<9・Overture>
モモザクラは、この国――ラジスターアイランドを中心に世界中に分布する、春の風物詩とも言える花である。
三月から四月にかけて満開となり、多くの人に春の訪れを教えてくれる。薄紅色の花は縁起も良く、ラジスターアイランドにおいては国花としても位置付けられている。
今、そのラジスターアイランドにある小さな町・メリーランドタウンにて、ちょっとしたお祭りが開催されているのだった。
「アンテラス・コイマドラ・シノ・シノ・シノ……」
古代ラジスター語の歌に合わせて、満開のモモザクラの下で踊る踊り子。藍色のヴェールをかぶり、華奢な肌を露出度の高い水色の衣装を身に纏っている。胸は少々小ぶりだが、ほっそりとした腰ときゅっとした尻がなんともキュートだった。群衆に紛れて踊り子を眺めていた男は一人、ほう、とため息を吐く。
男の名前は、“貪欲のゴートン”。
禿げ上がった頭、でっぷりとした中年太りの体躯であるのは、男が並はずれた大食漢である上自らの容姿を気にかけない性格ゆえと言える。この世界に転生してくる時に容姿も自由に変えることができると教えて貰ったのだが、様々な理由から元の姿のまま過ごしているという現状にあった。
そう、ゴートンは異世界・現代日本の地球から転生してきた勇者の一人。かつての世界では、いわゆる“ひきこもり”という人種だった。家に引きこもっていたらうっかり本棚が崩れてきて、さらにうっかり死んで異世界転生する羽目になってしまったわけである。随分と都合よく本棚全てが自分の上に倒れてきたものだと思わなくはなかったが――まあ、元の世界に不満もあったし、特に気にしないでいる。
二年ほど前にこの世界に、他の異世界転生者と共に勇者に任命され、以来この世界でチートスキルを使いながらのんびり暮らしているというわけだった。悲しいかな、RPGのように“魔王を倒したら世界んは平和になりました”とはいかなかったわけだが。二年前に召喚されてすぐ仲間達とともに魔王を倒したのに、結局この世界の危機は去らずに戦い続けることになってしまったのだから。
この世界を脅かす謎の現象、ヴァリアント。
突然人が、生き物が怪物になってしまい、周囲の者達を攻撃するというこの現象は、魔王が世界征服のために引き起こしていると言われていた。女神に依頼され、その魔王を倒して世界の平和を取り戻して欲しい――そう頼まれたのがゴートン達であったのである。
なんともゲームの主人公になったようで気分がいいではないか。ヒーロー願望はあったものの、遠く及ばない現実にやきもきしていた男はあっさりと女神の提案を承諾したのである。貰ったチートスキルがあれば、さほど努力などしなくても英雄になれる。面倒なことをすっとばして、美女にモテモテになることも彼女らを奴隷としてこき使うこともできるのだから、と。
ちなみに容姿を元の世界のまま変更しなかった理由の一つが、ゴートンが“モブレ系のAVやエロアニメが大好きだったから”である。
ああいう凌辱系の作品は、攻め手の男が醜い容姿であるからこそそそられるのだ。かつては己の醜さをコンプレックスとしていたゴートンも、今ではそんな自分に自由にされる美女達に萌える立派な武器としていたのだった。
「アンテラス・コイマドラ・シノ・シノ・シノ……」
ひらひら、ひらひら。
薄紅色の花びらが舞い散る中、踊り子の美女が舞い踊る。やや長身で、足がすらりと長いのが魅力的だった。花びらを纏って、銀色の髪がキラキラと光り輝く。紅色の唇がにっこりと微笑むたび、妖艶に腰を揺らすたび観衆は喜びに沸いた。
ラジスターアイランドでは伝統的な“古代祭の踊り”ではある。振付もさほど高度なものではない。が、この踊り子は自分の魅力を発揮するのが抜群にうまいのだった。ようは、動きの一つ一つにハンパない色気があるのである。
彼女が動くたび、銀色の雫が飛び散るような錯覚を受ける。真紅の瞳が真っ直ぐにゴートンを見た気がした。どきり、と思わず胸が高鳴ってしまう。今まで自分の能力を使って多くの美女を虜にしてきたが、ここまで美しい女は見たことも聴いたこともない。
「欲しい……」
思わずぺろりと唇を舐めあげる。なあ、と近くに立っていた少年に声をかけた。
「なあ、坊主。あの踊り子の姉ちゃん、どこの誰だか知ってるか?この町に来てから一週間なんだが、今日初めて見たんだよな」
「ん?」
振り返った少年は、黒髪に青い目のなかなか綺麗な顔をしていた。まあ、男に興味はないので食指は動かないのだが。
「ああ……旅の踊り子さんだって言っていた。今日来たばっかりだって。ああやって踊りを見せることでお金を稼いでるんだとかなんとか。ほら、足元に投げ銭の籠があるだろ?良いと思ったらあれにお金入れてやりなよ。今日明日とお祭りだから、稼ぎ時だってはりきってるみたいだし」
「ふんふん……」
「名前はジニーさんっていうらしい。踊りが終わったら、声でもかけてあげたらどうかな」
「そうだな」
旅の芸人というのは、この国でけして珍しいものではない。ただ、ゴートンは見抜いていた。この女性はどこまでも美しいが、踊りの技術が特に優れているわけではない。どちらかというと観衆を魅了しているのは、その妖艶な魅力によるものだろう。
そして、多くの女達を食らってきたゴートンにはたやすく想像がつくのである。この女の腰つきは処女ではない。どころか、多くの男を食いなれた尻をしている。
恐らく、稼ぐ本業は踊り子ではなく――。
「ジニーさんかぁ」
極上の女だ。旅の踊り子ならば、他の地域の情報にも精通していることだろう。
欲望を満たす意味でもそれ以外でも、絶対に欲しい相手である。
***
なんとも分かりやすい。
それとなく少年――ユリンが教えてやると、勇者ゴートンはあっさりと目の色を変えたのだから。
「アンテラス・コイマドラ・シノ・シノ・シノ……」
桜の木の下、踊り子は歌い踊り続けている。ゴートンはそれを、欲に塗れた目で見つめていた。まったくよくやるよ、とユリンは思う。あんなオヘソも肩も丸出しにした服、よく着たいと思えるものだ。いくらこれが、作戦のためだとわかっていても。
――まあ、確かに……あれが“男”に見える人はそうそういないだろうけどさ。
ゴートンは知らない。
彼が魅了された美しき踊り子が、まさかの二十歳になった男であることなど。
そして、自分達勇者を殺したいほど憎んでいる魔王の息子であることなど。
――あれからもう、二年か。
思わず空を仰ぐ。モモザクラの花びらが舞い散る中、今日はどこまでも抜けるような青空である。自分達が愛する魔王が殺され、城が焼き滅ぼされた日とはまるで真逆。まるで、自分達の門出を祝ってくれているかのようではないか。
二年。
この二年で、自分達は大きく変わった。じっくりと時間をかけ、それぞれの牙を研ぎ、準備を重ねてきたのである。全ては愛する魔王を殺した連中に復讐するために。
あの時十二歳の子供だったユリンも十四歳になった。まだまだ幼いと言われればそれまでだが、あの時よりもずっとまともに魔法が使えるようになっている。命をかけて仇討ちを成し遂げる覚悟はとうにできた。直系ではなかったが、自分もアークと同じ魔族。両親が死んで途方にくれていた自分を助けて育ててくれた魔王は、己にとって二人目の父親に他ならなかったのだから。
他の者達も、強くなった。あの雨の日にはまだ七歳の子供でしかなかったミユでさえ。誰もが自分だけの武器を携え、今日という日を待っていたのである。
そう、勇者を一人ずつ網にかけて捕え、復讐を始めるこの日を。
「アンテラス・コイマドラ・シノ・シノ・シノ……」
ジニー――否、ジルが両手を広げ、女性にしか見えない美貌で観衆を魅了する。彼は変装の技術と演技力にさらに磨きをかけた。勇者たちのようなチートスキルなどなくても問題ない。彼は己の声で、言葉で、動作で、美貌で、笑顔で。それだけで人を魅了し、誘導することができる。
恐らくゴートンは今夜、男とも知らずにジニー=ジルを自分の宿屋に誘うことだろう。ジルの踊りの技術が、一般的な踊り子より劣ること、その妖艶な仕草から“本業は娼婦だろう”と睨むことまで見越して。
実際、ジルはその気になればプロ顔向けのダンスもなんなく踊ることができる。拙く見せているのは意図的だった。全ては色欲に塗れた男が自分の誘いに乗ってくるように仕向けるため。
――男であるジルがゴートンを色仕掛けするのは理にかなってはいる。何故ならば、ゴートンのチートスキル……女を魅了し自分の虜にするスキルは、男であるジルには効かないんだから。
異世界に召喚された勇者たちの中で、ゴートンが一番立場が低いのはわかっている。
二年前、魔王を倒してもヴァリアントの脅威が世界から去ることはなかった(自分達が元凶でないのだから当然だ)。それを、彼等は“魔王の意志を継いだ残党が逃げのびているから”と解釈したらしい。ゆえに、この二年間魔王城から生き延びたジルやルチル、ユリンたちを探して国中を旅しているわけだ。時折出現するヴァリアントを倒して自らの株を上げながら。
が、一番あっちこっちに駆り出されているのは、立場が弱いゴートンなのである。アークを撃った凶弾のサリーや、魔王城に火をつけた紅蓮のゾウマといった者達はそうそう本拠地から動かない。裏を返せば、あちこちを旅しているゴートンが最も情報を持っているとも言えるのである。
だからまずは、此の男を落とす。
情報を搾り取って、それから。
――俺達は、真実を知りたい。
ユリンは拳を握りしめる。
――何で俺達の父さんが、殺されなければいけなかったのかを。
さあ、復讐劇の幕開けだ。