<4・Family>
気が付いた時。ジルは首根っこを掴まれ、後ろに投げ飛ばされていた。
え、と思った瞬間、鼻先スレスレを掠めていく光線。冷や汗をかいた。まさか、あのモンスターの首が――ぐるりと180°後ろに回転するなんて、思ってもみなかったからだ。
「惜しかったな」
ジルを投げ飛ばした彼、アークは苦笑気味に言った。
「よく観察すれば、あのヴァリアントの首に継ぎ目があることが気が付いたはず。そして、継ぎ目が首の後ろまで続いている。奴が背中側の死角に気づいていないとも思えない……それでも背中側に目がないのは“首が回るから目をつける必要がなかった”と考えるのが自然だ」
「ち、畜生……」
「まあ、初めてのヴァリアント討伐としては上出来だ。……このタイプのモンスターは、罠にかけるか……遠距離から攻撃するのが定石だからな」
ヴァリアントが、ジルとアークに向かって再び光線を放ってこようとしている。目玉をばちばちと二度瞬きして、その中心に光が集まってくる刹那。イモムシのような巨体の足元で、大きな爆発が起きた。
見れば、その体が紫色に光る魔方陣のようなものを踏んでいる。マジックトラップ。いつの間に仕掛けたというのか。
「ギイイイイイイイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
甲高い鳴き声を上げて身悶える怪物。魔導書を開いて、すっくりとアークが立ちあがった。そして。
「“Thunder-Break”!」
鋭い雷が、イモムシ怪物の全身を貫いた。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
さっきより大きな悲鳴――否、断末魔が上がった。バチバチと金色の光が帯電し、その体を無惨にも焼き焦がしていく。確実に、相手を殺すための一撃。残酷に見えるかもしれないが、ヴァリアントになってしまった生物を元に戻すにはこの方法しかない。
ヴァリアントとしての生命を殺すことで、恐らくおかしくなった生き物としてのシステムが元に戻るのだ。
案の定、真っ黒に焼け焦げた巨体が倒れると、暫くして光の粒がその遺体から溢れだしてくる。光の粒がどんどん漏れ出すと同時に、しぼむように消えていく死体。そして、光が集約した場所に現れたのは、全く別の生き物なのだった。
大きな角、茶色のふわふわの毛並、尖った鼻先。エホンウマ二体が、折り重なるようにして倒れている。なんと、あのイモムシのような肉塊のような怪物の正体は、この二体の馬が合体した存在だったというわけだ。
ジルは恐る恐る、倒れて動かない馬たちに近寄る。そっとその毛並に触れると、ふかふかの体は温かかった。そして、微かに上下している。ちゃんと生きている――思わずほっとしてしまった。
「……一体どういう仕組みなんだ、これは」
報告では聴いていたが、やはり実際目の当たりにすると違和感しかない。
何故、こんな可愛らしい馬たちがバケモノになってしまうのか。しかも、あんな森を破壊しかねない光線をやたらめったらとぶっ放していたわけである。凶暴だとしか言いようがない。エホンウマは、この森に生息する草食動物の中でもかなり大人しいタイプの動物だ。あんな攻撃性を元から持ち合わせていたとは考えにくい。
しかも、二体がくっついて変態して、あのようになってしまうのである。それを殺すと元の姿に戻れるのも、一体どういう理屈であるのか。
「ヴァリアントが出現するようになったのは、もう何十年も前からのことだ」
ぱたん、と魔導書を閉じて言うアーク。
「我々も調査を続けているが、一向にそのメカニズムが判明しない。一つ分かっていることは、その姿はどうやら元となった生き物の感情や執着に影響を受けやすいということだ」
「というと?」
「例えば、お祭りで親に風船を買って貰えなかった子供がいたとしよう。それを残念に思ったままヴァリアントに変態すると、巨大な風船の塊のような姿になったりする。もしくは、風船を持っているピエロのような姿になることもあるだろうな。……さっきの目玉だらけのイモムシのような姿も、あのウマたちのなんらかの感情が反映されたものかもしれない。例えば、肉食獣に追われて怖い思いをしたから、それに負けない力を身に付けたかった……とかな」
「そういうもんなのか……」
だとしたら、肉食獣のような鋭い牙や爪を持った姿になりそうなものだが。あまり納得しきれず、ジルは首を傾げる他なかった。
ヴァリアントの犠牲になる人間や動物は年々増え続けている。何が恐ろしいって、この怪物は森のみならず町中でも突然発生することがあるからだ。ようは、さっきまで普通に居酒屋で飲んでいた親父が、突然苦しみ出したと思ったらヴァリアントになってしまった!なんてこともあるというのである。
唯一の幸いは、救う方法が確立されていること。しかも“殺すことで元に戻せる”ために、容赦なく強い兵器や魔法を使って倒しにいける。ただ、ヴァリアントの強さや形状は個体差が大きい。簡単に殺すことができないほど、凶悪なモンスターが誕生してしまうことも少なくないという。
「病気か、呪いか、魔法か。いずれにせよ早く解決するに越したことはないのだがな。……なんせ、我々魔族が、ヴァリアントを作り出して世に送り込んでいるという噂まで流れているようだ」
「はあ!?」
「つまり魔王である我が、人間どもを駆逐して支配するために、バケモノを生み出してけしかけている、と。まったく困ったものだ。我らも悩まされているというのに」
「マジかよ……本当に最低だなオイ」
人間達はヴァリアントという名の脅威、絶望に対して相変わらず都合の良い答えを見つけようとしているらしい。ようは、誰かが悪いからそうなった、その誰かを倒せば救われるはず――という。
その誰か、つまり生贄にアークが選ばれたというわけらしい。なんて身勝手な連中だと思わざるをえない。そのように弱い存在だからこそ、魔族は辺境の土地に追いやられ、ジルとルチルも村を追いだされる羽目になったわけだが。
「とりあえず、城に帰るぞジル」
しかし、少なくとも今アークはその事について深く言及するつもりはないようだった。彼も彼で、森に人間が寄り付かないようにわざと悪評を流していたのは事実である。このような噂も、仲間達を守るために利用してやろうくらいに思っているのかもしれない。
人間に認められなくても平気、気にしない。そんなアークの考えは、裏を返せば人間に期待していないからとも言える。深くは語らないが、彼の父も人間のせいで死んだのではないかという噂があるほどなのだ。ひょっとしたら過去に、人間達との間でいろいろとトラブルがあったのかもしれなかった。
アークは仲間達に、特にジルとルチルには甘い。残酷な話であればあるほど、積極的には語りたがらないのだろう。
――一人で、背負わないでほしいんだけどな。
荷物を背負い直しながらジルは思う。
――俺もルチルも、あんたの力になりたいんだぜ。それに……あんたは平気でも、俺達は平気じゃないんだ。尊敬する父さんが、人間どもに悪しざまに言われるってのは。
自分達は、なんかんだで人間だ。そこから完全に離れてものを考えることはできない。自分と同じ人間達が、同じ心ある存在である魔族や魔物たちを差別して石を投げている。その事実に、何も思わないなんてことできるはずがないのだ。
いつか自分達がもっと強くなったら。人間達に、本当は魔族にも魔物にも良い奴らはいるんだよと言えるようになったら。少しは、この状況も改善するようになるのだろうか。
「そうだ、ジル。帰り際に、先ほどの戦闘の反省会をしようか」
「あ、うん」
少しばかり歩いたところで、アークが言った。
ジルが危うくやられかけたヴァリアントを、アークは実質一撃で仕留めてしまった。サンダーブレイクはけして難易度の高い魔法ではないが、あの中級魔法をあれだけの威力で打ち出せるのはアークくらいなものだろう。しかも、マジックトラップを発動した状態で併用してみせたのだ。短い戦闘であっても、彼の力量と魔力の高さが窺い知れるというものである。
「さっきヴァリアントを倒したやり方は、我でなければできないものであるからな。お前だったらどうすればよかったのか、を考えてみるべきだろう」
「そう、だな。……後ろから回り込んで攻撃するのが正解だと思ったんだけど」
「普段ならそれでいいが、あのモンスター相手では悪手だったということだ。首が後ろまで回るという事実を見抜けなかったわけだからな。また、最初に真正面から突撃したのもまずかった。お前の機動力があったから光線が飛んでくる前に避けられたが、お前より足が遅い者ならば避けきれていない。また、あのヴァリアントは目から光線を出して攻撃してくるタイプだったからまだよかったのであって、眼を見ただけで術にかけてくるタイプだった場合は目があった瞬間にお陀仏であっただろうよ」
「う、しまった、その可能性があったか……」
確かに、眼を合わせるだけで相手を石化させてしまうような魔物も存在する。図鑑で見たことがあったはずなのに失念していた。
「ゆえに、粘着系のロープ、あるいは薬などを使って全ての目の動きを鈍らせるのが定石。大きな眼を持っている系のモンスターは、目を完全に開いた状態でなければ真価を発揮できない。また、武器を封じられたことで焦りも出る。粘着系の糸や薬品を持っておくといい。それが無い場合は、我がやったように罠に誘い込んで冷静さを奪い、動きを止めた隙に一撃で仕留める方法になる」
粘着系の薬品。ジルは自分のナイフをじっと見て思う。
「……短剣に、ルチル特性の毒は塗ってあったんだけどな。そういう薬も必要か。あいつにオーダーしてみる」
「それがいい」
ぽんぽん、とアークはジルの頭を撫でて言う。
「忘れるな、お前達は兄妹であることを武器にできる。常に、共に足りないところを補い合って戦うが良い。お前にできぬことは妹ができ、妹ができぬことはお前ができる。それがお前達の強みであるからな」
「うん……わかった」
「はははは、前向きなのもお前の長所よ。次は、我を驚かせる働きをしてみせろ」
失敗したのに、彼は無闇とジルを責めたりしない。間違いを指摘して、アドバイスをしてくれるがそれだけだ。
この人はわかっているのである。どうすれば、自分達がより成長できるのかということを。
――次こそは、役に立ちたい。
だからこそ、ジルは常に思うのである。
この優しく、懐深い人に恩返しがしたい。そしていつかこの人が、大手を振って歩ける世界を作りたい、と。