中二秋
学生時代の思い出として、多くの生徒たちが上位にランクインさせるであろうイベント、修学旅行の季節がやってきた。
世界に誇る歴史と文化に包まれた古都。幻想的な神社や仏閣。色付く紅葉の山々。
大変申し訳ないが、僕の心にそれら日本の美しい情景を楽しむ余裕は残されていなかった。
この地で、先人達が積み重ねてきた、壮大なる偉業の数々。
それらと比較したら、本当にちっぽけなことだと思う。
比較することさえ憚られるような、些細なことかもしれない。
ただ、当時の僕にとってそれは、世界中で起こるどんな出来事よりも重大で、何事にも勝る、最優先事項であった。
僕は、知らず知らずのうちに、たった一人の女生徒に、いつの間にか完全に心を奪われてしまっていた。
それくらい、彼女のことが好きだった。
彼女は、この頃からクラスでも上位のグループに属する感じとなっていった。
意図的にそういったイケてる者同士でグループを構成しているというよりは、自然と感覚が近しいもの同士が偶然集まっているだけなのだと、そう理解しているし、実際その通りなのだと思う。
だが、当然そういった集まりと対局に位置する者としては、見えない壁がそこに存在しているようであり、話し掛けることは勿論、近づくことさえ許されないといった感覚に陥ってしまうのである。
修学旅行も、彼女の班はそういったグループ構成となっており、遠目に見ても、とても楽しそうにしていたのをよく覚えている。
なまじクラスが同じということもあり、そういった場面が、嫌でも目に入ってしまう。
修学旅行といえども、好きなもの同士で班員を構成できるというわけではない。義務教育である以上、仕方ない一面である。
その時のクラス内の班というか、通常の学校生活を送る上での小集団が、基本となっている。無論、生徒の力でその構成をどうこうすることはできず、どうにもならない自然の法則によって、班員は決まってしまうのである。
なのに、である。神様は本当に意地悪だ。暇過ぎる。
楽しいはずの二泊三日は、僕にとって、とても長く感じられた。
ケガや病気も無く、無事帰宅することができただけでも、幸いであったといえよう。
そんな修学旅行ではあったけれど、せめて旅行の写真だけでも、という想いにかられていた。
彼女が写った写真だけでも手元に残れば、良い思い出になるのではないかと考えたのだ。
学校の掲示板に一斉に張り出された修学旅行の写真を見ながら、彼女のベストショットを見つけだすのに、必死になっていた。
数多く張り出された写真の中から、僕は、最高の一枚を見つけることに成功した。彼女と、彼女の女友達二人で写ったものである。
この写真を見つけた瞬間、本気で心を奪われてしまった。
毎日、同じクラスで現実の彼女を目にしているのに、写真の中の彼女は本当に綺麗で、芸術的と思えるほどだった。
風が吹いていたせいなのか、片手でそっと髪を押さえるその仕草は、女神のようだった。
もうとっくに選び終わっているのに、何度もその近くをウロウロしては、横目で繰り返し確認していた。
写真には番号がふられており、申し込みの封筒に番号を記載し、現金を封入して担任に提出すると、数週間後に配布されるという仕組みになっている。
僕は悩んでいた。購入するべきか、やめるべきか。
写真の申し込み番号はたった三桁の数字だ。完璧に脳裏に刻み込んである。脳内焼き印といっていい、金輪際一生忘れることの出来ないレベルでインプットされている。
あとは、封筒に、その番号をサラッと出力するだけだ。
たやすいこと、実に簡単だ。筆や万年筆で書く必要もない。その辺に転がっているエンピツで充分だ。
お金?
小遣い前借り、お年玉前借り、親に土下座でも何でもしてかき集めればいい。そもそも、そんなに高額じゃない。
問題はそこじゃないのだ。
写真が届いたとき、もしもクラスの友人に、
「どの写真買った?見せて?」
などと言われたら、その場でベランダからダイブである。
担任の先生に、
「この番号の写真、お前写って無いだろ?」
などと言われたら、翌日から不登校である。
一歩間違えれば、今後の僕の人生を大きく歪める原因となりかねないのだ。
死の可能性さえある。
それくらい、思春期真っ只中の当時の僕には、彼女のことが好きだということを知られるのが恥ずかしかった。
迷いに迷い、迷った迷った島倉千代子ぐらい迷った挙句、買うことはできなかった。
写真は封筒に入った状態でホームルームの時間に担任から配られたが、お互い買った写真を見せあうような状況にはならず、本気で後悔した。