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<38・Lucle>

 どうしてノエルが突然ヴァリアント化してしまったのか。そのメカニズムを考えるのはあとだ。女神の怒りに触れたからそうなったのだとすれば、やはり女神は自分の意思でヴァリアントになる人間を選べるということになる。

 だとすれば、ルチルが今無事であるのは神の気まぐれのようなものなのだろうか。あるいは、女神に連絡を取ろうとすると、自動的に罠が発動する仕掛けにでもなっていた?




『あ、あああ……な、んで。僕が、女神様に……連絡を取ろうとしたから?やるなっていう、命令を、破ったから?』




 彼は確かに、命令を破った、と言っていた。きっと、連絡をしてくるなとでも命じられていたのだろう。そのルールを破ると自動で勇者がヴァリアント化してしまう仕掛けになっていたという可能性は高そうである。

 どっちにしろ確かなことは。兄たちが駆けつけてくるまで、この場所はルチルがなんとかするしかないということ。

 否、本当に兄の負担になりたくないのなら、ルチルが一人で戦ってみせるべきだということだ。


――やってやる!ルチルも……もう、雪の中で凍えていた子供じゃないのだから!


 今、多くの薬品を入れたトランクは手元にない。しかし白衣の下には、いざという時のためにいくつか“護身用”の試薬を忍ばせてきてはいるのだ。それらを調合すれば、この場においても多少の薬は作ることができる。


「に、逃げて、あ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「!」


 水晶と同じ紫色の棘が、牢屋の中から三本突き出してきた。ルチルはどうにか身を翻して回避する。棘は、石でできているはずの廊下の壁を軽々と突き破っていた。あれに刺されたら、素敵な串刺し肉が出来上がるのは明白である。一応防具も着てきてはいるが、あまりアテにしない方がよさそうだ。

 幸い、まだノエルの意思があるからなのか、水晶体の成長スピードはけして速くはない。

 また、棘を出してから次の攻撃が来るまでしばし猶予があるようだった。多分まだヴァリアント化したてであるため、エネルギーを効率的に使えていないのだろう。一度攻撃すると疲れてしまってしばらく休まなければいけない、といった風だ。

 ただ、彼が完全に体を制御できるのであれば、ルチルが攻撃を受けているはずがないわけで。あまり過信せず、迅速に対応した方がよさそうではある。


――今の隙に……!


 ルチルは白衣の下に忍ばせた薬品を素早く調合する。自分が持っている試薬は、調合次第で薬にも毒にもできる代物だ。鉱物のような体に変化しつつあるノエルに、普通の毒物が効くとは思えない。よって今作るべき薬は、強い酸性を持つ溶解液だ。


「よしっ!」


 戦闘中であっても、感覚で的確な配合ができるという自信がルチルにはあった。試験管に混ぜた劇薬を思い切りノエルの方にぶっかける。

 じゅうううううう、と煙を上げて、廊下に浸食してきていた水晶の一部が溶けた。


――良かった、これで溶けなかったらどうしようかと思った……!


 金剛石さえも溶かすことができるとっておきの溶解液だ。これで対処できなかったならなすすべなかったところである。溶けた水晶はしばらく沸騰した後、どろどろに溶けたものがゆっくりと固まって戻っていくようだが――それでも一時的にダメージを与えることができるとわかっただけ儲けものだ。


「あ、はは……僕、やっぱり、化け物になっちゃったんだな……」


 青ざめた顔に涙を浮かべて、ノエルが言った。どうやら、首だけはこのまま取り込まれずに残るということらしい。体はすっかり、水晶の一部と化してしまっているが。


「溶かされた、のに……全然、痛くない……はは。困ったな……」

「何呑気なこと言ってるんですか!勇者のくせに、諦めるのが早すぎでしょう!?」


 気づけば苛立ちのまま、ルチルは叫んでいた。


「このままでいいとは思ってないって、そう言っていたのは貴方でしょう!?変わりたかったんじゃないですか、前世で一緒だったお友達のように!」




『都合が良すぎるのは分かっています。でも僕は……自分の命のすべてをもってして、ちゃんと償いをしたいんです。きっと前世でともに生きた親友なら、そうすると思うから……!サリーさんたちが生きてるのなら僕が説得します、だから!!』





 自分は何を言ってるんだろう。ルチルは自問自答していた。たった二度話しただけの相手。憎い憎い勇者の一人。それなのに今、どうしてこんなに泣きたい気持ちになっているのだろう。悔しいのだろう。

 彼が己の末路を諦めようがどうしようが自分には関係ないことだ。極端な話、兄や仲間たちが巻き込まれなければ何も気にしなくていいはずなのに。

 ノエルの心が折れそうになっていることが今、どこまでも許せないと感じている。


「生きて償うとか言っていたのに、それは口先だけですか?ふざけたことぬかしてんじゃねえよ!!」


 贖うというのなら、それだけの気概を見せてほしい。

 償いたいというのなら、どれほど苦しくても痛くても生き抜く根性を見せてほしい。

 それを見て初めて、自分も納得できるような気がしているのだ。そう。


――本当は彼らも人間だったんだって。憎み合うべきじゃなかったんだって、そう思えたらどんなにか。


 無論、それはノエル相手のことであって、サリーのような根性ひん曲がった女相手にも同じことが言えたかどうかは怪しいけれど。というか、罠が狙った通りに発動したなら彼女はもうすでに死んでいてもおかしくないけれど。

 それでも、一つの事実として。彼らもまた望んでこの世界に来たわけではなかったと知ってしまったのだ。そして、女神に言われたことをそのまま実行しただけであること、その真偽を確かめるだけの余地も与えられていなかったということは。

 同情の余地なんて言うべきじゃない、でも。

 ひょっとしたら。そうやって憎み合うことそのものが、全てを仕組んだ女神の狙い通りなのかもしれなくて。


「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 再び突き出してくる二本の棘。白衣が僅かに破れたがなんとか回避に成功する。ルチルはもう一度薬品を調合すると、前進しながら振りかぶった。

 薬の残りも多くはない。これで決める。一度足元に落とした剣を拾い直しながら、薬品をノエルの胸元にぶちまけた。じゅうううう、と再度上がる白い煙。水晶が大きく溶ける。


――弱点!ルチルには見えないけど、ノエルの心臓部分だって本人が言ってた。今だけは、信じる!


 溶けたところに、思い切り剣を突き刺した。硬い水晶は薬品だけでは全て溶け切っていなかったが。それでも女神から貰ったという対ヴァリアント用の剣はするするとノエルの体に吸い込まれていく。

 びしびしびしびし、と紫色の水晶が放射線状にひび割れ始めた。全体重を乗せるようにして、さらに剣を押し込む。水晶に飲み込まれたノエルの胸元に、深々と沈み込んでいく剣。


「……ルチル、さん」


 すぐそばに近づいた顔。ノエルは、さっきまでの苦痛が消え去ったような穏やかな笑みで、ルチルを見ていた。


「……ありがとうございます。それから、本当にごめんなさい。どうか、いつか……貴女も、幸せになってください、ね……」


 何故そんなことを言うのだろう。

 何故そんなことが言えたのだろう。

 答えは、この直後に明らかになることになる。




 ***




 時々壁から突き出してくる棘を避けていたら、地下室への到着がだいぶ遅れてしまった。

 ようやくジルとゴートンが辿り着いた時に見たものは、破壊されつくした檻と、人間の姿に戻ってあおむけに倒れているノエル。その前にしゃがみこんでいるルチルの姿だった。


「ルチル!」


 ジルが駆け寄ると、ルチルは憔悴しきった顔を上げる。っして、がさがさに乾いた唇で言葉を紡いだのだった。


「……お兄様、どういうことなんですか」

「え?」

「ヴァリアント、は。殺したら……元の人間に戻って、生き返るのではないのですか。どうして……どうしてこの人、死体のままなんですか」

「!?」


 どうやらルチルが自力で、ヴァリアント化したノエルを倒したということらしい。だが、ノエルは倒れたままぴくりとも動かない。その胸には大きな傷がある。恐らくルチルがとどめを刺した時の傷だろう。

 しかし、ノエルは明らかに息をしていない。

 穏やかな表情のまま、ぴくりとも動かずそこに倒れている。まるで眠っているかのような死に顔だった。


「あ、あああ……!」


 ジルと一緒に来たゴートンが、茫然としたようにその場に崩れ落ちた。


「粛清されたんだ、女神様に……!」

「粛清?」

「め、女神様から命じられたいくつかのルールがあったんだ。女神様にこっちから連絡を取ってはいけないとか、女神様のいる国の扉をこっちから開けてはいけないとか。そ、それを破ったらどうなるかは聞いてなかったが、それが、死ぬってことなんだとしたら……」


 ううう、とうめき声をあげて蹲るゴートン。


「ヴァリアント化されて、しかも倒されたら蘇ることもできなくなるなんて、そんな、そんなのってねえよ……!やっぱり、全部女神様が仕組んだことだったってのか?俺達は、俺達はなんのために?今日まで何のために戦ってきたんだ、あ、あああ、ああああ……!」


 彼の絶望は当然のことだろう。

 何故ならたった今、確定したのだから。ノエルは死んだ。それによって、まだ助かったかもしれないマリオンもこの時点で死亡が確定した。勇者は、ゴートン一人だけになってしまったのだ。

 彼にとっては、どれほど見下されようと仲間は仲間だったという。この異世界で一人きり。どれほどの恐怖であることか。


――変だな、俺。何を考えてるんだか。


 馬鹿らしい。彼の孤独なんて、自分が想像する必要もないことではないか。アークが殺されるのに手を貸して、たくさんの女達を凌辱してきたこんな男のことなど。


「……なあ、ジニー」


 やがて、ゴートンは泣き濡れた顔を上げるのである。


「教えてくれ。……あんた本当は……本当は、魔王の手下、なのか?」

「……!」


 息をのんだ気配は、果たして彼に伝わっただろうか。

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