プロローグ
【お断り】
まず、この作品は近代のロシア(帝政ロシア末期〜大戦期のソ連)を話の土台にしています。ご時世的にかなりセンシティブなものですので、フィクションとはいえ許容できないという方はBBを推奨いたします。
作者はロシア(というか旧ソ連)が好きです。しかし、現在のロシアのウクライナ侵攻を擁護するものではありません。その点は誤解のないようお願いします。
以上、2点を踏まえた上で作品をお楽しみください。
――――――
私の名前はイワン。ルーブル帝国でも屈指の大都市・モスコー郊外にある村に生まれた。鍛冶屋の次男坊である。
「イワン! 木炭の準備はいいか!?」
「ばっちりだよ、父さん」
朝。工房で準備をしていると、戸口から父のパーヴェルが入ってきてそう訊ねた。火入れに木炭を使うのだが、準備は私の仕事だ。
「僕も確認したけど、問題なかったよ」
そう言ってくれたのは、兄のアントン。今年で16になる。私はひとつ下で15だ。兄弟そろって父の仕事の手伝いをしている。
「アントンがそう言うなら間違いないだろう」
「ちょっと父さん。私の言うことは信用できないってこと?」
文句を言うと、父はそういうわけではないと言う。ならば、さっきの発言は一体何だったのだろうか? 真意を明らかにしてほしいものである。
「あはは」
兄さんは笑っている。まったく、人の気も知らないで。だが今は父が優先だ。そう思ってまた問い詰めようとすると、
「皆、ご飯できたわよ〜!」
朗らかな声がした。母のポリーナのものだ。男三人が鍛冶の仕事準備に取りかかるなか、ひとり朝食の準備をしていた。
「おっ、飯だ飯」
話を打ち切り、小走りで母屋に向かう父。逃げたな。
「僕たちも行こう」
私も兄に手を引かれ母屋に向かった。
テーブルには湯気を立てるスープと新鮮なサラダが人数分。テーブルの中央にはバスケットが置かれ、黒パンがいくつも入っている。いつもの朝食だが、
「週の始まりだから、焼きたてよ。冷めないうちに食べましょう」
母のその言葉に、私は父への文句を忘れた。パンは家の場合、およそ一週間分をまとめて焼いてしまう。黒パンは保存がきくのでいいのだが、時間が経つと硬くなる。それを考慮して保存分は予めカットしているのだが、ふっくら感、カットされていないことによるボリューム感は焼きたてに及ばない。だから私は焼きたてが好きだ。
「あなた」
「どうしたポリーナ?」
「野菜がそろそろなくなりそうなの。今度、ヤコフさんが来たときに買うわね」
「わかった。サラダ用の魔法袋ひとつでいいかな?」
「ええ、お願い」
母は鍛冶屋の経理を担当している。計算は父が苦手としているからだ。先代の祖父母もそうだったことを、幼い頃の朧げな記憶ながらも覚えていた。だが、金をどう使うのかは父が決める。わからないなら母に任せてしまえば手間もないのにと思ったが、父曰くそういうもの、だそうだ。変なの。
「そうだ。アントン、イワン。二人は何か欲しいものはないか? もうすぐヤコフさんが来る頃だ。欲しいものがあるなら、今のうちに言うといい」
ヤコフさんとは、モスコーを拠点に活動する行商人のことだ。農作物を買取り、現金収入をもたらしてくれるということで、村の人々から慕われている。それだけでなく、彼が村に来るようになって、一度も期限を破ったことがない。だから信頼もされていた。
「なら、魔炭が欲しいです」
兄がそんな要望を出す。魔炭とは、その名の通り魔力を含んだ炭のことだ。これを使って作ったものは魔力を帯び、強度が上がったり魔法的な特殊効果がついたりする。魔炭を使って鍛冶をすることは、一人前の証といえた。
「そうか……。うん、いいだろう」
「ありがとうございます!」
兄は飛び上がらんばかりに喜ぶ。魔炭を買い与えられるだけでも、一人前として認められる可能性があることを示している。その反応も当然といえた。
「イワンは何かないか?」
「そうですね……」
私は兄ほど鍛冶は上手くない。年齢的なものではなく、才能的に。一応、鍛冶屋としての仕事を学んではいるが、この道を極めようとは思っていない。私は別のことに目を向けていた。
「では、ノートとインクを」
「そんなものでいいのかい?」
「ええ」
私が求めたのはノートとインク。丁度、切れかけていたのだ。いいタイミングだったと思い、注文する。魔炭をOKしておいて、これがNOになるはずもない。父は私の要望をあっさりと受け入れた。
「イワンは勉強熱心だね」
「私はこれくらいしかできないから」
私が見出した新たな道。それは鍛冶ではなく、勉学だった。教養のある母に学び、読み書き計算の能力を養っている。
我が家は豊かだ。父が村で唯一の鍛冶職人ということで、農具や鍋、包丁の製作や修理を一手に担っている。仕事がなくなることはないし、作物のように値段が変わることもない。
そんな家庭だからこそ、母が嫁いできたといえる。母は村長の娘で、読み書き計算ができるのは納税などで役人と交渉する村長の家に生まれたから。我が家は代々、男子が無学だったが、嫁に学識のある人間を迎え、家業を繋げてきた。そんな家だからこそ、私は学で貢献しようと思ったのだ。努力して学んだだけ、結果として返ってくる。
数日後、予定通りにヤコフさんがやってきた。約束通り、父は私にノートとインクを買ってくれた。昼は鍛冶屋を手伝い、夜に母から教えを受ける。それが私の日常だった。
望むものを(法外なものでなければ)買い与えてくれる豊かな家庭に生まれたことはたしかに幸せだ。しかし、それなりの苦労というか、面倒なこともある。
ある日のこと。母とともに店番をしていると、隣村からわざわざ来店したお客さんが来た。
「いらっしゃいませ。あっ、イサークさん。遠いところをようこそ。ルフィナちゃんも」
「「こんにちは」」
隣村の村長・イサークさんとその娘のルフィナ。私も母に倣っていらっしゃいませ、と言うが、内心では面倒なのが来たと思っていた。特にルフィナ。
「壊れた農具なんかを持ってきました。直してもらえませんかね」
イサークさんが母に来訪の目的を告げている横で、ルフィナが私の方へ寄ってくる。
「ねえイワン。うちの村に来てよ」
「またその話ですか。前にお断りしたはずですよ?」
ルフィナは前からうちの村に来ないか、と誘ってくる。そもそも、なぜ彼女たちがうちにやってくるのか。彼女の村にも鍛冶屋はあるのだが、そこの職人が後継ぎがいないまま亡くなったのだ。そこで私に跡を継がないか、という話になった。ルフィナは自分の夫として迎える、つまりは結婚しろと言っている。悪くないと父や兄も賛成するので困っていた。
「何が不満なの? 自分で工房が持てるのよ」
「私は兄ほど仕事が上手くない。魔鍛造(魔炭を使った鍛造)もできてないんですよ?」
それはつまり鍛冶職人として半人前ということで、恥ずかしくて工房なんて持てない、と言った。だが、それで納得するルフィナではない。
「別にいいじゃない。村の鍛冶屋なんてそんなものよ。ここがおかしいの」
彼女の言い分も間違ってはいない。こんなど田舎で魔鍛造ができる鍛冶職人など滅多にいないからだ。精々、都市で働いていて、老後に田舎へと引っ越してきた職人くらいのものだろう。その点、父というかうちの一族は異常だ。父のみならず祖父も、話を聞けばずっと魔鍛造の技術を継承している。
「そうかもしれませんが、魔鍛造もできなくてパーヴェルの息子です。鍛冶屋やってます、とは言えません」
だからお断りします、と言う。これが毎回、私と彼女との間で交わされる会話だ。いい加減、うんざりしている。丁寧な口調も気を抜けば崩れそうだ。それくらい精神を乱される。
「イワン」
話がひと段落したところで、タイミングよく母が話しかけてきた。
「父さんに工房の予定を聞いてくればいいんでしょ。行ってくる」
「あっ、ちょっと!」
ルフィナは呼び止めようとしたが、私は母の助け舟に乗ってその場を離れた。
またある日のこと。その日は兄とともに狩りに出かけた。村には狩りを生業とする人がいるが、私たちは単なる趣味だ。
「イワンは上手いな」
「運がよかっただけですよ」
兄の褒め言葉にそう返す。狩りの腕には自信があるが、今日はいつも以上に調子がよかった。兄は雁を一羽、私は三羽も獲れた。今晩の食卓には肉が並ぶだろう。丸焼きにシチューなど、想像するだけでお腹が空く。
「でも、さすがに獲りすぎたな」
「調子に乗りました」
兄の指摘に頭をかく。あまりに調子がいいので、つい獲りすぎてしまったのだ。気づいたときには後の祭り。放置するわけにもいかないので、血抜きなどの処理はしてある。しかし、これを我が家ですべて消費するのは不可能だ。何とかしなければ。
「あっ、イワンさん」
「本当だ!」
さてどうしたものかと考えていると、不意に名前を呼ばれる。そちらを見れば、美人姉妹と村の若い衆で評判のオリガ、マイヤがいた。笑顔でこちらに近寄ってくる。
「相変わらずモテるな、イワンは」
「そんなことないですよ」
兄がからかってくるので否定したが、
「チッ」
とたまたま近くを通りかかった若い衆の男から舌打ちされた。
はぁ。またこれか。嫌になる。負の感情が沸々と湧いてきた。
私は容姿が整っている。兄は父に似てガタイがよく、顔も四角い。対して私は母に似たため、かなり中性的な容姿をしている。髪を伸ばしてドレスを着せれば貴族のご令嬢にしか見えない、と言われたときには割とマジで凹んだ。
ありがたいと思いつつも、容姿はコンプレックスでもあった。だが、顔が整っているのと、他人には丁寧に接することを心がけているからか、はたまた(裕福な)家庭環境か。理由はともかくとして、私は女の子にかなりモテる。告白されたことも多い。話しかけてくれた姉妹からも告白されたことがある。将来のことがまだ考えられないからと断り、しばらくはぎくしゃくしたが、今は普通に会話できるようになっていた。
なお、本人たち曰く、アプローチは続けるという。そこまで想ってくれるのは嬉しいが、そのことが村の若い衆に知られてからは、兄を除いて村八分であった。直接的な暴力こそないが、事故に見せかけて水をかけられたり、用事があって話しかけても無視されたりと嫌がらせを受けている。
ネガティブな思考になるが、今更だ。ここで言い寄ってくる女の人に冷淡な態度をとっても若い衆の輪には戻れない。それどころか、女衆を敵に回すだけだ。何の利益もない。ならばこの現状に甘んじるしかないだろう。
そんな思考を振り払うため、大きく息を吐く。気持ちをリセットし、話しかけてきた二人と当たり障りのない話をする。丁度いいと、別れ際に獲物をお裾分けした。いやー、懸案も解決してよかったよかった。
姉妹と別れた後、
「女の子にモテるのが役に立ったな」
「知りません」
兄がからかってきたので、臍を曲げてやった。
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