08 剣磨の苦悩
神楽ノ国には、知る人ぞ知る名家がある。
その名は――天式家。
天式家は、千三百年の歴史を誇る、由緒正しき家系である。
しかし、それは単なる旧家というわけではない。
この神楽ノ国には、魔法界の皇家である5大宮家と呼ばれる五つの家が存在する。
それらの家々は、それぞれが魔法界、経済界、金融界において絶大な影響力を持ち、その力は国そのものを動かし、ひいては世界にすら及んでいた。
そして、その五つの皇家を古くから支える存在として、十式家と呼ばれる、〝式〟の名を冠した十の家がある。
十式家は、五大宮家を除けば、この国の魔法界において比肩するものなしと称される、魔法の名家である。
古来より優れた魔導士を幾人も輩出してきた、名実ともに魔法の名門だ。
十式家の歴代当主たちは、いずれも各時代において国家、そして五大宮家に大きく貢献してきた。
そして、その影響力は宮家ほどではないにせよ、十分すぎるほどに大きなものであった。
そんな、格式高き10の名家の一つ、天式家の跡取りとして生を受けたのが、天式 剣磨である。
剣磨は昔から、『天式家の跡取り』という肩書きを疎ましく思っていた。
もともと、人の注目を浴びることが苦手な性分である。
しかし、その肩書きは、彼の意志とは無関係に、周囲の関心を惹きつけてしまう。
道を歩いているだけで、すれ違う人々から好奇の視線を向けられる。
天式家の名で利益を得ようとする、見ず知らずの大人たちから、やけに丁寧な敬語で擦り寄られることも珍しくない。
小学校時代には、一度も言葉を交わしたことがないにもかかわらず、「自分こそが剣磨の親友だ」と名乗り出る者が、少なくとも三十人はいた。
剣磨にとって、この肩書きは――良くも悪くも、いや、ほとんど悪い意味で――否応なく注目を集めてしまうものであり、心の底からうんざりさせられる存在だった。
そして彼は、中学に進学したことで、天式家の名にさらに苦しめられることとなる。
きっかけはそう。夜式 和重である。
苗字で分かる通り、剣磨と同じ10式家の人間であった。
小学校時代は通う学校が異なっていたため、関わりを持つことはなかった。
だが、中学に進学したことで同じ学舎を共有することとなり、剣磨は和重と出会ってしまった。
そして、あろうことか和重に目を付けられてしまったのだ。
発端は、和重に絡まれて困っていた女子生徒を助けようとしたことだった。
その日を境に、剣磨は和重とその取り巻きから、いじめと呼ぶに相応しい仕打ちを受け続けることになる。
私物を捨てられる。
水をかけられる。
時には、ただのサンドバッグのように殴られることさえあった。
それらは、ほぼ日常的に繰り返された。
剣磨は抵抗するが出来なかった。
基本、剣磨は臆病で、争いを好まない性格である。
そのため、和重に詰め寄られると、反発心よりも先に、恐怖心が勝ってしまうのだ
加えて、和重は性格に難はあるものの、その資質自体は夜式家の名に恥じぬものだった。
運動能力は高く、度胸もあり、素行不良でありながらも学業成績は常に優秀。
一言で言えば、天才である。
そんな性格以外、非の打ち所がない和重に自分なんかが反発したところで勝てるはずがない。
剣磨には、そう思わずにはいられない気持ちもあったのだ。
教師や他の生徒たちも、天式家と夜式家の跡取り同士のいざこざなど、絶対に関わりたくないと、見て見ぬふりを決め込んでいた。
剣磨自身もまた、この事実を両親に訴えることができなかった。
理由は二つ。
一つは、親に告げることで和重から報復を受けることを恐れたから。
もう一つは、由緒ある天式家の跡取りである自分が、学校でいじめられているなど知られては家名に傷がつくと考えたからである。
剣磨は呪った。
和重に抗えない己の力の無さを。
立ち向かう事が出来ない己の勇気の無さを。
そして、そんな環境から逃げ出すことすらできない己の心の弱さを。
やがて、剣磨の中で「自分は何もできない人間だ」という意識が根付いていった。
そして、それは学校だけでなく、家での生活にも影響を及ぼし始める。
『天式家の跡取り』という肩書き。
元々好ましく思ってなかったこの肩書きが自己肯定能力の低下により、さらなる重圧となっていたのだ。
何故、『天式家の跡取り』という肩書きが重圧になるのか。
それには大きな理由があった。
それは天式家の人間であるが故の重圧。
実は、天式家は創設以来一三〇〇年もの間、一代たりとも例外なく当主が魔導士として開花してきた家系なのである。
通常、魔導士の家系といえども、三代に一人当主が魔導士として能力を開花させれば十分とされている。
他の十式家ですら、歴代すべての当主が魔導士として開花したという記録は存在しない。
しかし、天式家は違った。
初代から現当主である、
第32代当主・天式 武文(剣磨の父親)に至るまで、一人残らず魔導士として開花し、そして名を成している。
故に、剣磨は思う。
〝歴代当主たちと同じように、自分も魔導士として開花できるのか?〟
〝もし、魔導士になれなかったら……皆、僕を蔑むのではないか〟
と。
歴代当主が全員魔導士として開花するなど、世界規模で見ても極めて稀有な事例である。
それゆえに、天式家の跡取りである剣磨の魔法適性検査には、魔法社会のみならず、魔力を持たない一般の人々からも注目が集まっていた。
剣磨は一人っ子であり、仮に魔法が使えなかったとしても、代替わりによって当主になること自体は確定している。
それは言い換えれば、脈々と続いてきた〝魔導士が当主となる〟という伝統を、自らの代で壊すことを意味していた。
一三〇〇年にわたり絶えることなく続いてきた魔導士の血統。
そして、それによって生まれた世間からの異常なまでの関心。
天式家の跡取りである以上、避けることのできないこの二つの重圧が、剣磨の心を静かに、しかし確実に蝕んでいた。
しかし――
彼にとって、本当に恐ろしいことは、魔導士になれずに一三〇〇年の血統を途絶えさせることでも、世間の期待を裏切り、失望を買うことでもなかった。
剣磨にとって、それ以上に恐ろしく、そして彼の心を最も深く蝕んでいるもの。
――それは、魔導士になれず、両親から失望されることだった。
剣磨の母、天式 光は、誰からも親しまれる朗らかな女性だった。
彼女はいつも明るく、気さくで、優しい微笑みを絶やさない。
誰に対しても分け隔てなく接し、その温かい人柄ゆえに、多くの人々から慕われていた。
もちろん、剣磨のことも深く愛し、大切にしてくれていた。
そして、剣磨もまた、そんな母を心から慕っていた。
しかし、いつからか。
剣磨は、母が自分に向けてくれる愛情を、素直に受け取れなくなっていった。
〝母は、本当に自分を“息子”として愛しているのか?〟
〝天式家の跡取りだから、大切にしているだけなのではないか?〟
〝もし、魔導士として開花できず、一三〇〇年続いた血統の連鎖を、自分が断ち切ってしまったら?〟
〝天式家の名に、泥を塗ることになったら?〟
〝その時、母は……自分を突き放すのではないか?〟
そんな考えが、次第に剣磨の脳裏をよぎるようになっていったのだ。
剣磨の父、天式 武文は、母・光とは対照的な人物だった。
寡黙であり、決して笑うことはない。
しかし、曲がったことを嫌い、己の正義を貫く、まるで侍のように一本筋の通った男であった。
そして何より――彼は、英雄だった。
***
十五年前――
神楽ノ国を、大規模魔獣災害が襲った。
この国の東方、約五〇〇キロ離れた場所にある未開の大陸
その大陸から突如として、十万を超える魔獣が姿を現し、神楽ノ国への侵攻を開始したのだ。
当然、国民は大混乱に陥り、魔獣上陸予想地の住民には、緊急避難命令が発令された。
だが――
結局、その魔獣の群れが、神楽ノ国に足を踏み入れることはなかった。
何故なら、この未曾有の危機に対し、五人の魔導士が立ち上がったからである。
彼らは魔獣の侵攻路にある孤島に先回りして待ち構え、
なんと、たった五人で、十万を超える魔獣を殲滅したのだ。
***
大規模魔獣災害――
それは、五万以上の魔獣が群をなし、人類圏へと侵攻するという、人類史において、これまで二〇回しか経験したことのない未曾有の天災である。
過去に発生したすべての災害において、人類は甚大な被害を被り、国家そのものが消滅した例すら存在する。
そんな天災とも呼べる災害を、五人の魔導士が、一人の犠牲者も出さずに鎮圧した。
――これは、人類史上、前例のない偉業であった。
〝たった五人の魔導士が、十万を超える魔獣を殲滅し、大規模魔獣災害で、初めて死者を出さなかった〟
この衝撃的なニュースは、瞬く間に世界中へと拡散され、人々を驚愕させた。
そして、世界中の人々は、彼らを現代の英雄として称えた。
そして、その英雄の一人こそが、現・天式家当主。
天式 武文――その人なのである。
***
剣磨は、そんな偉業を成した父・武文を、心から尊敬していた。
しかし、同時に――
彼を恐れてもいた。
武文は寡黙で、ほとんど笑うことがない。
それは、息子である剣磨に対しても変わらなかった。
十四年間の記憶を遡っても、父と会話をした記憶は、ほとんど残っていない。
まったく言葉を交わさないわけではない。
しかし、それも朝夕の挨拶や、短いやり取りが一、二度ある程度だった。
剣磨には、父が何を考えているのか分からなかった。
それどころか――息子である自分のことを、どう思っているのかすら分からなかった。
どう接すればいいのかも、分からない。
父・武文もまた、自ら剣磨と話そうとはしなかった。
その態度が、
〝父上は、僕なんかに興味がないんじゃないか〟と、剣磨の不安を掻き立てていた。
そして、
さらに、その想いに拍車をかける出来事があった。
それは、和重に暴力を振るわれ、誰の目にも傷つけられたと分かる外見で家に帰ってきた時のことだ。
その時、母・光をはじめ、使用人たちは皆、そんな剣磨を心配してくれた。
だが、父・武文だけは違った。
彼は剣磨に一瞥をくれるだけで、心配の言葉をかけることはなかった。
優しい母。偉大な父。
剣磨は、そんな両親が大好きだった。
だが、好きであるからこそ――聞けないことがある。
――自分は、息子なのか。それとも、ただの天式家の跡取りなのか。
――跡取りである前に息子なのか。息子である前に跡取りなのか。
――魔法の才能がなくても、息子として認めてくれるのか。
それとも、魔法の才能があってこそ、息子として扱われているのか。
もしも、その問いの答えが、
「魔導士になれないのなら、天式家には必要ない」
そんな類の言葉だったとしたら――。
剣磨は、怖くて聞くことができなかった。
普通の子供であれば、決して抱かないはずの疑念。
だが、自己肯定感の低下、そして天式家の跡取りという特殊な環境が、剣磨の心を静かに闇へと引きずり込んでいた。
そして、そんな不安を抱えたまま、剣磨は魔法適性検査当日を迎えてしまうのであった。
両親は、共に来ていない。
父・武文は、天式家の当主であると同時に、対魔導特殊部隊と呼ばれる部隊の隊長を務めている。
この部隊は、国家安全保障に直結する極めて重要な組織であり、隊長である武文が持ち場を離れることは、到底ありえなかった。
また、母・光も、多忙な武文に代わり、天式家当主代理として数多くの務めを担わねばならなかった。
そのため、剣磨は一人で、この会場に赴いたのである。
ひまりのように、保護者代理として使用人を同行させなかった理由は二つあった。
一つ目は、家から会場までの距離が近く、公共交通機関で十分に移動可能だったため。
二つ目は、不適正と判断された場合、その瞬間を家の人間に目撃されたくなかったためである。
遅かれ早かれ、結果が知られることは分かっている。
それでも、不適正と判断されたその時、惨めに佇むであろう自分の姿を、剣磨は誰にも見られたくなかったのだ。
剣磨は検査会場に到着すると、受付の指示に従って入場し、自分と同じように検査を受けに来た子供たちと共に、通路を歩いていく。
その足取りは重く、まるで処刑場へと向かっているかのような気分だった。
しかし――
「ねぇ、君」
そこで、剣磨は出会うことになる。
これからの自分の人生を、大きく変えることになる――
一人の少女と。
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