09 沈みゆく思考
「ひまりさん、大丈夫?」
「あと十秒だけ、落ち込ませてください」
現在、ひまりたちは検査開始までの束の間の時間を過ごしていた。
佐藤による検査説明が終わり、開始時刻まで待機するよう指示されたのだ。
ひまりは肩を落とし、誰の目にも分かるほど落ち込んでいる。そんな彼女の様子を見て、剣磨が声をかけていた。
ひまりが落ち込んでいる理由は明白だった。
佐藤から手渡された、転移魔法が組み込まれたカードは、持ち帰ることが許されないと告げられたためである。
「瞬間移動アイテム、欲しかったのに……」
「仕方ないよ。こんな希少な魔道具、いくら運営しているのがこの国の魔法統括最高機関――魔導院(魔導総本院の略称)だとしても、タダでくれるわけがないよ」
「むぅ……魔導院さんも、ケチですな」
「いや、ケチって……」
ただでさえ希少な転移魔道具だ。
それが携行可能なカード型となれば、もし市場に出回れば、軽く億単位の金額で取引されるだろう。
それを無料で配る方が、どうかしている。
それなのに、ひまりは“くれないこと”をケチだと言った。
希少価値を知らないが故の発言なのだろうが、それが妙におかしくて、剣磨は思わず苦笑を漏らす。
「そんなに、これが欲しかったの?」
「ん」
ひまりは、小さく頷いた。
「まあ、確かに。事前に場所の登録は必要だけど、それさえしておけば、どんなに遠い場所でも一瞬で行ける。利便性で考えたら、これほどの魔道具はそうそうないし……欲しくなる気持ちは、分かるよ」
しかし、剣磨の言葉に、ひまりは首を横に振った。
「それもだけど、それじゃない」
「え? どういうこと?」
「これがあったら、お家が離れてても、ケンマと一緒に遊ぶことができたのに」
「……あ」
「それができなくて、残念無念です」
ひまりの言葉に、剣磨は思わず息を呑んだ。
確かに、その通りだった。
むしろ――『なんで、そのことに気づかなかったんだろう』と、剣磨は思う。
そして、それとは別に、ひまりが落ち込んでいた理由が、“自分と会えないから”だったのだと理解し、剣磨の胸に複雑な感情が押し寄せた。
嬉しさと、悲しさが、同時に込み上げてくる。
「……そうだね。この魔道具さえあれば、一緒に遊べたのにね」
剣磨も、ひまりにつられるように、ほんの少しだけ気持ちが沈む。
しかし――
「ん、もうバッチリ立ち直りました! とりあえず今は、瞬間移動体験ができることを喜ぶとします」
ひまりは、剣磨と入れ替わるようにして、あっさりと立ち直っていた。
「早っ!? さっきまで項垂れてたのに!」
「ん。でも、十秒経ったから」
「……ほんとに十秒で立ち直ったの!? なんかそれはそれで、複雑な気持ちなんだけど!」
「? よく分からないけど、元気出して」
そう言うと、ひまりは剣磨の肩をポンポンと叩く。
「なんで、いつの間にか僕が慰められる側になってるの!? 釈然としないんだけど!」
「ケンマ、あんまり大声出すと、悪目立ちしちゃうよ?」
「誰のせいだと思ってるの!?」
剣磨は、盛大なため息をついた。
ひまりと出会って、まだ間もない。
しかし、この短時間だけで、彼女が相当〝変わった〟女の子であることを、剣磨は痛感していた。
「ひまりさんって、いつもこんな感じなの?」
「? どんな感じか分からないけど、ひまりはいつもこんな感じです」
「……そっか」
「逆にケンマは、いつもこんな感じで謎ツッコミしてるの?」
「いや、謎じゃないし。こんなツッコミをするのは、ひまりさんが初めてだよ」
「おー、初めてなのかー。私が、ケンマの初めて、いただきました」
「……だから、そういう言い方をするから――いや、もういいです。このままだと、永遠にツッコまされそうだし」
剣磨は、とんでもない女の子と友達になってしまったことを、改めて実感した。
「まあでも、すぐに気持ちの切り替えができるのはすごいよ。僕なんて、一度落ち込んだら、立ち直るのに何日もかかっちゃうタイプだから」
しかし、それはそれとして――
ひまりの〝一瞬で立ち直る〟力については、普通にすごいと思ったし、正直、羨ましくも感じていた。
妬みはしない。
素直に「すごい」と思えるところが、剣磨の長所である。
すると、ひまりは、まるで当たり前のことのように言った。
「だって、どうすることもできないことで、ずっと落ち込み続けても、心、雨が降るだけだし。それだったら、別の明るいこと考えて、心、お天道様にした方がいいかと」
ひまりの言葉は、あまりにもあっさりしていて、簡単なことのように聞こえた。
だが、それを実践するのは、剣磨にとって決して簡単なことではなかった。
「……そうだね。ひまりさんの言う通りだと思う。でも、僕はそんな簡単に、気持ちを明るくすることができないんだ。どうすることもできないからこそ――解決策がないからこそ、それにずっと苦しめられるというか」
「そんなに遊びたかったの?」
「いや、それはさっきの話で。そうじゃなくて……この〝魔法適性検査〟のことだよ」
――魔法適性検査。
この検査の大きな特徴は、魔道士になれるかどうかが、努力ではなく才能――つまり、運の要素に完全に左右されるという点にある。
運。
それは、どれだけの努力をもってしても介入する余地のない、まさしく〝どうすることもできない〟領域だ。
そんな不確定要素の大きいものに、これからの自分の人生が懸かっているのだ。
不安にならない方が、おかしいというものである。
しかし、ここまでなら、ここにいる全員が同じ条件だ。
だが、剣磨は天式家の跡取りなのだ。
その肩にのしかかるプレッシャーは、計り知れない。
「魔法適性検査の結果がどう転ぶかなんて、ほとんど運だ。そこに努力なんてものは存在しない。つまり、どう転んでも、それは僕のせいじゃないってことは分かってるんだ。でも――」
剣磨は、これまでに何百回と想像してきた〝もしもの未来〟を、また考えてしまうのだった。
もし、自分が魔導士になれなかったら。
きっと、その結果はメディアを通じて世間に知られる。
多くの国民が、世界でも極めて珍しい、長きにわたって続いてきた魔導士としての血の脈絡が途切れたことに、落胆するだろう。
これから先、自分は天式家の汚点として、皆に蔑まれた目で見られることになる。
そして、何より――両親から――
「うっ……!」
剣磨は、一瞬、胸が締めつけられるような痛みに襲われた。
それは、不安が限界を超えたときに現れる、彼にとっては馴染み深い症状だった。
今日に限ったことではない。
ここ最近、頻繁に起きており、他にも、目眩、吐き気、頭痛などがあり、それらの不調とともに、胸の痛みが彼を苛んでいた。
トリガーは、〝もしも〟を考えたとき。
剣磨自身、それが引き金になっていることは分かっていた。
だが、分かっていても考えてしまう。
思考は止められず、反射的に最悪の未来へと向かっていく。
――どうすれば、この苦しみを和らげられるのか。
――どうすれば、明るい方向に物事を考えられるのか。
剣磨は、これまでに幾度となく改善策を模索してきた。
しかし、自信を失い、思考が負の方向に傾いてしまっている今、いくら策を考えようとしても、最終的には〝もしも〟の思考へと辿り着いてしまう。
そして、そうなれば、また発作が起こる。
発作を防ごうとすればするほど、結局また〝もしも〟に行き着く。
――最悪の思考のループ。
剣磨は、まさにその渦中にあった。
(ダメだ……考えてしまってる。考えるな……! 頭を空にしろ!)
剣磨は、必死に自分に言い聞かせる。
ここに来るまでの廊下でも、同じ思考に陥った。
だが、あの時はひまりのおかげで気持ちが楽になり、マイナスへ向かっていた思考も落ち着いた。
しかし、今。
再び負の方向への思考が勢いを増し、剣磨の心を侵食していく。
もし、魔導士になれなかったら――
どんな顔で、家に帰ればいい?
家族は、僕をどう見る?
母上は?
父上は?
……勘当されるかもしれない。
もしそうなったら、その後は?
(やめろ! やめろ……っ!)
考えたくもない未来が、刹那のうちに何度も脳裏を駆け巡る。
検査開始まで、もう時間がない。
刻一刻と迫るタイムリミットが、剣磨をさらに追い詰めていく。
不安と焦燥が、深く、底の見えない闇へと彼を引きずり込もうとしていた。
剣磨の身体が、小刻みに震え始める。
だが、彼はその事実に気づいていない。
いや――気づく余裕が、彼にはなかった。
顔を伏せ、今にも崩れ落ちそうな表情で、剣磨は呟く。
(もう検査まで時間がない。この状態で検査なんて、受けられるわけがない……! 早く何とかしないと。でも、どうすれば……)
思考という名の泥沼は、足掻けば足掻くほど深みにはまり、抜け出す術を失わせていく。
もはや、剣磨ひとりの力では、その沼から這い上がることはできなかった。
そう。ひとりなら――。
ガシッ。
「ん?」
剣磨は、違和感を覚えた。
突然、目の前がふわりと暗くなったのだ。
それと同時に、柔らかな感触が胸に飛び込んでくる。軽やかな香りが鼻をくすぐり、温かな体温がじんわりと伝わってきた。
「えっ……?」
何が起こったのか理解する前に、腕が背中へと回され、ぐっと強く抱きしめられる。
驚いて顔を上げると、いつの間にか椅子から立ち上がり、自分の胸にぴったりと密着しているひまりの姿があった。
「……な、なななっ!? えっ!? ええっ!?」
剣磨の頭が、先程とは別の意味でパニックに陥る。
心臓の鼓動が、一気に跳ね上がるのが自分でも分かった。
驚きのあまり、剣磨の身体は完全に硬直してしまう。
それももう、先程までの震えは何だったのかと思うほど、カチカチに。
そんな固まってしまった剣磨を抱きしめたまま、数秒が過ぎる。
やがて、ひまりは腕を離した。
ほんの数秒の出来事だったが、とても長く感じた――と、後に剣磨は語ることになる。
「落ち着いた?」
ひまりは、こてんと首を傾げて剣磨に問いかける。
「えっ、あっ、いやっ……」
しかし、先程とはまた別の意味でパニック状態に陥っている剣磨は、まともに言葉を発することができず、口をパクパクと動かすだけになってしまっていた。
そんな剣磨を見て、ひまりは心の中で、〝うさぎさんがお魚さんになった〟と思った。
そして、落ち着かない様子の剣磨を見つめながら、ひまりは腕を組み、小さく首を傾げる。
「おかしい。ハグしたら、落ち着くと思ったのに」
ひまりは、原因を探るように軽く唸った。
ひまりが剣磨にハグをしたのは、ひまり自身が不安なとき、そうされることで気持ちが落ち着くからである。
だが、それは本来、互いに親しい間柄であることが前提の行為だ。
ひまりは、その前提をすっ飛ばし、今日会ったばかりの剣磨にそれをしたのだから、剣磨のこの反応は、ある意味当然だと言えるだろう。
剣磨は、少しの間を置いて、ようやく口を開いた。
多少は落ち着きを取り戻したようで、すぐに問いかける。
「ひ、ひまりさん……えっと、今のは?」
「ハグです」
「いや、それはわかってるんだけど……なんで急にハグを?」
「だってケンマ、様子がおかしかったから。ハグしたら、心が落ち着くと思った」
「いやいや、落ち着くどころかビックリしたよ! 今も心臓がすごい勢いで鳴ってるんだから!」
「むぅ……剣磨を落ち着かせるの、難しい」
「そんな、“赤ちゃんをあやすの難しい”みたいなテンションで言わないでよ! 誰だって、急に抱きつかれたらびっくりするよ。特に、ひまりさんみたいに可愛――い、いや、なんでもないです」
「?」
剣磨は勢いで“可愛い”と言いかけたが、
かろうじて残っていた理性がそれを押しとどめた。
ひまりは言葉を途中で切った剣磨を不思議そうに見つめている。
「でも、震えはなくなったみたい」
「そりゃあ、急にあんなことされたら体も固まって――って、え? 僕、また震えてたの?」
この時になって、剣磨はようやく自分が
震えていたことに気づいた。
「うん。ウサギさんみたいに震えてたケンマ、略してケンマウサさんになってました」
「そ、そっか……」
またしても自分が震えていたことを、ひまりに指摘される。
それは通路での一件と、まったく同じ構図だった。剣磨は羞恥の念に苛まれる。
(はぁ……ひまりさんに、また恥ずかしいところを見られちゃったな。でも――)
確かに剣磨自信には自覚はなかったが、
今現在、身体の震えは止まっていた。
それに、さっきまで沈んでいた思考も、
ひまりの突発的な行動によって吹き飛ばされていた。
ひまりの意図とは異なるものだったが、
それでも結果オーライの形にはなっていなのだ。
(また、ひまりさんに助けられちゃったな)
通路での時と同じように、ひまりは自分を救ってくれた。
剣磨の胸には自然と感謝の気持ちが湧いてくる。だが同時に、
(同い年の女の子に、二度も助けられるなんて……ほんと、僕はダメだな)
情けなさに、胸の奥が少しだけ痛む。
(はっ、危ない危ない。今にもまた暗い方に引きずられそうだった)
しかし、流石の剣磨もこんな短時間で同じ過ちは繰り返さない。
何とか、暗くなりかけていた気持ちを持ち直す。
そして、そんな持ち直させてくれたひまりに感謝を言う。
「ひまりさん。ありがとう……また助けられたよ」
「ん。ウサギさんじゃなくなったのならよかったです。ケンマウサさんはそれはそれで
可愛かったけど」
「あ、あの、できれば“ケンマウサさん”はやめてほしいな。一応、これでも僕、男だから」
「む……ケンマはイヤでしたか。なかなか良いネーミングだと思ったのに。でも、イヤなんでしたら、ケンマウサさんはやめます」
「ありがとう……」
剣磨は、奇妙なあだ名を免れたことに安堵する。
しかし――
「あ、それとケンマ、」
「うん? どうしたの?」
安心したせいか、剣磨は完全に油断していた。
その無防備な状態で、ひまりの言葉を聞いてしまったのだった。
最後までお読みくださいありがとうございました!




