<6・ Rioters>
おかしい。今日の天気は晴れだと予報では言っていたのに。
空を見上げたところで、ジルは眉を顰めることになった。もくもくと重たい雲が立ち込めている。縁起が悪いとしか言いようがない。だが実際状況を鑑みるに、アークに行くなと言える場面でもない。
「父さん、街の連中はかなり俺達を敵視してるみたいだ。念のため、防御壁を張っていくべきだと思う。不意打ち、騙し打ちもありうるぜ」
「……そのようなことをするほど卑怯な者達だとは思いたくないがな」
「俺だってそうだ。でも、念には念をって言うだろ?」
多少渋い顔をしたものの、父はジルの言う通りきちんと魔法でバリアを作ってから城を出発した。
雨が降るかもしれないですね、とルチルが呟く。一応傘は持ってきているが、夕立の類だったら役に立たないかもしれない。元々この地域は雨が多いのだ。ジャングル地帯ほど降るわけではないし、雨季でも城の壁が結露するほどではないのだが、その代わり降り始めると勢いが強いことが多いのだ。近くの川が増水して、町々が騒いでいることもあると知っている。
そういえば、今年は雨が多すぎて一部の作物が不作だと聴いていた。それに加えてヴァリアントの増加である。人々の不満は、想像以上に高まっているのかもしれなかった。
「……彼らです」
町の入口が近づくと、クグルマが低い声で呻いた。
確かに、森の入口に灰色の服を着た者達が大量に立ち並んでいる。灰色の服は、シルタの町に多く住むシルタ族の民族衣装だった。多くが痩せた男達で、その手に手に松明らしきものを持っている。単に暗がりを照らす目的でない、のは彼らの脅しからしても明らかだろう。
アークとクグルマ、そしてジルとルチル。最終的に四人でこの場に到着することになった。城ではいつもの仕事があるし、そもそもあまり多人数で来ては町の者達をますます警戒させることになりかねないというのもあったからである。
ジルからすると、できればルチルは城に置いていきたかったのが本音だった。しかし彼女が此処にいるのは、ルチル本人が行くと言って聴かなかった以外にも理由があるのである。
単純に、女性がいた方が交渉事はうまくいくのでは、という算段があったからだ。ルチルは十五歳という年齢のわりには大人びた外見ではあるが、それでも誰がどう見ても女の子であるのは間違いない。女子供を連れてきた、というだけで心理的ハードルが下がる可能性はある。向こうにも女性がいるかもしれなかったから尚更に。
――酷いな。
列を成しているシルタの町の男達を見て、ジルは苦い気持ちになった。
よほど困窮しているのが見てとれる。荒事の場所に来るくらいだから、此処にいるのは比較的健康な者達であるはずだった。しかし、誰も彼もが栄養失調ギリギリかと思うくらいにやせ細っている。落ちくぼんだ目は怒りと憎悪にギラギラと燃えていて、思わず息を呑むほどだった。
アークはあくまで、平和的に話し合いで解決するつもりでいるようだ。その選択は正しい。ここで町の人達と武力衝突してしまえば、彼らを倒せたところで魔王の悪評をさらに高めることになりかねない。本当にヴァリアントが魔王の仕業、だということにされてしまう可能性もあるだろう。ヘタをしたら、国から直々に討伐隊が組織されて差し向けられることになりかねない。
確かにアークは強い。一人ならば、軍隊相手でもけして負けることはないだろう。しかし、彼には守るべき城の“家族”と“仲間”がいる。自分が世界の敵と認定されることはつまり、城の者達を危険にさらすことに他ならないのだ。何より、彼も一個の生命である以上衣食住は必要である。森を焼き打ちされれば、生きていく場所がなくなってしまうことになる。
しかし。
――話し合いが、できる状況なのか?これは……。
シルタの町の男達の目を見て、ジルは早くも気持ちが挫けそうになっていた。
彼らがアークを見る眼は尋常ではない。父が、悪魔の総本山だと信じ込んでいるかのような眼。確かに、この森に魔王が住んでいて森に近づく者を食ってしまうぞ――なんて噂を流したのは父本人だったが。一体それがどうして、父がヴァリアントを召喚して人々を襲い、世界征服を目論んでいるなんて話になってしまったのだろう。
誰かが噂を改変して流したのだろうか。人々の不満が、父に向くように?
――もしかして、王様が絡んでるんじゃないだろうな?既に、国そのものが敵なんてことは……。
「我が、この森の主、アーク・コルネットである!」
ジルが考え込んでいるうちに、アークは一歩前に進み出ていた。風が強い。アークの美しい金色の髪が靡く。まるでそこにだけ太陽があるかのような眩しさだ。
ちなみに今回、全員が徒歩で来ている。城には森の中を進める車などもあったが、城から森の入口までの距離がさほどなかったこと、そもそも車が現在修理中だったなどの理由から歩いてきたのだ。馬に乗る選択肢もあったが、アークはあまり馬に乗っての交渉や戦闘を好まなかった。万が一の時、馬を危険にさらしかねないのが嫌という理由らしいと聴いている。
「何やら不名誉な噂が流れているようだが、我はこの森で仲間達とひっそりと暮らしているのみである。人間に脅かされない生活を守りたくて、森には人喰いの魔王がいるなどと噂を流したが我がやったことはそれのみだ。実際に人喰いをしたことなどない。ましてや、ヴァリアントを召喚して、世界を危機に陥れるなど論外である……!」
低く落ち着いたアークの声は、ざわつく人々の声をかき消すほどに良く響く。
「我は世界征服など望まぬし、ヴァリアントの被害には我らも困らされている。森にて、ヴァリアントが発生するたび討伐に駆り出されているのは我らも同じ。そなたらと争う理由はない。町に物資などの支援が必要だというのならば協力する用意もある。どうか、矛を収めては貰えぬだろうか!」
物資の支援も行うつもりでいる、というのはこの場でアークの独断で決めたことだろう。やせ細った男達を見て、町の窮状を察したからに他なるまい。
というのも、自分達は皆村や町の人々に嫌われて森に追いやられた経緯がある。人間、の住民だけが時々町や森に食べ物や必要な道具を買いに行くことがあるくらいで、足を運ぶことは本当に少ないのだ。なんせ、殆どの食べ物などは魔王城で自給自足できてしまうのだから。
だから、町のリアルタイムの状況を知っているわけではない。時々買い出しに行くメンバーの一人であるジルでさえ、町に最後に買い出しに行ったのは三カ月も前のことである。
テレビやラジオは、魔王城の外でも少しずつ普及し始めている。ただし、貧しい町には存在しない家電であること、まだまだ貴族の楽しみという意味が強いこれらの番組は、国にとって都合の悪いニュースは報道しない傾向にある。すぐ近くの町の窮状を自分達が知らなかったのは、至極当然と言えば当然のことなのだった。
そもそも人間達に対して恨みがある者も少なくないのだから、知る必要もないし興味もないという住民が大半なのだろうが。
「嘘をつくでない!」
そして、リーダーらしき一人の男が声を張り上げた。
「我々は知ってるんだぞ。お前達は嫌われ者の魔物や人間の集まりだろう!?他の町や森で迷惑をかけた厄介者ばかりが集まっていると聴くじゃないか。俺ら普通の人間に、恨みがないとは言わせんぞ!そんな俺達に復讐するために、異界からヴァリアントを召喚して俺達を苦しめてるんだ、そうだろう!?」
「そうだそうだ!」
「お前の言葉など信じられるか!」
「復讐のために、王様を倒して世界制服を成し遂げようとしているいうじゃないか!俺達の町は俺達が守る!」
「俺らの町を助けるだと、笑わせんじゃねえ!俺らは信じないぞ、お前らがそんな善人であるものか!」
やはりと言うべきか、支援、という言葉を使ってもなお町の人々の心を動かすには至らなかったようだ。無理からぬことではある。長年、自分達の間に交流らしい交流はなかった。自分達が町の人々のことを知る機会がなかったように、彼らも森に住む者達の本質を知る機会などなかったことだろう。
そこに、町を襲う度重なる不幸と、都合の良い噂。――魔王をどうにかすれば、自分達の窮状も救われるかもしれないと思えば、それに縋ってしまう者達が多いのもわからない話ではない。
ただ、彼らが問答無用で森に火を放たなかったのは理由があるはずである。わざわざ、魔王を出せ、と要求してきたのだ。魔王という存在をそれほどまでに恐れているのもあるだろうし(噂の中でどんどんその存在が大きく恐ろしいものに変わっていったというのもあるだろう)、同時にまだ交渉したいことがあるという意味でもあるはずである。
問題は。その交渉に対して、自分達が応えられるものだとは限らない、ということだったが。
「俺達の要求は一つだ!」
男達が絶叫する。
「世界中を襲っているヴァリアントを今すぐ全て撤収させろ!全てのヴァリアントを元に戻して、もう二度とこの世界に危害を加えないと誓え!そうすれば、お前達の命を取るところまではしない!!」
出来る事ならば人殺しにはなりたくない。否、彼らはアークのことや魔物たちのことを“人”とはみなしていないだろうが、それでも人間に近い姿をした者を殺すのは抵抗があるのだろう。それは他でもなく、彼らがまだ人間の心を失っていないことの照明でもある。
しかし。
ヴァリアントを全て消し去れ、という要求を自分達が呑むことはできない。何故なら、ヴァリアントを世界中に撒いているのは自分達ではないのだから。あれらが人災なのか天災なのか、はたまた疫病なのかもまだ分かっていない状況である。
「何度も言うようだが、ヴァリアントは我らの仕業ではない!」
したがって、アークとしてはそう言う他ないのである。
「我らもヴァリアントの存在には苦慮している。病なのか、突然変異なのか、原因を探し続けているがそれと突き止めることもできていないというのが現状だ。町をヴァリアントが襲った時に救援をしてほしいというのであれば応じよう。町に食糧などや医薬品が不足しているというのであれば我らの備蓄を解放して支援しよう。どうか、それでここは退いて貰えぬだろうか!」
現状、自分達が出来る対応はそこまでなのである。救援と支援のためとはいえ、町の者達と今更関わることが正しいかどうかは怪しい。ただ、彼らの方からこうして接触してきた以上、今までの関係を見直すことも考えなければいけないというのは確かなことだろう。
だが。
「そんなことで、俺達が納得できると思っているのか!」
ヴァリアントは魔王の仕業。そう信じ込んでいる――そう信じたい者達に、アークの言葉は届かない。
「今、町は酷い状態だ!そこかしこでヴァリアントが発生して、さっきまで笑ってた普通の人間がバケモノになり、目の前の家族や友人を食い殺すんだ……!加えて作物も不作で、皆が皆困窮している。お前がしらばっくれるというのなら、お前を倒して町を救うしかないんだよ!」
「何度も言う、我らは無実だ!それ以外に言いようがない!」
「信じるかお前達の言葉なんか!信じるもんかよ!!」
男達の声はほとんど悲鳴に近かった。魔王が全ての元凶であってほしい、そうでなければどう生きれば良いかもわからないという声だった。
駄目だ、とジルは絶望的な気持ちで思う。これではまったく交渉にならない。彼らは、アークが“自分が全て悪かったから、ヴァリアントをなんとかする”という言葉しか受け取るつもりがないのだ。魔女裁判と同じ。相手が望む言葉を自白するまで尋問が終わることはない。それが、冤罪かどうかなんて考えることもせずに。
――どうすればいいんだ。どうすれば……!
その時だ。
ぎゅいん、と。甲高い音が響く。何の音だ、とジルは思う。まるで、銃声にも似ているような――。
「え……」
どさり、と重たい音がした。
それはアークが、その場に膝をつく音であったのだ。