大動員
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誰しも考えることは似通っている。田舎も都会もそう変わらないらしい。諦観に支配されながら、私は日々を過ごしている。
あれから不思議なことが起きていた。物がなくなったり、壊れたり、わけのわからない場所で見つかったりするのだ。
「あれ? 槌がない」
お客さんの対応を終えて戻ってくると、鍛冶に使うハンマーが無くなっていた。私はいつも同じ場所に置いている。持ち歩くこともないし、重いから落ちることもない。ないのはおかしいのだ。誰かが触らない限りは。
「兄さん。私の槌を知りませんか?」
「いや。いつものところに置いてただろ?」
「それがなくて」
兄は私がいつも同じ場所に置いていることを知っているから、変だなと不思議がる。そんな私たちの会話に入ってきたドナート。
「あれ、イワンさん。槌なくしたんですか?」
その声には侮蔑が少なからず含まれていた。同時にクスクス、と笑い声がする。ドナートと同期の職人たちだ。
彼らの反応から、私はすべてを察する。私がいなくなっている間に、誰かがやったのだろう。確信は持てるが証拠はない。何か言ったところで、言いがかりだと逃げることができる。ボロを出さないものかと、私は彼らを煽ることにした。
「そうみたいですね。いや、参った。こんなことは初めてですよ。まあ、予備の槌でも使いますかね」
大したことはない、とアピールする。強がりではなく、予備は持っているので作業に支障はない。こうなれば腹が立って同じようなことをやってくるだろう。それでいつか尻尾を掴めればいい。そう考えていた。
ところが、敵もさるもの。なかなか尻尾を見せない。一応、兄にも相談して見張ってくれることにはなったが、私と兄の仲がいいことはよく知られている。兄もいなくなったタイミングで犯行は行われており、手がかりは掴めなかった。
工房では不穏な空気が漂っているが、世の中もなかなかに不穏である。戦争は終わる気配は見せず、むしろ激化していた。ルーブル帝国はマルク、クローネという「同盟」勢力と交戦していたのだが、新たにクルシュ帝国が敵として参戦してきた。その結果、従来の西部戦線に加えて南部戦線が誕生。そこへ投入する兵力を確保するため、新たな動員がかけられた。
今回の動員では幸いというべきか、キリーロフ工房から出征する者はいなかった。しかし、無関係ではいられない。産業の効率化をお題目に、兵器生産に従事する職人たちを国営の工房に集めるという布告があった。
「誰だ。昇天日までには終わるって言ったやつは」
工房の運営会議でダヴィッドさんが愚痴る。戦争が終わるなんて話は聞かず、新聞を見れば激戦が伝えられていた。動員された兵力は三百万を数え、西部(対マルク帝国、クローネ連合帝国)と南部(対クルシュ帝国)で戦っている。
南部戦線は山岳地帯であり、守るに易く攻めるに難い。激戦が予想されるが、ルーブル帝国軍は果敢に攻勢しているという。
他方、西部戦線はそのほとんどが平地である。マルク帝国は当初、軍の展開が遅れたためにルーブル帝国軍はマルク帝国東部に侵入。その一部を占領することに成功したらしい。これはマルク帝国が西方でフラン共和国、ギニー連合王国と対峙しており、送り込める兵力に限りがあったためなのだそうだ。
また、敵の同盟国であるクローネ連合帝国は、ディナール王国に対して緒戦でまさかの敗北を喫していた。そちらの立て直しに注力していたため、東方はマルク帝国に任せている。東西に派兵しなければならないマルク帝国は、予備役を大量に抱えているとはいっても、東西から連合陣営が挟み撃ちにすれば屈服させられる、と新聞は書いている。
新聞は勇ましいことをいっているが、実際は苦戦しているのではないかと世間では噂されていた。理由として挙げられたのが補充の加速。戦線が広大とはいえ、動員される兵士の数が尋常ではない。毎日のように召集がある。それだけの補充が必要ということは、前線でかなりの犠牲が出ているのではないか、と思われていた。
それを裏付けるかのように、最近は頻繁に戦死の通知が届けられるようになっている。エレオノーラの父親も戦死したという通知が来た。彼女の父親は大佐(騎兵連隊長)だ。高級仕官の戦死ということで--詳細は伏せられているが--新聞にマルク帝国軍との戦いで名誉の戦死を遂げた、との記事が載せられていた。高級仕官が戦死するのは壊滅的な打撃を被ったからではないか、というのが世間の見立てである。
「大体、マルクの軍は強い。神州帝国に負けるようなうちの国が、そう簡単に勝てるわけないだろ」
ダヴィッドさんは怖いもの知らずな発言をする。それは、多くの人が思いながらも口にしなかったことだ。
彼が言うように、マルク帝国の軍は強い。五十年ほど前まで分立していた小国、領邦をまとめて誕生したのがマルク帝国だ。その過程でクローネ連合帝国、フラン共和国と戦い勝利。順調に国力を高め、世界一の大国であるギニー連合王国と競争しているような国だ。同じ列強国とはいえ、ルーブル帝国との差は大きい。
「まあまあ。そのくらいで」
私はヒートアップしそうなダヴィッドさんを宥める。私たちが口にしない本音を言ってくれるのはありがたいが、今のご時世では問題行動だ。最近は戦争に対して国民を動員するというお題目の下、国から様々な統制がかけられている。その分野は産業のみならず、言論にも及んでいた。新聞が戦争賛美なのはそのせいだ。もっとも、平時なら普通なのかといえばそうでもなく、一定の統制はある。例えば、皇帝一家に対する批判などはNGだ。
ダヴィッドさんがクールダウンしたところで、今日の議題が持ち上がる。議題は先日、国から通達があった職人の産業動員に対する対応について。
「組合を通じて国から通達があった。魔鍛造ができる職人はすべて国営工場に集められるそうだ。オレたちは軒並みそちらへ移ることになる」
運営会議に出席する人間は工房の各部門のトップ。職人としても一流で、私を除く全員が魔鍛造を行う技術を持つ。つまりは、運営会議の構成員が今回の動員でいなくなる、ということだ。
「ということで、後のことはイワンに任せようと思う」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ダヴィッドさんの言葉に異議なし、とばかりに沈黙する面々。堪らず私は声を上げた。
「さすがにそれはできません。私は新顔で、他にも先輩がいます」
というか、そうしてもらわないと困る。絶対にドナートあたりが難癖をつけてくるに違いない。今回の件で私が工房長代理の立場を得ても従わないだろう。その辺りは説明できないので、あくまでも工房に在籍した歴が短いという点から反対する。
「うーん。イワンに任せる方が安心なんだがなぁ」
ダヴィッドさんのみならず、他の部長たちも残念がった。これだけ期待されているなら応えたいところだが、できないことがわかっていることをできる、とは言えない。それは無責任だ。だからきっぱりと断る。
「……なら、こういうのはどうだ?」
私が断ったことで、さてどうしようか、という空気が流れるなか、部長のひとりが提案した。その提案とは、会議で今後の対応を議論し、残る部長の私をその実行責任者とする、というものだった。そこに補佐として残る先輩職人を就ける、という条件を私がつけて決着する。
「よし。これでいこう」
会議では、熟練職人が抜けた間は新規の客はとらない。既存の客も軍需品の製造が終わって空きがあれば、ということになった。基本的には予約制。お得意様である場合、担当する職人の判断で割り込みを許すかを決める。以上のことが決まった。
「それではお客が離れるのでは?」
「あり得るだろうが、それほど多くはないだろう」
ダヴィッドさんは自信あり気に言う。なぜ? と訊けば、他も同じような状況だからだという。主力といえる職人が抜け、こなせる仕事量は減る。どこも同じなら、わざわざ依頼先を変えることはないだろう、と。
「これ以外の細かいことはイワンに任せる。後は頼むぞ」
「はい」
不在の間のことを託され、私は強く頷いた。
その夜。私は兄と話をしていた。兄も動員される職人のひとり。少しでも作業時間を確保するため、働く職人は国営工場の寮に寝泊まりすることになっていた。
「大役だな、イワン」
「ははっ。気が重いです」
ドナートは言うこと聞かないだろう。その対策として先輩職人を補佐につけてもらったが、あちら側に転ぶと困る。
「それもそうだけど、僕がいない間に何かされるんじゃ?」
「ある程度は我慢しますよ。どうせ私たちは数年すればここを去るんです。それまでの辛抱ですから」
私たちは修行に来ているだけ。いずれはいなくなる。これまでのことをダヴィッドさんに話してもいいが、ドナートは彼のひとり息子。いずれはこの工房を継ぐ存在だ。家を借りているからといって、放火する奴がいるだろうか。それと同じで、余計なことはせず黙っておけばいい。
村に戻っても若い衆からの怨嗟の声はあるが、私の身体はひとつだ。ルーブル帝国の法律上、結婚相手もひとりであり、所帯を持てば関心も薄れるだろう。あるいは、私たちがいない間に家同士で話を進め、若い衆に所帯を持たせるつもりなのかもしれない。妻がいれば私に構っていられなくなる。
「そうかい?」
「ええ。まあ、我慢の限界が来たらここを去りますけど」
そのときはあったことをすべてドナートさんに言う。内密に処理してくれれば、私が逃げ出したというインパクトに隠れるだろう。兄には迷惑をかけるが、
「イワンのしたいようにすればいいよ」
こう言ってくれる兄だ。許してくれるだろう。
口にして気が楽になった。
「じゃあ行ってくる。不在の間のことはイワンたちに指示しているから、それに従うように。じゃあな!」
「「「いってらっしゃい!」」」
私は晴れやかな気持ちでダヴィッドさんたちを見送る。一行が見えなくなるまで、私たちは手を振り続けた。
やがてその姿が見えなくなると、私はクルリと体を回す。そうすれば、居並ぶ居残り組の職人たちが視界に収まった。
「では皆さん。親方がいない間、協力して工房を守っていきましょう!」
「「「応ッ!!!」」」
私の檄に職人たちが応える。ドナートとその取り巻きは黙って私を睨んでいたが、気づかないふりをした。