<26・Strategy>
『何度か閨と共にしたし、酒も飲み交わしたんだろう?ゴートンはかなりお前に心を開いているようだ。実際騙しているわけだが、変な罪悪感なんて持ったりしてないだろうな?』
『ナイナイ。人を騙すなんざ、俺にとっては今更すぎるほど今更だし。ゴートンも、父さんを殺すのに手を貸した勇者の一人なんだぜ?魔王がすべての元凶って信じ込んでるあたり同罪だしな。そんな奴に、俺がどうして同情する?いつか全部ネタ晴らしして、ざまあみろってやってやりたいとしか思ってねーって』
ユリンと兄がかわした会話が、ルチルの頭の中でぐるぐるとループをしていた。勇者の連中はみんな、チートスキルを振り回して人を痛めつけることを楽しんでいる者ばかり、この世界の者達の迷惑など顧みない者達ばかりだと思っていたのに。そして、魔王アークを殺したことも、まったく心を痛めていないとばかり考えていたのだけれど。
――……あんな勇者もいたなんて。いや、だからってルチルが絆されることなんか絶対ないんだけど。
ルカ、と名乗ってノエルと話をしたのは当然理由があってのことだ。兄には反対されたが、どうしても自分も力になりたくて押し切ったのである。今回の作戦のためには、どうしてもノエルの足止めが必要であったから。あくまでその時間稼ぎのためだけ、色仕掛けなんかは絶対にしないという条件で役目を買って出たのだった。薬を使ってバックアップするだけでは満足できなかったからである。
兄は笑っているが、何もかも納得しているとは到底思えない。
本当は好きでもなんでもない男や女と寝て情報を得るなんて真似絶対にしたくはないはずだ。ましてや、父が生きていたら引っぱたいて大泣きするに決まっている。それがわからない兄ではない。それでもやるのは“やるしかないから”ということに尽きるだろう。
鍛えても鍛えても、骨が細いのか筋肉が付きにくいのか、ジルは男性らしい屈強な肉体を手に入れることができなかった。多分、父の遺伝が大きいだろう。自分達の父も、女性のようにほっそりとした人物だった。おかげでジルは体重がちっとも増えないし、それどころか運動すればするほど体重が落ちてしまって悩むというループになってしまっている。母似のルチルのがまだむっちりしているほどだ。
華奢であるせいで、彼はどうしても腕力や身体能力で一般的な成人男性に劣る。小さな女の子であるマリオンを持ち上げるくらいのことはできるだろうが、自分より年下で小柄なユリンに一度も腕相撲で勝てたことがないあたりお察しだろう。
足だけは速いのでまったく戦えないわけではないが、それでも直接誰かと戦闘をしたら分が悪いのは明らかである。だから、彼は正面切って勇者らと戦うのではなく、作戦で戦うやり方を選ぶしかなかったのだ。これでせめてユリンのように魔法の才能があればよかったのだろうが、彼は魔法も僅かばかりしか使えないと来ている。
そう、彼は自らの体格でもできることを、一番得意とすることを生かす方法を考えたというだけだ。それに対して下手にどうこう言うのはかえって侮辱というものだろう。
わかっている、ルチルも。
ただわかっていることと、納得しきれるかどうかは別問題というだけで。
「ありがとうございましたー」
背中で店員の声を聴きながら、ルチルは店を後にした。自分が変装してノエルと接触した理由は二つ。
一つは、ノエルがどういう人間なのか知ること。彼は勇者の中でも表に立って戦うことが少ない。新聞などのメディアに登場することもだ。よって、どうしても五人の勇者の中で情報不足だったのである。治癒能力者という名の、縁の下の力持ちである以上どうしようもないことではあっただろうが――彼自身が引っ込み思案な性格だというのも大きかったことだろう。弱点を突くには、その人物の性格を知ることが必須なのである。ゴートンは女遊びが激しいせいで、彼が関わった女達から情報を得ることは難しくなかったわけだが。
――そして、もう一つは……時間稼ぎ。
本来、今回のミッションで標的としていたのはマリオン一人だった。それが、マリオンとノエルが二人ともメリーランドタウンに来てしまったことで若干修正を余儀なくされたのである。尤も、それもジルからすれば想定の範囲内だったようだが。
マリオンをどうにかするまでの間、下手にノエルに動かれるのは厄介である。治癒能力者であり本人の戦闘能力は高くないものの、女神からもらった切り札が他にもないとは言い切れない。少なくとも、残る二人の勇者と連絡を取り合う手段は持っていると考えるべきなのだから。
ルチルはノエルと接触し、“作戦が完了するまで”ノエルを監視して足止めする役目を買って出た、というわけである。そして、自身のスマートフォンに連絡が来たことと、ノエルがルチルの睡眠薬でぐっすり眠ったのを見計らって店を出てきたというわけだった。
本当にスマホというやつは便利である。次元の狭間に電波塔を建てるなんてこと、多くの人間たちは想像もできないことだろうが。
――お兄様の話通りなら……うまく行っているはず。
ルチルは二番街へと足を運ぶ。
ジルは踊り子をしている場所にて、自分の目でも状況を確認するために。
***
話は、少しばかり巻き戻る。
「あ、あの……ありがとう」
まだ、夢の中にいるような心地がしている。ふわふわとした気持ちのまま、マリオンはジニーを見つめた。
おかしい、自分はあくまでゴートンを骨抜きにした女装男の化けの皮を剥がしてやるつもりで近づいたのである。それなのに、何故自分がこんなにもドキドキしてしまっているのだろう。本当に短い時間、一緒にダンスを踊っただけだというのに。
「……あんた、二人で踊る方が全然うまいじゃない。何で、ヘタクソなふりなんかしてるのよ」
マリオンが尋ねると、再び王子様のように手の甲にキスを落としてくるジニー。ああ、前世で夢にまでみた、お姫様の扱いをしてもらっている――こんな美しい男に。絆されてはいけないとわかっていながら、胸のときめきを止めることができない。
イケメンならば、この世界に来てから散々見た。自分をかわいがってくれる人もいなかったわけではない。それでも、こんな風に一人のレディとして夢を見させてくれた人がいただろうか。
ここまで美しく、気高い男も。
「フリではありません。……一人で踊るより、二人で踊る方が本当は好きなのです。私はとても寂しがり屋なものですから」
「そう、なの?」
「ええ。ですからアドリブではありましたが……お嬢さんが私と一緒に踊って下さって本当に楽しかった。まさに、夢のような時間でした。御覧なさい、観客の皆さんも私たちの踊りが素晴らしかったと評価してくださっています」
「……!」
拍手がやまない。
男たちはみんな笑顔で、ジニーとマリオンを称えている。
――……前世の、小さな頃。
マリオンは胸の奥がきゅっとなるような感覚を覚えていた。
――魔法少女に、なりたくて。魔法少女みたいなかわいくテフリフリな服を着て、アイドルとして……みんなに愛される存在になれたらどれほどいいかって思っていた。
嫉妬深い性格である自覚はあった。だから、テレビでステージに立つかわいらしい子役なんかを見るのが嫌でたまらなかった。自分と同じくらいの年で活躍している女子たちが大嫌いだった。その場所を自分に譲れ、自分こそがふさわしいのだと思ったこともあった。――それは己の容姿が人並以下だと気づくまでの話ではあったが。
今、この世界で。マリオンはささやかながら、かつての夢を叶えたのだった。みんながマリオンを称えてくれている。ピエロではなく、可愛らしいダンサーとして。そして、舞台に立つに相応しいお姫様として。
「そ、その……」
この感覚を、もっともっと味わっていたい。
もっともっと、この美しい青年と共に踊っていたい。
「も、もう少しばかりマリオン、この町にいるつもりだから」
「それは嬉しいです」
「そ、そう?だから、その……その間、だったたら。一緒に踊ってあげてもいいんだ、けど……」
段々声が尻すぼまりになっていく。ここでサヨナラしてしまったら、自分たちの関係はここで終わってしまう。それは耐えられないと、そう思ったのだ。
恋なんかではない。きっと違う。そのはずだ。ただこれはあくまで、このジニーという男が魔王の手下かどうか調べるためというだけのこと。そのためにはもっともっと話さなければいけないし、相手を油断させなければいけない。そうだ、これはただの調査。断じて絆されたわけではないのだ。
「本当ですか?」
そしてジニーときたら、そんなマリオンの思惑など知りもせず笑顔を向けてくるのだ。
「でしたら明日……同じくらいの時間にまたいらしてください。今度は違う踊りも一緒にやりましょう。きっととても楽しいですよ!」
「え、ええ……」
ジニーに掴まれた手が、熱い。離れる瞬間、あまりにも名残惜しくて思わず追いすがってしまいそうになった。ああ、自分はどうしてしまったのだろう。確かに非常に美しい男だったが、元はゴートンの恋人だ。ほんのちょっとお姫様のように扱われただけで、こんなにも心が動いてしまうだなんて。
夢見心地のまま彼と別れ、ノエルと宿泊している宿屋の方へと歩き始める。桜の花びらがはらはらと散り、マリオンの心をも桃色へと染めていこうとしている。恋なんかじゃない、何度も何度も言い聞かせながら、それでもふと思うのだ。
そういえば自分は、本気の恋をしたことが一度でもあっただろうか、と。
――恋愛なんて、必要ない。愛されたいけど、私が誰かを愛してやる義理なんてないんだからって思ってた。でも……。
ひょっとしたら、これが。
「おい」
その時。やけに剣呑そうな声が響き渡ったのである。はっとして振り返ったマリオンは見た。
少し離れた場所に立っているゴートンを。そして。
「やけに楽しそう、だったなぁ?マリオン……」
その、初めて見るような剣呑な視線も。