近衛騎兵連隊
――――――
目が覚めると知らない天井だった。
「あ、目が覚めましたか?」
ベッドサイドの花を入れ替えていたらしい女性と目が合う。同い年くらいの少女だ。白衣と頭の上にちょこんと載ったキャップ。その出たちから看護師のようだ。彼女は状況が呑み込めず困惑している私を安心させるためか笑顔を崩さない。
「すぐにお医者様を呼んで参ります」
ぺこり、と行儀よく挨拶して部屋を出ていく。所作が美しい。何となく感じられる育ちのよさ。もしかすると、いいところのお嬢様が戦時ということで看護師をしているのかもしれない。
可愛いなぁ、と彼女に見惚れる。ルフィナやニーナさんも美人だったが、どちらかというとグイグイ押してくるタイプだった。その手の女性は私をかっこいい、という言ってしまえば下心ありでこちらを見てくるのだが、彼女からはそれが感じられない。とても新鮮だった。まあ、高貴な人からすると私のような人間など見慣れているのだろう。
しばらくして看護師の少女が医者を伴って帰ってきた。医者からは調子について訊かれたので、好調だと答える。戦場ではベッドで寝るなんてことはできない。よく眠れたらしく、身体が以前より明らかに軽くなっている。ちゃんと休みをとっていたつもりだったが、気づかないうちに疲労が溜まっていたらしい。
「ところで、ここは?」
「モスコーの病院です。貴方は運がいい」
「?」
どういうことなのか? 地雷を馬で踏んで吹き飛ばされたことは覚えている。たしかに、地雷を踏みながら生きているのは運がいいが、そういうことなのだろうか?
「まったくですよ。部隊から報告がきています。貴方が踏んだのは踝を吹き飛ばすくらいの比較的威力の小さな地雷で、病院送りになったのも爆風というより、馬に振り落とされたからですね」
医者曰く、受け身がとれていなかったのが、長期間意識を失うことになった原因だという。下手すると、目を覚さない植物状態になったかもしれないそうだ。それを回避したことを指して「運がいい」と言ったのだ。
「いや、お恥ずかしい」
本当に恥ずかしい。負傷の原因が自分の過失とは。
「まあ、数日は安静にしておくといい。軍にはわたしから連絡を入れておくよ」
「ありがとうございます」
そう言い残して病室を出ていく医者。看護師の少女もお大事に、と言ってそれに続く。
彼女は私の担当らしく、以後も食事を運んで来たり花の水換えをしに来たりと顔を合わせることがあり、雑談をする程度には仲よくなった。
自己紹介をしたのだが、名前を聞いて驚く。彼女の名前はレイラ・ブリノヴァ。ブリノフ大公の妹(大公女)だというのだ。なんでそんな高貴な人が軍の病院で働いているのだろうか。好奇心には勝てず訊いてみた。
「国への奉仕は貴族の義務ですから。……それにわたし、これでも歴とした軍人なんですよ?」
なんとびっくり。彼女は衛生科の中尉らしい。しかも国軍の。私より少し歳が上であり、身分やらコネなどあるのだろうが、こうして病院で勤務できるほどには優秀なのだろう。
「意外ですか?」
「いえ、そんなことは……」
「嘘ですね。顔に出ていますよ」
これまで出会った貴族はエレオノーラのような不真面目だったり、アガフォンのような(自称)放蕩息子、主に領軍にいたボンクラコネ下士官だったりでいい印象がない。
レイラさんは人として普通の対応をしているのかもしれないが、相対的にまともすぎて逆に異常な貴族になっていた。
「失礼しました」
「いえいえ」
無礼打ちされても文句は言えないが、レイラさんは特に気にした様子はない。さらにありがたいことに、高貴な家の生まれだからといって気を遣わなくていいとも言ってくれた。
「病院にいるからには看護者と患者です。生まれや育ちを気にしてはいけません」
私はその言葉に甘えて、レイラさんが大公女であることは気にせずに接する。
レイラさんに看護されていると、目覚めてから三日後に私の病室を大佐の階級章を持った軍人が訪ねてきた。そして二度目となる聖十字勲章が授与されるとともに、異動辞令が交付される。
「まあ。おめでとうございます」
病室まで案内してきたレイラさんからも祝福された。
……待て。
今回はまったく思い当たる節がない。目を白黒させていると、大佐がそれに気づいたのか戦傷に対する見舞いみたいなものだと理由を明かしてくれた。
そんな理由で、と思ったが後で聞いた話では厭戦気分を払拭するために勲章を濫発しているらしい。今回は戦傷と偵察で敵陣地を発見した功績を評価したものだという。あのときの隊員全員が受勲されているらしい。
同時に渡された異動事例。こちらはモスコーの騎兵連隊から、帝都の近衛騎兵連隊への転属命令だった。大佐はそこの連隊長らしい。
「なぜ私のような田舎者を?」
「君の評判は聞き及んでいる。なかなか優秀な人材がいるとね」
兵卒のくせに士官レベルの教育水準にある人間として騎兵科の間では有名だったそうだ。そして人材不足に悩む騎兵隊にとって、そういう人間は是非とも欲しいらしい。
「なかなか手放してくれなかったが、戦傷して後方に移送されたことで向こうも折れてくれたよ」
あはは、と大佐は豪快に笑う。そして最後に、期待してるよとの言葉とともに肩をポン、と叩かれた。ちょっと賢しいだけの村人に一体何を期待しているのやら。
やがて退院の日を迎え、レイラさんたち病院関係者の方たちから見送りを受ける。一兵卒には過ぎたる待遇で私は恐縮してばかり。せめて礼儀正しくしようと思ってお世話になりましたとお礼を言ったところ、彼女が関係者を代表して花束をくれた。
そのとき、周りの観衆が歓声を上げる。ヒューヒュー、など指笛を吹く者もいた。が、私と彼女との間に浮ついた話はない。
病院は本来あまり来るような場所ではないが、離れるのがとても名残惜しい。それも、レイラさんをはじめとした関係者がとてもよくしてくれたからだろう。
しかし、連隊長から早く来いと電報をもらっているので急がなければならない。本当はモスコーにいる知り合いや両親を訪ねたかったのだが、そんな暇は与えられず帝都行きの汽車に乗り込んだ。
「ここが帝都……」
故郷から出ることのなかった私にとって、修行で行ったモスコーが初めての外だった。それから何年も経たないうちに、この国の首都である帝都に足を踏み入れていた。
帝都ピエタリは宮殿を中心にできた街だ。西方諸国と海で繋がっており、モスコーが保守的な街である一方で、こちらはかなり先進的な街らしい。
駅を出ると、宮殿まで続く大通りが目に入る。ここが街のメインストリートだ。商店が並び、通りから一本外れた道には貴族の邸宅が建っている。郊外には工場などスペースをとる建物が建ち、兵舎もそこにあるらしい。私は駅員に場所を訊ね、言われた道を辿って兵舎に向かう。
道中、街を通ったが賑わいのなかに異様な空気が漂っていた。各所で人が集まりシュプレヒコールを上げている。耳を傾けてみると、反戦と食糧の配給量増加を求めるものだった。
なかには政府の退陣を求める声もあり、諸侯会議のトップであるガルーシン大公が批判されていた。そういう集団の周りを治安部隊がうろうろしている。そこに見知った顔を見つけた。
「連隊長」
「ああ、イワンか。よく来たな」
偶然、連隊長と鉢合わせた私。連隊長の案内で兵舎へ案内してもらった。
兵舎に着くと上司に引き合わされ、案内もバトンタッチ。
まず案内されたのは部隊の部屋。ここで同じ中隊の兵士が寝泊まりする。必要なものは前の部隊にいた頃に支給されているのだが、軍服だけは別に支給された。
「新品の軍服だ」
渡された軍服は新品。前の部隊で支給された服はすべて中古だったので驚く。
「はははっ。初めて近衛に来た奴は皆そういう反応をするよ」
楽しそうに笑った後、説明してくれる。近衛は宮殿の警備や儀仗など、見栄えを求められる場面が多い。そんなとき、状態がいいとはいえ中古を着ていたり、ましてやボロボロの訓練用の軍服を着ていたりするのは格好悪い。そんなわけで、近衛には決まって新品が支給されるのだという。
「なるほど」
「そして、我々の仕事は主に皇族の警護だ」
帝都には近衛と一般の二種類の軍が存在する。基本的に皇族の警護と街の治安維持ということで棲み分けが行われているのだが、人手が必要なときは互いに融通しあっているのだという(仲がいいとは言っていない)。
そして、主に人手が必要となるのが治安維持だ。特に今は街で反戦運動が起こり、治安が悪化している。しかし、鎮圧に派遣した兵士が感化されて運動に加わるという事件が起きたため、今は勤続年数の長いベテランを投入。私のような若手は宮殿の警備に回されているらしい。
「連隊長から話は聞いている。期待しているぞ」
ただの兵士に何を期待しているのやら。期待の大きさに困惑しつつ、私の近衛騎兵連隊での生活が始まった。




