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陛下のお気に入り  作者: 親交の日
第1章 モスコーでの暮らし
2/30

街に出る


 2章から設定集なんかを入れようかなと思っています。あと登場人物の一覧も。ヨーロッパの地理とか、読者の方の多くは馴染みがないかなと思うので。

 

 



 ――――――




 村にヤコフさんがやってきた。到着が伝えられると、村人たちは挙って広場に向かう。そこが、彼が市を開く定位置だからだ。我が家も同じように市へ繰り出す。


「ヤコフさん。今日は何がありますか?」


「いつもの野菜なんかの他に、ウィンランド(ルーブル帝国の北部地域)や青海(ルーブル帝国の南にある海)で獲れた魚介もありますよ」


 おおっ! と喜ぶ村人たち。近くを流れる川から魚は獲れるが、海の魚は行商からでなければ手に入らない。ましてや、普段なら王都やモスコーなどの大都市に消費されて、辺境の村に回ってくることはないのだ。間違いなくご馳走である。


「ならば、儂が一括して買い取ろう」


 そう言い出したのは村長。村として貯めているお金を取り崩して買い取り、村人に分配しようというのだ。村人たちから異議は出ず、魚介は村長から分配されることとなった。支払いは金貨三枚。ヤコフさんが持っているもの全てとはいえ、かなり高いな。


 目玉商品が売れたことで、人々は日常生活に必要なものを買っていく。塩なんかの調味料に、余裕がある家庭はタバコや化粧品みたいな嗜好品を購入する。ヤコフさんが来る日、村はちょっとしたお祭り騒ぎになるのだ。


 ヤコフさんはいつも村で一泊する。そのため商いは夕方まで続く。行商スペースを片した後は、宿泊先にて旅の疲れを癒すのだ。もっとも、この村に宿なんてものはないので、泊まるのは村長の家だが。いつもならそこへ直行するところ、ヤコフさんはなぜか家を訪ねてきた。母は食事を作っていたので私が応対し、用事があるという父を呼ぶ。


「パーヴェルさん。お渡しするのが遅くなりましたが、キリーロフ工房のダヴィッド殿からのお手紙です」


「ああ。わざわざありがとうございます」


 父はヤコフさんから手紙を受け取っていた。キリーロフ工房とは、父が修行した工房らしい。母から聞いた。その縁で仕事があったり、そうでなくとも近況報告も兼ねて手紙のやり取りをしているそうだ。


 手紙を読んで二、三度頷く父。何が書いてあったの? と訊ねてみたが、上手くはぐらかされた。聞くべきことではなかったかな、と思ったが、それは違ったようだ。夕食が終わると、父から私たち兄弟に話があると言われた。


「お前たちを、モスコーのキリーロフ工房に預けようと思う」


 修行だそうだ。しかし、兄はともかくなぜ私まで?


「イワンももしかすると、工房を持つかもしれないからな。修行していて損はない」


 それを聞いてルフィナの影が頭の中でチラつく。


「せっかくの機会なんだ。やろうよイワン」


 兄も勧めてくる。二人は私が工房を持つことに賛成だ。だから修行にも前向きなのである。しかもこれは断れないやつだ。既に先方と話はついている。無理にでも断れば父の顔に泥を塗ることになってしまう。それは私の本意ではない。


「……わかりました」


 仕方なく了承した。私が頑張ればいいだけ。そう思うことにした。


 出発は明日。随分と急な話だが、ヤコフさんがモスコーに戻るときに同行するからだという。いつも早朝に出発するので、お世話になった人に知らせる時間はなさそうだ。こんな時間に行っても迷惑だろうし。たまたま会った人には話すが、基本的に挨拶は両親に任せることにした。


 話が終わった後、兄が私に話しかけてくる。


「楽しみだな」


「あ、うん。そうだね」


 ははっ、と兄に合わせて笑う。内心は嫌で仕方ないが、無邪気に笑う彼を見ているとそんなことは言えない。興奮した兄はなかなか眠気が訪れないようで、かなり久しぶりに夜更かしをする(させられる)羽目になった。


 翌朝。夜更かしの影響で頭が少しくらくらするなか、私たちは村を出てモスコーに向かう。両親の他、村長やたまたま居合わせた村人たちが見送りに来てくれた。


「二人とも、しっかりやれよ!」


「腕のいい職人になって帰ってきな!」


「身体には気をつけるんだよ」


 村のおっちゃんたちは励ましの言葉を。おば――はっ!? 強い殺気――げふんげふん。お姉様たちは気遣う言葉をかけてくれる。私たちはありがとう、頑張る、と当たり障りのない返事をした。


 一方、若者たちは二つに割れる。若い衆は兄に、娘衆は私に群がって声をかけてきたのだ。予想通りだが、こうもあからさまだと若い衆からの敵意が増すような気がする。実際、挨拶を終えた若い衆は私を睨みつけてきた。はぁ。


「ではそろそろ出発しましょう」


 これまで別れの挨拶を見守ってくれていたヤコフさんが告げる。日のあるうちにモスコーに着きたい、ということだ。最後、母が私たちを個別に抱きしめてくれた。そのとき耳元で、


「嫌なら帰ってきてもいいのよ。お母さんはあなたの味方だから」


 と言ってくれた。


「ありがとう。行ってきます」


 私は笑顔で母に応えた。


 徒歩でおよそ八時間ほどの距離にモスコーはある。体調があまりよくない私にとってそれは苦行でしかなかったが、弱音は吐けない。なぜか知らないが、隣を歩く兄は元気一杯だからだ。本当、どういう身体をしているのだろう。修行に行ける興奮がそうさせるのか? 我が兄ながら化け物である。


 救いは、村からモスコーへの街道はきっちり整備されていることだ。なんでも昔、皇帝が行幸する際に通り道であることから整備され、それが荒れないよう今でも保守点検がしっかりされているからだという。私も若い衆として作業したことはあるが、そんな由緒があるとは知らなかった。


「今ではただの労役でしかありませんがね」


 ヤコフさんは過去の栄光だと切って捨てた。実益からすると、大都市と村を結ぶ道に、主要街道のような立派な道は必要ないという。それは私も同意だ。


 そんな話を聞きながら歩くこと八時間。道中、適度な休憩をとりはしたものの、肉体的、精神的に疲れ果てた状態でモスコーに到着した。朝早くに出たおかげもあって予定通り、日のあるうちに入市。キリーロフ工房へ連れてきてくれた。


「ヤコフさん、ありがとうございました」


「いえいえ。お二人とも、頑張ってくださいね。ご両親にお伝えしたいことがあれば、商業組合に話していただければ、私まで届きますので」


 責任を持ってお伝えします、とヤコフさん。私たちは丁重にお礼を言って別れた。


 キリーロフ工房では親方が出迎えてくれる。四角い顔に髭を伸ばし、服の袖から伸びる腕には筋肉が浮き出ていた。


「お前さんたちがパーヴェルの息子のアントンとイワンか。話は聞いている。オレはダヴィッド。ここ、キリーロフ工房の親方だ」


「「よろしくお願いします、親方」」


 兄とともに挨拶をする。父から事前に、工房長は親方と呼ぶように言われていた。そういう伝統らしい。私は呼び方なんぞどうでもいいと思っていたが、それで不利益を被るのは馬鹿らしいので従う。ダヴィッドさんは満足気に頷いた。


「礼儀は知っているようだな。まあ、あのパーヴェルの息子だ。心配はしていなかったが」


 呵々と笑うダヴィッドさん。私は気になったことがあり訊ねてみた。


「親方。質問してもいいですか?」


「なんだ?」


「父と親方はどういうご関係なんですか? 父や祖父など、我が家の職人は代々ここで修行させていただいてるそうですが」


「オレとパーヴェルはオヤジの弟子。つまりは兄弟弟子だ。色々と面倒見てやったものさ」


「そうなんですね」


 父への呼び方から察するに、ダヴィッドさんが兄弟子、父が弟弟子なんだろう。子どもの修行を出すのに、兄弟子に頼ったわけだ。何となく、我が家とこの工房の関係性が見えてきた。うちはこの工房のトップと兄弟弟子になることで、修行先を確保していたのだろう。だが、次のダヴィッドさんの言葉は意外なものだった。


「しかし、不思議だな」


「何がですか?」


「パーヴェルの奴は、何でお前らを修行に寄越したんだろうな? アイツも親方だってのに」


「「ええっ!?」」


 まさかの事実である。


「お前たち、知らなかったのか?」


 ダヴィッドさんに訊かれ、同時に頷く。父が親方だとは知らなかった。そもそも訊いてすらいないが、そんなことは思い至らない。親方が田舎の村で職人をしているなど、誰が思うだろう。


「秘密にしてたのか。アイツも何か考えがあったのかもな」


 まあ、んなことは知らん、とにこやかに言い切ったダヴィッドさん。こういう単純な性格は嫌いではない。父の真意はわからないが、今は脇に置いて新生活を頑張ろうと思った。


 その日はダヴィッドさんに寮へ案内された。私は兄と同室。ここだけは実家のような空気感が得られるようで安心した。他人との共同生活も慣れれば悪くないのだろうが、都会に出てきたばかりの身としては色々と受け止めるのが大変だ。だから、変わらないことに安心もする。


 ぐっすり休み、仕事は翌朝から始まった。といっても、実家でやっていたこととあまり変わらない。作業前には工房を清掃。その後、職人たちと一緒に鍛冶仕事をする。


「お前たちは修行に来たといっても職人待遇だ。きっちり働けよ?」


 意外だったのは、私たちが職人待遇だったこと。普通、修行に出されるのは見習いの扱いが多い。しかし、村で働いて見習い期間は終了している、と判断したダヴィッドさんは、私たちを職人扱いしてくれた。


 初日から早速、簡単な仕事を振られる。最初は先輩職人からの顧客を引き継ぐため、慣らしとして仕事を受けるのだ。顧客を引き継がせてくれるのは、独立や引退が近い職人である。


 引き継ぎにあたっては、誰がどのような仕事を好むのかを伝えてもらう。それを覚え、顧客ごとに望む仕事をするのが私たち職人の仕事なのだ。ここは見習いから職人へとクラスアップした者が最初に躓くところである。これまで言われた通りの仕事をやればよかった見習いに対して、職人は細かなオーダーを解釈し、それに応じた対応をしなければならない。その差異に戸惑うのだ。でも、私たちにとっては村でやっていたことと変わらない。戸惑いとは無縁で、テキパキと仕事をこなす。


「いや、お前たちの仕事はお客も満足しているよ」


「なかなかやるな、お前たち」


 先輩職人たちから褒められる。村で父からしつこく言われていたことなので、身体に染みついているのだ。


「そこらの新人職人よりも腕が立つな。思わん拾い物だ」


 ガハハ、と豪快に笑うダヴィッドさん。


「そうですか? 兄はともかく、私は魔鍛造もさせてもらえない身ですが……」


 そう言うと、呆れを含んだ目を向けられた。


「あのな、確かに魔鍛造ができる職人は一人前だと言われてる。だが、誰もがホイホイできるもんじゃない。実際は、ひとりでお客を満足させられる仕事ができて一人前なんだ」


 魔鍛造ができないから半人前とか言ったら、その辺りの職人に殺されるぞ、とダヴィッドさんは言う。


「教えなかったのは、パーヴェルなりの親心なんだろう。少しでも腕のいい職人になってほしい、っていうな」


 うーん。それはありがたいのだが、正しい知識は伝えてほしかった。


 キリーロフ工房の人々は親方含めて私たちを暖かく迎え入れてくれた。父の薫陶もあって仕事で苦労することもなく、初めての都会生活はトラブルなく過ぎていった。







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