派閥
――――――
不思議なことがある。
前例のない速度で昇進し、大公女二人と知己となった私が特異であることは否定しようもない事実だ。それは認める。
解せないのは、同僚が妙に他所他所しいというか、距離があることだ。上官は普通なので、大公女との縁故を畏れているというわけではなさそうである。だからこそわからない。
例えば同格の軍曹は、
「っ! おはようございます、イワン軍曹」
と、丁寧な言葉で挨拶される。敬礼しそうな勢いだ。私が最も新任なので、先任の相手の方が厳密にいうと偉いはず。なのに、あたかも最古参のように接されては居心地が悪いことこの上ない。
これが階級が下の者(つい一ヶ月前までは同格だったり上官だった)になると、
「おはようございます! イワン軍曹!!」
ビシッと敬礼がついてくる。
何かしたかな? と私は不思議でならなかった――ので、親しくしている幕僚の方に訊いてみた。
「あはははっ。お腹痛い」
爆笑されました。なぜに?
しばらく笑われたが、落ち着くと理由を話してくれた。どうも近衛部隊に独特の理由らしい。
「近衛部隊は『皇帝陛下をお守りする精鋭』って言われてるけど、実際は強いかどうかはわからないんだよね」
それは平時の演習で成績優秀な者が集められているから、実戦で戦えるかは未知数なのだという。
ルーブル帝国は十年前に神州帝国と、今現在は「同盟」と戦争しているが、そうやって実戦参加した者は近衛部隊にほとんど来ない。実戦を経験した者は前線部隊が手放さないし、大なり小なり傷を負う。なので、近衛部隊の基準(眉目秀麗な者)に引っかかってしまうのだ。それを潜り抜ける者は稀有である。
「……あの、私それに当てはまってますよね?」
「そう。だから畏敬の念を抱かれているんだよ」
幕僚の方は私にラッキーだと言ってくれた。普通、スピード出世した新任の将校や下士官は古参兵に虐められるそうだ。たとえ大公女の権力がバックにあろうとも関係ないらしい。しかし、私は実戦を経験した数少ない人間ということでそういう虐めとは無縁である。
「わたしも新任の頃は大変だった」
そこからは、幕僚の方が実際に遭遇した虐めエピソードを語られた。無視されたり、サボタージュされたらしい。今のところ、任されてる分隊でそういうことはなかった。
「君は運がいい」
それも軍人として大事な要素だ、と言ってくれた。
ただ、偉い人に気に入られるということはそれなりの苦労も伴うという。それは私も実感している。私が軍曹になったのはカチェリーナさんとレイラさんの引き立てがあったから。そのことは近衛部隊というか、宮殿にいる人のなかでは周知の事実だ。だから、彼女たちに紹介してくれという依頼が後を絶たない。
「わかっているとは思うけど、そういうのは無視してくださいね」
「はい」
警護(という名のお茶会)の場で注意されるが、言われるまでもない。元々、権力者に紹介されたいという者は何かしらの下心がある。彼女たちは明らかにそれを望んでいない。大恩ある身で彼女たちが望まないことをする気はなかった。そういうわけで、彼女たちとの人脈目当てで近寄ってくる人間はお断りしていた。
「イワン軍曹。少し話がある」
「わかりました」
歩いていると、上官から声をかけられる。話を聞こうと視線を向けるが、ここではちょっと……と人気のない場所まで連れて行かれた。こういうとき、大体は面倒事なんだよなと経験則で思っていると、
「明日、スルツカヤ大公女殿下のお茶会があると思うのだが――」
面倒そうな切り出し方をされた。もっとも、相手にマイナスな感情を悟られないよう顔は平静を維持したが。
「明日、私は警護任務を仰せつかっています」
実態はただ参加しているだけなのだが、一応は仕事だ。私以外はちゃんと周辺を警戒している。こんなことをしていると分隊員から不満が出そうなものだが、カチェリーナさんたちが任務後に酒やお菓子なんかを配ってくれるので、隊員も美味しい仕事と受け取っていた。
「明日の任務で多少の異常があるかもしれないが、見逃してくれないか?」
「は?」
このとき私はとても間抜けな顔をしていたと思う。てっきり彼女たちへの紹介や口利きを依頼されると思っていたから話が予想外だったのと、あり得ない依頼への困惑とが重なった結果だった。
「それはできません」
答えはもちろん否。彼女たちのおかげで下士官になれた。恩もあるし、畏れ多いが二人とはただの警護対象と警護員以上――気の置けない友人くらい――の関係だと思っている。サボタージュなど論外だ。
しかし、件の上官は私の反応をただの職務に対する義務感、あるいは自己保身からきたものと解釈したらしい。
「心配することはない。何があっても問題にならないから」
「そう言われましても……」
仮にただの警護任務だったとしても、彼の言うことを鵜呑みにはできない。一見、美味しい話に聞こえるが、だからこそ怪しいのだ。
「何にせよお話は受けられません。……それでは失礼します」
きっぱりと断って踵を返す。これでいいと思ったのだが、件の上官は何度もしつこく迫ってきた。口利きなんかでもここまでしつこいのはいない。辟易させられるが、だからといって私の気持ちが変わるわけもなかった。
上官は単に私より階級が高いというだけで、指揮命令が及ぶような上下関係はない。無視していれば問題ないのだが、さすがに毎日のように言われては堪らない。そこで直接の上官である連隊長に話を持って行った。
「そんなことが……。まあ、相手にすることはない」
「もちろん聞き入れませんが……不審です」
「ああ。その辺はこちらで調べておくよ」
「お願いします」
誰に依頼されたのかを伝えておく。じきに背後関係なんかもわかるだろう。
「そんなことがあったんですか」
ことの次第はお茶会の席でカチェリーナさんたちに話しておく。思い当たる節がないか訊ねてみたのだが、
「わたしたちそれなりの地位にありますから、そういうことには事欠かないので……」
思い当たる節がありすぎて逆にわからないパターンらしい。二人して苦笑している。高位貴族のご令嬢も大変なようだ。
「まあ、あの連隊長なら安心でしょう」
「え?」
安心、という言葉に疑問を抱く。安心じゃない人がいるのかと。すると二人は苦笑しながら教えてくれた。
曰く、宮殿には派閥というものが存在する。それは私のような一般兵には関係ないが、貴族出身、あるいは平民にして高官を目指す文武官にとっては重要なことだ。派閥のトップの盛衰によって己の将来が決まるのだから。
「最近は皇帝陛下を退位させたスルツキー大公とガルーシン大公の派閥が対立していたのですが、反攻が失敗したことの責任を追及されてガルーシン大公は失脚したのです」
「でも、お父様(スルツキー大公)がチャンスと見て根回しもそこそこに進めたものだから相手の反発が大きくて……ガルーシン大公はシンパの協力で帝都を脱出して行方を眩ませているの。どこからか指示を出しているみたいで、最近はまたガルーシン大公の派閥が活発化しているみたい」
今回のもその一環ではなかろうか、というのがカチェリーナさんの見立てだった。そして連隊長は派閥争いにあまり関与しない人らしい。有力者に上手く接近して地位を保っているという。今はスルツキー大公が有力なので大丈夫だろう、と。
「高官の方々は大変なのですね」
話を聞いて抱いた嘘偽りない正直な感想だ。いずれはそういう立場になりたいと思っているが、今は縁遠い世界である。
「ちなみに、イワンさんはスルツキー大公派ですからね?」
「私、関係あるんですか?」
「当たり前ですよ。わたしたちがどこの誰だか忘れたんですか?」
「あー」
スルツキー大公とブリノフ大公のご令嬢と親しい関係にあるのだ。そう見られていても不思議ではない。
「私のような末端の人間までカウントされるんですね」
認識不足だったと思ったのだが、二人に凄い顔をされた。あんた本気で言ってるの? みたいな感じだ。
「何か?」
「言ったら悪いけれど、イワンさんを引き上げるためにかなり強引に事を進めたわ。そんなことをしてもわたしたちが引き上げる人材……その地位が低くとも、派閥の人間として数えられないわけがないでしょう」
カチェリーナさんは呆れを隠さない顔でそう教えてくれた。レイラさんも横でうんうん、と頷いている。
「未来はどうなるかはわかりません。でも、このままならスルツキー大公の後継者はカーチェ(カチェリーナ)姉様です」
まあそうなるだろう。彼女はスルツキー大公のひとり娘。後継者は彼女しかいない。
「そうなると、親しくしているわたしたちの地位も自ずと上がっていきます。少なくともわたしは軍医部総長(医官の最高位)、イワンさんは近衛師団長か……もしかすると陸軍大臣になるかも?」
「そんな……」
縁故でそんな出世していいものかと思ったが、彼女たちにとってそれは当然らしい。曰く、高官に求められるのは能力よりも信頼だという。
「優秀な人間はもちろん重用されるべきだけど、信頼できないと話にならないわ。飼い犬に手を噛まれるのは誰だって嫌でしょう?」
しれっと自分のことを「飼い犬」と言われたが、実際そうなので反論しない。そして、彼女の言いたいことがわかって心が温かくなる。そこまで信頼されているのだ。嬉しくならないわけがない。
「まあ、イワンさんは優秀ですから。経歴さえきっちりしていれば文句も出ないでしょう」
「ご期待には必ず応えます」
決意を込めてそう応えた。
やりとりがひと段落したところで、ガゼボに隊員が駆け込んできた。
「軍曹!」
「何事だ?」
「少しお耳に入れたいことが……」
彼女たちに聞かせられないことということは軍のことだろうか? そう思って席を立った。それが奏功する。隊員が私の横をすり抜けたのだ。
「おい!」
何をしている、と言おうとした瞬間、隊員がホルスターから拳銃を抜くのが見えた。止める間もなく構え、引き金が引かれる。二度。対象はもちろんカチェリーナさんたち。
最悪の事態が脳裏をよぎる。しかし、現実にはならなかった。チュンッ! と戦場で聞き慣れた音がする。跳弾の音だ。どうやら彼の放った弾は弾かれたらしい。……弾かれた? 何に??
「愚か者め」
底冷えするような声を出すカチェリーナさん。彼女とレイラさんの身体を光の膜が覆っている。護符の効果だ。そういえば彼女たちは大公女という身分から希少な護符を持っているのだった。
……ちょっと待て。
彼女たちが護符を持っていることは容易に想像できる。誰が唆したのかは知らないが、そこまで馬鹿なのだろうか?
そんなはずがない。もしかするとそこまでのアホかもしれないが、少なくとも次の手が用意されていると考えて動くべきだろう。
「身を隠してください!」
と言ったところ、レイラさんは軍人なだけあって即座に反応する。一方、カチェリーナさんは襲撃を乗り切ったと思っているらしく反応が鈍い。退避させようにも、今は護符が作動して防護壁が張られているため近づけないのだ。
「……ごめんなさい!」
どうしたものかと考えていると、レイラさんがカチェリーナさんを押し倒した。護符は万人を拒絶するわけではなく、事前に設定した相手は防護壁をすり抜けられる。弱点でもあるためよほど信頼できる人間しか設定されない。二人の間にはそれほどの信頼関係があるのだ。
兎にも角にも、これでガゼボの壁が姿を隠してくれる。そして二人が倒れ込んだ瞬間に、防護壁が四散した。同時に、ガゼボの壁に弾痕が生まれる。
「対障壁弾(APB)!?」
護符の防護壁を貫通するため、銃弾に魔法陣を刻み魔力を込めた特殊弾を「対障壁弾」と呼んでいる。用途が限られる上にひとつひとつが職人による手作りであるからとんでもなく高価。用意できるのは軍がよほどの金持ちに限られる。
「何事ですか!?」
「大公女殿下への襲撃です。下手人はその兵士と狙撃手」
騒ぎを聞きつけた警備が飛んできたため事情を話す。警備は兵士を拘束し、弾痕を確認して撃ってきた方向への探索を命じた。
とんでもない事件が起きたが、警護対象であるカチェリーナさんたちが無事でよかった。そう胸を撫で下ろしたのだが、
「イワン軍曹……残念だよ」
報告の後に連隊長から言い渡されたのは、近衛連隊からの追放であった。




