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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第2章 軍隊生活の始まり
22/30

臨時の仕事

 




 ――――――




 姫様ことカチェリーナ・スルツカヤ嬢が来てから宮殿は少し騒がしい。彼女はモスコーの屋敷を滅多に出ることがないそうだ。帝都に来たのも片手の指で数えられるほどだという。


 一方で、彼女の美しさは尾鰭がついて広まっている。目にした者は少ないからその真偽を自分の目で確かめようというのだ。何でも、貴族の間では絶世の美女と言われつつも、実物は残念ということがよくあるらしい。そんなわけで、宮殿には特に用もないのに来る人でとても賑わっていた。


 これに迷惑しているのが近衛部隊である。カチェリーナを見に来る人は只人ではない。彼ら彼女らも貴族である。その警備も行わなければならず、人手不足で喘いでいるなかでの増員は近衛部隊に大きな負担を強いることになった。


「まったく。こっちも暇じゃないんだぞ」


 連隊長室でボヤく連隊長。その間も手は忙しなく動いている。普段の書類業務に加えて、頭の中では警備状況を考えている。


 人手が足りないために近衛部隊はしばらくの間、非番などなくなった。休みなしの働き詰め。しかもフル稼働。先刻、


「第一中隊、巡回終わりました。異常なし」


「よし。ではすぐさま庭園の警備に入ってくれ」


 報告に訪れた第一中隊長に対して、連隊長はそう命じた。通常の警備も普段の倍になる密度で行いつつ、新たに生じた臨時の警備まで捌いている。本当に辛うじて回っているという状況だった。


 私は連隊長室の片隅で事務処理の手伝いをしていた。簡単な計算をしたり、書類を取りに走ったり。まあ雑用だ。傍目で見ていて連隊長も大変だなと思うが、戦地で命をとられるわけではないのだからこんなものだろう、とも思う。


「今日もなんとかなりそうだ」


 連隊長は昼食のための休憩(休憩時間も極限まで削られている)で、やりくりの目処がついたと安堵していた。そうやって安心したときが一番拙いのでは? と思ったが、程なくして私の不安は的中する。


「失礼します」


 基本、男所帯の近衛部隊には似つかわしくない高い声。声のした方を見やれば、メイドが立っていた。


「スルツカヤ大公女殿下の遣いです」


 嫌な予感がする。単なる勘だが、部屋にいる近衛は皆そう思ったに違いない。


「スルツカヤ大公女殿下がブリノヴァ大公女殿下とお茶会を開くとのことです。庭園中央のガゼボにて三時から行いますので、警備の手配をお願いします」


 言うだけ言ってぺこり、と頭を下げて退室していった。室内を沈黙が支配する。


「……どうしますか?」


 幕僚のひとりが恐る恐る口火を切る。


「どうもこうもない。急ぎ警備の手配をしなければ……」


 四苦八苦しながら作ってきた警備計画が一瞬にして水泡に帰した。しかし、それに文句を言っても始まらないので計画の見直しにかかる。


 会場が庭園ということなので、巡回路を変更して周辺の見回りを強化する。付近でなくとも、警戒ルートを偏らせて庭園の周囲に厳戒態勢をとらせることにした。


 問題は会場の警備だ。他の近衛部隊にも訊ねたが、余剰の部隊はないという。どうするのかを近衛部隊長と各連隊長が集まって話し合った結果、余剰の人員を各部隊が出して臨時の警備隊を結成することになった。部隊長は私。


「えっ!?」


 私は兵長にすぎない。それが臨時編制とはいえ隊長になるのはおかしい。そう抗議したのだが、連隊長は手空きの人間で階級が最も高いのは私以外にいないという。


「他は補充で引っ張ってきた兵しかいないんだ」


 また、幕僚に指揮権はない。連隊長にしても苦渋の人選だったようだ。そういう事情であれば承知するしかない。


「まあ、何重もの警備が敷かれているなかだ。そう簡単に厄介なことは起きないさ」


 と連隊長。頼みますよ、と念押しした。


 その後、キリのいいところまで仕事を済ませると、私は会場となる庭園の下見に向かう。経験のある幕僚を派遣してもらい、その人から警備にあたっての注意点を教えてもらった。その情報は隊員にも共有。配置なんかを確認しているうちに、お茶会の時間となっていた。


 会場となるガゼボにやってきたスルツカヤ嬢は今日も赤いドレス姿。前に見たときとは違うデザインだ。赤が好きなのかもしれない。


 彼女と並んでいるのがお茶会の相手だというブリノヴァ大公女殿下。……レイラさんだった。


「あら、イワンさん」


 向こうも気づいたのか、私に声をかけてくる。


「お久しぶりです大公女殿下」


 縁があって顔見知りだが、ここは他人の目がある公的な場所。病室のような閉鎖空間ではない。兵長と大公女では身分が違いすぎ、知り合いという要素を加味してもそれ相応の対応をしなければならない。そう思っての敬称呼びだったのだが、お気に召さなかったらしくレイラさんはムッとした。


「病院では名前で呼んでくれていたではないですか」


「は、はあ。ですが、ここは他人の目がありますし……」


 至極もっともなことを言ったつもりだったが、レイラさんは相変わらず不満そう。困ってしまい、助けを求めるようにスルツカヤ嬢を見る。知り合いでもないのに失礼なことをしてしまったなと思ったが、彼女は私の意図を汲んでくれたのか助け舟を出してくれた。


「レイラ。あまり近衛の方を困らせてはいけませんよ」


「お願いしているだけですよ」


「そのお願いが彼を困らせているのですが……」


 スルツカヤ嬢に言われても折れないレイラさん。彼女は困った、とばかりに美しい顔を歪ませる。


「聞き分けのいい貴女が抵抗するなんて珍しいですね。イワン、といいましたか。少し貴方に興味が湧きました。お仕事の邪魔にならない範囲で結構です。少し付き合っていただけますか?」


 彼女がそう言いながら掌をガゼボ内のテーブルに向ける。すると、そこで控えていた使用人たちが慌ただしく動き始めた。綺麗にセッティングされていた椅子や食器を動かしていく。対面になっていたものを、ひとり分のスペースを開けるような配置に。それを見て、スルツカヤ嬢の発言の意味を悟った。


「こ、今回はお二人のお茶会で、私はただの警備です。また後日に……」


「レイラもいいでしょう?」


「はい。そのときは名前でお願いしますね」


 お茶会は私的なものなのですから、と付け足す。


「しかし、私には仕事が……」


「参加していても問題ないわ。貴方が何から何まで指揮するわけではないのだし」


 反論できないが、それでいいのかと疑問に思い了承できずにいた。すると、


「ふふっ。貴方は随分と責任感が強いのですね」


 スルツカヤ嬢が破顔する。が、その評価は違っている。


「……いえ。単に保身のためですよ」


 戦争で兵士はただの駒。軍や国の首脳にとって、兵士は人ではなく書類上の数字でしかない。死ぬのは嫌だから上に行って駒を使う側になりたい――ただそれだけの理由だ。


 実は密かに士官学校を受験すべく勉強していたりする。忙しい軍務のなかで時間を捻出するのは厳しいが、職人時代に夜学に通っていたのと大差はない。勉強は順調だった。もちろん、そんなことを彼女たちに話すつもりはないが。


「そういうことにしておきましょうか。……まあ、お仕事を放り出すようで気が引けるのはわかります。ならば、問題にならないようにしましょう」


 意味がわからなかったが、しばらくしてスルツカヤ嬢は連隊長に連絡し、私がお茶会に参加することを許可させた。見知った幕僚の人が来てそのことを連絡してくれる。彼は去り際、


「どういうことか後で説明してくれ」


 と恐らく連隊長の言葉を伝えられた。面倒なことになったと思いつつ、了承の返事をする。


 その後、実家が買えるような高価な魔道具(毒検知機能つき)から注がれた高級なお茶やカップ、最高の菓子職人が作ったお菓子などを両殿下に勧められるままに食し、主に私の昔話を題材にお茶会が進行するのだった。






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