<40・Hope>
『一応言っておくが』
万が一の時のため、屋敷の外ではジルとルチルの仲間たちが控えていた。もう少しルチルがノエルを倒すのがもう少し遅れていたら、彼らが乗り込んできたことだろう。
ユリンはジルの言葉に、ため息交じりで言ったのである。
『女神サマの異空間に行ったら、戻ってこられないかもしれないぞ。女神サマは、自分のところに訪問するなという制約を勇者どもに設けてたんだろう?行きはそのゴートンが命がけでどうにかするとしても、帰り道がある保証はどこにもないんだぜ』
「……わかっている」
通信機の向こう、きっとユリンは相当呆れた顔をしていることだろう。
それこそ、自分達が復讐だけを目的とするのであれば。ここでゴートンを最後に殺して、終わりにしてしまうという選択もあったはずである。それもまた賢い判断なのかもしれないと思う。女神が怪しいというのはずっと前にわかっていたことだが、それでも女神まで復讐対象にするべきかどうかは迷っていた者も多いはずだ。
理由は、世界の創造主を敵に回して無事で済む保証がないから。
そして、仮に倒すことができたらその時は同時に、世界の終わりかもしれないから。
女神と戦っていいのかどうかもわからない。ならば怒りを飲み込んだ方が妥当な判断なのかもしれない。それはジルもわかっていたことだ。それでも。
「それでも俺は、真実が知りたい。もうこれは、怒りや憎しみだけじゃないんだ」
勇者達のことは許せない。彼らは自分達にとっては立派な加害者だという認識は消えない。
でも彼らにもまた異世界で人生があって、それをなんの許しもなく奪い取ったのは女神であるのも間違いないのだ。そこに憤りを感じるのもまた事実なのである。
そして、女神がヴァリアントなんてものを生み出さなければ世界は脅かされず、多くの無辜の民が犠牲になることもなく、アークがあんな死に方をする必要もなかった。勇者達が人殺しをする必要もなかった、それもまた事実だろう。
ならばせめて知りたいのである。どうして女神がこんなことをしたのか。
そして願わくば、これ以上悲劇を起こさない方法を探したいのだ。もしも話が通じないようならば、その時は戦うしかないけれど。
『ジル』
通信の向こうで、ユリンが渋い声を出す。
『前にお前が言っていたように。……人は、都合の良い真実しか見たがらないものだ。真実を追い求めると言いながら、結局欲しい答えは決まっていたりする。それ以外の答えが見つかった時全力で眼を背け、なかったことにしてしまうのが人だ。それは……ジル、お前も例外じゃないんだぜ』
「わかっている」
『女神様と出会って、仮に真実を教わったとして。お前にとって都合の悪い真実しか出てこない可能性は大いにある。あらゆる最悪と予想をして、それに耐えうる覚悟がお前とルチルにあるのか?』
流れるように、ルチルも一緒に行くことが決まってるんだな、と苦笑してしまった。まあ実際、さっきからルチルは幼い頃のようにジルの服の裾を掴んで離さない。絶対に離れやしないのだと主張するかのように。ユリンもそれは想像がついているのだろう。
「俺は……けして強い人間じゃない。あらゆる最悪の想像ができているなんて、ウソでも言えない。でも」
ジルは語る。最後まで付き合ってくれた仲間に、己の真実を。
「それでも。真実を知った上でどうするか、選ぶことができるのが人だ。俺は……その選択肢が欲しい。どれほどの絶望でも、たとえ俺自身があまりにも無力でも」
ジルの覚悟が伝わったのだろうか。ユリンはもう一度深々とため息をついて、仕方ないな、と告げたのである。
『わかった、行ってこいよ。ただし……戻ることを諦めたりするなよ。というか、お前に帰ってきてもらわないと困る。事後処理が大量に残ってるんだからな、それを俺達に押し付けてドロンするなよ』
***
ゴートンは考える。
もしも、己が本気でジニーことジルに恋をしていなかったらどうなっていたか。自分でも、少しだけ想像してみるのだ。
きっと、騙されていたと気づいた時点で怒り狂っていた。この手でジルを殺そうとしたかもしれない。そして、彼がどのような言葉を並べようと自分達の行いを正当化し、己は正義だと断固主張したかもしれなかった。
ゴートンにとって幸いだったのは、ジルに本気で恋をしたこと。
その結果、彼を傷つけたであろう数多くの事実に思いを寄せることができたこと。
それと連なるようにして、己の行いを顧みることができたことだろう。ジルにとっては、そんな反省なんてあってもなくても今更かもしれないけれど、少なくともゴートン自身はそうあるべきだったと思うのだ。
孤独に気づくこともせず、チートスキルを振り回し、いろいろな人に八つ当たりしても満たされず。そんな己の弱さも本質も気づかぬまま、女神の玩具でサリーのパシリになったままでいるよりきっと良かったはずだ。人間として、間違いなく大切なことに気付くことができたのだから。
人は、己にとって都合の良い真実しか求めない。
それ以外は、存在しないものとして当然のように切り捨てる、そういうイキモノだ。違いがあるとすればただ一つ。己にもそういう弱さがあると認める勇気があるかどうか。そして、絶対的な正義などどこにもないのだと、己を過信することなく考えることができるかどうかだろう。
誰かが言ったらしい。この世には正義などどこにもないか、もしくは正義しか存在していないのだと。
愛がなければ、どんな真実も霞んでしまう。きっと、ジルに出会わなければ、そんな当たり前のことさえ気づかず、自分は惨めな人生を生き続けていたはずなのだ。
「おい、ゴートン」
仲間との通信が終わったところで、ジルが声をかけてきた。
「一つだけ、お前に尋ねたいことがある」
「……なんだ?」
「お前は、俺達を本当に恨んでないのか?特に俺を」
「……?」
眉をひそめるゴートンに、ジルはバツが悪そうに言う。
「俺にとってお前ら勇者は、憎むべき敵で復讐するべき相手だった。でもお前にとっては……たとえ対等じゃなかったとしても仲間だったって、そう言ってただろ。その仲間が全員死んだのは間違いなく俺が罠にハメたせいだ。俺達にはお前らを恨む権利があるだろうが……だからって、お前に俺を恨む権利がないわけじゃないんだぜ?そこを間違える必要はないと思うけど」
なんとなく。ゴートンはこの言葉で、このジルという青年の本質がわかってしまったような気がした。
同時に、自分と一緒にいた時に向けてもらった言葉の数々が、けして何もかもウソではなかったんだろうなということも。否、それは自分の都合の良い願望なのかもしれないが。
「……騙されたことに対して、怒りがないわけじゃねえけど。みんなが死んだことに関して、お前を恨むつもりはないよ」
ゴートンは正直に言う。
「だって、ジルが俺に命令したことなんか一つもなかったじゃねえか。マリオンにスキルを使ったのも俺がやったことだし、罠の内容だってお前から事前に聞いてて許可を出したのは俺だぜ。でもって、その俺の忠告をきかないでサリーとゾウマは自滅した。ノエルとマリオンが死んだことに関しては完全に不可抗力だ。結局、お前は自分では一人も俺の仲間を殺しちゃいねえ。……どれほどお前に誘導されたからって最後に決めたのは俺なんだ。お前に責任転嫁するつもりもねえよ」
「そうか。……お前、強くなったんだな」
心からの言葉だ、というようにジルは言った。今の彼にそう言われるのはなんだか不思議である。
自分も、少しは変われたと思っていいのだろうか。ただ自分の世界に引きこもって、ゲームをプレイするようにこの世界を弄ぶことしかしてこなかった、そんな自分から。
――でもな。きっと……変わったのは俺だけじゃないと思うんだぜ、ジル。
心の中でそっと呟く。ゴートンはブレスレットを撫でて、もういいか?と尋ねた。
「方法は一応訊いてる。ブレスレットの窪みにピアスの青い宝石をはめ込むと、その場に扉が出現するんだ。それをくぐると、女神様のもとに行けるんだってな」
「妙な話だな。なんで自分のところに来てほしくないのに、その方法をお前らに授けたんだか」
「さあなあ。……とりあえず、扉が出現したら自動で開いていくから、それを潜ってその先に行ってくれ」
きっと扉を開いたら自分もまた死ぬんだろうけど。そんな言葉を胸の内で続けるゴートン。
そして、ブレスレットの窪みに、外したピアスをはめこむ。かちり、と音がすると同時に――ブレスレットに嵌った青い宝石から、レーザーのように青い光が伸びたのである。
そして、浮かび上がる銀色の扉。間違いない。自分たちが女神様から呼び出しを受ける時に通るのと同じ扉だ。やっぱり、やり方は間違っていなかったのだろう。それが、ごごごごごごご、と音を立てて開いていく。
――ああ……!
開いた扉の向こうにあるのは、右も左もない真っ暗な闇。
その闇の奥の方に、ぼんやりと金色に輝いているのは――この世界を作った女神・アルテナの姿だとわかった。
「開いたぞ。さあ、行け」
「ああ」
ジルはルチルと手をつなぎ直すと、一度だけゴートンを振り返った。そして。
「……ありがとな」
ああ、本当におかしなものだ。自分のことが憎いくせに。何で最後の最後に、そんな優しい顔をするのだろう。それは紛れもなく、ゴートンが愛した“ジニー”の笑顔だ。
――ああ、俺は、俺は……!
体が急速に固まっていくのを感じる。二人が潜り抜けると同時に、バタンと大きく閉じる扉。ゴートンは自らの足が、手が、灰色の石像と化していくのを見ながらそれでも笑ったのである。
――俺は幸せだった。今度生まれ変わったらその時は……今度は誰かのことも、幸せにできるようになりてえ。今度は、今度こそは。
そして願わくば、愛した人の執着地点が――少しでも希望にあふれたものでありますよう。
それだけを祈りながら、ゴートンはそっと目を閉じたのだった。