御曹司との出会い
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戦争は拡大を続けていた。マルク帝国がルーブル帝国に宣戦布告したことをきっかけに、相互防衛条約を結んでいたフラン共和国、ギニー連合王国が参戦。マルク、クローネの「同盟」とルーブル、フラン、ギニーの「連合」という陣営に色分けされ、この辺り一帯の主要国がほぼ参戦するという空前の規模の戦争となった。
そんななか、まことしやかに囁かれているのが十二月二十五日終戦説。ルーブル帝国のみならず、マルク帝国やそのさらに西にあるフラン共和国、ギニー連合王国などこの辺りの国一帯で信仰されているのがニエト教である。ニエト教では十二月二十五日が始祖・ニエトの昇天した日であるとして休日とされていた。ルーブル帝国は宗派が異なり昇天日も一月七日なのだが、大半の国に合わせるだろうとの観測である。
宗派などの違いはあるとはいえ、元を辿れば同じ宗教。そんな文化圏では戦争が絶えず嘆かわしいことであるが、同時に人々はこうも思っていた。
『ニエトの昇天日までには戦争は終わる』
誰が言い出したのかはわからない。だが、それがこの戦争を戦っている兵士、家族の共通認識であった。
そして迎えた十二月二十五日。
戦争は、終わらなかった。
終わるどころか、戦争はますます拡大する。年末にはルーブル帝国の南にあるクルシュ帝国が、領内に逃げ込んだマルク帝国の艦隊を庇ったとして「連合」陣営から宣戦布告された。お祝いムードはなく、粛々と新年を迎えている。
「この戦争、いつまで続くんだ?」
「皇帝陛下が決めることでしょう」
兄に問われるが、私は神ではない。戦争がいつまで続くかなんてわかるはずもなかった。「皇帝陛下が決めること」と突き放す。
そんな雑談をしつつ、二人して作業を進めていた。先輩職人が抜けて仕事が増えたわけだが、ここにきて新たな仕事が発生していた。それが軍需品の生産である。
私たちは戦争について新聞報道でしか知る術はない。軍関係者といえばエレオノーラくらいのものだが、彼女から聞ける情報はない。所在地については情報統制によって話せない、と手紙にあったそうだ。だから元気です、という以外に目ぼしい情報はないそう。よって、新聞に頼るしかなかった。
記事によると、今回の戦争に動員された兵力は百万を超えるという。百万人の需要というものは凄まじく、キリーロフ工房にも蹄鉄やナイフなど雑貨から武器まで、軍から見たことのないくらい大規模な注文が入っていた。
忙しい日々が続き、人手不足が深刻になった。その結果、ダヴィッドさんは止むなく見習いの一部を職人へクラスアップさせることにする。単純な仕事は新人職人を、熟練度を要求される仕事に従来の職人を充てるとされ、仕事量の増大に対応した。
さて、そんなわけでキリーロフ工房には私が言うのもなんだが、ひよっこ職人が多く誕生したのである。そんなひよっこのひとりが、ダヴィッドさんの息子・ドナート。先輩職人たちからは「御曹司」と呼ばれている。私たちは新参ということもありあまり関わっていない。
ドナートが工房に入る際、ダヴィッドさんは私と兄を呼んだ。
「息子はここにいた職人たちと仲がいい。あいつらの下につけると甘やかしてしまうからな。ちょいと早いが、アントンにつける。イワンはその補佐と、経理について教えてやってくれ」
「「わかりました」」
兄はキリーロフ工房に入ってダヴィッドさんから魔鍛造を習っている。父から教えてもらっていた下地、さらに本人の才能もあって上達していた。ダヴィッドさんは、これなら二、三年しないうちに「傑作」を作って親方に名を連ねるだろう、と太鼓判を押している。我が兄ながら誇らしい。
私に指導係が回ってきたのは意外だったが、ダヴィッドさんが経理を教えてほしいと言ったのを聞いて、その狙いがわかった。ドナートには経理もできるようになってほしいのだろう。ダヴィッドさんの性格的に無理強いをするつもりはないが、教えて才能があるかどうかを把握したいのだ。
才能がなければ雇う職人を考えなければならない。腕だけでなく、経理に明るい人間を雇わなければならないからだ。専門の経理はいるが、高等教育を受けて資格をとっているだけあって高い。できる人材がいるならばそちらに任せる方がはるかに安上がりだ。専門の経理を雇うのは最終手段だろう。
「よろしくお願いします!」
初日。ドナートはそう挨拶した。キラキラとした目を兄に向けている。急速に腕を上げている職人ということで、見習いたちから支持を受けていた。ドナートも兄に憧れている見習いのひとりで、特に熱心であった。
私たちはダヴィッドさんに示された指導方針をそのまま伝える。つまりは職人としての教育を兄が、工房を管理するためのノウハウを私が教える、という役割分担だ。
「はい」
素直に承諾したドナートであったが、説明した私に対しては、さっきまで兄に向けていた熱視線は何だったんだ、と言いたくなるような冷たい目を向けてくる。これはどうも厄介なことになりそうな予感がした。そしてそれは現実のものとなる。
「……今日はここまでかな」
自分の仕事もあるため、午後三時で兄の指導は終了することになっていた。
「ありがとうございました、兄貴!」
「おう」
ドナートは元気よく挨拶。その後、勉強のために私が普段、経理の仕事に使っている部屋に移る。
「では経理の勉強を始めましょうか」
まずは簡単な読み書き計算ができるか。ダヴィッドさんによれば学校に通わせてひと通りはできるらしいが、どの程度かはよくわからないとのこと。それを確かめるべく、簡単な問題を用意していた。初歩からちょっとした発展まで。それを解いてほしい、と彼に説明する。
ダヴィッドさんにはよくしてもらっているので、ドナートを立派に育てたい。親身になって指導しよう、と兄と話していた。忙しい合間を縫っての指導となるが、手は抜かない。そんな私の熱意に対して、
「あ、それいいから」
実に軽い言葉が、冷めた目をしたドナートから飛び出た。
「それはどういう……?」
問題は解けるというのだろうか。そうだとしてもやってほしい。でなければ何から教えればいいかわからないからだ。わかっていることを教えるのは徒労であり、双方にとって無駄である。
そんな私の考えを説明したのだが、ドナートは聞く耳を持たない。受け答えすら面倒だ、と言わんばかりの表情で私を見てきた。
「わかんないかな? 経理なんてやる気ないから」
話は終わりとばかりに視線を切る。このまま終業時刻まで時間を潰すつもりらしい。「暇だな〜。こんなに暇なら遊ぶ予定立てとくんだった」などとほざいている。
「ドナートはダメです」
この日のうちに私は、やる気がないので指導できない、とダヴィッドさんに伝えた。決定的なところはぼかしてある。彼の物言いにイラッとして「ダメ」とは言ったが、あったことをありのままに話すのは得策ではない。ダヴィッドさんはドナートに失望するだろうし、ドナートは私を恨むだろう。全員にとって不幸だ。イライラしながらも、その辺りは冷静に考えて発言している。
私は適当な理由をつけ、ドナートに経理を仕込むことを諦めるよう言った。桁が多い計算ができないので無理だと。証拠として採点した計算問題も見せる。断るドナートを説得して書かせたものだ。
「そうか……。わかった。そういうことなら経理は諦めることにしよう」
ダヴィッドさんは話のわかる人で、すぐに諦めてくれた。ただ、ドナートの教育補助係は続けることになる。くれぐれもよろしく、と頼まれた。
期待してくれるのは嬉しいが、指導できることはほとんどない。職人仕事の指導は専ら兄に任せているし、ドナートも鍛冶職人の息子でそれなりに教えられている。道具の整理みたいな、ちょっとしたお役立ち情報くらいしか教えられないので口出ししなかった。してもドナートは聞く耳を持たないだろうが。憂鬱だが、これも仕事だと割り切るのだった。