教官生活
――――――
士官学校に入校して半月ほど経ったある日のこと。
「イワン。少し来てくれ」
午後の訓練が終わって放課に入るというところで私は教官に声をかけられた。
「今日の訓練、何か悪いところあったんじゃないですか?」
横にいたルスランが揶揄ってくる。
「射撃は特に問題なかったはずですけど……」
今日の訓練内容は射撃。故郷では兄とともに狩りをやっていたからかなり上手いと自負している。実際、部隊での成績はトップだった。士官学校でも同じである。さっきの授業でも百発百中。問題はないはずだ。
とりあえずルスランと別れて教官の後についていく。連れて行かれた先は教官室。ローテーブルとソファーのある応接空間に通された。てっきり教官の席に行くと思っていたから意外だ。
「チャイでいいか?」
「あ、はい」
ルーブル人にとってこういう場で飲むのは酒かチャイ。酔っていい場では前者、そうでない場合は後者を選択する。放課とはいえ、教官が生徒に酒を出すわけにはいかないのだろう。私も酒は飲まないわけではないが、好きというわけでもないのでありがたい。
私の了承を得ると、件の教官は側にいた用務員に注文する。彼は恭しく頭を下げるとチャイの準備を始めに下がった。
「それで、私はなぜ呼ばれたのでしょうか?」
「ああ。それなんだが……学校には慣れたか?」
「え、ええ」
疎遠になった娘に近況を訊ねる父親のような問いかけに困惑しつつ頷く。とりあえず慣れたと答えると、教官はほっとした顔になる。父親かい。
「失礼します」
会話が途切れたところで用務員がチャイの入ったカップを運んでくる。カップと、ルーブルチャイの特徴であるジャムの入った小皿がローテーブルに置かれた。今日はイチゴか。個人的に好きなので嬉しい。
スプーンでジャムを掬い口に運ぶ。ジャムの甘味、酸味を感じつつチャイを飲むのがルーブル流だ。
「慣れたならよかった。今回呼び出したのは、貴官にそろそろ教官として授業を持ってほしいからだ」
教官の説明によれば、欠員補充のため新たに何名かの教官が前線に引き抜かれることとなったらしい。そのなかには武術の教官も含まれており、じきに授業が回らなくなるという。
……それって私に拒否権ないだろ。そう思ったが口には出さない。
「わかりました」
かくして教官としての生活が始まった。
――――――
迎えた授業の日。ありがたい(?)ことに初めて受け持つのは自分が所属するクラスだった。
「……イワンが教官?」
「そうですね」
珍獣でも見たような表情のエレオノーラさん。気持ちはすごくわかる。私もなぜ教官としてここにいるのか未だ理解が及んでいないが、軍隊なのでやれと言われたからにはやらざるを得ない。特に(知らなかったとはいえ)スルツキー大公の推薦である。断るという選択肢は最初から存在しない。
「大丈夫なの?」
「わからないけどやるしかないし、エレオノーラさんを落第させるくらいの権力はありますよ」
「すみません」
成績を盾にすれば普段は強気なエレオノーラさんもこの通り。権力万歳。
彼女を黙らせたところで授業が始まる。といっても、何をしていいかわからないので教えられたことをやるだけだ。つまり、ひと通りの型を教えてから見取り稽古と乱取り稽古という流れである。道場では到達度別にランク分けしていたが、士官学校ではそうもいかない。なので、基本は型と乱取り。初めてのときだけ見取りを挟むことにした。こうやるというのを見せて実践させる。
そういう流れにすることを決めていたので、同門のエレオノーラさんに相手を務めてもらう。道場で教えてもらっていたのは防御。つまりは受けだ。様々な受けのなかから相手の攻撃に対して有効なものを選択する。稽古はその繰り返しだ。
とりあえず基本的な型をいくつか教えて実践して見せる。そして生徒同士でやらせて授業時間を消化していく。私は見回りながら指導する。エレオノーラさんにも一緒に見て回ってもらった。
「嫌よ」
と最初は拒否られたが、
「単位は――」
とチラつかせると一も二もなく頷いた。道場にいた期間は一ヶ月ほどしか変わらず、腕も大差ない。彼女に教えることなどないのだ。なら、形式に拘って教えられる側より教える側に回ってもらった方がいい。
成績を盾に脅すのも悪いので、彼女の成績は真面目に教えている限りは最高評価をつけようと思う。ついでに、休暇で外出が許された日には、街のカフェでスイーツでも奢ることにする。
「約束よ!」
そう伝えると俄然やる気になったらしく、指導にも熱が入っていた。喜んだ後、咳払いして取り繕うと、
「イワンの財布を空にしてやるわ」
と、何とも怖いお言葉。……とりあえず、お金はいつもより多めに持って行くとしよう。
「「「ありがとうございました」」」
かくして授業は無事に終わる。実技の後は放課になるのだが、教官はその日の報告があるため教官室に行かなければならない。
「無事に終わったようだな」
「はい。何とか」
授業では特に問題がなかった、と教頭に報告する。
「授業を少し見させてもらったが、スルツカヤ士官候補生は君の補佐をしていたようだね。他のクラスに対しても補佐は必要だろうか?」
「いえ。他クラスについては私ひとりでも十分です」
適当な生徒を指名して、その生徒に指示を飛ばして攻撃させる。私がそれを捌くという形での訓練にしようと考えていた。
「なるほど。それなら問題ないな」
教頭は納得してくれた。
なお、教官を兼任することで、私は午後の実技の授業を受けることができなくなった。これについては学校側が事情に鑑みて、一切を免除にしてくれた。
かくして私は午前は生徒、午後は教官として士官学校での日々を送ることになったのであった。




