのカメラを向けた。父親へは写真とメッセージを送っておいてあげよう。


自室へ飛び込んだ藍歌は、ベッドで三角座りになって落ち込んだ。


「また前世のメンタルのままに愚痴を言ってしまった・・・」


端的にいうと藍歌には、前世の記憶があった。

自分の妄想かもしれないという疑いが消えないので誰にも言ったことはないが、確かに社会人として働いていた記憶がある。そこまで鮮明な記憶でもないので、自我が前世からの地続きだとは思っていない。


ただ、純粋に小学生という自意識ではない自覚はある。ふとした瞬間に前世の知識や価値観がのぞくのだ。貰ったプリントをみてExcelの設定間違っているのでは、と思ったり、先生を放課後にみかけてサービス残業かな、と考えてしまったりする。


母親とは前世の藍歌と年齢が似通っていて、まるで対等のような気持ちになってしまう時がある。それが奇妙ではないか、とたまに背筋が冷たくなるのだが、今のところ怪訝な視線は向けられたことはない。大体のことはあらあらと許してくれる両親には感謝しかない。


「パジャマ!化粧水!ヘアトリートメント!ヘアオイル!よしっ」


気を取り直して藍歌はお風呂の準備だ、と持ち物を指差し確認した。高いところでツインテールにした髪の毛をほどいて櫛を通す。その指通りに満足して、口元を緩ませた。自分の容姿に手をかけるのは楽しい。


前世の藍歌は、良い風に言うとサバサバした女だった。

悪い風に言うと自称サバサバ系から抜け出せなかった女だった。

これは小学生の現状でも理解できる。今まさに自分が直面している事態でもある。身長が伸び、運動ができ、ショートカットになった時に女子グループの中で王子様枠、そんなものに収まった。


精神的に大人になるのが一足早い女子には周囲の男子がろくでもないガキに見える時期、それが小学生だ。そんな中でボーイッシュな女の子は理想の存在に祭り上げられた。そこから抜け出せなくなったのは、殊更に藍歌が臆病だったからだ。


王子様役も楽しかったのだ。格好いいねと言われてちやほやされるのは気持ちよかった。多少ガサツでも許される男っぽさは楽だった。だが、そんな状態が長引くと、今度は女子っぽいアイテムに手を伸ばすのに躊躇した。髪の毛を巻くとか、化粧とか、フリルとか、周囲の女の子が夢中になっていくものが、自分に不釣り合いなものだと感じていく。そこから抜け出すきっかけを逃した。意外、と言われるのが恥ずかしくて遠ざけた。


だが、大好きだったのだ。可愛いものに私も夢中になりたかった。

今だって好きだ。ロングヘア、ツインテール、フリルのスカート、編み物、刺繍、料理、今世は絶対に可愛いに素直になる。そう藍歌は決めている。


(ぬい撮りだってネイルだって制服ディズニーだって!絶対今世はする!)


自分に前世の記憶があるのは、このためだと思っている。後悔と未練、それらを今世で払拭する。


(なのに岡野あの野郎~~~!!!)


藍歌は脳内でチビのサッカー小僧、岡野へ渾身の蹴りをいれた。



前世の記憶があるとしても、小学生の生活はそれなりに楽しい。趣味に邁進するため習い事などもしていないため時間は豊富。少ないお小遣いでキラキラのラメペンを買って、可愛いメモ帳に手紙を書いたりする。そして少し派手で流行に敏感な女の子はキラキラした雑誌を広げてみんなに囲まれるのだ。


「ねぇ、みんな欲しいものない?」


凝った編み込みにしたりいつもヘアアレンジに余念のないクラスメイトが、雑誌を掲げる。どうやらその雑誌には通販カタログが付随していたようで、水色やピンクで溢れた小学生向けの可愛いアイテムの写真がずらりと並んでいた。送料を浮かしたいからなにか買わない?というお誘いだった。元の値段が安いため送料無料までのハードルが高いらしい。


そんなの欲しいに決まってるじゃん、と周囲の女子が一斉に群がった。先生に見つかると金銭のやり取りを注意される可能性があるのは、全員承知の上なので、できるだけ静かに騒いだ。もちろん休憩時間なのだから賑やかでも問題はないのだが、女子に構われたい男子が茶々をいれてきたら面倒になる可能性が高い。


「みてみて、前世占い。私は小鳥だった!」


「選択肢4つしかないじゃん、私犬~」


「このビーズのヘアゴム欲しいけどこんなにいらないから分けない?」


雑誌の後ろの方ページにある前世占い、yesとnoを選んでいくとあなたの前世はこれ!と4つほどの動物の名前がかかれていた。その回答にくたびれたOLなんていう色褪せたものはない。お遊びなのだから当たり前だが、藍歌は笑ってしまう。ちなみに藍歌は4つの内おそらく小学生女子のハズレ枠である池のカエルだった。


「藍歌ちゃんは、きゃっ」


ぼすん、と背中に何かが当たり、振り返る。近くにいた女子は驚いて肩をすくませた。彼女を庇うように藍歌は立ち上がり、ボールをぶつけてきた男子を睨み付けた。日頃の恨みも込めてだ。


「岡野あんたねぇ・・・」


「おい、サッカー部の練習いくぞ」


「まずボールをぶつけたことを謝れ、そして私は手芸部」


「昼休み終わるだろ、外でろ」


「お?殴り合いのタイマンがお望みか?」


この小学校の部活動とは水曜日五限目にする授業のことで、それ以外の活動などは部活ごとによる。熱心な運動部などは放課後も練習などをしているらしい。おそらくサッカー部もそうだと思う。藍歌には関係ない話だ。手芸部は授業のコマ以外で活動をしていない。


「そんなヒラヒラした格好じゃサッカーできねぇだろ、ジャージにしろよ」


「だからしないって言ってるでしょ!聞け!」


なぜ昼休みを潰してサッカー、午後の部活の時間もサッカー部と決められているのか不思議だ。当然だろ、と言わんばかりの顔の岡野だが、毎週同様のやり取りをして毎週藍歌はちゃんと手芸部へ行っている。


慣れっこな周囲は、すっかり二人を放置して雑誌に夢中だ。つまらない揶揄いさえないのは、この二人が毎回口喧嘩よりもサッカーで対決している時間のほうが長いからだ。当初こそ夫婦喧嘩だのなんだの言われたものの二人がまったくそれらの囃し立てに取り合わず二人だけで喧嘩をしているため飽きられた。


「あんたこの間靴踏んだでしょ!下手くそ!」


「下手じゃねぇ!踏むまでいってねぇし、白い靴なんか汚れるに決まってんだろ!」


藍歌は押し問答が面倒になって運動場へ出た。昼休みだけだ。最早お馴染みのパターンなので、クラスメイトは手を振って見送った。愛歌はお気に入りの水色のラインが入った白い靴でボールを蹴り上げた。何度も付き合わされたのでトラップぐらいできる。最近は器用さを発揮してリフティングも中々続くようになってしまった。だが相変わらずルールはサッカーの授業程度でしか知らない。


「1ゴールだけね!私が抜くから」


「今日こそ抜かせねぇ」


運動場の端っこ、ゴールが置かれている前に立って確認する。藍歌が最初にボールを蹴り、ゴールを目指す。ゴールできたら藍歌の勝ちで、彼女からボールを奪えたら岡野の勝ち。二人の対決はずっとこの形だ。


当初は岡野のボールから始まり、藍歌がゴールを守る形にしていた時もあったが、小さくてすばしっこい岡野がドリブルをすると藍歌では当然止められない。タックルしてでも止めてていいなら話は違うが、一応真面目にサッカーをしている人間に無用な怪我はさせられない。それで岡野の勝ちね!と話を終わらせなかったのは当の岡野だ。眉間に皺をよせてこれじゃない、と言い続けるので藍歌も仕方なく妥協してこの形になった。


藍歌は特別技術があるわけではない、素人だ。だが前世で運動部に所属していた分、身体の使い方はきっと上手いのだと思う。体格や身長が有利であるのもある。今まで岡野に勝ってきたのは岡野よりも長い手足でボールを触れさせない立ち回りをしていたからだ。もしくはたまに岡野が勝っても岡野自身が手を抜いただろうと難癖をつけてきて納得しないからだ。


(岡野が飽きるまで振り回されるのって最悪)


藍歌は足裏でボールを止めながら、タイミングをみて足の甲へ移動させ、そのまま前のめりに走った。進路を邪魔しにきた岡野がボールを奪おうと足を差し入れてくる。藍歌は岡野と目を合わせて、右足から左足へボールを移動させて避けた。


「くそっ」


体幹のしっかりした藍歌は岡野のプレスではぶれない。岡野はそうなるとその俊足で藍歌に前へ回り込んでボールを奪うしかない。土煙があがって、岡野の足はボールに触れる。藍歌は力いっぱいボールを蹴り込んだ。


「はいっ終わり!私の勝ち!」


岡野はつま先をみつめ、ボールの軌道が結局大して変わらなかったことに不満そうだった。藍歌はやはりパワーがものをいうな、と鼻息荒く頷いた。まだ勝てる、と思ってドヤ顔を披露して振り返れば、負けたはずの岡野は相変わらずの無表情だった。悔しいって顔が見られずに不満だが、いつものことだ。どうせもう一勝負と言われる。それを藍歌は断って、残りの昼休憩で汗を拭って髪の毛などを整えるのだ。


「サッカー部はいれよ」


「私が入ったところで何になんのよ、あんたこそそんなにサッカーしたいなら部活じゃなくて地域クラブとかユース?っての行きなよ」


「・・・そーだな」


藍歌は教室へ向かいながら、軽口として提案したのだが返事は小さく、呟くようなものだった。不思議に思って振り返ったが、岡野はボールを抱えたまま突っ立っていて着いてくる様子はない。首を傾げたが、どちらにしろ、この後は部活の時間だ。彼はこのまま運動場にいて部活動の時間を迎えるのだろう。藍歌は予鈴のチャイムに背中を押されて教室へ走った。


手芸部の活動は自由なものだ。

先生も一人だけで、編み物を教えてくれる。手芸という範囲なのに編み物一択だったのは、先生が教えられるものがそれだけだったからだろう。希望すればミシンなども使用させてくれるだろうが、前世の記憶をもつ藍歌には小学生にミシンを委ねるのは少し怖いのは理解できる。藍歌は編み物だけで不満はなかった。


「あ、岡野くんいますよ。藍歌ちゃん」


「んー?サッカー部だしいるでしょ」


対面の同級生は窓の外を指差して、岡野の名前を出した。何故私を呼ぶのか、という疑問が擡げつつも藍歌はおざなりな返事をする。


ほとんどの部員がマフラーを編んでいる中、藍歌はぬいぐるみに挑戦中。鍵針は部活で用意がないため棒針だけで編んでいく。編む範囲は小さいくせに形が難しく、手元から視線を動かせないぐらいに集中していた。


「岡野くんって恰好いいよね」


「ん?んー」


「他の男子と違って騒がないし、クールじゃないですか?」


「花蓮ちゃん、奴と私の喧嘩見てないの?アイツ全然クールじゃないよ」


無表情な塩顔ってだけよ、と流石に物申したくて顔を上げた。だが小さく笑われただけだった。バカにしたようなものではなく、小学生には似つかわしくない大人びた笑みだ。花蓮は隣のクラスなのでもしかしたら藍歌と岡野の喧嘩を見たことがないのかもしれない。そう思い、えらそうだのしつこいだの例を挙げて言い連ねたが、花蓮の微笑みはより深くなるばかりだった。


(この子も実は前世の記憶があったりするのかしら・・・)


「岡野くんサッカーしか興味ないんですね、藍歌ちゃんいいなぁ」


ならサッカーしない私にも興味ないよ、と言いかけて、飲み込んだ。もしも花蓮が岡野を好きならば余計な一言でしかない。その場合岡野にちょっかいをかけられている藍歌は嫉妬の対象だ。小学生でも男女の三角関係になると面倒極まりない。先に好きになったのは私なのに!などと言われたらどうしよう、といらぬことを考えて気まずくなる。


ちらっと花蓮を窺うが、その表情は穏やかなものだ。その視線を追って運動場を見下ろせば、サッカー部が試合をしているのが見えた。ボールが転がってわーっと集まり、誰かがボールを蹴り出してわーっと追いかける。途中で疲れた何人かがぽつぽつ歩いて、ゴールキーパー役の子はしゃがみこんで休んでいる。


「・・・お団子サッカーじゃん」


「ふふ、岡野くんだけ飛びぬけてるよね」


小学生だし、こんなものかと思う。お団子からこぼれたボールを素早くトラップして、皆を置いてきぼりにする速さでドリブルしていく。そしてそのままなんの障害もなくゴールネットを揺らした。花蓮の言う通り、岡野一人だけが飛び抜けて上手いのがわかる。


「ちなみにゼッケン6番のぼぉ~っとした子が私の弟」


「あのゴールキーパーの子?弟いたんだ!」


思わず窓から乗り出して凝視した。ふわふわした天然パーマが可愛いな、と思った。花蓮もゆるふわパーマが可愛い子なので、少し羨ましい。花蓮をみれば最近頑張ってるの、と言った。


「ダイエット」


「は?なんでダイエット」


遠くからであまりわからないが、たしかに着ているビブスがきつそうかもしれない。一つ下の学年だというのに、岡野よりも大きい身体に見えた。


「男の子だし、ちょっと太ってても一気に身長になるでしょ」


「お母さんもそう言ってた。でも気になるんだって」


「・・・好きな子ができたとか?」


「教えてくれないんですよね」


花蓮は残念そうにそういった。藍歌は適当にわかったら教えてね~とだけ言った。最後に運動場を一瞥して、手元へ視線を戻す。ぬいぐるみはようやく手足ができた。開けた窓から入って来る風が緩やかに揺らす花蓮の髪がやっぱり可愛くて、私も毛先にパーマを当てたいなと思った。


(それにしても、岡野つまんなさそうだったな)


好きなサッカーの時間のくせに、と不思議に思ったのが記憶に残った。


その答えを理解したのは、数週間後の同じく部活の日。放課後、ランドセルを背負って帰る途中、前にいたのが岡野だった。傷だらけの黒いランドセルにサッカーボール。ボールは足元にあったが、ドリブルというほどの激しさはない。歩きながらボールを転がしているだけで、その足取りに危うさはない。


「サッカー部は放課後練習しないの?」


無視をするのも感じが悪いかな、と思い後ろから声をかけた。振り向いた岡野は、瞠目して固まった。なんだか近所の野良猫のように見えた。黒くて小さくてこちらに無関心そうに見えてしっかりこちらを気にしている様子がそっくりだ。


「あんな奴らとサッカーになるわけねぇだろ」


「あらら、ひどい言い草」


「体育の授業と変わらねぇ、やる気ねぇおままごとサッカーだ」


岡野は顔をゆがめて不満そうだった。周囲を切り捨てる物言いに、まったくもって偉そうな、と藍歌は呆れてしまう。だが今日みたお団子サッカーが常なのだとしたら、そうなってしまうのも仕方ないのか。


「じゃ一人で自主練?」


「・・・腹が減るからしねぇ」


「お腹減っても帰ったらすぐ夕飯でしょ」


まぁ防犯的には寄り道しないで帰るほうがいいか、と思ったが小学生など遊び盛りだ。勿体なく思わないのだろうかと藍歌は不思議そうに首を傾げた。


「放課後までサッカーしたら弁当一個じゃ足りねぇだろ」


「弁当?岡野の家って夕飯弁当なんだ」


「あ?弁当だろ、スーパーとかの」


「いや、うちはお母さん自炊するよ」


沈黙が降りた。そうなのか、と意外そうに岡野は言った。自炊の想像がついてなさそうな姿に、藍歌はなんだか心配になってしまった。彼女の頭に浮かんでしまった虐待という可能性を払拭したくて、冷や汗をかいていくつか質問する。聞く限りご飯がないわけではなく、用意されたものだけでは足りないかも、ぐらいの話だ。岡野の服装に不審な点は見当たらないし、問題はないと思うが弁当以外に食べるものがないというのが心配だ。


「朝ごはんは?」


「コーンフレーク、たまに母さんがパンを焼いてくれる」


しつこい事を承知で藍歌が岡野に事情聴取を行った結果、朝食はコーンフレーク、もしくはトースト。昼食は給食、夕飯はコンビニ弁当一つか冷凍チャーハン。足りないと思っても直接食べられるものがほとんどなく、両親が自炊をしているところを見たことはないという。


「給食以外の食生活が微妙すぎる!自分でリクエストしたりしないの?!」


「何を?」


「うぅん・・・私が口を挟むのも気が引ける。とりあえず足りないならそう言いなよ」


聞く限り家族の団らんがないわけでもなさそうで、藍歌の推察は料理に全然興味がない人たち、という印象だ。岡野にある不満が量だけなら、彼自身がそう伝えればそれで解決するだろう。そうだとしても栄養バランスが気になる、と藍歌は歯ぎしりをした。


その場はそれで終わったのだが、結局藍歌はどうにも気になってしまい、その後も母親にどうしたの?と声をかけられても仕方がないくらい真剣に考えていた。事情を簡単に話せば、何故だか苦笑をされてしまい藍歌は妙に面映ゆかった。母親はもったいぶるように頬に手を当てて首を傾げる。少女めいた仕草が似合っていて、羨ましい。


「藍歌ちゃんがお弁当作ってあげたら?」


「えぇ~流石に押しつけがましくない?」


「お弁当はハードル高いかもだけど、あなたもっと作りたいって言ってたじゃない」


藍歌は眉間に皺をよせた。母親の言う通りだった。藍歌は可愛い料理が作りたかった。これは前世からの趣味でもある。そのため早い段階でお母さんのお手伝いに始まり、様々な手段でもってキッチンへの侵入を試みた。ホットケーキミックスさえあれば小学生でもケーキは余裕であることをプレゼンし、最近は夕飯の一品にも手を出すことが許されている。


問題は沢山作りたいものはあるが、そんなに食べられないということだ。料理はともかく両親にケーキはしんどいと言われてしまったし、藍歌自身も太ることが気になる。だが作るならばワンホール作りたいものだ。


「・・・デコ弁なら作りたいかも」


「可愛く栄養抜群は難しいわねぇ、頑張って~」


母親は他人事のように笑って材料の使用を許可した。藍歌は可愛いデコ弁を想像してうずうずとしてきた。インターネットにはいくらでもデザインのアイディアがある。見ているだけで楽しい。その上百円ショップには便利なアイテムがたくさんあって、使わないけど欲しいと常々思っていた。


(作りたい・・・いやでもなぁ)


もし仮に意中の相手だとしてもいきなり手作り弁当って重たすぎて怖い。余計なおせっかいで野菜を食べさせたいという欲求は野菜チップスとかでもいいわけだ。藍歌は脳内で弁当は一旦保留とする。


(あ、このクッキーの抜型かわいい)


ネットサーフィンをしながら可愛い形の抜型などをチェックしていく。通販で買うのはまだできない。前世ならばそのままお買い上げだったが、今は小学生。携帯電話の一つも持っていない。


「・・・クッキーぐらいなら変じゃない、か?」


自分と両親と花蓮ちゃんと、と指折り数えてどれくらい作るか考える。いろんな型抜きを使いたいしチャレンジするならアイシングクッキーなんかもやってみたい。そういう欲望が優先されて、岡野は一旦試食要員としてカウントする。


それぐらいの関わり方ぐらいが、許容範囲ではないだろうか。そう考えて藍歌は他人の家庭事情へ口を突っ込みたい気持ちを抑えた。


それでもやはり気になって、いつも通り岡野のサッカーの相手をした時にそれとなく訊いてみたところ、夕飯が一品増えたらしい。足りないと言えば増やしてくれるのだから、親でさえ察せないぐらいに岡野がわかりにくい男だということだろう。


「あと買い食いでもしろって小遣いくれた」


「よかったじゃん、商店街の焼き鳥おススメよ」


商店街を通学路として通り抜ける時に焼鳥屋の前を通るのだが、炭火で焼いている香りが充満してついフラフラと近づいてしまう、そんな店がある。一本から購入できるし、同じ通学路を使っていれば一度は利用したことがあるだろう。だが岡野は初耳ならしく気のない返事をした。


昼休みに嫌がらずサッカーの誘いに乗ったのは、次の授業が体育だったからだ。体操服に着替えているのでいつもより激しく動いて、つい真剣に勝負してしまった。そんな二人を授業のために集合していたクラスメイトたちが見学しており、想像していたよりも凄いと囃し立てた。


「北見さんすごーい!サッカー上手なんだね」


「今日のチーム奇数と偶数で分けるから北見さんと岡野くんが同じチームじゃん!」


藍歌はそうだった、と今日の授業について思い出した。現在の体育はサッカー、前回まで基礎的なパスだとかルールなんかを習って、今日は試合形式にしようと言っていた。チーム分けは出席番号の奇数と偶数でチーム分けする。藍歌は岡野と同じチームだった。


とはいえサッカーの試合で女子はほとんど空気みたいになることは想像がついていた。バスケの授業のときと同じく、男子が試合に熱中をしている中で女子がそこに割り込もうとすると邪魔すんな!と言われるので藍歌は大人しくしておくつもりだったのだ。バスケの時は腹が立ったので男女混合チームであることを教えてやろう、と一度も彼らにボールが回らぬように立ち回って勝った。ミニバス部の子とは仲良くなった。


「じゃぁボールを投げ合って」


先生からまずはパス練の指示がされる。二人一組になり、手でもったボールを両手で投げ合うところから始まり、だんだん足でボールを蹴る流れになる。力加減が下手だったりして、隣のペアからボールが飛んで来ることも多い。藍歌は自分のボールをさばきつつも明後日から飛んできたボールも的確に返していった。それは岡野も同様のようだった。クラスメイトにサッカー部は岡野以外にいただろうか。いたとしても、大した実力はないだろう、とパス練習でわかった。


「・・・おままごとサッカーねぇ」


さもありなん、と試合開始の笛が鳴って藍歌は団子になった男子を遠目にみて呆れた。女子は男子の勢いに押されておろおろとしていたが、敵も味方も関係なく友達同士でまとまると、自然にお喋りがはじまり邪魔にならないコートの端っ子へ移動していった。先生もできればちゃんと参加させたいのだろうか、熱くなってしまっている男子たちに先生の声は通らなかった。


団子が縦長になっていく。とりあえず遠くからそれを追っかければ大柄な男子がボールを蹴っている。ボールばっかり見ているので転けそうで怖い。その背後から岡野が素早くボールを蹴り出したのがわかった。


(あ、私だ)


大柄な男子から藍歌のもとへボールは一直線にきた。岡野は藍歌がいたから動いたのだとわかった。藍歌を見ずにまっすぐゴールへ向かっていく岡野に、パスしなきゃと思った。


お団子の軍団が藍歌のもとへ突進してくる前に一気にドリブルで駆け上がっていく。岡野との間に誰か一人いて、そいつはまっすぐ藍歌のボールを狙っていた。だが、岡野ほどの速さも技術もない。障害にもならないが、あまり近寄られては怪我をさせられそうだと藍歌は、そいつを引きつけつつ一気にパスをした。少し高いパスだったが、岡野の元へたどり着いた時には、ちょうどいい位置へ。


岡野のダイレクトシュートに、藍歌は内心で素直に格好いいじゃんっと思った。


「なんか、ちゃんとサッカーの試合っぽかった」


「私のおかげですなぁ、嬉しい?」


「あぁ、楽しいな、サッカー」


当然の勝利をもぎ取って、岡野は小さく笑った。初めてみたその表情に藍歌はなんとなく岡野がなぜ藍歌にサッカーを強要してきたのか理解した。小学生という狭い部活動でのサッカーは、物足りなかったのだろう。



放課後、花蓮と別れて一人で帰路についていると公園前の掲示板に少年サッカークラブのチラシが貼ってあった。藍歌は思わず立ち止まって眺めてしまう。楽しそうにサッカーボールを蹴る少年たちの写真と、活動詳細の文字。


「ボランティアする時間ねぇんだと」


「えっ」


いつの間にか隣にいたのは岡野だった。ちょうど岡野のことを考えていたこともあり、肩をそびやかして驚いてしまう。岡野を凝視してしまうが、その横顔は別になんの感情も浮かんでいない。ただ事実を述べている。いきなり声をかけるなと文句を言うよりも、ボランティア?と疑問が口から出た。


「こういう地域スポーツは親のボランティアで成り立ってるって」


「あぁ・・・そういうこと」


確かにそうだろう。参加する少年たちのご両親がボランティアで送り迎えや、大会への参加だったり、コートの確保だったり色々しているのだろう。忙しくてそういったボランティアに参加できないのに、子供だけを預けるとなると親同士で角が立つのかもしれない。


「Jリーグ関係のクラブとかは月謝が高いし、遠くて送り迎えできないって言われた」


藍歌は、そうなの、とだけ言った。想像できることだった。サッカーが上手だからといって親が積極的にサポートできるかといえば、それはそれぞれの家庭事情がある。藍歌は以前に軽く言った言葉を謝罪するか一瞬悩んで、止めた。おそらく岡野は何とも思っていなくて、もうとっくに腹をくくっているのだ。


「だから俺は部活で結果をだす」


「・・・うん、応援してる」


今の小学校の部活では大会一つ出られないはずだ。だが、そんなことは岡野も百も承知の上だろう。どれだけ出遅れたとしても結果を出そうという意志がみえる。


「じゃぁサッカーするぞ」


「・・・それは違うでしょ?!サッカー部呼びなよ!」


「中学ですぐレギュラー取って大会でなきゃいけねぇ、学校の部活なんてぬるすぎて練習にならねぇよ、お前が付き合え」


差し出されたサッカーボールは受け取らなかったが、岡野は気にせず公園に入っていく。当然追ってくるだろうと言わんばかりの背中に苛立ちが募ったが、藍歌の中に一滴落とされた岡野への同情のようなものが公園へ足を踏み出させた。


「今日だけよ!私だって忙しいの」


「お前、佐島以外とまともにいねぇだろ」


「花蓮と遊ぶだけじゃないの、私はサッカー以外にいっぱいやりたいことがあるの」


暗に花蓮以外に友達がいないと言っているのなら大正解だ。前世の記憶が邪魔になるのは小学生と会話するのは難しいという点だ。会話をしても筋道の通っていない内容によく首を傾げるし、そもそも語彙力に差があって話が通じないことが多い。高学年になって随分ましになったものの花蓮以外との会話には未だ積極的になれない。


岡野とボールを蹴りあうだけのパス練はだんだんスピードを増し、藍歌がトラップに失敗するまで続いた。その後はいつも通りだ。この公園にはサッカーゴールはないが、相手を抜いてシュートを打たせた時点で点になったというルールで二人の間のボールを奪い合った。


「・・・なんだこれ」


「いちごソーダ」


「スポドリあったろ絶対」


「うっさい、可愛いでしょ」


勝負はどっちつかずで、二人は汗だくだった。水筒の中身は空で、仕方なく藍歌は自販機へ飲み物を買いにいく。岡野は公園の水飲み場で十分らしいが、せっかくだからと岡野の分も買ってやる。押しつけなので好みは考えずにパッケージが可愛かったものにした。


地味に噴水つくって遊んでいた岡野は微妙な顔をしたが、素直に受け取った。


「やりたいことってなんだよ」


「・・・さっきの話?」


岡野は一口いちごソーダを飲んだあとに不思議なものを見るように瞬きをしてパッケージを二度見していた。藍歌は嫌いだっただろうか、と思ったが岡野はすぐに普通に飲み続ける。問題なさそうだと判断してから、質問の答えを考えた。正直に言えば、やりたいことはありすぎる、だ。


「編み物もしたいし刺繍もしたいしお菓子作りもしたいしビーズアクセサリーとかもやってみたいし可愛い恰好したいし」


譫言のように続ける藍歌に岡野は動きを止めた。凝視してくるが、嫌な顔というよりも困惑が大きい気がする。言っているとどんどん私ばっかり、という思いが強くなってきてしまい、藍歌はぐるんと岡野のほうへ振り返って言った。


「やっぱ私ばっかりアンタのサッカーに付き合うのは不公平だわ!アンタも私の趣味に付き合いなさい!」


「・・・お、おう」


勢いに押されてのけぞるように、しかし確かに岡野は頷いた。藍歌は言質とったり!と興奮気味にガッツポーズをして、一気にいちごソーダを呷った。空のペットボトルを握りしめて、放り出していたランドセルを背負った。呆気に取られている岡野を置いて足早に去っていく。ご機嫌に手を振れば、岡野は小さく手を振り返してくれた。それがなんだか可愛らしく見えて、藍歌は嬉しくなった。



可愛いものが好きだ。自分の容姿も可愛くありたいし、可愛いものが似合うようになりたい。その可愛いものにサッカーは入っていない。岡野のことは嫌いではなかったが、サッカーをすることでまた王子様ポジションになったり、男に媚びている女と言われたくなかった。まだ小学生だから気にされずにいるが、きっと中学生になると一気に微妙な立場になってしまう。


(でも、身体動かすのは嫌いじゃないし)


筋肉がつきすぎるのが心配だったが、岡野のサッカーに付き合うぐらいならば、本格的にトレーニングをしているわけでもない。丁度いい運動で健康的ではないだろうか。日焼け止めだけしっかりしよう、と思った。


「よしっまずはホットケーキミックス!」


気合をいれてホットケーキミックスをボールへ入れる。卵も牛乳も次々投入。昨日は花蓮と遊びに行った。その際にアフタヌーンティーに憧れているという話をすれば今度家に誘うと言ってくれた。薄々察していたが花蓮はお嬢様の可能性が高い。聞くに父親の趣味で英国式の庭があるとのことで、アフタヌーンティー用の三段トレイも持っているという。ならば手分けしてトレイに乗せるお菓子などを持ち寄ろうという話になった。子供によるアフタヌーンティーごっこである。


そしてアフタヌーンティーといえば、スコーンである。

失敗するつもりはないが、チョコやクランベリーなどを入れたアレンジもしたいので練習だ。欲を言えば花蓮と並んでお菓子作りというのも考えたのだが、花蓮はフライパン一つ触れたことはないと言っていたので保留にした。いつか女の子同士でお菓子作りというのはやってみたいイベントだ。バレンタインあたりを狙っている。


「ベーコンとチーズがある!お惣菜系スコーンも絶対美味しい!」


用意していたドライフルーツとチョコチップ以外に何かないかと冷蔵庫を開けて、材料を追加する。レシピを見た限り生地を寝かせるなどの工程はない。念のためもう一度確認して、オーブンを予熱170度に設定した。


「バタークリームでお花つくるのもいつかやってみたいなぁ」


スコーンの生地を簡単に三角形に切り分けて並べ、オーブンで焼いている間に見栄えの美しいお菓子たちの動画をいくつも眺める。正直素人が安易に手を出さないほうがいい本職の人の動画も多いが、見ていてワクワクするしやってみたいと思う。


さて、大量のスコーンが美味しくでき、両親にも褒められた。藍歌は大満足であるが三人で消費するにはもちろん多い。そういう量を作った自覚はある。花蓮と一緒に食べるのは来週改めて焼くので今回の分は渡せない。


「と、いうことでよろしく」


「・・・なんだこりゃ」


「しまった、アンタに渡すんだから野菜練り込んだスコーンも作ればよかった」


「余計なお世話だ」


帰ったら藍歌もおやつとして消費する予定だ。今は持ってきていないので岡野がしげしげと袋に入ったスコーンに首をかしげているのを注視する。まずいわけはない。しかし人間には好みというものがあるので、確実ではない。


「スコーンっていうのかこれ」


「そう、本格的なのじゃないけど」


本格的がなにかはわからないがホットケーキミックスで作ったものは全てお手軽なものだと思っている。岡野はまじまじと眺めてからチョコチップのスコーンを手掴みにかじった。頬袋をつくってあっという間にスコーンをひとつ食べきった姿に、喉乾くわよ、とだけいった。なかなか気持ちよい食べっぷりだ。


「ふぅん、うまい。初めて食った」


「甘いの平気でよかった。食べたらどれが一番美味しかったか教えてね」


「チョコ」


「全部食べてから言って!いいわね、感想寄越しなさいよ!」


二つ目に手を伸ばす岡野にボールを蹴り、藍歌はさっさと公園から離れた。振り向いた時、岡野は二つ目のスコーンをかじりながらも器用にリフティングをしていて、思わずあんたも暗くなる前に帰りなよ、と声をかけた。まるでさっさと去れと言わんばかりに手を振られて、眉間にシワをよせる。そうしてふと、最近岡野がちゃんとリアクションを返してくれるようになったな、と気づいた。


無表情で無反応で、その癖一丁前に要望の多い男だったが、ちゃんとコミュニケーションがとれるようになった。そうなると岡野は意外と付き合いやすい。


(頭も悪くないのよね、楽だわ)


結局、スコーンの味はチョコが一番美味しかったと言うので花蓮とのアフタヌーンティーにはチョコとプレーンのスコーンを持っていった。やはり王道で無難、ハズレなし。ちなみに庭はまさしくイングリッシュガーデンといえるこだわりが感じられた。


テンションが上がりすぎてずっと凄い凄いと言って跳ねていた気がする。今携帯を所持していれば写真をひたすらに撮っていただろう。そんな藍歌に花蓮は嬉しそうにまた来てね、と言ってくれた。


そして花蓮と話題になったのが、中学校の話だった。


「受験するの?」


「迷ってるの、中高一貫の私立に行くほうがいいかなって」


ここなんだけど、とパンフレットを持ってきてくれたが制服が可愛いことしかわからない。学校名は聞いたことがないもので、住所を見ると少し遠い。自宅から通うなら通学は一時間以上になるだろう。ピックアップされているカリキュラムを見るに、お嬢様学校だなぁという感想が出てしまう。


「女子校だし、治安は絶対いいよね。うちの中学、隣町の小学校のやつらも来るし」


「そうなの、でも藍歌ちゃんがいない」


はた、と思考が止まる。理解をするとなんだかじわじわと血液が頭にあがり真っ赤になるのがわかる。そんなに素直に気持ちをさらけ出されると、前世の擦れた大人の記憶が羞恥心を撒き散らす。嬉しいけども恥ずかしい。だがここで照れ隠しにひどい言葉を放つのは花蓮の親友たる藍歌の心が許せない。


「・・・確かに、離れるのは寂しいけど」


「私立だからお金の問題があるのはわかるの。でも藍歌ちゃんの成績なら合格するでしょう?選択肢にだけ入れてみて」


花蓮はそう言ってパンフレットをそのまま藍歌に渡した。藍歌は初めて中学受験という選択肢を手に入れ、将来のビジョンというものをおぼろげに想像しようとした。前世はどうだっただろう。なんとなく流れに沿って生きていただけだった気がする。いつだって多数派にいたくて、その癖個性を尊重して欲しかった。


「今日はねぇのか」


「ありま~す。今日はサンドイッチ」


放課後や休みに二人でサッカーをするようになって、藍歌がなにかしら持ってくることも当たり前になった頃。周囲にもチラチラと受験をする子、という噂が流れる時期、藍歌はまだ決めきれていなかった。花蓮に関しては受験自体はすると聞いている。


休憩で水分補給をしている間にも、そんな受験の悩みが頭を占めていたらしい。岡野に声をかけられて、慌てて保冷バックを取り出した。


野菜もしっかり挟んだ照り焼きチキンサンドとタマゴサンドとイチゴのフルーツサンド、使ってみたかったデザインのペーパーで包んでみた。こうしたボリュームのあるものを作るようになったのは、ホットケーキミックスレシピが豊富になったあたりで岡野が母親からだと材料費をたまに渡してくるようになってからだ。


「前髪垂れてる、そろそろ切りなよ」


「めんどくせぇ」


「はいこれ前髪クリップ、あげる」


「自分で使えよ。カワイイんだろ」


「いくつも持ってるの。自分だと見えないけどアンタが使ってたら目に入って可愛い~ってなるでしょ」


鏡をみせてやれば、なんだコイツとキャラクタークリップへ触れた。幼女心をくすぐられる有名なサンリオキャラクターだが岡野は知らないようだ。だが視界がすっきりしていれば問題ないらしく、気にせずサンドイッチへかぶりついていた。岡野のこういう無頓着なところが面白いと思う。前髪クリップはよく似合っている。


「なに悩んでんだよ」


「え?」


「気が抜けると放心してんだろ、最近」


思わず隣へ視線をやれば、岡野は無言でサンドイッチを食べている。その横顔はいつも通りだが、視線はそっぽを向いていて、どことなく居心地悪そうだった。岡野に心配されるほどだったか、とその言葉少なな真摯な声色に藍歌はくすぐったく思った。


「ねぇ、岡野はサッカー部が強いとこ受験しないの」


岡野の足元にあったボールを軽く蹴る。最小限の動きでボールをこねくり回して、両足を行き来させた。サッカーをするようになって足首が柔らかくなった気がしている。岡野を窺えばサンドイッチを包んでいた紙をくしゃくしゃに丸めていた。食べ終わったらしく、小さくご馳走様と呟いた。お茶を一口飲んで喉を潤したら、返事をする気になったのか、考えたことねぇ、と言った。


「アンタが強くてもチームが弱かったら大会とか負けるじゃん。勝てるチームに行こうってならない?」


「・・・どうせ金の話になんだろ」


「それもそう。私は受験したかったらいいよって言われてる」


「そこサッカー部あんのか」


「ねぇよ???女子校だからな??」


勢いでそう言ったが女子校だからこそ女子サッカー部はあるかもしれない。帰ったら調べてみようか、と思ったが入部する気はないのに調べてどうする、とすぐに却下した。岡野に影響されすぎている、と藍歌はため息をつく。


花蓮が同じ学校を受験しないかと勧めてくれたこと、受験について両親からも賛成されていること、成績的には合格圏内だと言われていること、思うよりも考え事が溜まっていたらしく、次々と口からまろびでる。


「花蓮は絶対合格するだろうし、制服可愛いし、お嬢様学校だから可愛い子多いだろうし」


「そこでもカワイイが重要なんか」


「そうよ、王子様が迎えに来てくれるお姫様を見て憧れるって素直に言える女の子に私は憧れるの」


「憧れる女に憧れる?なに?」


何を言っているんだと正気を疑うような視線を向けられて藍歌は唸った。言い方が上手くなかったな、と思った。入れ子状になっている。普通にお姫様に憧れている、でも正しい気がするが、藍歌としてはどうしても前世の記憶が引っかかってしまって憧れていると言える女の子、も憧れなのである。


「素直に好きなものを好きって言えない人間だったから、そうなりたいの」


「お前ずっとカワイイが好きって言ってんだろ」


「いつ心折れるかわかんないから敢えて主張している。いまだって結構言われんのよ、ツインテールとか、フリルとかぶりっ子ってあだ名、知ってんだから」


岡野は首を傾げたままだが、変に深堀はしないことにしたようだった。


「じゃぁ何が不満なんだよ」


お嬢様学校に行けばきっと治安が良くて、可愛いもので溢れていて、花蓮がいる。カリキュラムだって豊富でそのまま高校にはエスカレーターで高校受験にはあまり悩まなくていい。高校だって学科がたくさんあって、興味のある服飾や製菓などが学べるコースも用意されている。なんの不満もない。だからこそ不満を問われて、詰まった。口を開くも、喉が絞られるように上手く言葉が出てこない。


「・・・あ、あんたが」


無意識に零れ落ちそうになった言葉に、口を閉じた。


(あんたが、いないじゃん)


沸騰するように顔に血が巡った。体温が上昇していると同時に汗がどっと噴き出すのがわかる。藍歌は両手に顔を埋めて唸った。本当は羞恥で叫び出したいところだった。だが意味がわからないのは岡野のほうだ。急にうずくまる藍歌に泣かしてしまったのかと、こちらも冷や汗が流れる。


驚きで固まってしまった岡野をよそに藍歌は暫くの沈黙ののちにバッと顔を上げた。そして早口でごめんごめん今のなし、と言う。返事の隙を与えない様子に岡野も無言で頷いた。


「不満、ないわ。不安なだけっぽい」


「・・・よくわかんねぇけど行けるなら行っとけよ。居心地いい環境行けるなら、そっちのがいいだろ」


不器用に背中を押す発言に、藍歌はつい先ほどまでの会話を思い出して反省した。岡野がサッカーの強い学校への受験という、居心地のいい環境へチャレンジができない話をしていたのに、藍歌が不満をたらたら垂れ流すのは、無神経だった。


「・・・岡野、ありがと」


「おう、もう一回付き合え」


ぽん、と足元のサッカーボールを奪い取られる。その背中を追って藍歌も走り出した。いまだに考えないといけないことはたくさんあるが、ボールを追いかけ始めれば思考はそれだけに集中できた。



岡野に背中を押されたおかげ、とまでは言わないが藍歌は無事に受験に合格した。

花蓮と中学でも一緒だね、と抱き合いアフタヌーンティーでお祝いをした。恒例になりつつあるアフタヌーンティーは花蓮の紅茶を入れる技術と、藍歌のお菓子作りの腕を向上させていく。


岡野が言うように、自分に居心地のいい環境を整えるのは大事だ。女子校なのでまた王子様ポジションになってしまわないように気を付けて、前世の記憶をフル活用して人間関係を構築しようと思っている。今まで前世の記憶のせいで友達が花蓮しかいなかっただろうというツッコミはすでに藍歌自身がした。中学になれば流石に変わって来るという希望的観測である。


前世の記憶、有効に使えていると思っているが岡野に関しては少しばかり困っている。


(私はショタコンではない、ショタコンではない)


社会人であった記憶が小学生男子に執着することにアウト判定を出す。だが認めなければいけない。あの時咄嗟に零れ落ちたのは藍歌の本音である。いつの間にか岡野という存在がすっかり大きくなっていた。大人ぶった自我を押しのけて子供の独占欲がぐるぐると藍歌を締め付ける。岡野の特別な存在だという自負が擡げては陰気な自分が叩き潰していく。


(どうせ小学生の交友関係とか、大人になるとあっという間に)


藍歌は嫌な考えになる前に頭を振って鏡と向き合う。髪の毛がバサバサだ。いつものツインテールではなく凝ったヘアアレンジがしたい。三つ編みでお団子だったり大人っぽくまとめたりしたい。巻くのは怒られそうだ。肌のコンディションは最高。藍歌は早起きをして、真剣に櫛を掴んだ。


母親もきっととびきりお洒落をして綺麗にするはずだ。リビングのソファにいくつか余所行きの服が出されていたのでわかっていた。美人の母親の隣に並ぶならば美人でありたい。父親も仕事を午前休みにしたとか言っていた。


本日は小学校の卒業式である。


校長やらPTAなど知らない大人たちの挨拶が終わり、在校生一同の歌も卒業生一同の挨拶も終わった。その時点で泣き出す子たちもいた。前世なら冷めきっていたが現在の藍歌はその前世の記憶で若干涙腺が緩い。割と泣くのを我慢した。


(子供の成長で泣くのはおかしいじゃん、独身だったろ前世の私)


小学生の自分と前世の自分とで若干の齟齬を生みながらも、藍歌は卒業式にしっかりはしゃいだ。卒業アルバムにメッセージを書いてもらったり写真を撮ったり撮って貰ったりして一通り交流をして、岡野がいないことに気づく。それはまずい、と慌てた。


岡野と会える機会がなくなってしまう。二人は携帯電話をもっていなかったから連絡先も知らない。お互いの家も知らない。中学生になれば岡野はサッカー部に入部するのだから、わざわざ藍歌と放課後に公園でサッカーをする必要はない。今度こそおままごとでないサッカーを中学でするだろう。そうなれば公園でも会えない。


(くそぉ、サッカーボールでおびき出せないかな?!)


藍歌の両親と花蓮の両親が挨拶をしているのを横目に焦燥感に包まれる。花蓮は弟を紹介してくれたが、妙にそわそわした藍歌に何かを察したのか笑われた。早々に次は入学式でね、と切り上げてくれて、藍歌はすぐに岡野を探しに走った。


人だかりの中にいるのかも、と失礼ながら家族に囲まれた生徒をチラチラと盗み見ていく。運動場や教室にはいない。正門か、裏門か、と考える。藍歌は両親に先に帰っててと伝えたが、もしかしたら岡野だってその類かもしれない。


「ねぇ岡野知らない?!」


「え、さっき帰ったっぽいけど」


「あ、あいつ~!」


クラスメイトだった男子何人かに尋ねればあっさりと一人で正門から帰っていったのを目撃されていた。


(公園に行けば、会えるかな)


卒業式だけだから、まだ日も高い。いつも通りに公園でボールを蹴っていると予想できた。だが、藍歌は足が重くて仕方なかった。


近頃は、藍歌の勝率も落ちた。

どんどんと岡野は上手くなっていって、それが悔しい。藍歌は今でもサッカーがしたいとは思わない。だが岡野とサッカーをするのは楽しかった。唯一岡野に興味を持ってもらえた特技でもあった。


今日が最後かもしれないのに、岡野が藍歌へ声もかけず帰ったことに少しだけ傷ついている。藍歌は公園へ足を踏み入れて、俯き加減だった顔を上げた。ボールの跳ねる音がしている。予想通り居たことにほっと一息をついて、深呼吸をしてから走った。


「なんで先帰ったの、今日で最後かもしれなかったのに」


遊具の一つである穴の開いたコンクリート壁にシュートをしている岡野の背中へ声をかけた。明るく声をかけるつもりだったのに、責めるような言葉が出てきてしまって失敗したなと口を押さえた。岡野は跳ね返ってきたボールでリフティングを始めてしまって藍歌へ視線は向けない。空気を換えたいな、と藍歌が近づくとボールが飛んでくる。思わず胸でトラップして岡野と同様にリフティングを続ける。


「どうせここで会うだろ」


「中学始まったらそうもいかないでしょ」


「そうか?」


「サッカー部でレギュラーっていうなら、そうでしょ」


なんとも薄い反応に藍歌は呆れた声が出た。気が抜けたともいえる。岡野は中学に上がっても何も変わらないと思っているのかもしれない。藍歌はなんだか逆に面白くなってきて、笑い声を漏らした。そしてそのまま本命の用事を切り出した。


「岡野はケータイ・・・スマホか。スマホ持ってないよね」


「持ってねぇ、お前買ったのか」


「電車通学になるからって。買ってもらった」


新品のスマートフォンをポケットから見せびらかして、それと一緒に取り出したメモを一枚岡野へ差し出した。電話番号とメールアドレスが書かれている。受け取った岡野はじっとメモを眺めた。


「いんでぃご、ソング?・・・藍歌ってことか」


「安直だっていうの?とりあえずのメアドよ。ていうか私の名前知ってたの」


「お前こそ俺の名前知ってんのかよ」


「まこと、でしょ」


「あぁ、それでいい」


それでいいって何?と言ったが岡野はメモをポケットに締まっていつも通りの様子。ボールを藍歌から奪い取り、距離を開けたらそこからまた蹴ってきた。パス練習ということだろう。藍歌はわずかな苛立ちを込めて蹴り返した。まったくもって、いつも通りだ。


「お前の学校、女子サッカー部ないんだってな」


「そうね」


「じゃぁもうサッカーやんねぇのか」


パス練の後、三回勝負をして三回とも負けてしまった藍歌はやっぱもう相手にならないな、と疲労感とともに深呼吸をした。岡野のためにサッカーをしよう、なんていう無謀な考えには諦めがついた気がする。


「パス練習のお手伝い程度じゃない?もう歯が立たないしね」


「中学のサッカー部がクソなら相手しろよ」


「何それ、私がアンタに勝ててたのは背が高いからで・・・」


「俺よりでかい奴なんて、いくらでもいた。でもお前に勝てなかったんだ」


一息ついて、岡野はベンチに置いていたペットボトルを取った。飲みかけのもの以外にもう一本あり、それは藍歌へ投げて渡された。危うげなく受け取り、結露で濡れた手をみた。戸惑ったまま、ペットボトルのいちごソーダと岡野の顔をみる。以前のお返しだろうか、とお礼とともに開栓して、炭酸がしゅわっと噴き出すのに慌てた。


「岡野、これ振った?!」


「振ってない、キャッチが下手だったんじゃねぇの」


「何言ってんの完璧だったでしょ!打点が高すぎなのよ、せめてアンダースローでしょ!」


ぎゃんぎゃん騒いでべたべたになった手を洗ったりしている内に、空の色は変わってきた。帰る時間だな、とわかっていたが名残惜しさが藍歌をその場に引き止めた。いちごソーダを覚えていてくれたことは嬉しい。だが連絡先を渡しても岡野が連絡してくる確信はない。話題をなんとかひねり出そうとしていると、岡野が唐突に、お前が、と口を開いた。


「文句いいつつ真剣にサッカーしてくれるから、楽しかった」


藍歌は自分が間抜けな顔をしているだろうと思った。岡野の口から楽しいとか嬉しいとか、そんな言葉が出てくると思わなかったのだ。


「お前に勝ちたくて、ちゃんとサッカーが上手くなるのがわかった」


「うん、もう私に勝てるね」


当初は藍歌のほうが勝っていたが、回数を重ねるほど岡野は強くなっていった。そして今は服も汚されず、体当たりのように怪我もさせられず、華麗に足元の技術でボールを奪われる。それを間近で見れるのが、楽しいと思えるようになった。


「つまり俺が強くなったのは藍歌のおかげだろ」


ちゃんと最後までみていけよ、と続けられて藍歌はじわじわと溢れてくる感情に勝手に口元が緩んだ。強くなるのにはもう用済みってことでしょ、なんてネガティブな思考を吹き飛ばしてくれる。


「何、国立競技場連れてってくれるの?」


「?おう」


意味はたぶん伝わっていないな、と藍歌は前世の記憶から引っ張ってきた言葉に苦笑した。岡野がどこまで本気なのか、どれくらい特別な感情を向けてくれているのかわからない。だが藍歌は間近で彼のサッカーへの一途さを見てきた。期待して、いいのかもしれない。


「・・・今日は何にも持ってきてないの」


見ての通り、と両手を広げる。卒業式であるし、多少の荷物の類は父親に預けたまま来た。岡野の空腹を満たすものは何もない。


「次は真のリクエスト聞いてあげるから、ちゃんと連絡してよね」


藍歌に先ほどのメモを仕舞ったポケットを指差されて、岡野は無言で頷いた。



岡野真:俺様の素養があったが藍歌によって摘まれた。現在は無口無表情天然キャラになりつつある。

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