<8・Prologue>
彼らの手口は、あまりにも悪辣だったという。
修理中だったガソリン車に、爆弾を乗せて城に突っ込ませたのだ。それを、魔法で遠隔で爆発させた。その結果、入口から一気に火が燃え広がったのである。二階、三階から即座に飛び降りる選択ができた者はまだ良かった。問題は一瞬で火の海になった一階にいた者達と、地下にいた者達だっただろう。
城で最も人が集まっていたのは、地下の研究施設と栽培施設だった。階段は、一階の入り口にほど近い場所にある。魔法の火はスプリンクラーでは簡単に消せない。彼らは地下から出ることができず、熱と一酸化炭素中毒で苦しみながら死んでいくことになる。
――わからない。
ジルは茫然と座り込んで、思う。
――あいつら、何でこんな残酷なことができる?
森の入口に集まっていた連中は、陽動だったというわけだ。あの場所に魔王の目を引きつけた上で、魔王城に奇襲攻撃をしかける。城にいる戦闘要員も非戦闘要員も関係なく、城ごと燃やして焼き殺すつもりでいたのだ。こちらの言い分など、まったく聴くつもりもなく。
生き残ったのはジルとルチル、それからなんとか飛び降りて火の手から逃れることができた数名の住人達のみ。
どうにか彼らを連れて城から逃げて森の入口まで戻ったジルとルチルが見たものは、ボロ雑巾のような姿になって打ち捨てられているアークとクグルマの姿だった。
一体何十箇所を撃たれ、刺されたというのか。恐らく殺したあとも、憎悪のままその遺体を切り刻んだのだろう。
クグルマの顔は半壊していたし、アークには右手と左足がなくなっていた。そして、抱き上げるとぼろぼろと落下する内臓。あまりにも無惨な父の姿に、ジルはその体を抱きしめて嗚咽を漏らすしかなかったのである。
「……ルチルは見ました」
同じく、傍で膝をついて言うルチル。
「燃え盛る城で……たくさんの、苦しむ声が聞こえているのに。まだ、魔法で火をつけようとしている奴らがいて……それを、指揮している男が。笑いながら、自分は勇者だと、そう言ってて……」
「勇者……」
あの“凶弾のサリー”も自分を勇者だと言っていた。魔王を倒す勇者だと。魔王を倒して、世界を救うのだと。
――ふざけるな。
ぎり、と唇が噛み切れるほど歯を食いしばった。目を閉じたアークの顔に苦悶の色はない。彼はひょっとしたら、ジルとルチルだけでも守れたと安心して死んでいったのかもしれなかった。自分のことより家族のこと、仲間のことばかり気にするような優しい人だった。己がどれほど苦痛を浴びても、愛する人が幸せならばそれでいいと、心からそう言えてしまうような人で。自分達にとっては命の恩人であり、愛する父であり。
――何が勇者だ。あんたらが殺したのは悪の魔王なんかじゃない……この人は何度もそう訴えた。それなのに、最初からそんな話を聴くつもりもなかったと?最初から城を焼き打ちして皆殺しにするつもりだったと?ふざけるな……ふざけるなふざけるなふざけるな!!
だから、きっと。
この人は復讐なんて望まないだろう。そんなことより、愛する我が子達がどこかで生き延びてくれればそれでいいと言うのだろう。
そんなことはわかっている、それでも。
「許さない……」
愛する人の亡骸を横たえて、ジルは立ち上がった。
「何が勇者だ。何が正義だ。……そんなクソくだらないもののために父さんは悪役に仕立てられて、殺されて……!そんな事でもしなきゃいけない世界なら、勝手に滅んじまえばいいんだ……!」
「ジル……」
「殺してやる」
復讐をよりどころにしなければ、生きていけない者もいる。
自分達にはもう他に、守るべきものなど残っていないのだから。
「俺達から父さんを奪った連中を……あのクソ勇者どもを!みんなみんな殺して、地獄の苦しみを味あわせてやる……!」
愚かだと言いたければ言えばいい。
自分に必要なものはもはや、綺麗な言葉などではないのだから。
***
全ての遺体を埋葬することはできなかった。
アークとクグルマはまだしも、城の方からどんどん森に火が燃え広がっており、もはや近づくことさえ叶わなかったからである。
魔法が使える者が火を消そうと躍起になったが、そもそも一人二人でどうにかなるようなレベルの火災ではない。莫大な魔力を持つアークが生きていたら話は別だったかもしれないが、生き残った者達の中にそこまでの力を持つ者はいなかったのだ。
唯一の幸いは、火の勢いが想像以上だったためか、勇者一派も火災が大きくなると同時にさっさと撤退していったことか。その結果、焼け出された者達が追撃に遭うこともなかったのだが。
「……ルチル、地下で研究の途中だったのです」
火の粉が舞い散る森を逃げる、逃げる、逃げる。地下にはひょっとしたらまだ、生き残っている者がいるのかもしれない。しかし、それを救出しに行くのはまありにも無謀だった。それを理解できるくらいには自分達は冷静だった。冷静であってしまった。
ジルに手を引かれながら、呆然とルチルが語る。
「ラナさんが、メブキ草のエキスに凄い治癒効果があるって発見して。抽出して発酵させれば最高の傷薬ができるかもしれないって喜んでて」
「ああ」
「サクヤさんが……みんなの差し入れにって、サンドイッチを作ってくれたんです。ルチル、お父様のところに行くから後で食べますねって言って……なんで、あの時食べなかったのかな」
「……ああ」
「もう二度とあの味が食べられなくなるなんて、思ってもみなかったんです。コーマさんは飼い犬のポチくんの写真、見せてくれたんですよ。白くてふわふわで、またちょっと大きくなったんですって。今度散歩させてもらう約束してたんです、なのに……なのに、みんな、あの地下で」
「もういい、ルチル」
「みんな、もう助けられないんですか?なんで、どうして……っ」
ぽつ、ぽつ、と真っ暗な空から雨が降り始めた。この雨が火を消してくれるか否かは微妙だった。ただ、火の勢いが弱くなれば、生き残った者達の魔法でどうにか鎮火させることができるかもしれない。
そうすれば、地下で生き残っているかもしれない者達を救出することができるかもしれない。
かもしれない、かもしれない、かもしれない、かもしれない。どれもこれも、あまりにも希望的観測。自分達の絶望を打ち払うには、あまりにも弱すぎる。
「空が、泣いてるみたいだ……」
仲間の一人が、ぽつりとそんなことを言った。雨脚はどんどん強くなってくる。煮えたぎった頭で、どうにか考えられたことは“雨宿りしなければ”だった。
当たり前だが、シルタの町に逃げることはできない。そして、近隣の町々も自分達の味方であるとはとても思えない。森を北に抜けて辿りついたのは、十年ほど前に過疎化によって廃村となったゴマの村だった。正確には元・村だった場所だ。物資は何も残っていないだろうが、一応廃墟となった建物はある。雨風をしのげるだけマシだろう。
ずぶ濡れになった全員が、村で一番大きな屋敷に駆け込んだ次の瞬間。空がカッと明るくなった。爆発音にも似た雷鳴が轟く。稲光と大雨。まるで嵐でも来たかのようだ。
「…………」
これからどうするのか、なんて。誰にもわからなかった。ただ、ジルが独りで復讐してやると誓ったに過ぎない。他の者達がどう考えているのか、その意見を聞いたわけではなかった。大体、本当の意味で落ち着いている者なんて誰もいないとわかっている。
「うう、ぐすっ……」
やがて。仲間内で一番小さかった少女――ミユが泣き始めた。
「うう、うわああああん!あああああん!」
「ミユ……!」
「なんで、なんで、なんでええええ、ああああ、あああああああ!」
母親に抱きついて泣くミユ。彼女が七歳と、状況をある程度理解できる年であることがかえって不幸であったのかもしれない。母親は彼女を抱きかかえて二階から飛び降りて無事だったが、実の父親は一階にいたはずである。助けられない、娘だけでもと判断して母は逃げたのだ。
そして、ミユはアークのことも非常に慕っていた。たった一日にして、二人も父親を失ったも同然なのである。そんな彼女を、母親は嗚咽を漏らしながら抱きしめる他なかった。
生き残った者は、全部でたったの九名。
城には全部で、二百八十二名もの住人がいたのだ。その殆どが、たった一日でみんな奪われた。同時に、故郷である森も、城も。そう、森があれだけ焼けたのだから、森にいた生き物たちもどれほど被害を被ったことか。全て、アークとその仲間を悪魔の手先と決め付けて襲撃した勇者連中のせいだった。
「……町の住人どもは困窮してたし、確かにシルタの町には“ヴァリアントをけしかけているのは魔王”という噂が広まりつつあったようだ」
口を開いたのは魔族の少年、ユリン。美しい容姿の魔族といっても、黒髪の青眼なのでアークと比べれば目立つ容姿ではない彼。まだ十二歳の彼に、この状況はあまりにも酷だったことだろう。それでも辛うじて冷静さを保っているだけ凄いとも言えるが。
「それでも、元々シルタ族は大人しい気質の一族だ。ずっと前に町の視察に付き合ったことがあったが、あんな決起をするほどの度胸があるような奴らではなかったと思う。今回の作戦も、奴らが全てを決めたわけではないのかもしれない」
それは、ジルも思っていたことだった。凶弾のサリーがアークを撃った時、明らかに男達は慌てふためいていた。最初から計画されたことではなかったのかもしれないし、彼らは一応交渉するつもりでいたのかもしれない。
そしてユリンが言うほどの“大人しい連中”が、あんな残酷な焼き討ち作戦を実行するものかというのは疑問が残る。ということは、つまり。
「あの勇者連中が、煽ってけしかけた可能性が高いわけだ」
ジルは濡れてへたりこむ仲間達を見回す。もしも彼らにその気がないのであれば、自分も無理に巻き込もうとは思わない。でも。
「お前らは、どうするんだ?」
生き残った者達は全員が、人間か人間に近い容姿の者達だった。人間に紛れて、全てを忘れて平穏に生きる選択肢もないわけではないだろう。でも。
「ルチルはやります」
妹が真っ先に口を開いたのである。
「お父様を殺した奴らを、野放しになどできません。……全てを忘れて幸せに生きるなんてことも、ルチルにはできません」
「ルチル……」
「ユリン。他の皆さんも。同じなのではありませんか?」
激しい雨音と雷鳴の中。魔王の息子たちは皆同じ色の目をしていた。
どれほど不毛だとしても、たとえアークが望んていなくても。
自分達には意思がある。ただ蹴飛ばされ、踏みつけにされる石とは違う。
「復讐だ」
プロローグの終わり。
始まるのは誰かにとっての悲劇か、あるいは喜劇なのか。