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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
3/30

不出来で天才な同級生

 



 ――――――




 私たちがモスコーにあるキリーロフ工房に来て半年が経った。新生活にも慣れ、余裕が出てきた私たち。先輩職人に誘われてあちこち出向いたので、街の地理にも詳しくなった。ダヴィッドさん含む工房の仲間たちとワイワイ騒ぎながら飲み食いすることもあれば、兄と色々なことを話しながら食事をすることもある。


 カラコンロン、と耳心地よい鈴の音を立てながら扉が開く。客の来店を知らせる合図だ。店員が扉を――それを開けた私を見る。


「いらっしゃいませ。あっ、イワンさん。また来てくれたんですね」


「こんにちは。ニーナさん。兄と二人なんだけど、空いてるかな?」


「はい。いつもの席が空いてますよ。どうぞ」


 ここで給仕をしているニーナさんが席まで案内してくれる。道中の雑談で兄は仕事が終わってから来ると伝え、注文はそれまで待ってほしいとお願いした。


「わかりました。アントンさんがいらっしやったらお知らせしますね」


 兄を待つ間、ニーナさんを含めて給仕の人が代わる代わる私のところに来て話をする。おかげで暇をせずに済んだ。


「イワンさん。アントンさんが到着されましたよ。……ライサ。お話はおしまい。仕事に戻りましょう」


「え〜。もう少しいいじゃないですか、ニーナさん」


「いいから! では、ごゆっくり〜」


 ニーナさんはそう言いながら、ライサさんの首根っこを掴んで引き摺っていく。助けて、とライサさんから視線。私はにこやかに手を振った。ライサさんは捨てられた子犬のような目をして、私の良心にダメージを与えてくる。


 許してほしい。怒ったニーナさんは怖いんだ。昔、先輩職人がここで酔っ払って騒いだ上、同じ酔っ払いと喧嘩を始めたことがあった。私たちは止めようとしたのだが、先にニーナさんが介入。危ない、なんて気持ちを抱く間もなく腕っぷしで酔っ払い二人を沈黙させた。そのとき先輩職人から、


『ニーナは強いんだ。店長は街の道場の次男で、娘のニーナもそこで格闘術を習っている。並の男じゃ相手にならないから怒らせるんじゃないぞ』


 と言われた。彼女は店のホールをほぼ一任されているが、いざというときの力があるからこそなんだな、と思った。そんな彼女に他の給仕たちも信頼を寄せている。素晴らしいリーダーだ。


 そんなことを思っていると、兄が苦笑しながら席に座る。


「相変わらずお前はモテるな」


「あはは……」


 苦笑で返す。ニーナさん含め、この店の給仕の女性たちからは好意を寄せられていることは自覚している。だが、街に出て仕事をするなかで、これは武器になり得ることも知った。


 私のお客さんには女性が多い。何かと理由をつけては工房に来て仕事を依頼してくれる。職人としての腕ではなく、容姿で客を集めているわけだ。それはどうなんだと思わないわけではないが、ひとつの武器であることは確かであるし、使わない手はないと思っている。以来、自分の容姿も少し気にならなくなった。それは都会に出てよかったことのひとつだろう。


 とはいえ、私の姿勢を好意的に思わない人もいる。職人なら腕で勝負しろ、という人々だ。先輩職人や男のお客さんに多い。前なら気にしていただろうが、今は何よりも仕事で結果を出すことが大事だ。だから、そういう声は無視している。


 私たちが来た店は――こう言うと失礼だが――絶品料理が出てくるというわけではない。言ってしまえば、家庭料理の延長線。だが、どこか心温まる料理を出してくれる。先輩職人には他にも美味しい料理を出してくれる店に連れて行ってもらったし、働いて半年ながら私たちはそれらの店に行っても払えるだけの稼ぎがあった。それでも日々、足が向くのは家庭的なこの店なのである。


「イワン。この後、お前は夜学に行くのか?」


「はい。母さんが紹介してくれた塾ですし、学ぶのは楽しいですからね」


 先日、両親から手紙が届いた(ヤコフさんが届けてくれた)。父の手紙は要するに、元気か。仕事はちゃんとできているかというだけの内容だった。実に父らしい。


 対して母は、そういった身体の心配、生活の心配をつらつらと書き連ねた繊細な手紙だった。その上、私にモスコーにいる親戚がやっているという私塾に通ってはどうか、と言ってくれた。父には内緒らしいが、この心配りはありがたい。その気持ちを無碍にしないためにも、仕事で疲れてはいるが、毎日のようにその塾へ通っていた。


 店で食事を済ませると、私は兄と別れて塾へ向かう。塾をやっているセラフィマさんにそれとなく聞けば、元は昼のみの塾だったが、母の頼みで夜学も始めたという。申し訳ないなと思ったのだが、


「いいのよ。学ぶ意欲があるのはいいことだわ。教えていて楽しいもの」


 と言ってくれた。ますます気合が入ろうというものだ。


 母のおかげで読み書き計算などはマスターしている。セラフィマさんはその上で、より発展的なことを教えてくれていた。それは他言語。隣国であり昨今、発展が目覚ましいマルク帝国の言葉(マルク語)を習っている。


「それに比べて貴女は……」


 セラフィマさんは私の隣に目を向ける。すかーっ、と豪快ないびきをして寝ている女性がひとり。セラフィマさんの姪で、エレオノーラという。


「起きなさい!」


 怒りの教本が振り下ろされる。角だ。見るからに痛い。


「いだっ!」


 そんな声を上げ、頭を手で押さえながら顔を上げるエレオノーラ。恨みがましげな視線をセラフィマさんに向ける。


「叔母さん、何するのさ!」


「何するの、じゃないでしょう! あなたはここに勉強しに来てるのであって、寝るために来てるのではないでしょうに!」


 セラフィマさんの雷が落ちる。正論であり、エレオノーラは言い返せない。ただ、うう〜っ、と唸って睨んでいる。


「まったく。疲れているのはわかりますが、隣のイワンを見なさい。彼が寝たことがありましたか?」


「うっ……」


 言葉に詰まり、ふるふると首を横に振る。そのとき、彼女の髪が動きに従って揺れた。長く美しい白銀の髪が、室内のわずかな光を反射してキラキラと輝く。この艶と輝きは一朝一夕で出せるものではない。毎日、丁寧に手入れされている証左だ。もっとも、エレオノーラ本人は居眠りするほどがさつな性格なので、そんな手の込んだことはしない。これは彼女の母親(セラフィマさんの妹)が苦労して手入れしているのだそう。


 そんな美しい白銀の髪と意志の強い赤い眼がエレオノーラの特徴だ。これだけのことは一般庶民ではまずできない。彼女の名前を正確にいうと、エレオノーラ・バクシナ。これでも姓を持つ歴とした貴族なのである。もっとも、この姿を見て貴族の令嬢と思う人はいないだろうが。


「まったく。内職しないといけないくらい貧乏ではあれど、貴女は栄えある帝国貴族なのです。その一因として自覚を持ちなさい」


「ふん」


 説教に耳を貸さずそっぽを向くエレオノーラ。歳は私よりひとつ下なだけだが、こうしてみるとそれ以下だ。あたかも幼児である。随分と大きな幼児もいたものだ。そう思うと可笑しくて、笑い声が漏れてしまった。


「ほら。イワンに笑われてますよ」


「なっ!?」


 静かな室内では相当響き、二人がこちらを見る。セラフィマさんはエレオノーラを煽り、乗せられた彼女は負けん気を発揮した。


「イワンなんかに負けないんだから」


 そう言って教本を読んでいく。こんな彼女だが、貴族としてのプライドは一応あるらしく、平民の私に負けるのは我慢ならないようだ。


「マルク語の初等教本ができたわよ、イワンは。寝ていた貴女にできるのかしら?」


「イワンができて、アタシができないわけないでしょう!」


 煽られてやる気を出したらしい。エレオノーラは教本との格闘を開始した。サボり魔ではあるが、同時に天才肌でもある。修得は圧倒的に彼女の方が早い。だからこそ私は、毎日コツコツとやっていくのである。彼女に負けないように。


 それはきっとセラフィマさんの狙い通りなんだろうけども、学びにプラスに作用しているから、文句などあろうはずもない。だから私は教本を読む。いつものように。


 ……とはいえ、私たちは貴族と平民。一時的な関係でしかないと思っていた。だが、思いのほか続き、腐れ縁といえるまでになろうとは思いもしなかったのである。







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