別離
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ルーブル帝国軍による攻撃は二十キロほど進んで停止した。当初の敵だったクローネ連合帝国軍は追い散らしたものの、増援に現れたマルク帝国軍は強く、進撃を阻まれてしまったのだ。私もアガフォンも何度か戦闘を経験したが、運良く生き残っている。部隊の一割ほどは戦死傷しているので、まさしく幸運であった。
進撃を中止してから、歩兵は塹壕掘りに勤しんでいる。戦ったり移動したりしているとき以外はずっとやってる、と歩兵科の人間が話していた。
「騎兵はいいよな」
「そうだそうだ」
穴掘りをして、朝から晩まで一日ずっと塹壕の中にいる歩兵から、そんな不満の声を聞くことがあった。雨が降るとジメジメして不快で、穴を掘るかいつ来るかもわからない敵を永遠に待っていなくてはいけない。そんな歩兵に対して、騎兵は「警戒」と称して馬に乗って野原を駆け回ることができる。ゆえに何かと羨ましがられていた。
「そう楽なものでもないですよ」
だが、私に言わせれば騎兵も楽ではない。警戒のために小部隊で周辺を移動するが、敵がいつどこから現れるかわかったものではない。私は幸運にも経験していないが、別の隊はばったり敵軍の大部隊と鉢合わせて壊滅している。
また、潜んでいた敵に狙撃されて死ぬことも多い。塹壕にいても狙撃されることはあるが、あれは不用意に顔を出すからであり、そうしない限り安全だ。しかし、騎兵は身を隠すことが難しい。特に騎乗中は馬の高さもプラスされるので、どうしても目立ってしまう。狙撃の格好の的といえる。
そんなことを説明するのだが、歩兵たちはそれでも羨ましいと言う。まあ、進んで塹壕に入りたいかと言われれば遠慮したいが、そこまで不平を言うことかと思ってしまう。結局、隣の芝は青いということだろうか。
「どう思う、ヴィスナ?」
騎兵の命である馬の世話をしながら、その馬に問いかける。ヴィスナは嘶くことで応じたが、答えになっているようでなっていない。私は苦笑する。
ヴィスナのブラッシングを終え、飼料と水を運べば終わりというところで爆発音がした。連続で何度も何度も。ややあって、アガフォンが駆け込んできた。
「イワン! 敵の攻撃だ」
召集がかけられたそうで、馬の世話をしている私を呼びに来たようだ。私は出撃に備えて飼料と水を急いで運ぶと、アガフォンとともに集合場所に走った。
「先刻、敵砲兵が砲撃を開始した。遠くないうちに大規模攻勢があることが考えられることから、師団司令部より出撃待機命令が出されている。我々は敵の突破に備える」
「「「了解!」」」
私たちは武器を持ち、馬のいる厩舎の近くで待機する。出撃、と言われれば厩舎から馬を出して移動するのだ。
やがて、塹壕線を迂回した敵が、味方右翼の後背を脅かしつつあるとの情報が入る。即座に出撃命令が下り、私たちは戦線右翼へと急行した。
「突撃!」
その号令を受け、走りながら隊列を変える。射線を通すべく横に広がっていくのは至難の業だが、これも猛訓練の成果だ。
馬を走らせつつ、手綱を離して背中に回していた銃を構える。槓桿を引いて弾を込め、狙いをつけて撃つ。馬上だとどうしても揺れるので、揺れの上または下に来た瞬間に引き金を引く。それでも精度は落ちるが、主な目的は牽制なので構わない。
相手も撃ち返してきて、双方ともに犠牲者が出る。しかし、私たちにとって最大の敵である機関銃は持っていないようだ。相手が機関銃を持ち出す前に乱戦へ持ち込む。
弾倉に入っている弾(五発)を撃ち尽くすと、銃剣を構えて突進。敵の隊列へ雪崩れ込んだ。騎馬の突進はそれだけで凄まじい圧力を発揮する。生身の人間にとってはたまったものではない。
銃剣あるいは刀剣を用いた激しい白兵戦が繰り広げられる。私も夢中で銃剣を振るった。やがて敵は私たちの圧力に負け、潰走を始める。
「逃すな!」
追撃の指示が出た。徒歩で逃げる敵に対して馬で追う私たち。当然こちらの方が速く、さながら狩りの様相を呈する。こうして私たちは迂回してきたマルク帝国軍を散々に撃ち破った。
私たちは敵を追い返したことに歓声を上げる。しかし、休む間もなく次の戦場への移動を告げられた。
「敵が防衛線を突破した。我々は反転し、これを急ぎ追い返すぞ」
敵が右翼の後背に現れたことで、司令部は私たちを含む予備隊を投入した。そのため隙が生まれ、戦線の突破を許してしまったようだ。
この穴を塞ぐのに機動力に優れた騎兵は便利な存在で、次々と転戦命令が下りてきた。右翼から左翼へ、左翼から右翼、次は中央。戦場を縦横無尽に駆け回り、命懸けの戦いをする。疲弊は避けられない。注意が散漫になり、不覚をとる者もいた。そうやって死んでいく末端の兵士など軍は気にも留めない。しかし、この小さな綻びが看過できない事件を引き起こす。
「敵の増援! 規模は歩兵一個旅団ッ!」
「また来たのか!? 連隊本部は何をやっている。このままだと止められないぞ!」
小隊長が怒鳴っている。私たちは転戦を続けていたが、あるとき苦戦を強いられていた。いつものように突破してきた敵軍を押し戻そうとしたのだが、次々と増援が現れ押し戻すどころか押し返されそうになっている。
私たちは押し切れない、と判断して上級単位の連隊に増援を要請するよう進言する使者を送っていた。しかし、戻ってきた者の話によれば、連隊本部は「検討する」と言うだけ。援軍は一向に来ない。部隊内でどうなってるんだ、と不満が募る。
「そういえば、連隊本部もかなり慌ただしかったな」
「あっちでも何かあったのか?」
そんな憶測が飛ぶが、こちらも切羽詰まっているのだから何とかしてほしいものだ。
数は味方が圧倒的に不利。それでも踏み留まって戦う。もはや敵を「押し返す」のではなく「食い止める」ことが目的となっているが、それができているだけでも褒めてほしいものだ。とはいえ、死傷者が増加しており遠からずすり潰される。
「ようイワン。生きてるか?」
「そう簡単には死ねないね」
アガフォンと軽口を叩きながら戦いを続ける。今も、頭を出してる阿呆を撃ち抜いたところだ。射撃はごく短時間。即座に馬に乗って移動する。私たちは騎兵の移動力を活かした一撃離脱戦法で遅滞戦を行っていた。敵の撃破を諦め、味方が来るまでの時間を稼ぐという方針に転換している。だが、思わぬ方向に事態が転んだ。
「隊長! 撤退命令です」
「なに!? 何のために我々はこれまで犠牲を出しながら戦っていたんだ!」
駆け込んできた使者から告げられたのは撤退命令。小隊長は今での犠牲は何だったのだ!? と命令に反発する。しかし、
「お気持ちはお察ししますが、緊急事態です。連隊長が戦死。先任士官は部隊の再編のため、連隊は後方に下がることとしました」
「「「連隊長が戦死!?」」」
その場にいた全員が声を上げた。使者は手短に狙撃された、と説明する。
「連隊長クラスの護符を破るのか……」
高級将校には護符が支給される。内臓される魔力で障壁を張り、不意の攻撃から身を守るのだ。高級品で全兵士へ供給できないため、持てるのは欠けば著しい弊害が生じる高級将校、一部の要人に限られていた。
防御力は高く、通常の小銃弾は通さない。佐官のものは砲弾の弾片程度で貫通されてしまうが、将官のそれは直撃でもしない限り破れないそうだ。
しかし、それで絶対安全かといえばそうでもない。まず格闘や銃剣など近接戦闘では護符は効果を発揮しないのだ。また、銃弾に護符を破る解呪の術式を刻むという方法もある。これを魔弾というが、今回はそれでやられたようだ。
「とにかく撤退だ」
これまで戦い続けて少なくない犠牲を出している。それを放棄するような命令は心理的に抵抗感があったが、軍隊において命令は絶対。どう思っていようが従う。
撤退戦は予想されていた通り、かなり厳しいものとなった。敵軍は猛烈な追撃を仕掛けてくる。それを受けながらの撤退なので犠牲が増す。味方の援護もなかったため、やむなく重傷者を含む移動に難がある怪我人をまとめてその場での死守が命じられた。要するに、怪我人を運んでいる余裕はない。味方が撤退するために死ぬまで戦え、ということである。
そのなかにアガフォンがいた。彼は撤退戦中に足を撃たれて落馬。さらに乗っていた馬もやられ、私の馬に二人乗りしていた。撤退戦の際、死傷者を可能な限り連れ帰るのがルーブル騎兵の伝統だ。しかし、二人乗りしていると速度が落ちる。それが嫌われ、馬を持たない者は置いていくことになったのだ。
「お別れだ、戦友」
「そんなこと言うなアガフォン。まだ手はある」
「……いや、いいんだ。それより、お前にこれを」
アガフォンは私に持っていた銃を渡してきた。
「預かっておいてくれ」
「え? でも……」
「いいから。代わりにこれ、借りるぞ」
銃を押し付けられて困惑している間に、アガフォンは私の銃を奪う。それを待っていたかのように、同じく居残りとなる別の兵士がアガフォンに肩を貸す。足をやられている彼は歩くこともままならず、こうしてやらないといけないのだ。
「行くぞイワン。ここでグズグズしているわけにはいかん」
私の方にも上官がやってきて、この場から離れるよう促す。生返事をしていると、業を煮やしたのか周りにいた兵士によって強引に馬に乗せられ、鞭を入れられる。馬は訓練された通りに走り出した。止めようとしたが手綱がない。探せばすぐに見つかった。並走する兵士が持っていた。くっ、器用なことを。取り返そうとしたが、巧みに躱されてしまう。それでいて彼我の馬を完璧にコントロールしているのだから恐れ入る。
だからといってされるがままというのは我慢ならない。諦めた――ように見せかけて手綱を奪取。
「あっ」
間抜けな顔をするがもう遅い。さて、早くしないと戦闘が始まってしまう。急いで助けに行かねばと思ったが、ここで周りを味方に囲まれていることに気づく。
「残念だったな。イワン、勝手な行動は許さん」
「しかし隊長!」
「イワン! これ以上やるなら営倉にぶち込むぞ!」
脅しに屈するか、と私は隊長を睨む。
「っ!?」
このとき、私は初めて隊長をまともに見た。凄い顔をしている。歯を食いしばり、手綱をとる手は強く握り込まれ震えていた。そして絞り出すように、
「……私だって、いや、この部隊にいる誰もが奴らを置いていくことを是としていない。皆、苦しいんだよ」
と言う。悔しさ、怒り、不甲斐なさ。ありとあらゆる感情が綯交ぜになって心のなかで荒れ狂う。
「行くぞ?」
「……………………はい」
私は一度瞑目し、それらの感情を頭から追い出す。すべてを忘れたことにして頷いた。




