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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
8/30

御曹司の不満

 



 ――――――




 カンカン、と槌の音が響く。戦争の激化により軍需品の需要が高まり、特に兵器類の生産は急務となっている。それらは国営工場で生産されているのだが、とても人手が足りず街の職人をも動員した。おかげで人手不足なのだが、軍は容赦がない。職人が揃っていた頃と変わらない量の注文が入っていた。少ない人数で生産しなければならないため、朝から晩まで槌の音が鳴り止むことはない。


「う〜ん」


 出来上がった物を摘み私は唸る。あちこち丹念に眺めて思うのは、


 質が悪い。


 経験の浅い職人が大半であるため仕方がないが、品物の質が以前よりも明らかに下がっている。工房には軍の担当者が品物の受け取りに来るのだが、


『最近、どこの工房でも注文した物の質が下がってて困ってるんですよね』


 とぼやいていた。彼の言う「工房」にはキリーロフ工房も入っているだろうから、それはぼやきというよりはオブラートに包んだ嫌味なのだろう。だが、否定できないので何も言えなかった。


 個人的に腹が立つのはドナートのもの。嫌われているからという理由もあるのは否定しない。もっともその比率は小さく、大きいのは精度が荒い割に自身の銘だけは見事に仕上がっているのだ。銘だけは一人前である。兄から聞いたドナートの談として、幼い頃から自分の作る作品のために銘を入れる練習をしていたそうな。その姿勢は可愛いが、実際に銘だけが立派だと作品との釣り合いがとれておらずむしろ格好悪い。


 それはさておき、これを何かしなければならない。質の悪いものを作り続けていたのでは工房の評判が下がってしまう。キリーロフ工房はモスコーでも一、二を争う大工房だ。ダヴィッドさんから任されている身として、その可能性を容認するわけにはいかなかった。そこで、私は生産体制を刷新することにした。


 職人を経験に応じてグループにまとめ、作業を割り振っていく。経験の浅い者には成形などの簡単な作業、熟練者には仕上げなど技術が求められる作業をやらせる。他には基本、一切関わらせない。


「皆さんにはこれから単一作業をやってもらいます」


「オレは反対だ。やり方を変更したら作業に遅れが出る。忙しいのにそんなことをしている暇はないし、こんな下らないことに時間を使ってることこそ無駄だ。バカじゃねえの?」


「そうだ」


「御曹司の言う通り!」


 案の定、ドナートとその取り巻きが難癖をつけてくる。予想していたので、対応も考えていた。


「なら、こういうのはどうでしょう? 一週間はこれまで通り、来週一週間は新しいやり方でやってみて、どちらがより多く生産できるか試してみるというのは?」


「……やってやろうじゃねえか」


 自分が正しいと信じて疑わないドナートはこれに乗った。一応、手を抜かないよう監視を付けておく。もっとも報告では真面目にやっていたらしく、杞憂に終わった。


 その結果、私の分業制が生産量で勝り、勝負の結果として私のやり方で生産をしていくことになった。軍の担当者も、


『最近は質がよくなっていますね』


 と言っていた。ドナートは結果に納得がいかず、最後の抵抗として軍の検品に立ち会う。曰く、数を作るために劣悪なものを作ったのではないか? と。彼は粗製濫造を疑ったわけだ。その疑念はわからなくもない。彼が作業で見ていたのは成形のみ。仕上げは見ていない。完成品がどうなったのか、適当に作っているのではないかと疑うのは仕方がないことだろう。


 ドナートとしては、質の差で優位であると主張して勝負をひっくり返すつもりらしい。元々、数を競おうと始まった勝負なので無理筋なのだが、形振り構っていられないのだ。何でもいいから勝てばいい。それで押し切るという思惑が透けて見えた。


 だが、残念なことに仕上げで手を抜くはずもない。きっちり丁寧に仕事をしている。さすがは熟練職人。前の加工が甘くとも、仕上げのついでに修正してしまう。いってしまえば、ひとつひとつに検品が入っているようなもので、質で劣るはずがないのだ。


 勝負はついた。なおも抵抗しようと考えるドナートだったが、事情を知らないだろう軍の担当者が、


『先週のものより質がいい。この調子で頼みますよ』


 と暗に前までの生産方式を否定した。これが止めとなる。ドナートは以後、何も言わなくなった。


 それからというもの、キリーロフ工房の評判は一気に高まる。増大する需要から軍は過大な生産量を要求しており、多くの工房が粗製濫造に出る他に解決策を持たなかった。そんななか、従来の品質を維持しつつ軍の要求に応えるキリーロフ工房への評価が高くなるのは当然だろう。


 既に国から注目され、他よりも大きなノルマを課せられていた。これに対しても、私たちは職人一丸となって対処している。またしても忙しくなったが、これに報いるためとして国からの報酬は他所よりも高く設定されていた。そのため、職人たちの懐は潤っている。


 工房に残された職人は未熟な者たち。その全員が未婚だ。そんな男に金を渡せばどうなるか。なかには親に仕送りをする者もいたが、ほとんどは酒と女に費やしていた。


「「「乾杯ッ!」」」


 乾杯の音頭が高らかに響く。ジョッキを掲げて唱和すると、待ちきれないとばかりに口へ運ぶ。喉を鳴らして飲み干せば、皆一様に清々しい笑みを浮かべている。


 工房の仕事は忙しく、毎日のように酒が飲めるわけではない。むしろ、こうして飲みに行ける日の方が珍しかった。それゆえ、激務の疲れを吹き飛ばす、と言わんばかりに仕事が早く終わった日は痛飲し、家に帰って寝て翌朝をスッキリ迎える、というのが最近の職人たちの習慣だ。なお、ルーブルの人間に「二日酔い」の文字はない。二日酔いになる奴は半端者だ。


 さて、騒ぐ職人たちを尻目に私はひとり夕食を食べる。兄と話しながらとるのが日常だったが、官営工場に動員されてからはひとりで食べるようになった。それに伴って指定席もテーブルからカウンターへ。話し相手は、仕事はどうしたのかと訊きたくなるほどカウンターから離れないニーナさんになっていた。


 念のため言っておくと、騒いでいる彼らとは別口である。私が残務をこなして夕飯のためにニーナさんの店に顔を出すと彼らがいた、というだけだ。


「にしても最近、キリーロフ工房は羽振りがいいわね」


「ええ。仕事も多いんですが、その分、国から多くのお金をもらっているので」


 カウンターに肘をつき、掌に小さな顔を乗せてこちらを見ながら話す。小首を傾げるなどなかなか魅力的だ。少し手が空くと私の前にきてこのポーズをとるのが最近の彼女の習慣となった。また、付き合いも長く私に対する口調はかなり砕けたものになっている。


「他のところでも評判になっているわ。『キリーロフ工房が羨ましい』って」


「面倒も抱えていますけどね」


 私は苦笑いを返す。実際、景気がいいのは事実だが、面倒事も比例して増えていった。一番多いのは、工房への移籍を望む者。忙しいのに給料は上がらず、娯楽に使える時間も少ない。労働に見合った対価を! と移籍を願い出る者が後を絶たなかったのだ。それを聞いた他の工房が、ウチの職人を誑かすんじゃねえ! とキレて工房に乗り込んできたこともあった。それは結局、私だけでは収められず、ダヴィッドさんや軍など各署が出て誤解を解いて決着した。


 他にあったのが美人局。金が余った職人たちのなかには歓楽街へと繰り出す者もいた。私は別に咎めるつもりはない。自分が稼いだ金で何をしようが、犯罪でない限りは本人の自由だからだ。ところが、それまでは下っ端でそういう店に行く金なんてなかった彼ら。なかには悪い店に捕まる者もいた。そして、色々な理由をつけて金を毟りに来るのである。この解決もまた、なかなかに骨の折れるものだったが、幸いにもこの件も軍が助けてくれている。


『敵国の間諜が入っているかもしれない』


 敵国のスパイが裏にいるかもしれないから、という理由でトラブルがある度に軍と解決にあたっていた。もっとも、大半は金に困った人だったり、彼女らに金を貸している悪人たちが使嗾しただけだったりと、大事ではない。しかし、何件かはスパイ案件だったらしく、協力を続けてくれていた。


「へえー。そんなこともあったんだ」


 大変ね、とニーナさん。ついでに、悪い女には引っかからないようにしなさい、との忠告も受ける。いい娘を紹介しようか? と言われたが、丁重に断る。恋愛は私にはわからない。いつか知るのかもしれないが、そのときに考えればいいのだ。恋愛の先には結婚があるが、それにしたって兄が先である。


「心配だな〜」


 断ったものの、なおもニーナさんは食い下がる。それを私がはぐらかす、というやり取りを続けていた。何だかんだで気安い関係を築けており、こういうやり取りも面倒というより心地いい。


 話をして乾いた喉を飲み物で潤す。私はアルコールは飲んでいないが、周りで飲まれているせいか雰囲気で少しいい気分になっていた。私でそうなのだから、職人たちはすっかり出来上がっている。話は楽しいが、明日の作業に差し支えるのでそろそろお暇することにした。


「え〜。もう少しいいじゃない」


 お酒飲んでるわけでもないし、と引き留められる。


「明日も作業があるので早めに寝ないと。料理、美味しかったです。また明日、来ますよ」


「絶対よ」


 約束させられる。心配しなくても、ご飯を食べるにはここに来るしかない。自炊なんて私にはとてもできないからだ。新たな店を開拓する気もなかった。


 代金を置いて席を立つ。店を出る前に職人たちの席に寄る。余計なお世話かもしれないが、明日の仕事に支障がないよう程々にしておくよう釘を刺すためだ。


「「「わかりましたー!」」」


 赤ら顔で唱和する職人たち。この陽気さはルーブル帝国人の美徳だ。まあ、酔いを持ち越すような人間ではないから大丈夫だろう。それではお先に、と言ったところで行手を塞がれた。


「ドナート?」


 立ち塞がったのはドナート。酔って真っ赤な顔をして、身体が左右に揺れている。酩酊していた。用を足すのだろうか。酒は程々にな、と言おうと思ったその瞬間、視界が揺れる。直後に頬が熱くなった。頭が真っ白になり、殴られたというごく単純なことを理解するのにかなりの時間を要した。私が混乱から立ち直る間にも殴打は続く。


「お前が! お前さえいなければッ!」


 拳で交互に殴られる。槌を振るうべくそれなりに鍛えられているから、パンチにはかなりのパワーが込められていた。口に鉄の味が広がる。口の中を切ったらしい。歯が折れてないのは儲け物だ。


 とにかく、私はパンチを防ぐことに専念する。馬乗りになって殴られているので起き上がるのは難しい。できるのは、腕で顔を庇うことだけだ。


「何をしているんですか御曹司!?」


 職人たちはようやく我に帰り、ドナートを止めにかかる。言うことは聞かないし、なまじ力があるので引き剥がすのに時間がかかった。


「大丈夫……って、酷い怪我!」


 近寄ってきたニーナさんが悲鳴を上げる。だが、彼女は荒事に慣れているようで、すぐに引っ込んで水で冷やした布を持ってきた。それを当ててくれる。冷んやりとして気持ちいい。


「……そんなに酷いんですか?」


 少し落ち着き、そう訊ねてみる。口の中で鉄の味がすることから、口内で出血していることはわかった。わかるのはそれだけで、顔の状態はまったくもってわからない。


「ええ。あちこちにアザができてるわ。折角、カッコいい顔しているのにこれじゃあ台無しよ」


「あはは……」


 そこかよ、と思ったが口にはしない。笑って誤魔化す。


「痛くない?」


「痛いですけど……まあ、慣れてますから」


 職人として修行する過程で怪我をすることは多々あった。だから痛みには慣れている。


「そんなことよりも、まずは彼です」


 ドナートを見る。しばらく暴れていたが、疲れたのか今は大人しくなっていた。私は彼に、なぜこんなことをしたのかと訊ねる。酔って行動がエスカレートしたにせよ、何か理由があるはずだ。


「ふん!」


 視線を向けるが、ドナートは話すことはない、とばかりにそっぽを向く。職人たちはどうしたらいいのかわからず、おろおろとするばかり。どうしたものかと微妙な空気が流れ、隙が生じた。それを見逃さないドナート。緩んだ拘束を振り解き、また私に襲いかかる。


「へぶっ!?」


 殴りかかるドナートだったが、彼の拳が私に届くことはなかった。ニーナさんが間に入り投げ飛ばしたからだ。


「これ以上、好き勝手させるわけないでしょう!」


 店で暴力沙汰を起こされたことで怒り心頭のようだ。凄まじい形相で怒りを露わにしている。


「こ、こいつ!」


 女性であるニーナさんに投げ飛ばされ、ターゲットを彼女に変えるドナート。咄嗟に私を含めた人間が間に入ろうとしたが、彼女に目で制された。そして二人の戦いが始まったのだが、ニーナさんは見事にドナートをあしらう。殴りかかるもことごとく投げ飛ばされる。それでも何度も挑むドナート。すると、鬱陶しくなったのかニーナさんが反撃に出る。目にも止まらぬ速さで懐に潜り込むと、鳩尾に肘鉄をかます。壮絶な痛みが襲っただろう。堪らずドナートは膝から崩れ落ちた。


「「「……」」」


 私たち職人衆は沈黙。ニーナさんの武勇伝に、またひとつ新たなページが加わった。


「これ、保安局(警察)に突き出す?」


 蹲るドナートを「これ」呼ばわりして、ニーナさんが訊ねる。私は気持ちはありがたいけど、と言いながら断った。


「いいの? 絶対、後で面倒になるわよ」


 確信めいた言い方。店員として色々な人と接し、養ってきた目がそう告げているのだろう。だけど私は頷けない。


「だとしても、工房の評判を落とすことにもなるし、何よりダヴィッドさんに迷惑をかけられない」


 現行犯であり、証人も多くいる。警保局に連絡すれば逮捕されるだろう。だが、息子が警保局に捕まったとなればダヴィッドさんに迷惑がかかる。それは受け入れられない。


「……そう。わかったわ」


 ニーナさんは私のわがままを容れてくれた。ありがとう、とお礼を言う。すると彼女は手で赤くなった顔を扇ぐ。


「さ、さあ。今日はこれでおしまい! はい、帰った! 帰った!」


 少し声を上ずらせながら私たちを追い立てる。ドナートは職人衆が担いで家に帰したとさ。







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