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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第2章 軍隊生活の始まり
23/30

昇進と事案

 



 ――――――




 カチェリーナさん(スルツカヤ嬢のこと。お茶会でそう呼ぶように言われた)とレイラさんのお茶会に強制参加させられた後、当然だが連隊長からの質問責めに遭った。ただの兵士と大公女がお茶会をすることになったとなれば問い糺されるのも当然といえる。さすがに疲れたが。


 もちろん近衛の間でも噂は広まり、会う人会う人に訊ねられる。その説明にも疲れ、なのに変わらず忙しい軍務。密かに進めている勉強も手につかない。


 そんな感じで数日が経ったある日のこと、私は連隊長に呼び出された。


「イワン。しばらくの間、軍務から離れて訓練を受けてくれ」


「わかりました」


 突然のことだったが、断るという選択肢はないので了承する。が、こんなに忙しいのに下っ端兵士とはいえ抜けていいものかという疑問が湧く。


「ああ。正直、抜けられるのは痛い。が、訓練を受けさせないわけにはいかないんだ」


 連隊長は私が訓練を受けることになった理由を説明してくれる。


 受けさせられるのは連隊の下士官養成訓練。これを受ければ伍長ないし軍曹に昇進する(成績によってどちらに任官されるかが決まる)。


 そしてこの訓練を受けることになった直接の理由は、


「大公女殿下お二人からの推薦だ。何を置いてもやらねばならん」


 とのことらしい。お茶会でかなり気に入られたようだな、と連隊長。しかし、私はそれに違和感を覚えた。


「いくらあのお二人が推薦したといっても、私が軍務よりも訓練を優先することにはならないのでは?」


 二人に権力があることに間違いはないだろうが、その意向だけで近衛が動くとは思えない。すると、連隊長は困った顔になる。


「そうだな。だから直接、お前に下士官養成訓練を受けさせろという依頼は来ていない」


「はい?」


 ならばなぜ訓練を受けることになったのか。わけがわからない。


「両殿下からの依頼は、お茶会のような二人が主催する催しの警備を、お前に任せたいっていうものだ。だが、お前は兵長。前みたいな緊急時ならともかく、普段から上には据えられん。だから近衛では、お前を下士官にしてしまおうとなったわけだ」


「なるほど?」


 色々と言いたいことはあるが、とりあえず納得しておく。無茶苦茶だと思うが、連隊長に話をしても解決しないからだ。それに昇進は望むところ。下士官といわず士官になりたいところだが、順番を大事にしていこう。


 通常、下士官養成訓練は一年をかけて行われる。しかし、私は下士官はおろか新任の士官よりも一般教養では負けていない。覚えるべきは軍事的なものに限定されており、このことから訓練期間は異例の一ヶ月に短縮された。令嬢たちによる圧力があり、実より名目が重視された結果だ。軍事的な教養は勤務の傍らで覚えることになったのである。


 ただ、ここまで短いと問題があるため、公的な記録では規定通り一年を要したことにされた。


「兵長イワンを軍曹に任命する」


 昇進と同時に辞令が下り、私は分隊長となった。警備が専門の部隊で、普段は他と変わらず巡回など近衛としての業務をこなすが、大公女の二人が何かをするときはその警備にあたる特務部隊という性格も帯びていた。


 早速、その仕事をやることになる。昇進が伝えられた日、カチェリーナさんから見ごろとなった季節の花を眺める、という理由で呼び出しがかかった。


「ようこそ、イワン軍曹」


「あはは。こんにちは」


 挨拶と同時に昇進に言及された。どう反応すればいいのか。知り合って日が浅いためわからない。とりあえず無難におかげさまで、と言っておく。実際、彼女たちの後援あってこその昇進なので間違っていない。


 無難な応答をしつつ、こういうときに上手く話を回してくれるレイラさんを探すのだがいなかった。


「レイラは軍務で病院にいるわ。今日は二人きりよ」


 にっこり笑顔なのだがちょっと怖い。多分、変な顔をしているのだろうが知らぬふりをして、そうですかと淡白な答えを返す。レイラさんがいてもいなくても、大公女殿下と同席しているという時点で私の胃腸は悲鳴を上げている。……後で胃薬を貰おう。


 庭園にあるガゼボの中央にはテーブルが据えつけられ、その上に茶器とお菓子が品よく置かれている。互いに座るのを合図に使用人がお茶を淹れ始めた。庶民の私からすると大変恐縮する場面である。


「ん?」


 緊張や居心地の悪さに視線を彷徨わせていると、お茶を淹れるポットに目が留まった。


「どうしました?」


「いえ、このポットなんですけど……」


 そう言いつつ、蒸らすために置かれているポットを眺める。


「やっぱり……」


「?」


 不思議な顔をするカチェリーナさんに、私は気づいたことを言う。


「このポット、魔石が保管用の偽物ですね。これだと毒検知機能が働きませんよ」


「えっ!?」


 よく見ないと気づけなかったが、このポットに嵌められている魔石は偽物だ。魔石は魔道具に嵌めているだけで魔力を失うため、使うとき以外は取り外される。だが、貴族用は棚の装飾のため偽物が代わりに嵌められるようになっていた。パッと見ではわからないようよく似せて。


 真贋の判定は簡単だ。魔力が流せるか否か。魔力との親和性が高い魔石には魔力が流れ、偽物には流れない。もっとも魔力は誰にでも使えるわけではないため、それ以外にも見分ける手段は用意されている。今回、私が判断に使ったのは偽物であることを示す刻印だ。


 カチェリーナさんは慌てて確認し、偽物であることを確認する。偽物だと確かめると途端に厳しい顔になって使用人を睨む。


「これはどういうことですか?」


 さすが大公女というべきか、その視線や声の迫力が凄まじい。同じ貴族でもエレオノーラとは別の存在のようだ。


 側から見てるだけでも背筋がゾクゾクするのだから、それを正面から向けられている使用人にはさぞ辛いだろう。身体が震えている。だが、プロの根性かへたり込むようなことはなかった。


「……申し訳ございません。新人が誤って偽物を嵌めたようです」


 取り替えて参ります、と逃げるようにその場を去っていく使用人。その後ろ姿を見るカチェリーナさんの表情は厳しいままだった。


「ごめんなさいね。うちの者が」


「いえ。ミスは誰にでもありますから」


 職人時代、私もミスしたし他人がミスをすることもあった。そういうときは何が悪かったかを考え、改善したものである。今回ミスした使用人にも自省を求めたい。


「……単なるミスであればいいんだけど」


 難しい表情をして呟くカチェリーナさん。しかし、私は敢えて触れなかった。


 その後、お茶会は再開された。もちろん、使用人が持ってきたポットの真贋は調べている。私はまさかと思ったが、カチェリーナさんはとてと用心深い。


「そういえば、イワンさんはよくポットの魔石が偽物だと気づきましたね」


 わたしは気づけませんでした、とカチェリーナさん。別に隠すことでもないので、経験だと明かす。


「軍人になる前は鍛治職人をやっていたことはお話したと思いますが、そのときに毒検知機能付きの品物を扱いまして」


 各家庭にあるわけではないが、比較的ありふれている魔道具である。水道や井戸水なんかを汲む場所には大抵、設置してあった。使用頻度が高いため不具合も多く、修理に持ち込まれることが多い。基本的な機構は変わらないのですぐ見分けがついた。


「なるほど」


 カチェリーナさんは感心したように頷く。だが、これくらいは修行すればすぐ身につくようなものである。感心されるようなものではない。しかし、彼女にとっては違うようで、


「貴方を近衛からうちの領軍に引き抜きたいくらいだわ」


 なんて言っていた。


「……確か、イワンさんはモスコー郊外にある村の出身と言っていたわね?」


「は、はい。モスコーで職人として奉公に出ていたこともあります」


「里帰りも兼ねてどうかしら?」


 今なら御付武官(皇族の側にあって軍事分野の補佐を行う役職)にしてあげる、という実に魅力的な提案をしてくる。


 御付武官の何が魅力的なのかといえば、この役職は士官が務めるものなので、暗に士官待遇で領軍へ引き抜くと言っているのだ。しかも御付武官となれば基本的に後方勤務となる。命の危険はほぼない。心がグラつく。


「ありがたいお話ですが、お断りさせてください」


「あら。どうして?」


「それでは尉官止まりですが、私はもっと上に行きたいと思っているからです」


 それが一番の理由だった。士官になるのは速いだろうが、尉官で止まってしまう。カチェリーナさんの権力であればそれ以上にすることも可能かもしれないが、縁が切れればそれまで。切れなくとも大きな負担になるだろう。そんな依存はしたくない。


 私は彼女に士官学校へ行こうとしていることを明かした。それを聞いてなるほど、とひと言。


「イワンさんなら余裕でしょう」


 頑張ってくださいね、と激励の言葉を貰う。その直後、カチェリーナさんは雰囲気を変えて、


「振られてしまいました」


 初めての告白でしたのに、よよよ……と嘘泣きをするカチェリーナさん。凛として厳格な人だと思っていたのだが、意外とお茶目な一面もあるようだ。


「いや、あの……」


 どう答えたらいいのかわからずあたふたしていると、カチェリーナさんはくすくすと笑う。


「うふふっ。冗談ですよ」


 それはわかっているけど反応に困ってたんです、とは言えずあはは……と曖昧な反応を返した。


 この日、カチェリーナさんは終始ご機嫌で会話が弾んだ。前はレイラさんが会話を回してくれていたが、もう彼女を挟まずとも話ができると思う。今日のことで、距離が一気に縮まったような気がしたのだった。








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