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潤わしの瞳  作者: 椎野守
第一章
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中二冬-4

 その日、僕は家に帰るなり、早速レタリングに取り掛かった。


 ほとんど開くことのない漢字辞典を引っ張り出し、彼女の名前を一文字ずつ(ひろ)いだす。

 文字のバランスを整えるために枠線(わくせん)を引き、一文字一文字レイアウトしていく。

 鉛筆で下書きを終えると、出来るだけ遠くから全体を見渡して、気になる所を修正していった。


 僕は、彼女の名前をポスター用紙に書いているだけである。なのに、不思議と彼女をモデルにデッサンを行っているような、そんな感覚に(おちい)っていた。


 ()(たい)(あらわ)す。

 

 おそらく意味は全く異なるのだが、その時の僕には、その言葉がしっくり来た。


 字体は明朝体(みんちょうたい)を選択した。彼女からこの依頼を受けたとき、字体は明朝体が良いと思っていた。

 あの時、久しぶりに見た彼女は、可愛いという印象から、美しいという印象に変わっていた。文字として彼女を表現するのに、相応(ふさわ)しいと感じたからだ。


『明るい選挙』の時は、明朝体ではなくゴシック体であったため、それほど難しく無かったが、明朝体は筆で書いたような()めや(はら)いが多く、それを綺麗に表現するのは、想像以上に難しかった。


 毎晩のように、遅くまで試行錯誤(しこうさくご)を繰り返していた。


 依頼は名前だけで良いというものだったので、苗字(みょうじ)と名前、合わせて四文字である。

 僕は、この四文字に期限である一週間を全てつぎ込んでいた。後にも先にも、四文字をあれだけ時間をかけて書いたことは他に無い。


 縦と横の太さのバランスで、印象は大きく変わる。選挙用ということもあり、印象に残るというのも大切である。ただ、彼女の印象と大きく異なるのは、僕個人として許容できなかった。


 あの時、僕の記憶の中の彼女と、目の前に実在する彼女の、ほんの些細(ささい)な違いが、僕の中では衝撃的なほど違って見えたのだ。その思いが、ミリ単位の文字のズレを許そうとしない。


 書いても書いても、彼女に近づくことは出来ない。そんな気持ちを(いだ)くようになっていった。


 やっぱり僕には無理なのだろうか。そんな思いが、次第に僕の心の中で増幅(ぞうふく)していく。


 書いては修正し、書いては修正を繰り返す。(なに)か、ゴールの無い無限階段(むげんかいだん)を、ひたすらに走り続けているような感覚になっていた。


 納得(なっとく)いこうがいくまいが、時間というものは経過(けいか)してしまうもので、締め切りというものが必ず存在するのである。


 彼女に渡さなければならない締め切り前夜は、一睡(いっすい)もしない完全なる徹夜だった。

 正直に言って、納得できる仕上がりでは無かった。こんな状態のものを彼女に渡してしまったら、がっかりされてしまうかもしれない。そんな不安が(ぬぐ)いきれなかった。


 それでも、これまでの短い人生の中で、これだけ1つのことに集中して、こだわりを持って取り組んだことがあっただろうか。


 出来栄えとは裏腹に、不思議な達成感のようなものも、少なからず芽生(めば)えていた。


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