知らない間に
――――――
エレオノーラさんが辞めたのと同時に私も辞めた。セット扱いされているのならば、最後までセットでいようという遊び心だ。まあ、チンピラを返り討ちにして自衛できる力をつけるという目的を果たしたことが証明されたというのもある。
そして私は故郷の村へと戻っていた。ニーナさんには引き留められたが、これからどうするにせよ一度は両親と話しておきたい。ヤコフさんに連絡をとり、彼が村へ行商に行くのに同行して故郷に戻った。
「お帰りなさい、イワン」
「ただいま、母さん」
帰ることは事前に手紙で伝えていた。出迎えた母が抱擁してくれる。父はその横でバツが悪そうに立っていた。
「すまなかったな、イワン」
「父さんは悪くないよ。私が工房の人と上手くやれなかったのが悪いんだから」
私が帰ることになった理由は話さざるを得ず、手紙で経緯を軽く説明した。父はキリーロフ工房に修行に出したことを悔いているようだが、修行はとても有意義だった。戦争でダヴィッドさんがいなくならなければ辞めることにもならなかっただろうし、父は何も悪くない。私がドナートと上手くやれなかったのがすべてだ。
「それに、モスコーでの生活は悪くなかったよ。良くしてくれる人が多かったし、友人もできた」
ダヴィッドさんやセラフィマさん、補給を担当していた軍人さんは私にとてもよくしてくれた。工房でもモストヴォイ兄弟やミロンのように仲のいい職人はいたし、エレオノーラさんやニーナさん他、学友や門弟たち、お客さんにもいい人は多い。モスコーでの生活には概ね満足していた。
「そうか……」
力説すると、父はほっとした様子だ。帰ってくる理由が理由だけに心配してくれたようだが、ごく一部が悪さをしただけで全体で見ればいい生活だった、という私の認識を聞いて安堵したのだろう。
「だがお前、相変わらず周りに女が多いな」
「え? ああ、そうですね」
思い返せば私の周りには女性が多い。もはや慣れたので気にしていなかったが、改めて指摘されるとまったくもってその通りだ。
思い返しても、職人たちと話すことはあってもお客さんはほぼ女性。自由時間は兄と行動していたし、戦争で徴用されるとひとりかニーナさんと食堂で話をしていた。辞めた後も、師匠や門弟たちと稽古をしている時間以外は、ニーナさんかエレオノーラさんと一緒にいる。
「これから大変だぞ……」
そんな父の予言に母はあらあら、と苦笑いしていた。村でも周りに女性が多い(正確には男たちからハブられている)が、それは村を出る前とて同じはず。果たして何が「大変」なのか。私にはよくわからなかった。
その日はモスコーで買ったいい食材を使い、母が存分に腕を振るって料理を作ってくれた。曰く、子どもが帰ってきたんだからお祝いしないと、とのこと。祝われるような帰り方ではないのだが、そんなことはどうでもいいのだろう。私はその気持ちをありがたく受け取った。
次の日からはかつての村の生活に戻る。朝起きて作業場に入って仕事の準備をするのだ。石炭に触れるのも久しぶりだった。朝の作業場の冷んやりとした空気、火種から熾した炉の暖かさ、どっしりと重みを感じる槌。どれもが懐かしい。
「身体は覚えてるみたいだな」
「そうみたいですね」
チェックに来た父も満足そうだ。聞けば、私たちが修行に出てからひとりでやっていたらしく、なかなか大変な作業だったとのこと。まあ、石炭はかなりの量が必要だし、バケツいっぱいの水も要る。それらを運ぶのはかなりの重労働だ。ここ数年は私たちに任せていたから、久々にやると大変だろう。私も今日やってそう思った。
準備を終えると一家揃っての朝食。終わると仕事だ。私は店先の看板を「開店」にしてからカウンターに立つ。程なくして最初のお客さんが……って多い! 五分と経たないうちに店は一杯になった。
「何? この人集り?」
「あっ、母さん。手伝って。さすがに捌ききれない」
「え、ええ。でも、何があったの?」
「皆さん、私が帰ってきたからってたくさん物を持ち込んでくれたんですよ」
私たちが修行に出てから、村人たちは父ひとりだと大変だろうと依頼を遠慮していたそうだ。これくらいならまだ使える、という感じで。どうにもならないものだけ注文していたらしい。だが、モスコーで修行していた私が帰ってきたのでたくさん依頼を出してもいいだろう、と一斉に押し寄せたのである。
「自分でやるのは限界があってな」
と研ぎの甘い包丁を出してきたり、
「見てよこれ。旦那が直したんだけどすぐに取れちまうんだ」
取手が着脱式になった鍋を見せてきたり。
凄まじい仕事量で、私も早々に作業場に引っ込むことになった。似たような仕事をまとめ、工程ごとに一気に仕上げていく。
「お前、手際いいな」
そんな私を父が目を丸くして見ていた。私は手を止めることなく答える。
「そうですか? キリーロフ工房だとこれくらいできないとやっていけませんよ」
戦争のおかげで作っても作っても必要量を満たせない。極限まで効率化しなければノルマを達成できなかった。その癖が抜けていないのだろう。もっとも、今回のように大量の仕事が舞い込んだ場面では役に立ったわけだが。
「ダヴィッドの奴、何やってんだ。昔はもっとのんびりしてただろうが……」
父が何かを言っていたが、集中していた私には聞こえなかった。久しぶりということで興が乗り、昼を食べることを忘れて作業に没頭。結局、その日のうちにほぼ全ての依頼を捌いてしまった。
翌日。残りの仕事を片づければあとは昔のようにのんびりやれる。そう思っていると嵐がやってきた。
「イワン!」
バンッ! と店の扉を乱暴に開け放ち、私の名前を呼んだ人物は、
「ルフィナさん」
隣村の村長の娘・ルフィナである。昔から絡んできたためによく覚えていた。脳裏に万年のカビのようにこびりつき、決して剥がれることはないだろう。それくらい印象深い。まあ、彼女は特徴的な甲高い声をしているのも理由のひとつだろうが。
声は相変わらずだが、容姿は変わった。緩くウェーブのかかった茶髪は纏められ胸の前に垂らされている。垂らされた髪は豊かな胸の膨らみを強調していた。ぱっと見はおっとりした村娘。だが、口を開けば煩い奴である。ギャップというか、もはや詐欺だ。彼女には幼少期から色々とあり、言いたいことは山のようにあるがとりあえず、
「扉が壊れるので常識的な力で開閉してください」
店を壊すなと指摘する。
「あっ、ごめん……ってそうじゃなくて!」
「そうじゃない? 扉の修理も時間と費用がかかるんですよ?」
これくらいの大工仕事はできるから工賃はタダでも金具を作る材料費は必要だ。戦争のおかげで物価は上がっている。特に鉄と木材。ヤコフさんはかなり良心的な値段で卸してくれているが、それでも戦争前より倍以上高いのだ。それをさもどうでもいいなんて――
「ご、ごめんなさい。謝るから」
あんまりな物言いに詰め寄っていると、目尻に涙を浮かべたルフィナがいた。窓に反射して映っていた自分は真顔だった。これがジリジリ詰め寄ってくるのだ。それは怖いだろう。
「……すみません。取り乱しました。忘れてください」
キリーロフ工房では少しでも経費を削ろうと努力していた。軍の買取価格は一定なのに、原材料費は上昇する一方。なので作れば作るほど赤字が膨らむ、なんて馬鹿げた事態になりかねなかった。それを防ぐために無駄を極力省く癖がついてしまい、それが抜けていないようだ。本当にルフィナには悪いことをした。
「「……」」
気まずい雰囲気が流れる。それを打ち破ったのは父だった。
「どうしたイワン? ルフィナちゃんが来てるんだろ?」
「あっ、父さん」
「ルフィナちゃん泣いてるのか?」
「い、いえ。扉を開けた時に土煙が舞って、目に入っただけです」
涙を浮かべたルフィナに目ざとく気づいた父だったが、彼女は上手く誤魔化す。
「そうだったのか。それは災難だったね」
ルフィナを気遣う父。彼女が涙を引っ込めたところで、用件は? と訊ねた。
「お仕事の依頼です」
隣村の修理や調整の依頼である。相変わらず鍛冶屋問題は解決していないようだ。
「あーあ。どこかにうちの村で鍛冶屋をやってくれる人はいないかな〜?」
がっつり私を見ながら言うルフィナ。さらには、
「今なら可愛くておっぱいが大きい、村長の娘がお嫁さんになるのにな〜?」
なんてことも言う。相変わらずいい性格をしている。
「……今日中に終わらせるので、明日受け取ってお帰りください」
こういうときは素っ気ない態度をとるに限る。
「仕事が早いわね。けど残念。わたし、しばらくこの村にいるから」
「は?」
いつもなら、作業がいつ終わるのかを確認して隣村に帰っていく。そしてまた受け取りに来るのだ。なのになぜ、この村に滞在するのか。
「イワンが帰ってくるって聞いたからよ」
「え?」
「モスコーにいくことなんて知らなかったし、手紙もないし。帰ってきたからなるべく長く一緒にいたかったのよ。悪い?」
早口で捲し立てながら睨んでくる。悪い? というが、私はわけがわからなかった。
「どうしてそこまで?」
「あんたが好きだからよ!」
言わせないで、と顔を赤くするルフィナ。その原因は怒りだけではないだろう。
さて、どうしたものか。前から告白されることはあったし、やんわりと断ってきた。我ながら上手くやってきたと思う。村で付き合いをなくすことはできないという理由もあるが、告白されて断った後も女の子たちとは蟠りなく話せている。断り続けてきたので、次第に向こうも受けてくれるとは思っていないダメ元の告白になってきていた気はするが。それはそれとして、ルフィナの真剣な告白にどうすればいいのかわからず、私は困ってしまった。
「ふふっ」
どうしようか頭を必死に回転させていると、家から店に移ってきた母がくすくすと笑っていた。
「ルフィナちゃんは本当にイワンのことが好きなのね」
「うっ」
茶化すような物言い。ルフィナは耳まで赤くした。羞恥心が振り切れたらしい。私は責めるような目を母に向ける。
「イワンもそろそろ身を固めないとね。アントンはもう相手決まっているし」
「えっ、そうなんですか?」
「知らなかったの?」
相手を訊くと、隣村(ルフィナの村とは別)の村長の娘だという。結婚相手が決まったことはまったく聞いていない。時期を訊くと丁度、徴用されて兄と別々に暮らし始めたときで、言う暇がなかったのかもしれないが。
「急なことで驚いているでしょうけど、ちゃんと考えてあげてね」
これまでルフィナからのアプローチをさり気なく阻止していた母だが、今回は援護に回っている。何があったのかはわからないが、母が言ったように彼女の告白についてちゃんと考える必要があるだろう。前のように、兄を引き合いに出して断ることもできない。
「ごめん、ルフィナ。考えさせてくれないか?」
「……うん。わかった」
依頼した仕事だけよろしく、と言って店を後にするルフィナ。私は仕事をこなす傍らで彼女のことを考えていた。そのせいか、一日で終わらせると豪語した仕事を二日かけてこなすのだった。
ルフィナは一週間ほどこの村に滞在するそうだ。母から聞いた。聞いてもいないのに色々と情報を与えられるので、どうも二人は繋がっているようだ。
それからというものの、いつも通りの生活を送りながら、どうしてもルフィナのことを考えてしまった。それに伴い「結婚」ということについても考えた。そんな頭になっているので、気づかなかったことにも気づく。
「あれ? ジーナさんが持ってきたこの包丁、エゴールの家のものじゃないか」
包丁はそれぞれに特徴がある。作り方、使い方、装飾など。修理をしている私もそれを記憶していた。だから持ち主と依頼主との齟齬にも気づいたのである。そして、「結婚」のワードが頭の中にある私は二人が結婚したのではないかと考えたのだ。
母に訊ねたところ、私の推測は当たっていた。ついでに、私たちがモスコーに言っている間に同年代は結婚が進んでいるとも。
「例年ならすんなり決まっていたんだけど、貴方たちの世代はイワンが人気でなかなか決まらなくて。親たちでも問題になっていたの。さすがに二十歳を越えるのは拙いから、二人がモスコーに行っている間にある程度進めていたのよ」
女の子は割と現実見るからね、と母は言う。若い衆は元から気になっていた娘はいるわけで、娘衆の気持ちが向けばすぐに結婚となったそうだ。ヤコフさんが来る度に贈り物の類を調えて合同での結婚式を行なっているという。教会も大忙しだそうだ。そういえば、帰ってきてから教会の辺りが騒がしかったような……。そういうことだったのか。
「ちなみに明日は式あるから参加するわよ」
「……聞いてないんですが?」
「大丈夫よ。礼服なんかも用意してあるから」
それはまあ、用意のいいことで。そんなわけで、私は結婚式に参加することになるのだった。




