空白の玉座
――――――
撤退には成功した。居残り部隊を切り離してから敵の追撃はピタリと止んだ。彼らが頑張ってくれたのだろう。
その居残り部隊だが、アガフォンを含め誰ひとりとして帰ってこなかった。軍は戦死と判断。手続きをとっている。
私はアガフォンの遺品をまとめ、彼の家族に戦死通知とともに送られるよう手配した。ただし、銃だけはそのまま持っている。
連隊長が戦死したため、部隊は後方で休息をとることになった。連隊長を含む人員の補充を受けて前線に出ることになる。
敵の攻勢はしばらくして止まった。こちらが何とか体勢を整えられたからだ。敵も相当の損害を出していたらしく、攻勢限界を迎え停止している。
それを見た司令官は、
「川まで押し返す! 敵の態勢が整う前に攻撃するのだ!」
と号令を下す。この辺りのルーブル帝国軍の司令官は好戦的らしい。
そんな無茶な、と内心では皆思っていたが、命令は命令。指示通りに再編を終えた部隊を使い、反撃に出た。私の所属する部隊もこれに加わる。
私は先鋒として敵に向かう。変なことを考える暇ができないよう、戦いに集中する。
敵陣地に対して歩兵が正面攻撃をかけ、その間に私たち騎兵が機動力を活かして側面へと回り込む。
敵はまだ態勢を整えられていないらしく、陣地からは機関銃すら撃ってこなかった。飛んでくるのは小銃弾と手榴弾のみ。被害ゼロというわけにはいかないが、全体からすれば微々たるものでしかない。
迂回運動が成功したことで敵軍は第一線陣地での抵抗を諦めたらしく撤退を始める。塹壕から現れた敵はクローネ連合帝国軍の軍服を着ていた。マルク帝国軍は後退していたようだ。
ならばと司令官は川まで追い落とすよう命令した。騎兵が先頭に立って進撃する。
後ろは占領が早く、敵もそれなりに防衛態勢を整えていた。機関銃が撃たれたときは死んだ、と思ったが幸運にも当たらなかった。
「このっ!」
「わっ!?」
敵陣に踊り込んだとき、横から敵兵が飛びかかってきた。腰のベルトを取られ、馬から引きずり下ろされる。
「うおぉぉぉッ!」
サーベルを持った敵兵が雄叫びを上げながら私に突きかかってきた。
銃剣は落馬したときに手放している。腰のサーベルを抜いている暇はない。素手で対処するしかなかった。
不思議なことに、敵の姿はとてもゆっくり鮮明に見えた。私は落ち着いてサーベルの腹に蹴りを入れて軌道を逸らす。
相手がバランスを崩したところで、後ろ蹴りを入れる。相手が倒れると余裕ができるので、サーベルを抜き相手を突き刺す。肉を切る不快な感触が伝わるが、戦闘を繰り返すうちに慣れた。
血糊を払って納刀。落ちていた銃剣を手に取る。そのころになると、後続の味方が続々と陣地に飛び込んできた。敵味方入り乱れての乱戦だ。敵も引けないらしい。必死の抵抗を見せる。制圧に時間をとられた。
「中隊、集合!」
「点呼の後、前進するぞ!」
制圧後、損害を確認すべく点呼が行われる。一割ほどの損失を出したが、まだ戦闘可能と判断されて前進が命じられた。
しかし、先行していた部隊が増援のマルク帝国軍と遭遇。潰走した。これを受けて進撃は一旦中止。後に停止が命じられた。
攻撃中止となったのは、増援のマルク帝国軍がかなり有力な部隊だから。――といってもそれは表向きの理由で、本当のところは予備部隊で大規模な脱走事件が起きたためらしい。
司令部は頑なに認めないが、明らかに人間が減っている。ひた隠しにしたいようだが、隠そうとしても隠せるものではない。それに影響され、他の部隊も士気が下がっていた。ちらほらと脱走者も出ているらしい。
私の所属する部隊からも数人、脱走者がいた。貴族は責務でもあるため逃げ出さないが、平民は違う。死んでたまるかと逃げ出す者がいた。
気持ちはわかるし同意するが、やろうとは思わない。逃げれば身内に迷惑をかけてしまうからだ。故郷で待たせている人がいる以上、それはできない。バレれば銃殺になるし。
結局、前進はしたものの、犠牲の割に成果は微妙なものとなった。敵を川へ追い落とすという目的を果たせていないため、軍内では負けと思われている。戦って負けたというより、戦わずして負けたという感じはするが。
厭戦気分が漂う戦場。そんなある日、大事件の一報が入ってきた。
「お前ら聞いたか?」
「何をだよ?」
「皇帝陛下が退位したらしい」
「「「マジか!?」」」
兵士の多くが無気力になっていたが、これにはさすがに驚く。こちらも軍は隠しておきたかったようだが、人の口に戸は立てられない。話は一気に広まった。
伝言ゲームの要領で虚々実々の話が広まり収拾がつかなくなった頃、軍から正式な発表がなされた。それによると、
帝都で食料配給の不公平を訴えるデモが発生。徐々にエスカレート。皇帝は前線に出ており帝都を空けていたが、事態を聞くと武力による鎮圧を命令した。これに従い、警官隊が発砲して鎮圧を開始する。
帝都を守備する部隊にも鎮圧が命じられたが、兵士たちは暴力による鎮圧に反発して反乱を起こす。この動きはモスコーなどの帝国主要都市に波及した。
これに皇帝の戦争指導に不満を抱いた貴族たちが同調。各々が支持する皇族を擁立して退位を迫った。
皇帝は弟のスルツキー大公に譲位すると宣言して退位。しかし、当の大公がそれを固辞したために皇帝位は空白となっている。現在は、皇族と貴族による合議制が敷かれているそうだ。
「もしかすると、戦争が終わるかもしれないな」
「ああ」
兵士たちは楽観的な見方をしていたが、私はそうは思えなかった。これが勝ち戦ならともかく、主力が展開する北部はルーブル帝国が押されている。白紙講和は許されないだろう。よくて現状の領土の割譲。最悪はそれ以上の領土を割譲させられた挙句、賠償金を支払わされることになる。
賠償金を払うのは国だが、国の金は国民の税金だ。払うのは自分たち。実に悩ましいところだ。
皇帝の退位にある意味で沸いていた部隊だったが、程なくして冷や水がぶっかけられる。司令官から大規模攻勢の命令が出されたからだ。
「は? ふざけんな」
「やってられるか!」
ぶーぶー、と兵士から文句が噴出する。
「何とかやってくれ」
「とにかく押し返さないといけないんだ」
以前は将校が命じれば動いていた兵士だったが、最近は懇願して泣き落としのようなことをしなければ動かなくなっていた。なかにはそれでも頑として命令を聞かない兵士もいて、陣内は大混乱だ。
現場の混乱は司令部にも伝わっている。私たち騎兵は部隊の連絡役として活動することもあり、通信を生で聞くこともあった。命令はなかなかに酷く、
『命令を聞く部隊を先発させろ! 勝てば言うことを聞くだろう』
というものだった。命が惜しくて抗命しているわけだから、勝ち負けなど関係ないのだ。それを司令部は理解していないらしい。いや、理解はしていてもそうなるだろう、という希望的観測にすがっているという方が正しいか。
かくして見切り発車的に開始された攻勢は、やはりというべきか序盤から躓くこととなった。
クローネ連合帝国軍に対しては優勢に戦闘を進められたが、マルク帝国軍は頑強な抵抗を見せこちらの進撃を阻む。
司令部の目論見は外れ、大損害を受けた兵士たちの戦意はますます低下。前進した部隊も足を止めてしまった。
攻撃は続かずに頓挫。そればかりか敵の反撃に対して戦う意志のない軍隊は存在しないに等しく、敵は補給が続く限り無人の野を進撃していった。
この惨敗の責任を問われる形で司令官は更迭される。現場を理解していなかったとはいえ、なかなかに可哀想だ。
後任の司令官が好戦的な人間だったらどうしようと思っていた前線の兵士だったが、新司令官が戦力の温存を図る、と宣言したことで一応の落ち着きを見せるのだった。




