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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
6/30

御曹司、嫉妬する

 



 ――――――




 兄の隣が私に割り当てられた作業場だ。ドナートとも顔を合わせるが、会話することはない。どうも本格的に嫌われたらしいが、そんなこと気にならない(気にしていられない)ほどに忙しい。なにせ、日に数百も作らなければ注文を捌けないのだ。


 魔道具に使う一点物には親方や兄のような上位の職人が作成にあたっている。その数は膨大であるが、作成できる人間は限られているのでそれにかかりきり。兄がドナートに指導しているのも、その分を他の人に割り振っているからできることだ。普段は増しているわけだが、ドナートはそれだけ期待されているということでもある。性格はともかくとして、腕は確かだ。すぐに仕事も覚えるだろう。


 それはさておき、キリーロフ工房に舞い込む仕事はそれだけではない。騎馬に必要な蹄鉄であったり、兵士が必要とする日用雑貨も相当数の注文がある。余った工房の職人で割っても百を下ることはない。私がドナートの教育補助係になったので割り当てを減らすという話になっていたのだが、ほぼなくなったも同然なので元に戻してもらっていた。


 忙しくしているのはそれだけではない。軍からの注文のほかに、街の人たちからの仕事もこなしているからだ。工房の経理を担当している私は、運営にも軽く携わっている。その会議で、今まで街の人たちから受けてきた仕事をどうするのか? という議題が上がったのだ。激しい議論の末、ダヴィッドさんに任せるという形で決着。そんな彼の決定は今まで通りやる、というもの。


『お客のおかげで今の工房があるんだ。戦争があるからといって止めるのは間違ってる』


 そんな思いから街の人たちの仕事を受け続けている。このため職人たちは夜遅くまで仕事をするが、私にはセラフィマさんの塾がある。都合で開始時間をずらしてもらっているものの、それに甘えていいわけじゃない。なるべく早く終わらせるように努め、色々と工夫もしていた。


 仕事の性質上、どうしても街の人たちからの仕事に時間がかかる。それは当たり前で、軍からの仕事は画一的なものなのに対して、街の人たちからの仕事はそれぞれのニーズに合わせたものだからだ。なので私はどうにかして前者に割く時間を短縮しようとしていた。


 考えついたのは作業の単純化。私は仲のいい職人のモストヴォイ兄弟(兄マトヴェイ、弟アンドレイ)とミロンに声をかけ、分担して作業をした。加熱、整形、仕上げといった感じで作業を分担する。不公平がないよう、役割は日毎にローテーションだ。装飾などの余計なものは一切省き、道具として必要な機能だけを持たせる。そうすると、他の人の何倍も早く終わらせられた。


 私たちはその分、従来のお客さんに時間を割けるようになった。サービスの質が向上して好評なのは嬉しいが、他はそれを犠牲にして軍需にリソースを割いているためにお客さんが流れ、かえって忙しくなったのは悩みの種である。


「こんにちは、イワンくん」


「あっ、ニーナさん。こんにちは」


 工房に来たのは常連となっている店の店員、ニーナさん。格闘術を習っているらしく、荒くれ者も珍しくない工房の職人をして畏れさせる強さの持ち主なのだそう。私はその武勇を見たことないし、半袖の服から見える細腕からは想像もできないのだが。


 それはさておき、彼女は私の顧客である。工房自体を依頼先にして、店の包丁をはじめとした道具類の修理なんかを請け負っていた。作業にあたるのは手空きの職人で、新人だった私や兄も担当したことがある。


 あるとき、彼女が工房へ来て包丁を修理したのは誰だと訊かれた。担当が私で何かミスがあったのかと焦ったが、話は私を担当にするというものだった。店主の父が今回の包丁は切れ味がいいと好評で、今後も任せたいというから担当を聞きに来たそう。曰く、注文はしていたかったが気になっていた痛みなども直されていて、細かな配慮が気に入った、とのこと。


 さらに、ニーナさんのお父さんから、娘に包丁を贈りたいので打ってほしいと依頼された。ひとり娘である彼女は店を継ぐんだと料理の修行もしていて、店の厨房に立ってもいいレベルになった。そのお祝い、そして証として包丁を贈りたいのだと。否はなく、私は請け負った。


 お父さんはサプライズにしたかったようだが、毎日使うものだから本人の意見も入れたいと提案。それが受け入れられ、ニーナさんの意見に沿った彼女のためだけに作られた包丁ができた。そのとき彼女は、


『これはお父さんだけじゃなくて、イワンくんからの贈り物でもあるの。ありがとう』


 と、涙を浮かべながら言ってくれた。職人でよかった、と心から思った瞬間だった。それ以来、今まで「さん」づけだったのが「くん」呼びになっている。仲良くなれた証だろう。


「今日は修理ですか?」


「うん。包丁を研ぎに出しなさい、ってお父さんに怒られちゃった」


 刃こぼれも気づけんのか! とお叱りを受けたそうだ。そんなに強く言わなくてもいいじゃない、と非難していた。私も細かなことを激しい口調で指摘されたことがあり、何だと思ったことはある。気持ちはわかるが、まあまあ、と言いながら包丁を受け取って状態を確認する。


「あ〜、なるほど。たしかに細かいですね」


 見れば、刃に細かい傷がついていた。私も修理に出すほどの大事だとは思えない。


「でしょう? 私も刃こぼれがあるのは知ってたけど、これくらいなら大丈夫って思っていたの」


 だからこそ余計に腹立たしいのだろう。わかる。気づいていることをいちいち指摘されるのは腹が立つ。その点についても私は同意した。


「ほら! それに私が包丁の傷みを見逃すわけないのに」


「どうして?」


 単純な疑問だ。


「だって、毎日使う前と後に確認しているから」


 ほう。それはありがたい。道具を作った人間としては嬉しいことだ。それだけ大事にしてもらっているということだから。


 ところが、私がお礼を言う前にニーナさんはわたわたと慌て出し、


「なし! 今のなし!」


 と取り消しを図った。


 うーんこの。


 それが意味するところを何となく察し、内心で渋い顔になる。店に行っても普通に接してくるので脈はないと思っていたが、どこで好感度を稼いだのやら。


 だが、気づくと思い当たる節がいくつか。最近、「サービス」と言って色々な皿を差し入れてくれることがあった。てっきり常連だからと思っていたが、理由はそれだけではなさそうだ。


 同じく、工房へ訪ねてくるときの服装も、店で見る質素な服から少し露出の多いお洒落な服に。髪もポニーテールのような簡単なものから、編み込みなんかもある複雑な髪型に。思い返せば、思い当たる節はいくつもあった。


「何がです? ちょっと槌の音が大きくて聞こえませんでした」


「えっ!? いや、何でもないわ」


 とにかく気づかなかったことにして逃げる。ニーナさんもその方が都合がいいのか、特に深掘りすることなく話を打ち切った。このままだと微妙な空気が流れて気まずいので、


「これくらいならすぐ治りますよ。パパッと終わらせますね」


 と言って逃げた。


 修理自体は口にした通り、すぐに終わるものだ。十分足らずで作業を終えて戻ってくる。雰囲気もリセットされた頃合いだ。後は地雷を踏まないようにして返すだけ。……そう思っていたのだが、そうはいかないらしかった。


「なあニーナ。いいだろ?」


 作業場から工房のカウンターへ戻るとそんな声がした。とっても聞き覚えのある声だ。嫌な方面で。


「何をしているんです?」


 私はカウンターから出て、ニーナさんにまとわりついているドナートに声をかけた。意識がそれた瞬間に、ニーナさんは私の後ろに移動する。二人の間に私が割り込む形になった。


「……あんたには関係ないだろ」


「関係ないわけではありませんよ。彼女は私の大事なお客さんですから」


 そこで言葉を切り、


「女性に言い寄ることを悪いとは思いませんが、そのときはもう少しスマートにやりましょう」


「はあっ!? そんなんじゃねえし!」


 ドナートは強く否定する。


「なら、どうして彼女に迫っていたんですか?」


「知り合いに声をかけちゃいけないのかよ」


 そうきたか。だが甘い。


「『なあニーナ。いいだろ?』」


「っ!?」


 私は聞いていた。すべてではないが、その決定的な部分を。


「何がいいんでしょう。説明してもらえますか?」


 語気を強めて問い詰める。言葉に詰まったドナートは何も語らず作業場へ逃げ込んだ。


「すみません、ニーナさん」


 ドナートの行為を謝罪する。どうも、ドナートはニーナさんのことが好きらしい。この工房の職人たちから畏れられてはいるが、同時に好かれてもいる。それは彼女が美人だからだ。ドナートもそのひとりなのだろう。


 村にいたころからこういうことはあった。誰かが好きな女の子が、私に好意を向けているという状況。そしてこの後どうなるのかも知っている。願わくば何もなく日々が過ぎていってほしいが、そうはならないんだろうなと私は半ば諦めの境地にいた。




 ――――――




 オレの名前はドナート。キリーロフ工房のトップ、ダヴィッドの子どもだ。オレは今年、工房の職人になった。見習いだったが、戦争が始まったことで職人が不足。その補填のために見習いが職人になった。オレもそのひとりだ。


『まだまだお前らはひよっこだ。調子乗るんじゃないぞ!』


 親父からは毎日のようにそう言われている。


 仮免許。


 未熟者。


 職人が戻ってきたら見習いに戻す。


 などなど。オレはまだ未熟だって言われ続けている。


 わかっているさ。前から勤めている職人たちは、オレよりもはるかに上の腕を誇っている。ひとりを除いて。


 イワン。


 その職人だけはオレは認められない。親の七光で上手く取り入って職人になり、経理だか何だかをやることで親父に気に入られ、工房の意思決定にも関与するようになった。


 あいつの兄、アントンは尊敬に値する職人だ。親父も、五年もしないうちに傑作を創って親方になるだろう、と言っていた。オレは幸運にもアントンの兄貴が教育係。その作業を横で見ることがあって、オレじゃ足元にも及ばないことがよくわかった。


 アントンの兄貴の横にあいつの作業場がある。見たくもないが、どうしても目に入った。だからわかる。あいつは大したことない。装飾をすることもなく、数打ちの作品を量産しているからだ。アントンの兄貴も装飾はしないが、魔鍛造ができる腕がある。職人は実力と技巧、そのどちらかがあってこそ。あいつには魔鍛造する実力も、細かな装飾を施す技巧もない。ただの世渡り上手。そんな奴が職人として扱われているのはおかしい、とオレは思っていた。


 そして、もっと気に入らないのはあいつには客が多いこと。大した腕でもないくせに、女の客はほぼ全員あいつが担当している。普段、どんな野暮ったい格好をしていても、あいつに依頼をするときは必ずお洒落をしているのだ。オレと同年代の女たちなんかは特に顕著で、気があるのは丸わかりだ。最後の砦ともいえたニーナまで色気づいたとき、オレたちは絶望した。


 オレは適当な店に入って自棄酒を飲む。同期の職人も一緒だ。最初はニーナの店に行っていたが、あいつと顔を合わせるから敬遠していた。


「御曹司」


「ん?」


 ひとりがオレを呼ぶ。


「あいつをどうにかして工房から追い出せませんか?」


 あいつ、という言葉が誰を指すのか。オレたちの間では確認するまでもない。


「無理だ。どういうわけか、親父はあいつを気に入ってる。オレも何度か相応しくないから追い出すか、見習いに降格させるべきだと言ったんだが……」


 まったく聞き入れてくれなかった。それどころか怒られた。お前の目は節穴か、と。オレも思い直してあいつにも凄いところがあるのかと思ったが、どう観察しても凄さはない。結局、追い出せないという結論に至った。


「そうですか……」


 残念そうにして、そいつは火酒を飲む。オレたちルーブル人にとって、火酒は水みたいなものだ。一、二杯では酔わないし、飲まないと冬は越せない。


「追い出す理由、何かないですかね?」


「うーん」


 何かないかと思っていると、ひとりがこう言った。


「……追い出す理由がないなら、出て行くようにすればいいのでは?」


「「「え?」」」


「工房に居たくなくなるようにするんです。そうすれば、あいつが勝手にいなくなります」


 なるほど。それは思いつかなかった。その意見が出てから、あれこれ方法を考える。そして翌日から実行した。







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