学生生活
――――――
予期しなかったエレオノーラさんとの再会。その場では教官から制止がかけられたが、授業前の時間にもの凄い剣幕でこちらへやってきた。
「ちょっと。どういうことか説明しなさいよ」
軍に興味なさそうだった人間がなぜ士官学校にいるのか、とエレオノーラさん。私は彼女と別れた後、何があったのかをかい摘んで話す。
「あの後、故郷に帰ったら徴兵官が来て徴兵されたんです。騎兵科に配属されて、南方戦線で戦っていました」
「戦地に出たの!?」
エレオノーラさんが驚きの声を上げる。それでクラスの注目を浴び、私が事実ゆえに頷いたものだから途端に騒がしくなった。実戦を経験した生徒、というのはかなり珍しいらしい。
「そ、それで?」
「私の部隊は基本、偵察と遊撃に回っていました。敵の将校を捕らえたことと、偵察任務を成功させたことで勲章も二つ貰いましたよ」
そう言うと、人々の目線が私の左胸に集まった。制服の左胸には聖十字勲章を受賞したことを示す略綬がついている。
俄かに騒がしくなる教室。校長のような高級将校ならともかく、同年代の生徒に勲章持ちはいないようで珍しがられた。
「凄いじゃない。それでここに推薦されたわけ?」
「いえ。地雷を踏んで負傷したので後送されたんですが、そのとき部隊が近衛騎兵連隊に変わったんです」
またしても教室は大騒ぎ。近衛部隊といえば文句なしの精鋭部隊だ。選抜されることは大変な名誉である。
「す、凄まじい経歴ね……」
エレオノーラさんに言われて気づいたが、改めて考えると我ながら軍人としてはかなり輝かしい経歴である。命があることも含め、私は運がよかったのだとつくづく思う。
「それから――」
「まだあるの!?」
もうお腹いっぱい、と小さく呟くエレオノーラさん。これで最後だからそう言わず付き合ってほしい。
「モスコーの病院でブリノヴァ大公女殿下との知遇を得まして、」
「ちょ、ちょっと待って! 大公女殿下にお会いしたの!?」
「ええ。親しくさせていただきました」
近衛として宮殿を警備していたとき、その縁でカチェリーナさんとも知り合ったことを話すと驚くを通り越して呆れられた。ただ、静かになったのでかなり話しやすくなる。
「知り合いということで護衛を任されていたのですが、そのときにスルツカヤ大公女殿下の襲撃事件が発生しまして。大公女殿下をお救いしたことを評価され、スルツキー大公軍に准尉として移籍。大公殿下と両大公女殿下の推薦で士官学校に入校しました」
「もういい。もう驚かない……」
若干疲れているエレオノーラさん。こんな短期間に随分と濃い体験をしたものだ、と私も思う。一気に聞かされて疲れるのも無理からぬことかもしれない。
質問が止んだところで教官が教室に入ってきて授業が始まる。一限は数学。職人時代に会計を担当していたこともあり、計算は得意だ。士官学校のレベルは高いが、セラフィマさんから相応の教育を受けていたため、転入しても授業についていけないということはなかった。
二限目は教室を移動する。復活したエレオノーラさん曰く、二限からは外国語。いくつかある言語のなかから好きなものを選択する。ギニー語、フラン語、リーラ語などの選択肢があるが、私はもちろんマルク語だ。既に日常会話程度なら苦もなくこなせるが、士官学校では軍事関連の専門用語などを重点的に学習することになる。独特であるが、これまでと何も変わらない。覚えていくだけだ。
「難しくない?」
「たしかに難しいですがら初めて聞く専門用語以外はわかりますよ」
授業後にエレオノーラさんが訊ねてきたので、素直に答える。セラフィマさんのところで教えてもらって基礎はマスターしたが、前線勤務によって私のマルク語能力はさらに高まっていた。
基本的に将校は何らかの外国語を修めている。部隊編成においては語学力も勘案されるわけだが、戦時では補充が間に合わないことも多々ある。そういった場合、外国語が話せる下士官兵が協力するのだ。私も何度か捕虜の尋問などに立ち会った。軍事用語などはそこで覚えたのである。会話能力は言わずもがな。
「そ、そうなのね」
ちょっと沈んだ様子のエレオノーラさん。先に士官学校へ入って授業の難しさを感じているから心配してくれたのだろう。
「ありがとうございます」
それを察してお礼を言うと、
「べ、別に叔母さんの生徒が授業についていけていないか心配しただけだから!」
と言われた。たしかに、落第なんかすればセラフィマさんの顔に泥を塗ることになる。気をつけなければ。
士官学校では外国語に重点を置いており、午前の授業は一限を除き外国語に費やされることとなっている。多くの生徒は慣れない言葉を操ることに苦労しているようで、四限が終わる頃にはかなり疲れている様子だった。
「よっしゃ飯だ!」
歓喜の声が上がる。一時間ほどの昼食を兼ねた休憩時間は、厳しい士官学校における生活で数少ない安息の時間だ。
各教室からぞろぞろと生徒が出てきて、仲のいい友人同士で合流。食堂へ向かう。さすがは軍の学校というべきか、昼休憩の鐘が鳴るまでに配膳が終わっていた。そこへやってきた生徒が各々好きな席に座って食べ始める。
一定量が配膳されているのは一見すると不都合である。食べる量には性差、個人差があるからだ。もっともその辺は考慮されていて、女性の平均的な食事量が配膳されている。それ以上に必要な者は取りに行けというわけだ。男どもが大行列を作るのは食堂の風物詩らしい。
「イワンは並ばないの?」
「あの人波はちょっと……」
わたしも食べ盛り。同年代の男子より少ないものの、女性の平均的な食事量で満腹になるほど少食でもない。だからおかわりは取りに行くつもりだが、長蛇の列を見て行く気にはなれなかった。
結局、人が少なくなったタイミングを見計らっておかわりを取りに行く。エレオノーラさんもついてきた。
「配膳される食事、もう少し増えないかな」
聞けば、周りの女子生徒もそう言っているという。元々、エレオノーラさんのような兵科候補生は一般女性と比べて食事量は多い。だが、彼女たちは全体からするとわずかであり、多数を占める女性候補生は衛生科。つまりは後方勤務で、授業もほぼ座学であるため食事量は並みなのだそうだ。彼女たちがいるから、自分たちは不便を感じているのだというのがエレオノーラさんの主張である。
「他にもやりようはあると思いますが……」
例えば、時間を分けるとか。
「でしょう!」
我が意を得たり、とばかりに激しく反応するエレオノーラさん。ただ、私たちのような一般生徒の意見が通るのかは別問題。
「だから難しいと思いますよ」
「そっかー」
ちぇー、と拗ねる。こういう子供っぽいところは士官学校で教育を受けても変わらないらしい。
ところで、ふと気になったのだがエレオノーラさんは朝からずっと私と一緒だ。他の友達はいいのだろうか?
「そ、それは大丈夫。皆に、知り合いが来たから助けてあげる、って言ってるし」
わたわたと手を振りながら捲し立てる。顔も赤い。焦っているようだ。まあ、あまり深くは突っ込まないでおこう。
エレオノーラさんもコホン、とわざとらしい咳払いをする。話題を変えようという意思は伝わった。
「午後からは野外演習よ」
士官学校では基本的に午前に座学、午後に実技の授業をやるらしい。今日は行軍訓練。野外を行進するやつかと思えば、敵からの攻撃を受けないよう泥沼なんかを匍匐前進によって進むやつだという。
「うへぇ」
私はあれが嫌いだ。泥沼に入ると水や泥が服や靴に入ってくる。その感覚が気持ち悪いし、服が水を吸って重くなるのも嫌だ。
「アタシもあれは嫌」
嫌だと顔に出していると、エレオノーラさんも同調する。他の女子生徒も同じらしい。一方で、男子生徒には嫌がる者が少ないそうだ。
「男どもは童心に返ってるのか、泥だらけになるのが好きみたい」
たしかに大人になると泥だらけになることはないが……私にはその感覚はわからない。
「この演習があるときは浴室を優先的に使えるから。なんとか頑張れるわ」
軍隊は衛生を重視する。集団生活をする以上、誰かが感染性の病気になれば瞬く間に広がっていく。それは軍の戦力に直結する。全員がダウンしないよう、衛生観念についてはかなりしつこく教育された。泥だらけになったり、激しく汗をかいたりする訓練の後、浴室が優先的に使えるのもそういう理由である。
……もっとも、泥だらけになっても浴室の利用を禁止するようでは、普通の人は我慢ならず反乱を起こすだろう。そうなったら私も加わる。
それはさておき。午後から始まった訓練に私は苦戦していた。
「ちょっと急いで! ビリは罰走なんだから」
知り合いということでエレオノーラさんの班に編入されたのだが、彼女に急かされる。様々な障害物があるコースを班ごとに走り抜けるのだが、タイムが最下位の班には学校の外周を走る罰が待っていた。学校はかなりの広さだから相当な距離になる。だから、それは嫌だと皆必死だった。
「いや、頑張ってるんだけど慣れないので」
「アンタは戦場帰りでしょう!?」
「騎兵ですからね」
馬に乗って戦うのでそもそも森なら小道があるところを通り、沼地は迂回するのが基本である。戦時ということもあり、騎兵科以外の技能は最低限しか身につけていない。道なき道を行くのは歩兵科の仕事であり、訓練を受けていなかった。実戦経験があるとはいえ、手間取るのは許してほしい。
結局、ビリは回避できた。沼地で転んでしまったために全身泥だらけ。訓練終了までは何もできないので、付着した泥が乾いてカピカピになっている。とても不快だ。この姿をエレオノーラさんに馬鹿にされたが気にもならない。
訓練が終わるとエレオノーラさんへの挨拶もそこそこに、人波に従って移動。彼女の口ぶりからして生徒たちは浴場へ向かうものと考えたのだが、予想は的中する。一番乗りとはいかないが、先頭集団で浴場に到着した。
脱衣所へ行くや、泥だらけの服を脱ぐ。シャワーで全身の泥を落とし、汚れた服を洗う。エレオノーラさんに言われて昼休憩のときに予備の服を持参しておいてよかった。おかげで生乾きの服で急場を凌がなくて済む。彼女には感謝しなければならない。
洗い終わった服を絞って脱水すると、袋に入れる。干すのは部屋に帰ってからだ。これに時間を食ったが、夕食を食べる時間はまだ十分にある。
配膳されて時間が経っているために料理は冷めているが仕方ない。ありつけるだけでもありがたい、と私は食事を始めた。
「隣いいか?」
「もちろん」
スープを口にしていると、横に男子生徒が断りを入れながら座る。許可を取る必要はないだろと思うのだが、儀礼上快諾した。否と言う理由もない。
「自分はルスランといいます」
「イワンです」
「知っていますよ。全校でも注目されている転入生ですから」
朗らかに笑うルスラン。
「やっぱり噂になっていますか」
「もちろん。大公、大公女殿下の推薦ですからね」
教室で喋った内容が学生たちの間で広まったようだ。迂闊だったかもしれない。
「ですが、今日の訓練を見て安心しました」
「え?」
「安心した」とはどういうことだろう。何か不安にさせるようなことをしただろうか。
「貴人の推薦で戦場帰り。凄い人だなと思って、実際に学科は我々に引けをとらない。完璧超人ということでどこか近寄り難かったのですが、訓練でこの人も人の子なんだと思いまして」
「……人のことを何だと思っているんですか」
私は完璧超人などではない。むしろできないことの方が多く、過大評価ここに極まれりである。
「あははははっ。とにかく、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
笑って誤魔化されたような気もするが、深く突っ込まないことにして私はルスランと握手を交わした。




