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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第2章 軍隊生活の始まり
26/30

捨てる神あれば拾う神あり

 



 ――――――




 突然の追放。今回の騒動の責任をとらせるとのことだ。下手人のひとりが隊内から出たのが直接の原因だ、と連隊長は言っていた。有無を言わさず荷物をまとめて隊舎を出されれる。


「どうしよう……」


 正門前で途方に暮れる私。身分も退役軍曹となった。連隊長曰く、降格などがないのはせめてもの情けらしい。


 とにかく、今日のところは帝都で宿をとろう。故郷に帰るにせよ、時間が時間だ。列車も出ていない。幸いお金はある。


「イワンさん」


 とりあえず街へ歩き出そうとしたところで声をかけられた。


「あ、レイラさん」


「すれ違わなくてよかったです」


 私を見て笑みを浮かべたレイラさんは手招きをする。誘われるままに近寄ると、あれよあれよという間に馬車へ乗せられた。


「え? え?」


 混乱していると、


「お姉様カチェリーナさんたちがお待ちです。宮殿に行きましょう」


 とのこと。そのまま宮殿へ連れて行かれた。……お姉様「たち」? レイラさんはここにいるから、なぜ複数形なのかが気になってしまう。


「やあ」


 カチェリーナさんが待っているという部屋に入ると、彼女の他にもうひとりいた。見たことある人である。気さくに軽く手を上げて迎えてくれたが、私は条件反射で挙手敬礼――して、自分はもう軍人ではないのだと気づき、すぐさまお辞儀の敬礼に変える。もちろん45度の最敬礼だ。


「失礼しました、スルツキー大公殿下」


 その場にいたのはセルゲイ・スルツキー大公殿下。カチェリーナさんの父親だ。宮殿を警備していたときに見たことがあるからすぐに気づけた。


「はははっ。ここは公式の場ではない。楽にしてくれ」


 スルツキー大公殿下はそう言って席を勧めてくれるが、さすがにそうもいかない。頭は上げても着席はお断りした。そういうやりとりをすること数度、カチェリーナさんが呆れた声で仲裁に入る。


「だから言ったじゃない。萎縮するから最初からいるのはやめた方がいいと」


「カーチェの言う通りだったなぁ。すまんすまん」


 苦笑しながら謝るスルツキー大公。宮殿で見たときは威厳のある紳士だったが、娘の前では形無しだ。どこにでもいる父親である。


 そんな意外な大公の姿を見ていると、唐突にこちらへカチェリーナさんの視線が向いた。


「イワンさんも、身分を気にしているのはわかるし、勧められたからとすぐに応じなかったのは正しいわ。だけど、あまり何度も断るとかえって失礼になるから覚えておきなさい」


「わ、わかりました」


 なぜだろう。逆らいがたい迫力がある。カチェリーナさん、普段はお淑やかな貴族令嬢なのだが、不意にこちらを圧倒する「怖さ」を見せることがあった。「恐怖」というより「畏怖」の方が近い。こういう側面を見ると、彼女もまた支配者の血筋なんだなぁと思う。


「よろしい」


 カチェリーナさんの威圧感が消え、柔和な笑みを浮かべる。お世辞でも何でもなく、ただの事実として綺麗だなと思う。彼女をまじまじと見ていると、


「痛いっ!?」


 脇腹に激痛が走る。抓られた。何度も戻しては捻り、戻しては捻りされている。その度に痛みが走った。犯人はいつの間にやら横にきていたレイラさん。抗議するべく見やると、同等以上の抗議の目線が返ってきた。少し頬を膨らませて不満そうだ。


 ……お気持ちはわかったので脇腹を抓るのはやめてください、と言っても聞き入れてくれそうにはない。私、何かしたかなぁ。


「うぉっほん」


 やめてくれませんか?


 嫌です。


 無言のうちにそんな会話をしていると、不意に咳払い。半ば除け者になっていたスルツキー大公のものだ。それにハッとする。


「失礼しました」


「お見苦しいところを……」


 二人揃って赤面しながら謝罪する。


「二人は……いや、三人か。三人は仲がいいんだな」


 スルツキー大公は「二人」と言いかけたが、カチェリーナさんの威圧を受けて「三人」と言い直した。うん、あれに睨まれてはどうしようもない。


「お父様。あまり時間もないのですから、用件を先に済ませては?」


「あ、ああ。そうであった」


 微妙な空気が流れたが、それを打ち消すかのようにカチェリーナさんが話題を提供する。そういえば、なぜスルツキー大公はここにいるのだろう? その素朴でもっともな疑問はすぐに氷解した。


「今回の件、娘を救ってくれて感謝している」


 いきなり頭を下げるスルツキー大公。それに私は慌てた。


「あ、頭を上げてください! 私は別に何も。職務からすれば警備は失敗ですし、狙撃も護符で何もできず、結局はレイラさんがいなければ助かっていません」


 そう。結局のところ私は何もしていないのだ。だからスルツキー大公が頭を下げてまで感謝を示すことではない。と私は思っていたのだが、大公にとっては違うようだ。


「だが、君の警告がなければレイラ嬢も動けなかっただろう。警備にしても、たかだか分隊に完璧な警護など求めていない。あれはカーチェたちが君を側に置くための方便だ。責任はもっと別のとこにある」


「そう言っていただけると、心が軽くなります」


 責任をとらされて連隊を追放になったが、スルツキー大公が言うように完璧な警備のためには圧倒的に人手が足りない。人員にしても私が選抜したのではなく、私より階級が低い者を適当に集めただけだ。大公女殿下のわがままに付き合った結果であるし、彼女たちが人員の選抜はしなくていいと伝えてあったらしい。だからこそこんな適当な仕事が許されたのである。


「とにかく、今回の件で君はよくやってくれた。二人が君を信頼する理由がわかった気がするよ」


「恐縮です」


 私としては褒められることではないのだが、先ほど謙遜が過ぎるとよくないとカチェリーナさんに教えられたばかりだ。素直に受け取っておく。


「……それで、だ。君はこれからどうするのだ?」


「今のところ、特に決めていません」


 何しろ急なことで、決める暇すらなかった。モスコーで職人はできない。戦争を見て、使い潰されるより使い潰す側になりたい――と軍での出世を夢見たはいいものの、このザマだ。夢破れた今、私には故郷に戻るという選択肢しかなかった。ルフィナに言われたように、彼女の村で鍛治職人をするのも悪くはないかもしれない。


「とりあえず、故郷に戻ってから考えます」


 お金はあるとはいえ、無限ではない。尽きる前に故郷へ戻るべきだろう。そう考えていると、カチェリーナさんが「丁度いい」と言う。


「特にやることを決めていないのなら、これは無駄にならないわね」


 と言って封筒が差し出される。


「これは?」


「士官学校への推薦状よ」


「えっ!?」


 夢は絶たれたと思ったが、希望の光が差し込んだ。しかし、素直には喜べない。


「私は退役となっています。そんな私が再び軍籍を持てるのですか?」


 事実上の追放を受けた私が軍に戻れるのか。そんな当然の疑問が湧いてくるが、回答は実に単純明快であった。


「ふふっ。蝙蝠連隊長と大公を同列にしないでよ」


 訳:連隊長の決定など大公の権力で容易に覆せる


 とのこと。権力万歳。


 それ自体は歓迎すべきことだ。さらにレイラさんが、


「大公および大公女三名の推薦状です。士官学校では好待遇で迎えられますし、イワンさんなら主席も夢ではありません」


 保証します、と実に嬉しいことを言ってくれる。


「娘を救ってくれた礼だ。受け取ってもらえないかね?」


 スルツキー大公にも勧められた。宮殿での生活は短かったが、貴族というものが体面をとても重視するのはわかった。今回も娘を救ってくれた相手に対してお礼をしないのは体面が悪い。そのお礼が士官学校への推薦状なのだろう。いささか与えたものに対するお返しが大きい気がするが、受け取らないのも角が立つように思えた。結果、


「ありがたく受け取ります。必ず好成績で卒業して、このご恩に報いますから」


 受け取ることとし、同時に決意表明もする。平民に推薦状を出して士官学校に入れた、と揶揄されないよういい成績をとってみせる、と。


「そうか」


 スルツキー大公は満足気に頷いた。







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