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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第2章 軍隊生活の始まり
21/30

姫様

 



 ――――――




 近衛の任務は宮殿内の警備に留まらない。皇族の生活空間の警備全般を担うため、宮殿外――つまりは宮殿周辺の警備や移動時の警護なども任務内容に含まれる。


 しかし、近衛部隊は慢性的な人手不足に陥っていた。どれだけ人手不足かというと、普段は兵科ごとにいがみ合っている部隊が部署の垣根を越えて協力するくらいには。それも、皇帝の退位が原因だ。


 大公たちの圧力により皇帝は退位を余儀なくされた。後継者としてスルツキー大公が指名されたものの、当の大公が即位を拒否している。噂では、他の大公がスルツキー大公の即位に反対したとか何とか。本当のところはわからないが、経緯はともかくとして、結果としては大公たちによる共同統治ということで落ち着いた。


 今は皇帝が不在であるが、皇族がいることから近衛部隊は存在意義を失わずに済んでいる――のだが、正直これは屁理屈である。それをおかしいとして近衛から離れた者は多い。


 また、皇帝の親征に付き従った者は前線で厭戦気分に触れ感化されたらしく、職務を放棄して故郷に帰る者が多数を占めた。その結果、宮殿の警備ができるか極めて怪しい人数しか残らなかった。仕方がないので各地の部隊から優秀な人間を集めているらしい。私が近衛に入ることができたのも、こういう理由があったからのようだ。


 近衛騎兵連隊は普段、専ら騎乗して宮殿の周辺警戒にあたっている。だが、先述のように圧倒的な人手不足に陥った結果、活動範囲は宮殿の周辺だけでなく、歩兵が担っている内部にも及んだ。


「いいよな、お前んとこ(騎兵科)は」


「どうしてです?」


「オレのところ(歩兵科)は便利屋扱いされててさ、色々なところに顔を出すんだ。前なんて、資材の搬入だぞ? でもお前たちはやるといっても宮殿内の警備だけ。いいじゃねえか」


 騎兵科が務める外周の警備は馬という足がある騎兵に適性がある。騎乗の技能を持った兵科は他にないため、外周の警備は騎兵科の固定任務となっていた。その代わり、他の任務を与えられることは少ない。


 ところが、相方の歩兵科は話が違う。彼らは普段、宮殿内の警備を担っているのだが、最近では便利に使われている。まさか、荷物運びなんて雑用をやらされているとはしらなかったが。まあ、宮殿の使用人も少なくなったらしいし、仕方がないことなのかもしれない。


「あーあ。楽じゃないし、オレも辞めようかな」


 前は楽だったんだけど、と呟く相方。人手不足で本来とは違う仕事をせざるを得ず、それが原因で退職を考える。悪循環だな、と思った。


 近衛部隊は他の部隊に比べて給料がいい。一ヶ月働いて給料が入ったとき、その額に驚いたものだ。とはいえ、辞める人間が多く仕事量が増えているのも事実。近衛部隊は他の部隊のように補充が容易ではないので、忙しさは当分は解消しないだろう。辞めるのは悪くない選択かもしれない。


 与太話をしていると人の話し声が聞こえた。私たちは耳聡くそれに気づき、すぐさま会話を打ち切り直立不動の体勢をとった。しばらくして数人のメイドが現れる。


「「「イワンさん。こんにちは」」」


「こんにちは」


 数人のメイドが揃って挨拶してくる。


「こんにちは」


 と、声をかけられたので返事をした。警備からは用がない限り何も言わないのだが、声をかけてもらえれば返すことくらいはする。平民なので色々と言われるかもしれない。が、せめて人当たりはよくしようと笑顔を心がけている。すると、


(今日もイワンさんが微笑んでくださったわ)


(いつ見ても素敵)


(平民でも近衛なら……)


(((キャーッ)))


 歓声を上げられた。いつものことだ。


 メイドは普通、平民の少女が奉公として貴人や金持ちの家に上がる。しかし、例外があった。彼女たちはその例外で、貴族の令嬢である。


 貴族令嬢はメイドを従える側なのだが、特別な存在に対してのみ令嬢たちが奉仕する。その相手は皇族だ。公爵令嬢を筆頭に伯爵、男爵令嬢が付き従う。声をかけてきたメイドたちは男爵令嬢だと以前聞いた。


 メイドたちとしばらく話していたが、私は話の切れ目を見てお仕事は大丈夫ですか? と問うた。すると、


「あら、いけない」


「ジーナ様に怒られちゃう」


「それではイワンさん、ごきげんよう」


 またお話ししましょうね、と言い残してメイドたちは去っていった。私は是非に、と言いながらにこやかに手を振る。そんな私を相方は呆れたような目で見ていた。


「どうした?」


「お前……近衛の間で噂になってたけど、とんでもないスケコマシだな」


「は?」


 聞き捨てならない。思ったより低い声が出たが、私は構わなかった。心外である。きちんと訂正しなくては。


「いや、だってあんな風に優しくして、メイドたち舞い上がってたじゃないか」


 メイドのひとりは私を婿に迎えようとしていたとかなんとか。バカな話だ。男爵とはいえ、貴族と平民が結婚できるわけない。相方は、なら優しくするなと言うのだが、


「邪険に扱うこともないだろう」


 と私。仕事柄、何かと顔を合わせる機会が多い。そういうとき、気まずい思いをするよりも気持ちよく会いたいではないか。そう言ったのだが、相方はよくわからん、と不思議な目で見られた。解せぬ。


「まあでも、ああいうご令嬢が見られるから、近衛の仕事は悪くないんだけどな」


 貴種には美形が多い。平民出身の近衛は誰が可愛い美しい、という噂が流れていた。不敬だからと貴族出身者には聞かせないが、そういう話をしているのは周知の事実であり黙認されていた。それに彼らも男で、なかには混じって参加する者もいる。


 ちなみに私はそういう話題はスルーしていた。彼女たちは魅力的だと思うが、恋愛感情はまた別である。令嬢の美しさを語る近衛も、イワンを讃えるメイドも外面を見ているだけだ。


 ルフィナやオリガ、マイヤ姉妹は付き合いも長く内面も知っている。もちろん全てではないだろうが、何も知らないよりはいい。


「興味なしか。まあお前なら選びたい放題だしな」


「そんな不誠実なことはしない」


 あんまりなもの言いに語気が強まる。さすがに悪いと思ったか、相方は謝ってきた。


 そんな風に時々話をしながら仕事をこなしていると、俄かに辺りが騒がしくなった。


「何だ?」


「お前、知らないのか? 今日は姫様が来る日なんだよ」


「誰だそれ?」


 思わず素で返す。元皇帝一家は郊外の別邸で事実上の軟禁状態にある。皇女も当然ながらそちらにいるため、宮殿内に「姫」と呼ばれる人物はいないはずだ。当然、軟禁状態が解かれたわけでもない。そう思っていると、相方が呆れていた。


「お前、本当に女に興味ないのな」


 何が悪いと思ったが、今話したいのはそういうことではないので黙っておく。


「姫様って誰?」


 改めて問うと、


「アレ」


 と返ってくる。相方の視線を辿ると、その先に件の「姫様」がいた。


「おお」


 思わず声が出る。


 ゴージャス。


 そのひと言に尽きる。


 陽光を反射して煌めく金の髪。


 白磁のような白い肌に鮮烈な印象を残す赤のドレス。


 出るとこは出て引っ込むところは引っ込む抜群のプロポーション。


 煌びやかな宮殿の装飾を、自分を引き立てるアクセサリーかのようにしている。ルーブル帝国人の理想といえる女性がそこにはいた。


「珍しいな。お前が反応するなんて」


「おかしなことじゃないだろ。美醜の感覚はないわけではないし」


 内面が大事だと思うが、外面を見て綺麗な人だとかは思う。そういった人並みの感覚は備えているつもりだ。


 姫様は数人のメイドを従えて宮殿内を歩いていく。何も知らなければ、彼女がここの主人だと言われても疑問を持たなかっただろう。


 後で聞いた話だが、姫様の名前はカチェリーナ・スルツカヤ。スルツキー大公のひとり娘だそうだ。







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