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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
9/30

決別

 



 ――――――




 ドナートに殴られた翌日。あいつは何食わぬ顔で仕事をしていた。言うべきことがあるだろう、と思ったが、そう思う私がおかしいのかと思えるくらい平然としている。実に腹立たしい。


 可能性のひとつとして、酒に酔っていてあのときのことを忘れているというものがあった。それならばいつもと変わらないのも頷ける。周りもあのことを誰も言っていないようだから。だが、その可能性はドナート自身が否定した。


 数日後、たまたまドナートと二人になる時間があった。炉に焚べる炭を取りに行くタイミングが被り、倉庫で一緒になったのだ。


「おい」


 私たちの仲は殴られた件を除いても険悪なので会話はないのだが、このときは珍しく声をかけてきた。


「なん――!?」


 何だと訊こうとして、覚えのある衝撃が私を襲った。すぐ前のことだ。よく覚えていたから、殴られたのだとすぐにわかる。倒れた先が運悪く炭の上。いやまあ、狙ったのだろう。


「ゲホッ! ゲホッ!」


 粉塵が舞い、激しく咳き込む。恐らく、全身が炭で真っ黒になっているだろう。まだ昼も来ていないのに一日どうすればいいのか。この先を思うと頭が痛くなる。だが、もっと問題なのは私を殴ったドナートだ。


「ふん。ざまあないぜ」


 そう吐き捨ててその場を去る。トラブルらしいトラブルはなかったから、こんな過激な行動に出たのはあのときの記憶があるからだろう。


「まったく……」


 ドナートが去った後、よろよろと起き上がる。パンパン、と煤を払うも気休めでしかない。


「ど、どうしたんですかその格好!?」


 工房に戻ると案の定、身なりについて心配された。私はありのままに話さず、足を取られて転んだということにする。そして一度戻って体を洗い、着替えてから戻ってくることになった。作業を遅らせてはいけないので残業は確定だ。夜学にも行けず、肩を落とした。


 ……これで終わればよかったのだが、そうはいかない。意識的にやったことで箍が外れたのか、ドナートはこの日から、私に何度となく暴力を振るってきた。他人から見えないところで。


 やがて取り巻きやゴロツキなんかも一緒になり、エスカレートしていく。擦り傷や腫れがあるのは当たり前になり、時には作業ができないほど体を痛めることもあった。当然、そんなことになれば不審に思う職人も出る。それでも私は、転んだだけとかトラブルに巻き込まれただけ、と適当に言い訳して凌いだ。


 怪しむのは職人たちだけではない。毎日のように顔を合わせるニーナさんにも疑われた。彼女にも職人たちにしたのと同じような説明をする。


「そうなの」


 ニーナさんには気をつけなさい、と軽く叱られた。心配するんだから、と小さな声が続く。申し訳なさと罪悪感でいっぱいになった。


 私も別に何もしていないわけではない。被害を減らすためにできる限りのことはしていた。例えば、ひとりにならないよう心がけ、ひとりでも可能な限り人通りの多い場所を通っている。ただ、どうしてもひとりかつ周りに人がいない状況は生まれてしまう。特に夜学の帰り。夜遅いため人通りもほぼないから、襲撃には絶好のタイミングなのだ。


「よう、兄ちゃん」


「ちょっとツラ貸せや」


 夜学からの帰り道。今日も今日とてチンピラに囲まれた。もはや毎日の恒例行事である。


「……またですか。まったく、早くしてくださいよ」


 抵抗できる腕っ節はないので大人しく殴られる。早く終われば早く帰って寝ることができるから、抵抗するだけ無駄だ。叶うことなら、仕事に支障が出ないようにお願いしたい。


「こうも大人しいと面白くねえな」


「だったら止めてくださいよ」


 無抵抗の人間を痛めつけて何が楽しいのか。非難の意味も込めて睨むと、チンピラはバツが悪そうに頭を掻く。


「そうなんだがなぁ……こっちも商売だ。『はいそうですか』って引き下がるわけにはいかねえんだよ」


「それはまた、仕事熱心ですね」


 できれば別のことに情熱を向けてほしいが、それができればこんなところでチンピラなどやっていないだろう。


「じゃあまずは一発……」


 チンピラたちが距離を詰める。リーダーっぽいのが拳を構えた。


「あなたたち! 何をしているの!?」


 そこへ女の声が飛ぶ。予想外の闖入者に、全員がそちらを向いた。フードで身体を覆っているが、足元から覗く女物のブーツ、何よりフードでも隠せない胸の豊かな膨らみが女性であることを主張している。チンピラたちも目敏く気づいたらしい。


「おいおい姉ちゃん。こんな時間にこんなところにいたら危ないぜ」


「それとも、オレらが遊んでやろうか?」


 ギャハハ、と下品な笑い。チンピラたちは彼女に下心満載の目を向けていた。彼らの脳内では、フードやその下の服も含めてひん剥かれていることだろう。


「お断りよ。それより、その子を解放して失せなさい」


 チンピラたちに要求を突きつける。が、それはとても通らない。


「そいつはできない相談だな。これはオレたちの仕事だ」


「そう。……なら仕方ないわね。力ずくで退いてもらうわ」


「威勢のいいことで。おい、お前ら。適当に相手してやれ。遊んでもいいぞ」


 チンピラリーダーは笑い、手下に指示を飛ばした。


「ひゅーっ!」


「さすが兄貴!」


 リーダーの言葉にテンションを上げるチンピラたち。フードのせいで顔はよくわからないが、少なくともスタイルはいい。これなら「遊び」も楽しいだろう。……彼らの思考はどうせこんなところである。


「はぁ。どなたか存じませんけど、離れた方がいいですよ」


 私は女性に離れることを勧めた。返事の代わりにフードの女は自然体で歩き出す。


「お前ら、やれ」


 リーダーの指示でチンピラたちが襲いかかる。


「うわ……」


「……嘘、だろ?」


 しばらくして、私とチンピラリーダーは揃って驚きの声を上げた。四人いたチンピラがあっという間に伸されてしまった。


 コツコツ、と踵のヒールを鳴らして歩く女性。一人目が殴りかかったが、拳はヒラリと躱される。伸びた腕を掴み、突っ込んできた勢いを利用して派手に投げ飛ばした。チンピラは受け身もとれず、道に背中を強かに打ちつける。あれは痛い。


 女はそんな結果を見届けることなく歩き続ける。コツコツ、とヒールの音もまた規則的。二人目の拳もヒラリと避け、すれ違いざまに背中を押す。体勢を崩され、止まろうとしたものの止まれず、勢い余ったチンピラは顔面スライディングを決めた。


 三人目はいつぞやのドナートよろしく、鳩尾に肘鉄を一発入れられて撃沈。四人目は警戒しながら挑むが、足を掬われて倒れたところを踏みつけられる。鳩尾をブーツのヒールが抉った。ロングコートなので、美しい脚以外は見られない。もっとも、特等席にいるチンピラに見る余裕はなかっただろうが。


「まだやる?」


「……いや、やめておく」


 チンピラリーダーは敵わないと悟ったか、戦意喪失とばかりに手を上げる。女はそれを見て、


「なら、そこで伸びてるの連れて失せなさい」


 と指示する。


「わかった。……おい!」


 伸びてる手下たちを叩き起こし、チンピラリーダーはその場を去っていった。


「大丈夫?」


 女は姿が見えなくなるまで見送ると、私の方へ近づいてきた。先ほどまでの厳しい声から一転、優しい声でそう訊ねてくる。


「ええ、おかげさまで未遂で済みました。ありがとうございます、ニーナさん」


「気づいてたんだ」


「声とブーツで。それは最近、工房に来るときに履いているやつですよね」


「……折角フードを被ってきたのに、これじゃあ意味ないわね」


 あはは、とバツが悪そうに笑うニーナさん。


「ところで、どうしてここに?」


「最近、イワンくんの様子がおかしかったから尾行してたのよ」


 ……何気なく訊いたことだったが、とんだ藪蛇だった。


「そうだったんですね。いや〜、助かりました。普段、チンピラに絡まれることなんてないんですけど、今日は運が悪い。いやでも、ニーナさんがいたから運がいいのかな?」


 我ながら支離滅裂だとは思うが、とにかく勢いで誤魔化そうと思ったことを思ったままに口に出す。そうやって煙に巻こうとしたのだが、


「さっきのチンピラとの会話。殴られるの、かなり慣れてるみたいだったけど?」


 核心を突かれ押し黙る。最初からバッチリ聞かれていたようだ。


「おかしいとは思っていたのよ。最近、怪我が多くなって。忙しくて疲れているのかなと思ったけど、別に食が細くなってるわけでもない。職人さんたちに訊いても、工房で怪我をしているわけでもない。だから気になって尾けてみたんだけど……」


 まさかチンピラに絡まれてるなんて、とニーナさんは呆れ顔。


「しかもあいつら、誰かに雇われてるみたいね?」


 心当たりがあるんでしょ、とばかりに私を見るニーナさん。訊ねてはいるが、見当はついている様子だ。


「……まあ、ご想像の通りですよ」


 でも、これを問題にするつもりはない、と言っておく。


「どうして?」


「もうすぐ工房を辞めるので」


 暴力に躊躇いがなくなった以上、さらにエスカレートする可能性も否定できない。命を狙われる可能性だ。さすがにそんなところにいつまでもいたくはない。


「そうなの……それで、辞めた後は?」


「……どうしましょう?」


 何も考えていない。それを聞いたニーナさんには一緒に店をやらないかと言われたが、そんなことをするとガチで殺されかねないので遠慮した。それでなくとも、鍛治職人である私が料理店で何をするのか。専属鍛冶? そんなもの聞いたことがない。もはやただの穀潰しである。


「あまり気は進みませんが、田舎に帰りますか」


「気が進まない?」


 拙い。不用意な発言だった。後悔したが、口に出したことは取り消せない。


「どういうこと?」


 ずいっ、と身を乗り出してくるニーナさん。整った顔が急接近する。見つめ合うことに耐えかね、そこから逃れるために口を割ることにした。


 故郷で容姿を理由に同世代の若い衆から妬まれていたことを話す。それを聞いたニーナさんは、懸念を口にした。


「それ、故郷に戻っても状況はあまり変わらないんじゃない?」


「……」


 否定はできない。村社会だから暴力などの心配はないが、間違いなく若い衆からハブられる。慣れはしたが、面白くはない。昔は兄が間に入ってくれていたが、今はいないのだ。前よりも不快だろう。


 そんな私の心の揺れを見てとって、ニーナさんは畳み掛けてくる。


「だから、対抗できるようになりましょう。あんなチンピラ、撃退すればいいのよ」


 ニーナさんは親戚の道場に通うことを勧められた。強くなれば問題ないよね、という論理らしい。それは道理だが、問題は私が強くなれるのかということ。そこについては、


「努力あるのみ」


 とのこと。意外とニーナさんは脳筋のようだ。


 結局、辞めて何をやるか特に決めていなかった私は、彼女の言に従って道場に通うことにした。


 補給担当の士官にお願いして、工場に詰めているダヴィッドさんに面会させてもらう。こういうことで融通が利くのは、工房の責任者をしていてよかったことだ。ダヴィッドさんに会うと、今までのことを洗いざらい喋り工房を辞めることを告げる。


「……そうか。済まなかった。後のことは気にしなくていいぞ」


 私の肩をポンポン、と叩くとそう言ってくれた。大変なときに辞めて迷惑だろうに、文句も何もなかった。私はただ、ありがとうございました、と感謝を伝える。それしかできなかった。


 ダヴィッドさんの計らいで、短時間だが兄とも面会できた。前に「いざとなったら辞めてやる」と言っていたから驚きはなく、こちらもお疲れ、と言ってくれた。これからどうするのか? と訊かれたので、ニーナさんのところでしばらく厄介になると明かす。


「じゃあ、動員が終わったらイワンの料理が食べられるのかな?」


「無理じゃないかな?」


 私に料理のセンスはないと思う。第一、料理の修行が目的ではない。そう言おうとしたのだが、間が悪く作業時間となったために言えず仕舞いだった。


 工房を辞めた後、私は日中は道場、夜は夜学という生活を送る。ニーナさんの伯父さんは厳しかったが、ちゃんと修めればそこらのチンピラくらいなら軽くあしらえるようになる、と言ってくれた。それを信じて頑張る。


 なお、月謝はかなり良心的だった。曰く、


「ニーナの旦那だからな! 恩を売るに限る」


 とのこと。


「そんなんじゃないって!」


 言ったそばから顔を赤くしたニーナさんに突っ込まれる。だが、すぐにこちらへ向き直り、


「いや、そういうわけじゃ……」


 としどろもどろになりながら弁解するのがお決まりの流れだ。私はリアクションに困り、あはは、と適当に笑って誤魔化した。







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