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<7・Tragedy>

 一瞬、ジルは何が起きたか理解できなかった。


「父さ、ん……?」


 アークは膝をついたまま、苦しげに呻いている。その足元に、じわじわと赤い海が広がっていくのが見えた。それが父の血であると、気づくまでしばし時間がかかってしまったのだ。

 当然だろう。信じたくなかったのだから。必死で町の人達を傷つけまいと交渉していた父が――何者かに撃たれただなんて。


「父さん!」

「お父様!!」


 ジルとルチルは慌てて父の傍に駆け寄る。そして、ジルは見てしまった。父が左胸のあたりを押さえて苦しげに息をしている様を。

 まだ意識があり、どうにか倒れずにいるあたり流石ではあるが――場所が悪すぎる。即死でなかったということは、心臓はギリギリ避けたのかもしれないが、少なくとも肺を傷つけていそうな位置だ。


「が、がはっ……!」


 そう思った瞬間、アークが激しく喀血した。やはりと言うべきか、肺を損傷している。重傷の中の重傷だ。


「だ、誰だ今撃ったのは!?」


 驚くべきことに、町の住人達もざわついていた。彼らは確かに武器を携帯していたが、それでも銃を抜いて構えているような者はいない。

 では誰が、とジルが思ったその時だった。


「まどろっこしい真似をする必要ないじゃない」


 男達の間をかき分けるように、一人の人間が進み出てきた。現れたのは真っ赤な鎧を身に纏った――一人の女。

 年は二十代だろうか。赤い髪に黒い瞳、真っ赤なルージュ。女の手にはライフルのような銃。しかも、銃身からは僅かに煙が立ち上っている。

 こいつだ、とジルは目を見開いた。ただ、女の見た目が少々異質だ。シルタの町をはじめとして、この森の近隣の人間は黒髪黒目の者が圧倒的に多数を占める。赤髪に黒目というのは非常に珍しい。どこかの国の異人だろうか。それにしては、他の男達が差別的に扱っているようには見えないが。


「この男は、この国を脅かす元凶なのよ?そう言われてきたじゃないの。交渉なんてするはずがないわ。話しながら、あたし達に魔法をかける隙を伺っていたに決まっている。あいつが油断している隙に攻撃してしまうのが一番簡単なのに、何故そうしないの?ましてや……」


 にやり、と女は嗤う。


「女神様の加護を受けたこの転生者、“凶弾のサリー”がついているのよ?何も心配することないじゃない。あたしが撃った者は確実に死ぬのだから」


 女神様の加護?

 転生者?

 一体何の話をしているのか。混乱する俺に、クグルマが“あ”と小さく声を上げた。


「そ、そういえば聴いたことがございます。……世界が危機に陥りし時、この世界を守護する女神が……異世界から勇者を連れてくることがあると。異世界で死んだ者をこの世界に転生させ、チート能力を授けて世界を救うのだと……」

「何だって!?」

「あら、そこのおじいさんはよく知っているじゃない」


 クグルマの声を聴いてか、女――凶弾のサリーは告げる。


「そうよ、あたしは女神様に選ばれた正義の使者。女神様から選ばれし能力を授かった勇者なの……全ては悪の魔王を倒すためにね!あんた達はとっくの昔に世界を敵に回しているのよ。そうとも気づかずに馬鹿な連中ね!」

「俺達は世界征服なんか目論んじゃいない、誤解だっつってんだろうが!」

「じゃあなんで、この世界に突然ヴァリアントが出現するようになったの?多くの土地で不作凶作や疫病が蔓延するようになった原因は?他に理由があるなら答えてみなさいよ」


 無茶苦茶だ、とジルは奥歯を噛み締める。そんなもの、わかっているなら自分達だってとっくに対処している。ヴァリアントの研究を進めているけれど今だにその生態は不明、という話をついさっきアークがしたばかりではないか。


「魔法の壁でガードしたようだけど……あたしのチートスキルには遠く及ばなかったようね。まあ、心臓をギリギリ回避したことだけは流石と褒めておくけど」


 女は銃を高々と掲げて宣言する。


「魔王はもう死に体よ!あとはもう恐れるに足らず!今こそ魔王の部下たちを根絶やしにして、この世界に平和を齎す時なのよ!さあ皆さん行きましょう、正義を執行するために!」


 既に、凶弾は放たれてしまった。どっちみち後には退けないという状況、そして彼女の言葉に満ちた自信。それに、最初はなるべく戦いを回避しようとしていたであろうシルタの町の男達も乗せられていく。

 おおおおおおおお!と男達の間から上がる雄叫び。まずは、この場にいる四人のトドメを刺さんと襲い掛かってきた。クグルマはともかく、ジルとルチルは人間であるにも関わらず。


――ふざけんなっ……!


 足元に広がる血の海。アークの傷はほぼ致命傷だ。魔王ならまだ治せるかもしれないが、その時間がない。

 このままでは自分達みんな、この場で殺されてしまうことになる。世界征服をしようとし、多くの町の者達をヴァリアントという名の怪物に変えて蹂躙した悪の化身として。そのような、心当たりなどまったくない汚名を着せられて。


「“Hurricane”!」


  次の瞬間、周囲に力強いん突風が吹き荒れた。複数の男達が強風にあおられ、森から離れた場所へと吹っ飛ばされていく。

 この温かい魔力、間違いない。これほどの手傷を受けながら、アークがとっさに魔法を放ってみせたのだ。


「と、父さん!今のうちに回復魔法を……!ルチル!」

「こ、これほどの傷じゃ、ルチルの薬では……!」


 ルチルも多少薬を持ってきてはいたものの、内臓を損傷するほどの傷を修復する薬はまだ開発できていなかった。もっと言えば、今はあくまで急な交渉のために来ていたのである。傷薬さえ、大したものが手元にない。ルチルが真っ青な顔で首を振る。


「……ならん。致命傷だ、魔法でも恐らくは足りぬ」


 血を吐きながら、アークは告げた。


「それよりも……城が心配だ。お前達、城の方へと知らせに走れ」

「え」

「噂に聞いていた異世界転生した勇者とやらは実在していた。ならば……その勇者が複数人いるという噂も真実であろう。町の者達はともかく……あのサリーという女は、最初から我を殺すつもりでいたようだ。ならば、この場に我を引きつけた上で……城にも同時に襲撃を仕掛けるやもしれぬ……!」


 まさか、と思った瞬間。遠くで大きな爆発音が響いた。ぎょっとして森の方を振り返ったジルは見る。

 森の奥から、もくもくと黒い煙が上がっている――明らかに、城がある方向から。


――そんな……!ま、まさか陽動だったっていうのか……!?


 城の者達の顔が、次から次へと浮かんでは消える。魔王もクグルマも、ジルとルチルもこの場にいるのだ。他にも戦士はいるが、それでも城に残っているのは非戦闘員が圧倒的に多い。というか、魔物と戦うこともできる調達係のメンバーもまだ城に戻ってきていなかったかもしれない。

 圧倒的に、手薄。その状況でもし、城に攻め込まれたのだとしたら。


「我は、あの城の……この森の主。愛する家族を、危険にさらすことなどできぬ!こうなってしまった以上仕方あるまい。とにかく急ぎ城に戻り、お前達で危機を伝えよ!そして、城の防衛を、頼む……!」

「で、でも、父さんっ……!」


 風に吹っ飛ばされた者達が体勢を立て直し、次々と森の方へ再度走り始める。時間の猶予はない。もしバックアタックを仕掛けられている状況で、ここにいる男達までもが城へと突撃したら。

 ほぼ間違いなく、陥落するだろう。

 特に、凶弾のサリーが城へ向かってしまったら。


――でも、こんな重傷の父さんを置いていくなんて……!


 この場で出来る治療はない。自分がいてもどうにもならない。分かっていてもどうしようもないのが人間というものだろう。一体誰がどうして、死に瀕している愛する者を置き去りにできるというのか。それは、ルチルも同じようであった。


「御二方!」


 その背中を押したのは、クグルマだった。


「行ってくだされ、アーク様の傍には私がついておりますので!」

「クグルマ……!」

「城が無事ならば、回復魔法が使える者や薬を持って戻ってきてください、それで治療も間に合いましょう!」

「…………!」


 そう言われてしまっては、自分達も戻らない理由がない。ジルはルチルの手を握って、愛する父に向かって叫んだ。


「必ず、助けを呼んで戻ってくるから!」


 その時。顔を上げた父はなんと言ったのか。血に濡れた唇で、青ざめた顔で、彼はそれでも自分達を見て笑ったのだ。

 確かに自分達はその言葉が聞こえていた。それなのに、その瞬間は心から――聞こえなかった振りがしたいと、そう思ったのである。何故ならば。




「ああ。……お前達と出逢えて、良かった。愛しているぞ……ジル、ルチル。幸せに生きておくれ」




 さよなら、と。

 そうとしか聞こえない言葉に思えたから。


――畜生……畜生、畜生畜生畜生畜生!


 兄妹は走る、走る、走る、走る。どうしてこんなことになってしまったのだと、何がいけなかったのだと何度も何度も問いかけながら。

 ほんのついさっきまでは、いつもと同じ日常だった。父に結婚しないのかと追及し、ちょっとばかりからかいあって、ジョークのようなことも言って。いつものようにルチルは研究室を出てきたのだろうし、ほんの少し前にはジルもクグルマと一緒に次の森林調査の相談をしていた。

 町と違って、森の果樹園や畑は豊作そのもので。地下の施設も順調に稼働していて、新しい植物が発見されたなんて話も合って。

 何もかもうまくいっていた。幸せだった。それがどうしてこんなにも急に、ガラガラと音を立てて崩れていくのだろう?

 町の問題に気付いていなかったからか?彼らに嫌われているとわかっていながらも先んじて支援を申し出ていれば良かったのか?あるいは、ヴァリアントの研究が進まなかったせい?

 いや、仮にそうだとしても。それらは、愛する人をこんな形で殺されなければならないほどの罪だったというのか。


――何でだよ……何でこんなことになってだよおおおお!


 熱風が、頬を撫ぜた。ああ、と。絶望的な呻き声を出すルチル。ばちばち、と音を立てて爆ぜる森――そして、城。

 辿りついた時はもう、既に遅かった。

 自分達の家は、愛する魔王の城は。真っ赤な炎に包まれ、赤々と燃え盛っていたのだから。

 窓の向こう、火だるまになって苦しむ誰かの姿が見える。燃え盛る森に、さらに松明や燃料を投げ込んでいる男達の姿が見える。


「あ、あああっ」


 一体これは誰の罪で、何の罰だ。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 この世界に神などいない。

 いても自分達を愛してなどくれない。

 頭を掻きむしって絶叫しながら、ジルは嫌というほどそれを思い知ったのである。

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