<3・Human>
この世界には、二種類の動物がいる。
人間か、それ以外か、だ。
人間達は、自分達こそがこの世界の王者だと信じてやまない。それ以外の者達が、自分達に搾取されて当然だと考えている。必ずしもその感情は悪意あるものではないし、弱肉強食と考えれば間違いではないのだが――最も恐ろしいことは、人間達の多くが“人間ではない”とみなした者に対してどこまでも残酷になれてしまうということではなかろうか。
魔族とされる者達がどのように発生したのかは、未だによくわかっていない。
元は突然変異だったのではないか、とアークはジルに語った。人間の中から生まれた、ひときわ魔力と知力、身体能力が高い優れた存在。問題は、その存在がごくごく限られた人数に留まったこと。
人間は、急激な変化を好まない。
そして、自分達が淘汰されることを恐れる生き物だ。
彼らはそうして現れた新人類を異様なほど恐れた。彼らが特異な能力のみならず、多くの人間達と異なる見た目をしていたからというのも大きいのだろう。――魔族とされる者達は一様に、人間離れした美貌を持ち合わせていたのだから。
ゆえに、新人類たちは魔物の子、悪魔の子とされ辺境の土地に追い立てられた。そうやって森の片隅で生きるようになった一族の一つが、コルネット家であったという。
「それ、悔しくないのかよ」
ある日、ジルは父と慕うアークに対して、そのように尋ねたことがある。
「だって、魔族の方が人間よりずっといろんな意味で優れてるんだぜ?それなのに、人間どもの都合で差別されて、石投げられて、不毛の土地に追いやられたんだろ?復讐してやろう、とか。そいつらから土地を奪い取ってやろうって思わなかったのか?」
自分も、故郷を追われた元異人だからわかるのだ。自分達一家は魔族とは違い、あくまで目の色髪の色が異なるだけの普通の人間だった。それでもたまたま凶作や疫病が重なっただけで恐れられ、石を投げられて村を追いだされたのだ。
憎いと思う気持ちがなかったわけではない。今でも、あの村の連中に文句をつけてやりたいくらいの心はジルにもあるのである。運よくアークが見つけてくれなければ、今頃兄妹仲良く野垂れ死んでいたに決まっているのだから。
無論、彼らに追い出されなければアークと出逢えなかったのも事実であるために、かつてほど恨む気持ちが薄れているのも事実なのだけれど。
「恨む気持ちもあっただろうが……それ以上にコルネット家の始祖が人類に持ったのは憐れみであったそうだ」
執務室でパソコンとにらめっこしながら、アークは言う。ハイテクなパソコン、通信機器などを持っているのは現在魔族の特権のようなものだった。この城の外では、パソコンもスマートフォンも見かけることはないという。精々、音がやたらと五月蠅く、舗装された道しか通ることができないようなガソリン車がやっと普及してきた程度であるという。
魔族が恐れられるのはその魔力だけではなく、その高い知恵と知識から来る科学力も含んでのことなのだ。
「自分達は強いからこそ妬まれ、恐れられる。……しかし、それが弱者の性である以上、責めることはできない。彼らは仲良く異端の者に石を投げることでしか和を保つことができない悲しい存在なのだ。そのような者と争うだけ無意味である、とな」
「あー、まあそれも間違ってないけどさあ……」
「彼らが我々に牙を剥く時が来れば話は別だが。そうでもない限り、我らから何かをする必要はない。我らの高い科学技術や文明を享受できなくて人間どもは可哀想だなーくらいに思っておればよい。我も祖先と同じ考えよ」
「そう思うのに、人間の俺らを助けてくれたのは何でだ?」
ちらり、と執務室のドアを振り返って言うジル。
自分と妹だけではない。この城には、人間達の村や町を追われてきた多くの者達が匿われ、仕事を与えられて生活している。逃げてきて森に辿りついた者もいれば、盗賊や魔物に襲われていたところを助けられた者もいるという。
アークが人間にあまり良い感情を持っていないのは明白である。ただそれが、敵意や憎悪にまで至っていないというだけだ。それなのに、人間であろうと逃げのびてきた者を救うのはどうしてなのだろう。
「人間に愚か者が多いと言っても、全ての者がそうというわけではない。個人はまた別の問題であろう?」
パソコンから顔を上げて、アークは笑う。――元より、とんでもない美丈夫である彼だ。微笑むとそれだけでキラキラと光が散るような錯覚を覚える。父と慕っているジルでさえ、思わず見惚れてしまいそうになるほどだ。
「何より、はぐれ者であるのは我らも同じよ。ならば、同情の一つもしたくなるというものではないか」
「そういうもんなのかな」
「そういうものなのである。……あ」
彼はパソコンの画面に再び目を落として眉を寄せた。どうやら、メールでも来ていたらしい。
「すまんが、ジル。ちょっと西の方に行ってくる」
「何かあったのか?」
「狩りに行った奴らがヴァリアントに遭遇したそうだ。応援に行ってくる」
「!」
ヴァリアント。
それは、人間でも魔物でもなくなった存在。この世界では時々、そんな異形が生まれることがある。病気なのか、進化なのか、魔法なのか原因は一切分からないが。
確かなのは、ヴァリアントとなった者達は一切の知性を失い、その攻撃性で人々を脅かす存在になってしまうということである。この森でも時々発生する。ヴァリアントは全ての人間、魔物にとって脅威でしかない存在であり、見つけ次第討伐していかなければいけないのだ。
「俺も行く!」
座って椅子から飛び降りて、ジルは叫んだ。
「あんたの戦いぶり、久しぶりに見たいんだ。それに、俺だってもう子供じゃない。自分の身くらい自分で守れる!」
俺の言葉に、アークは目を見開いた。自分と妹を、実の我が子のようにかわいがってくれているこの魔王様のこと。危険な場所に行くともなれば、反対されるだろうことはわかっていた。でも。
「いざって時に戦える力を身に付けろって、そう言ったのはあんただろ。俺も狩りを手伝えるようになりたいし、城のみんなやルチルをちゃんと守れるようになりてえんだ。無茶はしない。何事も経験が大事だって言ってただろ、な?」
「……仕方あるまい」
はあ、とため息をついてアークは頭を掻いた。
「無謀な真似をしたらお尻ぺんぺんだからな!あと、預かっている衣装はビリビリに破くからそのつもりで!ていうか今すぐ本音は破きたいんだからなあんな破廉恥なやつ!」
「罰はそれなのー!?」
ぜ、全力でガンバリマス。ジルは引き攣った顔で笑う他ないのだった。
***
森と城は共生関係にある。が、だからといって城に生きる者達が森の動物たちを狩らないわけではない。自分達だって肉は食べるし、肉食動物や肉食の魔物(ちなみに動物と魔物の違いは、ある程度の知性があるかどうかで分類されることが多い。また、魔法が使える者は一様に魔物に分類される)と戦わないわけではないからだ。
ゆえに、狩りをするために“調達部隊”が森に出ることは少なくないのだが――そこで時々遭遇するのが、あのヴァリアントであるわけである。
一個の動物や人間、魔物が。あるいは複数の生き物が寄り集まって変じた謎の生命体。
ヴァリアントと普通の魔物も違いは明白だ。――ヴァリアントは基本的に、生き物として有りえない身体構造や外見をしているからである。例えば、今ジルとアークの目の前にいるやつ。紫色の、ぶよぶよの肉の塊に多数の目玉がついているのである。晃かな異形。魔物であっても、ここまで醜悪な見た目のものは殆ど見たことがない。
こうなった存在を、元の人間や魔物に戻す方法はただ一つ。ヴァリアントとしての命を終わらせることだけなのだ。
「今回もまた、なかなか大きいな」
既に何度もヴァリアントと戦っているアークが、呆れたような声を出した。
2メートル近く身長のあるアークが、それでも見上げるほどの巨体。紫色のぶよぶよしたイモムシのようにも見えるそれは、全身から生魚が腐ったような嫌な臭いを発していた。
「最近、ヴァリアントの出現頻度が増えてねえか?」
ジルは短剣を構えながら言う。
「正直、こいつら気持ち悪くてすげー嫌なんだけど。……人間の村や町がヴァリアントに襲われたってニュースもちょこちょこ流れてくるしさあ」
「世界そのものに、何らかの異変が生じているのかもしれんな。……キャシー、ドリア、お前達は先に城へ戻っているが良いぞ。その大荷物を抱えていては戦えぬであろう?」
「は、はい。ありがとうございます、アーク様!」
調達部隊の女性達が、大きな荷車を押して城の方へと去っていく。荷車の上には、今日の収穫物であるフランゾジカの巨体が乗っていた。あれを城に持ち帰るのも彼女たちの大事な仕事である。戦うスキルは彼女らも持ち合わせてはいるが、流石に獲物を庇いながら戦うことは難しい。ゆえに支援要請を出したのだろう。その判断は正解だ。
「さて、ジル。ついてきたからは、我の足手まといになるつもりではあるまいな?」
にやり、と笑って言うアーク。どうやら、この機会にジルを試すつもりでいたらしい。
「そなたがどれほど強くなったのか、この父に見せてみよ。期待しているぞ」
「ははっ……上等だぜ!」
無論、自分もそのつもりだ。
ただの変装マニアではないということ、実戦でも戦えるというところを父に見せて認めて貰う大チャンスである。
――そうだ、俺だって……父さんに恩返しがしたいんだ。やれるってところを見せてやる!
ジルはけして、屈強な体格というわけではない。むしろ、女性に変装してもまったく遜色がないくらい、己の体格が華奢であることを自覚している。身長も、成人女性と比較してほんの少し長身かな、というくらいだ。
しかし、その分体重が軽く、機動力に秀でているという自負がある。また、二本の短剣を使っての戦闘技術は十年かけて磨いてきたつもりだ。腕力がないならば手数と技術で攻めるまで。そういう戦い方を、自分はずっと追及し鍛えてきたのである。
「行くぜ!」
ジルは真正面からイモムシのバケモノに突進していった。ヴァリアントの無数の目玉が一気にこちらをぎょろんと見据える。予感がした。ジルはすぐさま横に飛んで木陰に隠れる。次の瞬間、無数の目玉から光の柱のようなものが伸びてきた。じゅっ、と地面が音を立てて焦げる。なるほど、目玉から光を発射して攻撃してくるタイプであるらしい。
ならばあの数は厄介である。あの光線をどうにかしない限り、近づくこともままならない。遠距離攻撃できる手段があれば簡単だったのだろうが、生憎ジルは近距離戦闘に特化したタイプだ。
――だったら、光線が途切れたスキマを狙う。もしくは……。
きょろきょろと首を振りながら前進していく怪物。その姿を木陰から観察するジル。
口が酸っぱくなるほど、アークから教えられたことだ。戦うのであれば、戦闘考察力を磨け、と。先頭中に動きながら最善の選択を取る。その為の思考力こそ、身を守るための最大の武器であり盾にもなるのだと。
――よし!
あの怪物が首を振った瞬間に見えた。頭の後ろ、背中の方には目玉がほとんどついていない、という事実に。
――後ろから回り込めば、刺せる!
怪物がジルを見失い、通過した直後。ジルは一気にその背後に回った。
――いけえええええ!
そして、その背に向かって、一気に飛びかかったのである。