タバコとスマホと思い込み
通されたのは、狭い個室であった。ローテーブルの上に花瓶の置かれている。他に三人掛けのソファが一台と、その上に、額縁に入れられた絵画か写真のようなものが飾ってある。
僕は、レモン化粧品メーカーの営業社員で、この会社へは企画開発会議に参加ためにやって来た。予定時間の五分前なのだが、まだ前の会議が押しているとのことで、しばらく、この部屋で待たせてもらうことになったのだ。
たしか会議には、他にユウ製紙工場の主任が参加することになっているはずだが、重役出勤というやつなのか、それらしき人物の姿はない。部屋に居るのは、僕一人である。
「こちらでお待ちくださいませ。今日は、あいにく会議室が満室となってまして」
「いいわ、まだ時間前だもの。でも、早く終わるように伝えてちょうだい」
「はい。では、失礼いたします」
さきほど、この部屋まで案内された受付嬢と、いま一人、若い女性がやって来た。受付嬢は持ち場へ戻ったが、若い女性は、僕と同様に、この部屋で待つようだ。同じ時間に幾つも会議が重なるとは、なかなか忙しい会社である。
「隣、よろしいですか?」
「えぇ、どうぞ」
僕が鞄を寄せて右端へずれると、女性は左端へ腰を下ろした。つい職業病で観察してしまうのだが、女性はメンズライクなスーツを身にまとい、メイクもナチュラルである。頬にシャーベットピンクのチークでも乗せれば、肌のトーンが上がり、より溌溂として見えそうだ。
「そちらも、これから会議ですか?」
「そうです。なんでも、新しい企画を立ち上げるとかで」
「私のところも、そうなんです。繁盛してる会社のようですね」
「えぇ。やはり、大きな資本は強いですね」
世間話をしていると、女性は鞄からマルボロを取り出し、僕にエクスキューズを入れた上で吸い始めた。
煙に当たらないように花瓶を横にずらすと、丸に斜線が入ったマークが花瓶の下敷きになっているのを発見し、ローテーブルを指でトントンと叩いて注目させた。
「この部屋、禁煙みたいですよ」
「あぁ、ホントだ。こんなところに花瓶を置かないで欲しいわ」
女性は、鞄にマルボロをしまい、代わって携帯灰皿を取り出して吸いかけのタバコを中へ落とした。
そのあと、愛煙家には肩身が狭い世の中になってきたという話をしていると、僕のスマホが鳴ったので、女性にエクスキューズを入れた上で通話を開始した。
少しでも距離を置こうと立ち上がった拍子に、角に肩をぶつけて額縁をずらしてしまったのだが、そこにも丸に斜線が入ったマークが隠れていたので、早々と通話を切り上げざるを得なかった。
「会議が終わったら、また連絡します。はい、ごめんくださいませ。――携帯での通話も禁止なのか」
「ペースメーカーを埋め込んでるかたが、居らっしゃるのかもしれません」
「不便な部屋だな。――まだ会議は終わらないのか」
腕時計を見ると、予定時刻を十分オーバーしていた。女性も開始時間を過ぎていたようで、なんとなくピリピリとした気まずい空気になってきたので、僕は話し掛けるのを止め、キヨスクで買ったメンズノンノを読むことにした。女性も鞄から新聞を取り出し、縦長に折って読み始めた。チラっと視線を走らせると、工業新聞であることが見て取れた。ずいぶん渋いチョイスである。
一秒が一分にも感じられる沈黙を保っていると、それから五分ほどで、資料を抱えた社員がペコペコとショウリョウバッタのように頭を下げながらやってきた。
「いやぁ、お待たせしました。準備が遅くなって、申し訳ございません。ご案内します」
「まだ一人、来てないのでは?」
「いえ、もう来てますよ。お二方は、初対面でしたか」
「えっ?」
「あのぅ、レモン化粧品の営業さんは?」
「僕です。ひょっとして、製紙工場の主任さん?」
「そうです。私が、主任の若松です」
なんてことだ。作業服でコワモテの男性が来るとばかり思っていたせいで、すっかり誤解をしてしまっていた。まぁ、女性側も、化粧品メーカーの営業ということで、可愛い女の子が来ると思い込んでいたそうだから、お相子だろう。
このあと、僕と若松主任はソファーから立ち上がり、資料を抱えた社員の先導で会議室へと移動したのであった。